#33 固さの理由
なんだろう?
もしかして、一瞬にして全身を綺麗にする泡の魔法……なわけ、ないよな。
ルブルムは素直に魔法代償を集中する。
ディナ先輩がこういうタイミングで……いや、どんなタイミングであっても、教えるのは生き残るための術。
俺はすぐさま後ろへと跳び退る。
直後、ディナ先輩と、ルブルムの右のつま先に、透明な刃状のものが現れ……一呼吸置いたくらいで水へと形を変え、流れて消える。
「もしかして、水を、刃に変える魔法ですか?」
「ああ、その通り。触れている水を刃へと変える。『水刃』という魔法だ。刃の形は自在。効果時間はほんのわずかだが、その分、刃の硬度は高い。触れている水量が多ければ長い刃も作れるが、大きい刃を作る場合は一ディエスでは足りない。攻撃動作を最小限に抑えられるのと、魔法代償が一ディエスで良いのとで、気づかれにくい。とは言え、トシテルは避けられなかったらどうしてくれようという所だったがな」
あっぶねー。
油断できない。
洗いっこに惑わされなくて本当に良かった。
だってルブルムのあの足の向き……俺が逃げなかったら急所直撃だったでしょ?
ディナ先輩、つま先でルブルムのつま先の方向、ちょちょっと変えたの見えたもん。
「ルブルム、大抵の男は、ぶら下げているものを切り落とせば狼狽えて隙ができる。ちなみに袋の方は、切り落とすよりも叩き潰した方が、相手を無力化できる時間が長くなる。とはいえ、服を着ている場合は股間に小さな防具をつけている場合もあるから油断するな」
ルブルムは熱心に頷いている。
恐ろしい。
ここは修羅の国だ。
この人たちは天使の皮をかぶった修羅だ。
……無事だったってのに、まだ股間がソワソワしてる。
「トシテルも、少しは惑わされないようになったか? 体を冷やさぬよう、そろそろお前も座れ」
ディナ先輩はそう言うと、三つある窪みの一番奥へ座る。
「はい」
俺は必然的に真ん中だ。
ここは修行が終わったと思ったりはせず、警戒は継続した方がいいだろう。
とはいえ、肩を打つお湯の温もりには癒される。
左手に封じられた傷ムカデは、灯り箱の光によりできた影の側に蠢き続けている。
魔法代償の消費さえしなければ、多少蠢かれても無視できるくらいには慣れた。
しかしまだ、弓の精度が落ちてないかどうかまでは試していない。
射る時には集中力がかなり大事だから……左手で弓を握る構えをしてイメージトレーニングしている俺の前に……ルブルムが突然、しゃがんだ。
「私が洗う番だ」
俺があっけにとられている間に、ルブルムは石鹸のついた手を、無造作に俺の股間へと伸ばす。
うわ、あ、洗われている……人に洗われるのなんて初めてだよ。
そっか……さっきから自分の中にあった戸惑いを構成するモノの一部が、今わかった。
ルブルムは、自分が興味あるモノに対してまっすぐに突き進んでいる。
……元の世界で俺が英志とまだ仲良かった頃、じいちゃんちの裏山でカブトムシやクワガタを捕まえに行った……あの時の、昆虫に手を伸ばす英志の目と同じワクワクした目だ。
ルブルムが夢中になっているのは俺の一部ではなく、ルブルムの興味の対象にたまたま俺が付属しているだけなんだ。
自分の人格が否定されている、とまでは言わないが、なんだかやるせない気持ちにはなる。
よくマンガとかで「私のカラダだけが目当てなのね」なんてセリフがあって、そんなに深く考えたことはなかったけれど、こういう自分の気持が無視されているのに近い、そういう感情なのかもな……い、痛たっ。
「い、痛っ……ルブルム、もう少し、優しく……」
「ごめんなさい。触り方があるのか?」
「決まった触り方とかないけれど、力を入れすぎたら痛いよ。敏感な場所だから……」
「そうか、痛みに敏感な場所だから、叩き潰すと無力化できるのか……」
「そ、そうそう……そうなんだよ……」
どうにもガチに研究心ゆえにだから怒れない。
ルブルムがなまじ出るとこ出た美少女だからよくないんだ。
もうこれ、中身は親戚の幼稚園児か何かだと思いこむしかない。
俺はお兄ちゃんとして、純粋に科学的に指導をだな……。
「触ると固くなる、というのは教えてもらったのだが、どうしたら固くなるのか?」
くっ……人の股間を、コマンド操作でコントロールできる何かのように言いやがって。
幼稚園児はそんな質問は……するのか?
「カエルレウム様から……ホムンクルスを作る時に、知り合いの魔術師から摂取したときの話を教えてもらった。触っただけで固くなって、それから精を絞り出したって……トシテルのは固くならないのか?」
横でディナ先輩が笑い出した。
「ルブルムは、不能という状態をよく理解できてないようだ。あの呪詛は、固くなるのを阻害するし、精も出なくなる。トシテル、説明してやれ」
「トシテル、力を入れても固くならないのか?」
ディナ先輩から、気の乗らないパスを受けてしまった。
どうやって説明しよう……とりあえず、これが固くなる仕組みを筋肉と勘違いしているようだから、そこのところは否定しておかないとな。
「え、えっと……男のこれは、筋肉ではないんだ。スポンジ……ってこの世界にあるのかな」
「もしかして、スポンゴスのことか? 西方のガトールド王国では、海に潜ってスポンゴスを取ってくる。水を含むと膨らみ、それを握りしめると水を絞り出せる……ここいらでは貴族でもなければ使いも知りもしないものだが」
「そう! 多分それです!」
内容的には間違いないだろう。
天然スポンジは海藻だ。母さんがイタリアに行ったときにはよくお土産に買ってきていたもんな。
しかし、名前が似ているのは……偶然だろうか。
「そのスポンゴスと似たような仕組みで、興奮すると血が集まって固くなるんだ」
「スポンゴスなら確かうちにも一つ、いただきものがある。後で見せてやる。まあ、スポンゴスの方は水を含んでも固くはならないがな。トシテルが呪詛にかかっていなかったら、固い状態から血を抜いて固さを失う様子を見せてあげられるのだがな」
うーわ。
ディナ先輩が、固くなる仕組みの説明からすぐにスポンゴスという単語をひねり出したのは、勘が良かったわけじゃなく、実際に……。
反射的に自分のを手で押さえてしまう。
「トシテル、また痛くしてしまったか? ごめんなさい」
「い、いや、今のは、なんか聞いただけで不安になってしまったというか……」
「そうか。それなら良かった……興奮しないと血が集まらないというのも知らなかった。森の動物たちのケンカを見たことがあるが、固くしていたかどうかまでは気づけなかった」
「あ、いや違うんだ、ルブルム。興奮って言っても種類があって……」
「どんな種類だ?」
言葉に詰まる。
ディナ先輩のあんな話を聞いた後で、性的な興奮が云々って話はとてもしづらい。
せっかくディナ先輩が笑ってくれるようになったんだし。
「トシテル、ボクに気を遣うな。はっきり教えてやれ。あとルブルムは、また湯に背中をつけろ。水やお湯に濡れた状態は時間が経つと、濡れていない状態よりも余計に体を冷やす」
ルブルムは大人しくさっきのくぼみへと座り直す。
「固くなる興奮の種類はね……性的な興奮なんだ」
「性的な……そうか。性交をするときに固くなるのか? 確かに固くないと入らなさそうだ」
生々しい。
ルブルムは、原理はもうすでに学んでいるんだよな。
ただ、書物での知識なだけで。
知識を補完するための現物なんだけど……何かが足りない気がする。
こういう問題を人に教える前提で考えたことがなかったから、まだ自分の中にもちゃんとまとまってはいないけれど、無責任な教え方はできないし……それに、あのことも伝えたい。
「えーと……基本的にはそうなんだけど、例外もあって……その話をする前に、まず体の仕組みについて先に説明しておきたい。体の構造は、俺が元いた世界の人と、こちらの人とで、かなり似ているから、元の世界の知識で説明しても問題ないとは思うんだけど……」
「ボクが知っている範囲で間違いがわかれば、そこは正してやる」
「ありがとうございます。えっと……まず、性交の本来の目的は子孫を残すことで、その元になるサイボウ……サイボウって言葉はリテルの記憶にはないな。何て表現したら伝わるかな……」
「トシテル、体内で子どもを作る元になるものなら、女の体の中にあるものは核と言うし、男の体から出るものは精と呼ぶ」
ディナ先輩が早速フォローしてくれる。
「ありがとうございます。その核と精なんだけど、体内で定期的に新しいものが作られ、古いものは体の外へ出される仕組みになっています。女の場合は血と共に、男の場合はそのまま出ます」
「どうして女の場合だけ血と共に出るのだ?」
「そのへんは……元の世界では解明されていたけれど、俺くらいの年齢の男は詳しく知らないことの方が多い。女の体のことだからか、ニホンの学校では、この知識は女だけが集められて教えられる」
「どうして女にしか教えないのか? 性交は一人でするものではないだろう?」
ルブルムの疑問はもっともなんだけど……どうしてだろう。
日本では性について「恥ずかしいこと」みたいな認識があるからかな。
そういえば、姉さんは女にだけ生理があることを怒ってたな。
子孫を残すことに対する負担が女の体にだけ大きいことを。
体への負担が両方にあると、その期間、生活に必要なことをするにしても、外敵に備えるにしても、種としてとても弱くなる。
そのために女が一人で負担を背負って男の負担を減らしてやったんだから、生理と妊娠の期間中は、男は女に尽くすのが種として当然なのにって。
姉さんの攻撃の矛先が、俺だけに向けられているんじゃなかったのって、あんときだけだったから、よく覚えている。
「理由は知らないんだ、ごめん……話を続けます。で、核は毎回一つずつ作られるの対して、精はものすごい大量に作られます。精は一見、液体に見えるけれど、核よりもかなり小さい物質の集まりなんです。で、大量に作られた精は……その、溜まってくると、性的に興奮しやすくなります。トイレを我慢するのが大変なように、溜まった精を体が出したがる感じです……ただ、だからといって、性交をしないと余った精を出せないかというと、そういうわけではなく、とてもたくさん溜まると、寝ている間に勝手に出てくることもあります」
「トシテルも、呪詛になる前は精を出していたのか?」
う。また答えにくい質問を直球で……。
利輝は……そりゃ、自分の部屋があったし、健全な男子としてそういうことするときもあったけど……リテルの記憶の中にはそういう記憶はないな。
はぁ……心のため息が出る。
リテルと利輝はつながっているとはいえ、なんかリテルがそういうことしていないってのを記憶で確認するだけでも、ものすごい罪悪感。
罪悪感……そうか。
秘密を覗き見ているんだもんな、俺は……ああ……そうか。
このことを、伝えればいいのかもしれない。
● 主な登場者
・利照/リテル
利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。ただ、この世界は十二進数なのでリテルの年齢は十七歳ということになる。
リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。
ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。
不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。猿種。
フォーリーの街に来てから嫌な思い出が多いが、修行として受け止めている。
異世界から来たことをとうとう打ち明け、そして新たな呪詛をその身に宿した。
・カエルレウム師匠
寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種。
肉体の成長を止めているため、見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。
お出かけ用の服や装備は鮮やかな青で揃えている。
寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。
リテルの魔法の師匠。
・ルブルム
魔女の弟子。赤髪の美少女。リテルと同い年くらい。猿種のホムンクルス。
かつて好奇心がゆえにアルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。
カエルレウムの弟子を、リテルのことも含め「家族」だと考えている。
質問好きで、知的好奇心旺盛。驚くほど無防備。
・ディナ先輩
フォーリーに住むカエルレウムの弟子にしてルブルムの先輩。
男全般に対する嫌悪が凄まじいが、リテルのことは弟弟子と認めてくれた様子。
アールヴと猿種のハーフ。壮絶な過去を持つ。
・ウェス
ディナ先輩の部下。肌が浅黒い女性で、男嫌いっぽい。
兎よりもちょっと短い耳をしている蝙蝠種。
・じいちゃん
元の世界における、利照の父方の祖父。
田舎に住んでいて、近所の池は冬に凍るし、裏山にはカブトムシやクワガタがいっぱい。
・英志
元の世界における利照の一つ下の、できのいい弟。音楽の才能がある。
コーギーのハッタを拾ってきたが、稽古事で忙しいため、ハッタの世話を利照に丸投げした。
小さな頃は仲が良かった。
・姉さん
元の世界における利照の実姉。
才能に恵まれた完璧主義者だが、才能がない者の気持ちはわからない。
コンクール前でピリピリしているときは利照を言葉責めしてストレスを発散している。
生理に対して怒りを覚えている。
● この世界の単位
・ディエス
魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。
魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。
・ホーラ
一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ一時間に相当する。
・ディヴ
一時間の十二分の一となる時間の単位(十二進数的には「十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ五分に相当する。
・アブス
長さの単位。
元の世界における三メートルくらいに相当する。
・プロクル
長さの単位
一プロクル=百アブス。
この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。
・通貨
銅貨、銀貨。
十銅貨(十二進数なので十二枚)=一銀貨




