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#23 忘れたいのに

「お前っ! 何してるっ!」


 ディナ先輩の声?


「え、魔法代償集中の練習ですけれど……カエルレウム師……カエルレウム様に、時間があれば訓練しなさいと言われてまして」


 光の横に浮かび上がる、ディナ先輩。

 光……このろうそくのより数倍明るいオイルランプの灯り箱(ランテルナ)はルブルムが掲げているのか。

 ひっそりとウェスさんもいる。


「何かあればカエルレウム様の名前を出せば済むと思っているな?」


「い、いえ、俺はまだ初心者なので……できるだけ早く魔法に慣れなさいって……」


「初心者? いつから習い始めたんだ?」


「えーと、昨日の夕方なので……丸一日とちょっとくらいです」


「昨日っ?」


 ディナ先輩の声、さっきまでとは違う、すっぽ抜けた感じ。


「ルブルム、こいつの言っていることは本当なのか?」


「はい。リテルが魔法を習い始めたのは、昨日の夕方だ」


「……そうか。危なっかしいな。こんな所で魔法を失敗して屋敷を壊されても困る。ラビツとやらを探しにでも何でも行ってこい」


「は、はい! ありがとうございます」


「なぜ礼を言う」


 閉じ込められたと思ったのが解放されたから、とはちょっと言いづらい。


「修行の場を与えていただいたからです」


 無難に答えてみると、ディナ先輩は無言で踵を返し、行ってしまう。

 ルブルムの手招きに応じ、俺は部屋を出た。


 玄関ホールまで戻ると、ウェスさんが再びフードをかぶっていた。

 ルブルムと俺は、ディナ先輩たちの手前で立ち止まる。


「ルブルムはこちらへおいで……それでお前。どうやって探すつもりだったんだ?」


「はい……とりあえず、ラビツたちが行きそうな店を探して、話を聞こうかと……」


「客の情報を簡単にベラベラしゃべるとでも? 人探しにかこつけて、お前がその手の店に行きたいだけなんじゃないのか?」


 後半のは、ディナ先輩のいつもの嫌味だろうから気にしないことにする。

 例えこの呪詛にかかっていなくとも、彼女さえ居たことない俺が、そういうお店で緊張せずに楽しむことなどできるはずがない。


「呪詛についての話をするつもりでした。もしも呪詛の伝染者が増えれば、お店にも被害が出るだろうし、お客さんだって伝染したら来なくなるだろうし」


「それを単なる営業妨害だととらえられたらどうするつもりだったんだ? そんな迷惑な噂を広めるつもりか、などと言って殺されたり、拉致監禁でもされたらどうする? だいたいお前、田舎から出て来たばかりなのが丸わかりの若造が、突然いい出してきた戯言をすんなり信じてもらえるだなんて本気で考えていたのか?」


 田舎者の服装……ああ、もしかして、ディナ先輩もウェスさんもは腰までのポンチョのようなものを羽織っているけれど、フォーリーではこれがスタンダードな服装なのかも?


「服装は……経緯を説明したら納得してもらえるんじゃないかと思っていました。被害が広まったら結果的に困るのはお店の方ですし……」


「目先のことしか見えない視野の狭い連中に出会ったことがないのか? そういうやつらは未来どころか明日のことさえ考えていない。今、目の前の売上が落ちる可能性があれば、それで頭がいっぱいになる。それともお前は、世の中の者すべてが、自分の思い通りの反応をするだなどと傲慢で無思慮な思考しかしないのかね?」


 正論で畳み掛けられる。

 ディナ先輩は正しい。

 長い目で見ればわかる利益を、目先の利益で捨ててしまう人が存在する、ということは理解している。

 だけど、相手の対応を考えるときにそこまで選択肢を広げてはいなかった。

 リテルが育った村の人も、利照(おれ)が育った環境でも、そういう人は居なかったから……なんていうのは言い訳だな。

 俺が、考えることをやめてしまっていたんだ。


「すみません。俺が未熟でした。考えたつもりになって、いい気になっていました。俺が悪いです。そんな俺に、色々と教えていただき、本当にありがとうございます。とても勉強になります」


「お前のつまらない判断がルブルムを危険に追い込むようなことがあってはならないんだよ」


「はい」


「ウェス、こいつを連れて行け」


 明日の朝までまた臭い地下室か、と覚悟を決めた俺が地下室へ向かおうとすると、背後から声が飛んだ。


「そっちじゃない。こっちだ」


 ウェスさんの声だ。

 もう既に玄関の扉を開けようとしている。

 ああ、そっちか。俺は今夜は別の宿に泊まれと、そういうことか。

 いやでもそっちの方が少しは気が楽かもしれない。


 俺はディナ先輩に向かってお辞儀を……元の世界のやつじゃなく、こちらの世界の片膝をつくお辞儀を……して、それからウェスさんに続いて玄関の外へ出た。

 こちらへ一緒に来ようとしているルブルムの手を、ディナ先輩がしっかりとつかんでいるのを横目に見ながら。


 ウェスさんは馬車格納庫の隅から何かを取り出していて……明るくなった。灯り箱(ランテルナ)か。

 それから門の外へと出る。

 俺もそのまま続いて屋敷通りまで出ると、ウェスさんは門を閉め、鍵をかける。


「これはお前が持て」


 渡された灯り箱(ランテルナ)を見ると、こっちのはカエルレウム師匠のと同じ型……オイルランプを使用し、内側が金属でコーティングされたスライド式の蓋付きのやつ。

 すっかり夜の帳に包まれた屋敷通りは、所々に篝火が焚かれていて、灯りを持たなくともなんとか歩ける程度の明るさは確保されている。

 しかもそれらの篝火の脇にはちゃんと衛兵も立っていて、さすが高級住宅区画だという印象。


「この屋敷から無事に出てこれた男はお前が初めてだ。お前、思ったよりも怖いもの知らずだな」


 え、そんなレベルなの?

 ディナ先輩、もはや魔術師というより、マフィアのボスみたいじゃないか。


「言っておくが、褒めてはいないからな。これからの場所では私に迷惑をかけるな」


「はい」


 何が迷惑かは言わず、迷惑をかけるなとだけ言うこのスタイル……思考力を磨くには丁度いい試練じゃないか。




 高級住宅区画を抜け、賑やかな大通りを渡ると、次第に周囲の建物が古びて汚くなってきた。

 道端に座り込む人が増え、そういう人たちの身だしなみも目つきも、だんだん心地悪いものへと変わってゆく。

 やがて、お香っぽい甘い匂いを感じ始めた頃、路地に居る人々の女性比率が極端に増えていることに気付く。

 大抵が肌の露出が多めのワンピースのような服装で……スカートってこっちの世界で見るのは……ああ、テニール兄貴の結婚式の花嫁さんの衣装以来かも。

 目のやり場に困る路地裏を、ウェスさんは早足で進んでゆく。

 他にうろついている男性には笑顔で声をかける女性たちだが、ウェスさんが通り過ぎるときだけは、片膝をついてお辞儀をする。


 え、もしかしてウェスさん……それからディナ先輩も、けっこう偉い人なの?


「灯りはいったん消して」


「は、はい」


 灯り箱(ランテルナ)の台座に差し込んであった金具を引き抜き、オイルランプの芯にかぶせて消火して、ウェスさんはさっさと建物の中へ入ってしまったので、俺も慌てて追いかける。

 お香の匂いが少しだけキツくなった。


 通された部屋には扉がなく、のれんのような長い布が部屋と廊下とを間仕切っている。

 中には色っぽいお姉さんたちが五人、壁に沿って並べられたソファに深々と座っていた。

 あまり広くない室内。

 中央にはテーブルがあり、その上にはオレンジ色に染まった木製の大きい深皿が置かれている。

 第一印象はカラオケボックスみたいだった。


 一番奥のソファには羊種(クヌムッ)が一人、左右のソファには……右奥から牛種(モレクッ)猿種(マンッ)、左奥から鼠種(ラタトスクッ)豚種(ヴァラーハッ)

 左右のソファーの四人も、路地に立っていたお姉さんたち同様に、露出高めのワンピースのような服。

 腕組みしてあくびをしたり、自分の指の先を眺めたり、と手持ち無沙汰な感じ。


「ウェスさん、兎種(ハクトッ)一人に、猿種(マンッ)が二人、先祖返りの猫種(バステトッ)が一人で四人組の傭兵ってんだろ? 遊び慣れた連中っぽくてね、名前は名乗っちゃいないが、そいつらが私娼と遊んだんじゃなければ、おそらくこの子たちだよ」


 奥の羊種(クヌムッ)があごで四人を指しながら、そう言った。

 態度からすると、この四人を取り仕切る立場なのかな。

 年齢も一番上っぽくはあるけれど、それでも「おばさん」ではなく「綺麗なお姉さん」という印象しか受けない。


「ご苦労。では、伝えておいた通り、しばらくの間、仕事は休んでいただきたい」


「どのくらいぃ? その間、稼ぎなしぃ?」


 豚種(ヴァラーハッ)がけだるそうに尋ねると、ウェスさんはこちらを振り向いた。


「質問には彼が答える」


「あら、なかなか可愛い子ね。しかも遊び慣れてなさそうなとこがまたいいわね」


 牛種(モレクッ)が舐めるような目つきで俺を見つめながら甘い声を出す。

 その隣の猿種(マンッ)は投げキッスをこちらへと投げる。

 ……この人たちからしたら営業トークなんだろうが、なぜか背筋に嫌な汗をかく。


 なんだろう、この不快感……。


 すぐには気づかなかった。

 いや、気づかなかったんじゃなく、気づきたくなかっただけなのかもしれない。

 甘い匂い、舐めるような目つき……というかその「舐める」っていうキーワード、積極的に乗り出してくる感じ。

 俺は思い出していた。

 悪夢みたいなあのときのことを……パイアに襲われたときのことを。

 この人たちは全く関係ないのに。


 だけど。

 その不快感をここで出すわけにはいかない。

 この人たちは情報提供者で、しかも何も悪くはないんだから。


「……あの、呪詛に対抗する魔術は、一週間ほどで完成するという話です。ただ、その魔術を使える人がフォーリーに到着するまでには、もう少し時間がかかると思われます」


 代わりの魔術師を派遣してもらえなければ、カエルレウム師匠は寄らずの森を離れることはできないから。

 他にも伝染してしまう条件を丁寧に説明する。

 早くこの場を離れたい気持ちを抑えながら。


 そんな俺の横を、誰かが肩をぶつけながら部屋へ入ってきた。

 そいつは俺を無視したまま喋り始める。


「まいったよ、姉ちゃん。聞いてくれよ……今日さぁ」


 そいつの声に、俺は聞き覚えがあった。


● 主な登場者


利照(としてる)/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。ただ、この世界は十二進数なのでリテルの年齢は十七歳ということになる。

 リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。

 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。

 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。

 不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。猿種(マンッ)

 フォーリーの街に来てから嫌な思い出が多いが、修行として受け止めるつもり。


・カエルレウム師匠

 寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種(マンッ)

 肉体の成長を止めているため、見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。

 お出かけ用の服や装備は鮮やかな青で揃えている。

 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。

 リテルの魔法の師匠。


・ルブルム

 魔女の弟子。赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種(マンッ)のホムンクルス。

 かつて好奇心から尋ねたことで、アルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。

 リテルのことを頼ってくれている様子。


・ディナ先輩

 ルブルムの先輩。フォーリー在住。カエルレウムの弟子。

 男全般に対する嫌悪が凄まじい。


・ウェス

 ディナ先輩の使いの馬車の御者。肌が浅黒い女性で、男嫌いっぽい。

 獣種は不明だが、兎よりもちょっと短い耳をしている。


・公娼のお姉さんたち

ウブな男子好きそうな牛種(モレクッ)猿種(マンッ)鼠種(ラタトスクッ)、けだるそうな豚種(ヴァラーハッ)

それからこの四人を取り仕切る立場っぽい羊種(クヌムッ)



● この世界の単位

・ディエス

 魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。

 魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。


・ホーラ

 一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。

 元の世界のほぼ一時間に相当する。


・ディヴ

 一時間(ホーラ)の十二分の一となる時間の単位(十二進数的には「十に区切って」いる)。

 元の世界のほぼ五分に相当する。


・アブス

 長さの単位。

 元の世界における三メートルくらいに相当する。


・プロクル

 長さの単位

 一プロクル=百アブス。

 この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。


・通貨

 銅貨(エクス)銀貨(スアー)

 十銅貨(エクス)(十二進数なので十二枚)=一銀貨(スアー)

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