#39 遭遇
ブレーキ革が車軸に擦れる摩擦音が、否が応でも緊張を高める。
御者席ごしの前方に見えるアレが原因だろう。
馬車はそのまま減速し続け、やがて停まった。
マドハトが目を覚まし、俺の顔を見る。
メリアンと一緒に御者席の方へ移動しようとすると、マドハトも一緒についてこようとする。
「マドハト、馬車の後ろの方を警戒していてくれ。何かが近づいてきたなら二人を起こすように」
小さな声でそう告げると、マドハトは笑顔になる。
「リテルさま、わかったです!」
その元気な声で、二人が目を覚ます……そうかそうか。
マドハトは察するのが苦手さんか。
「ト……リテル、どうしたんだ?」
「道の前方で馬車が横転している。付近に馬は見えないから、時間が経っている気はするけれど……事故じゃなく襲撃だったとしたら……ということでルブルムたちは周囲を……誰かがこちらの様子を見ているかもしれないことも含めて警戒しておいて」
そう言いながら外套のフードをかぶると、ルブルムとマドハトもそれに倣う。
自分の寿命の渦が普通の猿種をキープできていることを確認し、矢筒と弓を装備する。
「メリアン、どうですか?」
「特に怪しい動きは見えないが、隠れている可能性は十分にあるな」
街道の両側は見晴らしの良い草原だが、風の軌跡を目で追える程度には草の背が高い。
そしてその黄緑がそよぐ海に、濃い緑の森が大小の浮島のようにあちこちに点在している……そのいくつかは街道近くに迫っているものもある。
身を隠せる場所は十分にある。
「御者さん、馬車の向きを正反対に向けることってすぐにできますか?」
「来た道を戻るんで? ……あ、いや、ここいらの道幅なら何度か切り返せばできなくはないですがね……あの横だって通れなくはないと思いやすが……」
御者の言うように確かに通り抜けられはする。
ただ、スピードを落とさずに通過することはできなさげだ。
「じゃあ、馬車をいったん逆向きにして、いつでも走り出せるように準備しておいてください。俺とメリアンがあの馬車の残骸を調べて、危険がないことを確認したら、もう一回向きを戻して進みましょう……というのはどうです? メリアン」
「悪かないね。御者さん、あたしが手を大きくぐるぐる回したらフォーリーに向かって馬車を走らせ始めていい。あたしらが追いついてなくても、だ」
メリアンが馬車から降りる。
「もしも俺たちの帰りが遅かったら、ルブルムの判断に従ってください」
そう言い残すと、俺もメリアンに続く。
メリアンは両腕に中型の円盾を、腰には両側に小剣を一本ずつ装備している。
その上、拳には棘付きの金属プレートを装着していて……本当に敵じゃなくて良かった。
俺も臨戦態勢で……いつでも弓を弾けるように矢をつがえ軽く引いた状態で歩く。
あまり周囲にばかり意識を向けると、馬車の轍につまずきそうになる。
『魔力感知』の範囲に大きな寿命の渦は見えないままだ。
誰も居ないのなら、あの馬車に乗っていた人たちはどこへ行ったのか。
人数が少くて馬が無事ならば、馬車だけ残して移動するって方法もなくはない。
ただ、ここへ着くまで誰ともすれ違ってはいないし……。
あっ……居る!
それを感じたのは、横転した馬車が『魔力感知』の範囲に入って間もなくのこと。
転倒している馬車から少し離れた、小さな森の一つに、獣種と思われる寿命の渦が一つ。
獣種の種類は……見たことあるけれど、すぐには思い出せない……フォーリーの街なかでも何度か見たから、メジャーな獣種だと思うけど。
その獣種は動かない……動けないのか、隠れているのか……街道からは見えない木の陰だ。
「メリアン、あの木の陰に一人隠れているっぽい」
「よし、リテルはそっち側から……あたしは逆から回り込む」
街道から草むらへと足を踏み入れる。
この辺の草は膝上くらいまである。
『魔力感知』だけじゃなく目視でも周囲に気を配りながら、静かに木の陰へと近づいてゆく。
その小さな森の付近は草が少ない……気の向こうに足が見える。
俺とメリアンは速度を上げて近づいた。
「猫種の女の子だね……スカートをはいてるなんて珍しい。スカートをはくような子は普通、街から外へ出ないもんだけどね……息はあるようだ。リテル、介抱してやんな。あたしはあっちに見える二つの死体を確認してくる」
メリアンの向かう先には確かに寿命の渦を感じない獣種が二人。
俺は弓を傍らに置き、仰向けに横たわる女の子へ近づいた。
武器防具の類は周囲に見当たらない。
胸が上下しているから呼吸をしているのは分かる……けど、その胸元がやけに開いている。
スカートも……丈は極端に短くはないが、片膝を立てているせいか、太ももまでが露出している。
ディナ先輩の特訓で耐性はついているはずなのに……モロに見えているより何だかエロく感じてしまっ……ダメだダメだダメだ。
紳士たれ、俺!
ウェスさんの忠告を思い出す。
このあまりにも無防備、あまりにもあざとい姿は、警戒すべき対象なのだと。
そもそもなんで倒れている?
服に多少の汚れはあるものの、見える範囲で傷はない。
単に寝ている?
怪しさ満点じゃないか。
短剣をいつでも取り出せるよう留め具を外してから、女の子の顔の近くへ片膝をつき、声をかける。
「あの……大丈夫ですか?」
……起きない。
「あのー」
女の子の肩を軽く揺すってみる……ヤバい。
目を奪われるような罠を自ら作り出してどうするんだ俺。
それにほら、あれだ。
頭を打っているかもしれない人は、揺らしたらいけないって聞いたことある。
「……ん……」
声? この子の?
気がついた?
「……私……生きてるの? あなたが助けてくれたの?」
女の子は猫耳をくるんとさせたあと、上半身を起こして俺の左手を両手でつかんだ。
ちょっとツリ目気味の潤んだ瞳で上目遣いに俺の顔をのぞきこむ女の子は、文句なしの美人。
しかも声も相当可愛い……媚びっ媚びに。
だからこそ、俺は警戒をさらに強めた……はずなのに……。
「あなたみたいに素敵な恩人さんに助けてもらえるなんて……私……好きになっちゃいそう」
そんなあからさまに罠っぽいセリフと同時に急激な眠気に襲われた。
遠のき始めた意識の底から、俺はとっさに魔法を使った。
「っああああああっ!」
自分の声で、その声よりも大きな痛みで、眠気を無理矢理引き剥がす。
無意識に選んだ魔法は、昨晩、一番多く使った『同じ皮膚』。
女の子はびっくりした顔で俺を見つめている。
俺の手を放していない……ということは、女の子にかけた『同じ皮膚』は抵抗されたか……って!
慌てて手を振り払う。
俺の呪詛、この子に伝染してないよな?
初めて身内以外へこの魔法を使ったけれど、敵対している相手には、思っていた以上に魔法がかかってくれないものなんだな。
この子は『魔法打消』を使ってはいなかった……となると生命が元々持っている魔法抵抗で防がれたのか。
そしてそれよりも、今、魔法代償の集中を感じなかった。
どうやったんだ?
「……なんで効かないの……」
女の子が口にしてしまった言葉……これはもう確定だろ。
右手で素早く短剣を抜き、女の子の首元へ刃を近づける。
「抵抗はやめろ」
「抵抗は……しないよ。今のが効かなかった時点で私に勝ち目はないから」
そう言いながら女の子は両手を上にあげた。
こっちの世界でも無抵抗の意思表示はバンザイなんだな……だけど降参してくれて本当に良かった。
もしもこの子が歯向かってきたら……俺はこの子を……。
手が震えそうになるのをぐっと堪える。
「大丈夫か?」
メリアンが死体を一つ担いで戻って……え、歩いている?
メリアンの手前を、さっき死体だと思ったうちの片方が両手をあげてトボトボ歩いてきている……寿命の渦は今も感じない。
「ゾンビー? あれも君が?」
「私の名前はチェッシャーよ。そしてビルルとマウスーはゾンビーじゃなく仲間……もう抵抗しないから、刃物を向けるのをやめて」
「どうする気だい? この子ら……まさかこのまま逃がすなんて言わないよな?」
メリアンが選択肢を一つ潰して提示したということは、普通はそんなことしないっていうことなんだろう。
ディナ先輩だったらもう殺しているのだろうか。
「盗賊団の一味なら、体のどこかに入れ墨を入れている。その入れ墨だけ持ち帰るんでも討伐の証になるぞ」
それはディナ先輩も言っていた。
盗賊団は基本的に仲間であっても人を信用しない。
口約束だけでは簡単に裏切られてしまうから、死体になっても残る入れ墨を入れさせると。
ただ、魔法で隠せないこともないから、入れ墨がないくらいで信用するなとも。
「……脱げばいいの?」
チェッシャーは胸元の開いたシャツを脱ごうとする。
「動くな。君は……チェッシャーは、魔法を使った……だから、入れ墨を隠せる可能性もある」
「魔術師か。街まで連行するにしても、無力化は難しいな」
「待って! 私は魔術師じゃない……魔法も二つしか知らない」
「どうだか」
メリアンは抱えていた一人を地面に下ろすと、歩かせていたもう一人と背中合わせにさせ、盾の裏側から取り出したロープで手足をキツく縛り上げる。
爬虫種と鼠種。
二人とも半返りなのか、長い尻尾がある。
「私はチェッシャー……アイシスの生まれ。姉さんに惚れ込んでいた客の一人が魔術師で……そいつが姉さんと私とに魔法を教えてくれたんだ。『愛しの夢見』って魔法。痛いことはないよ、ただ眠らせるだけ。しかも良い夢見れるの。夢中になってもらえればもらうほど、よくかかるんだ……かからなかったのは、あなたが初めて」
夢中になってもらう……そういう方法もあるのか。
魔法への抵抗力は、魂が持つ防御本能みたいなものだから、対象の意識の有無に関わらず自動的に発揮される。
拒否の意思を強く持ったり、意識がなかったりで抵抗の強弱は変化するから、味方が使う治癒やサポートの魔法については、事前に魔法の受け入れ同意を取っておく必要がある。
魔法へ抵抗しないという明確な意志を持ってもらうことを。
反対に、敵対する相手へ使う魔法は拒否される前提なので、その抵抗力をいかに突破するのかが大事だ。
恐らく『愛しの夢見』は、対象の下心を魔法受け入れへの導入……呪詛でいう「ひとつまみの祝福」みたいに使ってるんだろうな。
状況は限定されるけど、相手の抵抗を突破する方法としては油断ならない威力がある。
「で。もう一つは?」
メリアンは、縛り上げた二人の首筋に小剣の切っ先をそれぞれ当てて尋ねる。
「もうひとつは『死んだふり』って魔法。仕組みはわからないけど、魔術師や熟練の戦士は、物陰に隠れても位置を把握できることがあるから、この魔法を使いなさいって」
なるほど。
寿命の渦を見えなくする魔法か……そうだよね、そんな魔法があってもおかしくないはずなのに……見えていない時点で俺はその思考をやめていたのか。
まだまだ未熟者だな、俺は。
チェッシャーたちがもう少し手慣れた悪党だったら、ヤバかったかも……いや。
油断させておいて、まだ他にも隠れているとしたら。
風が草むらを撫でる音が、やけに大きく聞こえた。
● 主な登場者
・利照/リテル
利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。ただ、この世界は十二進数なのでリテルの年齢は十七歳ということになる。
リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。
ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。
不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。猿種。
フォーリーの街に来てから嫌な思い出が多いが、修行として受け止めている。
異世界から来たことをとうとう打ち明け、そして新たな呪詛をその身に宿した。
ゴーレムを作ることができる紅魔石をディナよりもらった。
ルブルムのことが気になりはじめているし、ケティの合流に動揺もしている。
・ルブルム
寄らずの森の魔女カエルレウムの弟子。赤髪の美少女。リテルと同い年くらい。猿種のホムンクルス。
かつて好奇心がゆえにアルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。
カエルレウムの弟子を、リテルのことも含め「家族」だと考えている。
質問好きで、知的好奇心旺盛。驚くほど無防備。
ディナの屋敷でトシテルとの距離がぐっと近づいた。
・ディナ先輩
フォーリーに住むカエルレウムの弟子にしてルブルムの先輩。
男全般に対する嫌悪が凄まじいが、リテルのことは弟弟子と認めてくれた様子。
アールヴと猿種のハーフ。壮絶な過去を持つ。
ゴーレムを作る魔法品をトシテルへくれた。
フォーリー以北への旅について、大量の忠告をしてきた。
・ウェス
ディナ先輩の部下。肌が浅黒い女性で、男嫌いっぽい。
兎よりもちょっと短い耳をしている蝙蝠種の半返り。
何につけてもプロフェッショナル。
・マドハト
赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭い、ゴブリン魔術師として育った。犬種の先祖返り。
今は本来の体を取り戻しているが、その体はあんまり丈夫ではない。
ゴブリンの時に瀕死状態だった自分を助けてくれたリテルに懐き、やたら顔を舐めたがる。
リテルにくっついてきたおかげでちゃっかりカエルレウムの魔法講義を一緒に受けている。
フォーリーの街中で魔法を使ってしまい、三年分の魔法代償徴収刑を受けた。
・ケティ
リテルの幼馴染。一歳年上の女子。猿種。
旅の傭兵に唇を奪われ呪詛に伝染。
リテルがずっと抱えていた想いを伝えた際に、呪詛をリテルへ伝染させた。
カエルレウムが呪詛解除のために村人へ協力要請した際、志願した。
リテルとの関係はちょっとギクシャクしていたのだが、再会したときにはなんかふっきれていた。
鍛冶に使っていたハンマーを武器として使う。
・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。
リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。
ものすごい筋肉と、角と副乳を持つ牛種の半返りの頼もしい傭兵。
円盾と小剣を二つずつ持ち、手にはスパイク付きのプレートナックルを装備。
・御者さん
ちょっと訛ってる。
・チェッシャー
横転した馬車の近くに居た謎の猫種の女子。
あざといくらいに無防備な姿をしているが、魔法を使う。
・ビルルとマウスー
チェッシャーの仲間の爬虫種と鼠種。
死体のフリをしていた。
● この世界の単位
・ディエス
魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。
魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。
・ホーラ
一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ一時間に相当する。
・ディヴ
一時間の十二分の一となる時間の単位(十二進数的には「十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ五分に相当する。
・アブス
長さの単位。
元の世界における三メートルくらいに相当する。
・プロクル
長さの単位
一プロクル=百アブス。
この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。
・通貨
銅貨、銀貨。
十銅貨(十二進数なので十二枚)=一銀貨




