#42 死体
「ケティィぃぃぃぃぃぃっ!」
俺はケティの首から飛び散る血へ手を伸ばしていた……多分、拾おうとしたんだ。
でも、そんなものつかめるわけもなく。
宙へ突き出した俺の赤く染まった両手の隙間に、膝から崩れ落ちるケティが見えた。
慌ててケティを抱きかかえようと前へ出た……けれど、足に力がうまく入らなくて、俺の膝も馬車の床へとついてしまう。
あれ、俺、なにやってんだろう。
しなきゃしなきゃしなきゃっていう強迫観念みたいなのは俺の背中を必死に押すのに、何をって部分が、自分の中から何ひとつ取り出せない。
目の前にはケティが倒れていて、そのすぐ先で、御者が、ルブルムの小剣に喉を貫かれている。
ルブルムはすぐにケティを仰向けにして、何度も『生命回復』を使っている……首を横に振っている?
「トシテルっ! ケティが、『生命回復』に抵抗する!」
ルブルムの声が、周囲の音が、急に耳に戻ってきて、俺は思考だけじゃなく聴覚も滞っていたのだと気付く。
両手で自分の頬を叩く。
何をやっているんだ俺は!
魔法代償を集中しながらケティの喉に触れ、俺も『生命回復』を使う……本当だ。魔法がケティの中へ入って行かないのを感じる。
ケティの吹き出る血は止まらず、左手に凄まじい激痛が走っただけ。
「ケティ! 俺だ! リテルだっ! ケティを助けたいんだっ! 俺を信じて! 受け入れてくれっ!」
叫びながら、祈りながら、俺は左手でケティの手を握りしめる。
右手をケティの喉に当て、もう一度叫ぶ。
「ケティィィっ!」
『虫の牙』の激痛が暴れまわる俺の左手に、ケティの指が弱々しく絡むのを、やけにはっきりと感じた。
まだ間に合う……間に合ってくれ!
「ケティ! 受け入れてくれっ! ケティの傷を治すから!」
ケティは力なく俺の左手を握りしめようとする。
ルブルムが俺に『脳内モルヒネ』をかけてくれる……これでかなり集中力が増す。
「ケティ……いくよ」
何度目かの『生命回復』を、ケティがようやく受け入れてくれたのを感じる。
思わず呼吸が震える。喜びで……でも安心するな、俺。
これはようやくスタートラインなんだから。
この魔法は生物が本来持つ回復力を補助する効果を持つ反面、ゲームや漫画なんかでよく見るような万能さはない……ディナ先輩の表現を使うと「乱暴な回復魔法」。
一度に大量の魔法代償を注ぎ込んでいっきに傷を治してしまうと、傷口より先にある部位の感覚が鈍ったり、動かすのに突っ張るようになったりすることもあると教えていただいた。
俺の世界の言葉に置き換えると、神経や筋肉がうまくつなげなかったり、傷口が癒着しちゃう、みたいな。
『生命回復』が上手な魔術師は、消費する魔法代償を抑えつつ、怪我人に傷口の周囲の部位を動かしたりしてもらいながらちょっとずつ使って治してゆく。
だけど、今使ったのはそういう方法ではない。
最初の『生命回復』は止血に特化した……ケティの「傷」ではなく、切られた「血管」に対して魔法を使ったのだ。
これは、ディナ先輩との勉強会で見つけたこと。
ディナ先輩は、『凍れ』の効果にすごく興味を持っていた。
俺は「触れている水」を対象に魔法を作ったけれど、俺が消費した魔法代償で凍らせることができる水の総量に対し、器の中の水が足りなかった場合、その器の周囲の水蒸気まで凍らせることができた、あの部分に対して特に。
それは俺が「水」というものを、液体でも気体でも固体でも同じ「水」であるという認識を持っているからで、水蒸気自体は目に見えなくとも「ひとつながりの水」として魔法の効果範囲に含まれる……そこから『生命回復』の効果を細分化できるかもと考えたディナ先輩はすごいとは思うけれど、あの人、それを実証するために「傷を作ろう」って剣で切りつけてきたもんな。
あのときは狂気を感じたけれど、今思えば何度も練習しておいて本当に良かった。
魔法は、意識下にある現象はコントロールできるけど、意識や知識の外側になってしまった部分についての効果は決して望み通りとなるわけではないという。
そのために、ぞんざいに『生命回復』を使うと、傷を歪んだ状態で塞いでしまう恐れがあった。
でも魔法の対象を「血管」に固定することで、治療分を超過した魔法は、傷口の他の部位ではなく血管だけを、ケティの全身の血管へと、治療効果を広げていく。
これでまず出血を止め、それから落ち着いて傷口を接合してゆく。
「血管」の次は、「神経」だ。
そして「筋肉」……えーと、食道って筋肉じゃないよな?
あと、声帯ってのどのどのへんにあるんだろう……存在は知っていても、専門知識がない中途半端な俺では、これ以上の部位指定は逆に治療漏れが発生しかねない。
ここから先は、ケティの回復力を信じて「傷口」そのものに『生命回復』をかけるしかないか……頼む……がんばれ、ケティ!
……一応、傷は塞がりはした。
でも、うっすらと傷跡が残ってしまった……首なんて目立つ場所に。
「ケティ……声は、出せるか?」
ケティは目を開く。
「……あ、あー……うん……声、出せるよ……ね、これ、魔法?」
「そうだよ」
ケティは指で自分の傷跡をなぞる。
「ごめん。傷口を残らないように治せたら良かったんだけど」
「ううん……生きていられただけでも十分。ありがとうね、リテル……それに」
「それに?」
「なんか、リテルが助けてくれた痕跡が、私の体に残るのって、嫌じゃないよ」
ケティは俺を慰めてくれようとしているのだろうか。
無理に笑顔を浮かべてくれているように感じる。
「ごめんね、ケティ。本当だったら俺がなんとかできたんだ……できたはずだっ」
俺の謝罪は、馬のいななきに遮られた。
あれ? 馬車、いつの間にか走り出している?
慌てて前方を確認すると、走り出した馬車の進行方向に、マドハトがうずくまっている……その左足の太もも付近には矢が刺さっている。
右側の馬の背中にも、矢が。
森の中から射られたのか?
「マドハトっ! 弓を遠くに投げて伏せろっ!」
言われた通りにして身を小さくしたマドハトへ向かってスピードを上げる馬車。
森の中からまた二本の矢が飛んできて、馬車の幌を突き抜ける。
「ルブルム、ケティ、伏せてっ」
馬車はさらに速度を上げる。
俺はダッシュで馬車の後部へと移動し、身を乗り出して馬車の床より下へと右手を垂らした……そんな俺のすぐ目の前の地面を、うずくまるマドハトの背中が通り過ぎる。
くっそ。つかめないか。
せめてもの救いは、マドハトが馬に踏まれていないこと……けど、うずくまったまま震えている。
「マドハトっ! 森の中に逃げて隠れろ! メリアンと合流して」
「トシテルっ、体を戻してっ!」
ルブルムが叫びながら俺の下半身をつかんだ。
慌てて体を、なんとか馬車の中へと戻……そうとしたタイミングで、馬が再びいななき、馬車は大きく揺れた。
馬車の縁をつかみ、必死に馬車の中へと転がり込む。
顔を上げると、俺の脚にしがみついているルブルムと目が合った。
「ありがとう、ルブルム」
上半身を起こし、馬車の外を確認する。
道幅が狭くなっているし、ものすごく揺れる……うわ、この道って、あの小道か?
この馬車が今、曲がってきたと思われる街道とつながるT字路へ、板塀のようなものが二つ、移動してくる。
もしかしてあれで街道を塞いで、馬をこちらへ誘導したのか?
しかもあの板塀、こちらからの飛び道具を防ぐ目的もあるのか。
思ったよりも油断ならない連中じゃないか……んんん?
『魔力感知』では、その二人がさっき森の中に隠れていた猿種と鼠種だというのがわかるんだけど、フード付きマントを目深に被っている二人のそのフードから、角が突き出ている。
なぜか鹿の角が……まさかあいつらも寿命の渦を偽装している?
だとすると魔法を使ってくるのか、いや、弓を構えたっ。
「射掛けてくるっ!」
ルブルムはケティの所へと戻り、二人して馬車の左側に寄っている。
俺は右側に寄り、手斧を盾代わりに構える。
馬車はぐいぐいと進み、ゆるやかなカーブを越えて弓の射線から外れた。
ちょっと待て。
誘導したってことは、こっちでも仲間が身構えている可能性があるよな。
今度は急いで前方へと移動する。
森の中の小道は、右へ左へまた右へとゆるやかなカーブをいくつも経て続くが、先は未だ見通せず。
矢が刺さった方の馬はスピードが落ちてはいるが、それでもな馬車の勢いは衰えない。
馬に『生命回復』をかけてやりたいが、それにはまずあの矢を抜かなきゃだよな。
ガタンと大きく揺れ、前のめりになりながらもこらえた俺の足にゴロゴロと何かがぶつかって止まる……心臓が止まりそうになった。
呼吸を整え、馬車の幌を支える柱に捕まりながらそっと移動する。
血まみれの御者の死体から離れるために。
その首は、不自然な方向へと曲がっている。
死体。
死体だ。
死体がすぐ近くにある。
ケティを殺そうとしたヤツの死体。
トドメをさしたのはルブルムだけど、もしも俺がもっとちゃんと動けていれば、きっと俺が殺していた……殺せたのか?
俺が、人を、殺す?
殺せたのか?
いや、でも、ケティは殺されかけた。
俺が失敗したから、俺が動けなかったから、俺が……マドハトのことも置いてきてしまった。
何もできていない。
ディナ先輩があれだけ口酸っぱくご指導してくださったってのに……俺は。
落ち着け……こんなときこそ、落ち着け、俺。
そうだ。紳士たれ、俺。
マクミラ師匠もおっしゃっていたじゃないか。
失敗したときこそ成長する良い契機だと。失敗を無駄にするなと。
気持ちを立て直す。
『魔力感知』の範囲を広げつつ、今後の対策を考える。
御者はメリアンに降伏を呼びかけろと言った……ということは、戦力的には二対一でもメリアンは全然負けていなかったということ。
マドハトは足に怪我をしていたが、魔法を使える。
二人が合流してくれれば、なんとか……なってほしい……というのが正直な……あれ?
さっき起きたことを頭の中で整理し始めて、不自然なことに気付いた……マドハトが魔法を使えること、御者は知っていたんだ。
馬車の中では俺たちが魔法を使えることについては一切話していない。
ということは、誰かがその情報を……まさかディナ先輩ってことはないだろう。
馬車を手配してくれたのはロズさん……あ、ロズさんの弟、確かエルーシ……あいつは羊種だった。
あと二人の獣種はなんだっけ……名前は忘れたけれど、猿種と鼠種だった気がする。
待てよ……さっき、鹿の角生やしていた二人……あいつらも猿種と鼠種じゃなかったか?
残りの二人は……確か羊種と牛種……待ち伏せ襲撃犯四人のうち三人は、フォーリーの街で絡んできた三人組?
エルーシの「支配する側に回る」という言葉を思い出す。
逆恨みとはいえ、マドハトや俺に対する恨みから襲撃してきたとしたら、動機の面でも十分に犯人足り得る。
だいたい俺が連中の獣種を判断したのは、寿命の渦の形から。
鹿の角が本物だとしたら、鹿種の先祖返りか半返り……あいつらが魔術師で、寿命の渦を偽装していたのなら、どうして姿を見せておきながら魔法を使わなかった?
やつらが攻撃してきたのは弓……いや、もしかしたら矢に魔法をかけていたのかもしれない。
安易な判断は危険……なんだけど。
向こうにこちらの情報が漏れている前提で行動しておくべきだよな。
小道はところどころにゆるやかな上り坂が出現し始める。
この道はやはりマンティコラの歯山脈へと続いているのだろうか。
馬車の速度も落ちてきている。
「いったん、馬車を止めてメリアン達との合流を優先しないか?」
「賛成」
ルブルムは御者席の近くまで移動してきた。
「ごめんね、リテル……私が足手まといになっちゃって……ついてこなきゃ良かったね」
「そ、そんなことないよ、ケティ」
即座にフォローはしたが、それ以上の言葉が続かない。
今は団結しなきゃいけないときなのに……いやいや、落ち着け。
まずはブレーキだ。
御者席の横についている金属製の棒、たぶんこれがブレーキだよな。
一度手前に引いてから横にスライドさせると、奥まで押し込めるようになっている。
恐る恐る押し込むと……ブレーキ革と車軸が擦れるあの音。
馬車のスピードがゆっくりと落ちる。
やがて、人が歩くのと変わらないくらいにまでスピードが落ちたとき、ルブルムが馬車を飛び降り、馬へと近づいた。
ルブルムが魔法代償を集中する……何かの魔法を唱えると、馬はおとなしくなり、ゆるやかな上り坂の一つを登りきったところで立ち止まった。
「ト……リテル、矢を抜いてくれる?」
「わかった」
俺も馬車を降り、外側から馬の背に刺さった矢の近くまで移動する。
「今、抜いてやるからな」
力いっぱい矢を引き抜こうとするが、なかなか抜けない。
ルブルムは馬の背中にまたがって、矢を抜くのを手伝い始める。
馬は、ルブルムが使った魔法のおかげか大人しくしてくれている。
「せーので力を入れるよ」
「はい」
「せーのっ」
やった、抜けた!
すかさずルブルムが『生命回復』を馬の矢傷に対して使う……直後、俺の顔を見た。
「いったん馬車の中へ戻ろう」
俺とルブルムが急いで戻ると、ケティがすぐに幌を閉じてくれる。
後方の幌はもう閉じてある。
ケティにも聞こえたんだな。
小道の前方から馬が走って近づいてくる音が。
● 主な登場者
・利照/リテル
利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。ただ、この世界は十二進数なのでリテルの年齢は十七歳ということになる。
リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。
ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。
不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。猿種。
フォーリーでディナやルブルムへ異世界から来たことをとうとう打ち明け、そして新たな呪詛をその身に宿した。
ゴーレムを作ることができる紅魔石をディナよりもらった。
ルブルムとケティを守り抜こうと心に誓った矢先、ケティを守れなかった自分に不甲斐なさを感じている。
・ルブルム
寄らずの森の魔女カエルレウムの弟子。赤髪の美少女。リテルと同い年くらい。猿種のホムンクルス。
かつて好奇心がゆえにアルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。
カエルレウムの弟子を、リテルのことも含め「家族」だと考えている。
質問好きで、知的好奇心旺盛。驚くほど無防備。
ディナの屋敷でトシテルとの距離がぐっと近づいた。
・ディナ先輩
フォーリーに住むカエルレウムの弟子にしてルブルムの先輩。
男全般に対する嫌悪が凄まじいが、リテルのことは弟弟子と認めてくれた様子。
アールヴと猿種のハーフ。壮絶な過去を持つ。
ゴーレムを作る魔法品をトシテルへくれた。
フォーリー以北への旅について、大量の忠告をしてくれた。
・マドハト
赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭い、ゴブリン魔術師として育った。犬種の先祖返り。
今は本来の体を取り戻しているが、その体はあんまり丈夫ではない。
ゴブリンの時に瀕死状態だった自分を助けてくれたリテルに懐き、やたら顔を舐めたがる。
リテルにくっついてきたおかげでちゃっかりカエルレウムの魔法講義を一緒に受けている。
フォーリーの街中で魔法を使ってしまい、三年分の魔法代償徴収刑を受けた。
謎の集団から襲撃を受けた際、脚に矢傷を負い、今はリテル達とはぐれている。
・ケティ
リテルの幼馴染。一歳年上の女子。猿種。
旅の傭兵に唇を奪われ呪詛に伝染。
リテルがずっと抱えていた想いを伝えた際に、呪詛をリテルへ伝染させた。
カエルレウムが呪詛解除のために村人へ協力要請した際、志願した。
リテルとの関係はちょっとギクシャクしていたのだが、再会したときにはなんかふっきれていたが、ケティの記憶の中のリテルと今のリテルとの違いに、やっぱり違和感を覚えている。
鍛冶に使っていたハンマーを武器として使う。
死にかけたところをルブルムとリテルに救われる。
・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。
リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。
ものすごい筋肉と、角と副乳を持つ牛種の半返りの頼もしい傭兵。
円盾と小剣を二つずつ持ち、手にはスパイク付きのプレートナックルを装備。
謎の襲撃犯と戦闘中、リテル達とはぐれてしまった。
・御者さん
ちょっと訛ってる。
待ち伏せ襲撃犯の仲間。
ケティの喉を裂いた直後、ルブルムに剣で喉を貫かれ死亡。
・待ち伏せ襲撃犯
森の中に居た二人は、リテルが寿命の渦で猿種と鼠種と判別していたが、姿を現したとき、鹿の角を生やしていた。
横転馬車の裏に居た羊種と牛種はメリアンと戦闘中。
● この世界の単位
・ディエス
魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。
魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。
・ホーラ
一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ一時間に相当する。
・ディヴ
一時間の十二分の一となる時間の単位(十二進数的には「十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ五分に相当する。
・アブス
長さの単位。
元の世界における三メートルくらいに相当する。
・プロクル
長さの単位
一プロクル=百アブス。
この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。
・通貨
銅貨、銀貨。
十銅貨(十二進数なので十二枚)=一銀貨




