#22 経験がくれたもの
灯り箱を手にした俺がその部屋に入ると、静かに扉が閉められ、続けて響く重たそうな閂がかかる音。
予想通り……だがノープランッ!
ここで俺がみっともなく暴れでもしたら、向こうがダメ出しする隙を与えてしまう。
だからといって出してもらえるまでぼんやり待っているのは、カエルレウム師匠の教えである「考えることを放棄するな」に背くことになる。
まずは現状把握が第一だ。
灯り箱をかざして周囲を見渡す。
照らす範囲が狭いロウソクの灯りで照らしきれない程度には、部屋は広い。
あとは臭い。
地下特有の、そこはかとないカビ臭さ……以外にも何か臭い。
まさか死体?
いや、ゴブリンの死体を片付けたときはこんなもんじゃなかった……死臭か、そうじゃないかわかるなんて、俺は異世界に来てからだいぶ経験を積んだな。
あ、そういや……。
「ステータスオープン」
うん。何も起きない。
わずかに羞恥心を覚えただけ。
この世界はゲームっぽくない。限りなく現実に近い印象があったけど、やっぱりそうなんだな
レベルとかないかもしれないけれど、積み重ねた経験が、確実に自分を成長させているのを感じる。
気持ちはさっさと切り替えよう。
まずは扉から壁伝いに一周してみる。
歩きはじめてすぐ、足元に丸い壺のようなものを見つけた。
スイカくらいの大きさで、口は広め、取っ手も二箇所ついている。
中は……と覗き込んだ直後、俺は慌てて顔を離した。
これだ。この臭い……これで間違いない。
さっきからカビ臭さに混ざっている異臭は、この壺の中身だ。
中はほとんど空のようだけど、間違いなくこの壺はトイレだ。
牢屋でエルーシとかいう羊種がまたがっていたのに似ているもんな。
フォーリーの街はストウ村と異なり下水道がしっかり整備されているから、大きな建物とか屋敷とかにはトイレがあるってのは聞いたことがある。
ストウ村は村人が共同で使う公衆トイレしかなかったもんな。
こんなお屋敷だったらトイレが設置されていてもいい。
それなのにこの簡易トイレというのは……この部屋の用途を限らせるよね。
まあまだ断定は早いか。
トイレ壺はそのままに、さらに壁伝いに探索を続ける……角を曲がり……歩いて……角を曲がり……ん?
なんだコレ?
壁に取り付けられた金属製の金具が二つ。
それぞれに輪っかが付いていて、サイズを調整できるようになっている。
錆びつき具合からは鉄っぽいけど……あー……これ、手錠だ。
壁に手を固定する感じの……地下牢、確定か。
よく見ると壁付き手錠は一セットだけじゃない。こちら側の壁に間隔をあけて全部で四セット。
その後、角を曲がり、歩いて、角を曲がり、最初の入口へと戻ってくる。
次は今歩いたのよりちょっとだけ内側をもう一周……すぐに元の位置へ。
部屋の広さは、元の世界で利照が通っていた教室の半分くらいの大きさ。
トイレ壺と壁付き手錠以外には本当に何もない……白骨とか転がっていないだけまだマシか。
嫌がらせにしてはちょっと度が過ぎている。
明日の朝までにちゃんと出してもらえるんだろうか。
まさか一生出してもらえない、なんてブラックジョークはないよね?
というか、こんなことしている間にラビツを探さないでいいのか?
地味に臭うのもしんどいし……。
扉に耳をつけてちょっと待つ。
誰かがあの階段を歩くような音は聞こえない。
まだしばらくここにいなきゃ、か……となると、こんなにろうそく燃やしてて酸素減ったりしないのかな。
確か、荷物の中に火口箱はあったはずだし、いったん消すか。
蹴飛ばさないよう、扉脇の壁近くに置いてから火を吹き消した。
真っ暗闇。
それでも自分の寿命の渦を感じることができるせいか不安は少ない。
『魔力感知』の感度を少しずつ上げてゆく……部屋の中にほかの寿命の渦は感じない。
森でやったときは周囲に寿命の渦がたくさんありすぎて眩しかったもんな。
ただあのとき、樹々の向こうにある他の樹々や、下草に隠れた地面に居るはずの虫の存在も小さくだけど感じ取れたのを覚えている。
『魔力感知』という知覚は、遮られると見えなくなるような視覚に似たものではなくて、途中に障害物があっても回り込んで感じることができる聴覚のようなものじゃないのかなって感じたんだ。
前に『魔力感知』で世界を見たときは、文字通り「見」ているイメージで受け取っていた。
今度は「聞」いてみよう……今、聞こえているものの、もっと向こう……もっと遠くへ……広がってゆく……うおっ、何か感じる!
この部屋じゃない……けど遠くない……隣の部屋くらいかな?
今までに感じたのとは違う気配の寿命の渦が幾つも。
大きくはない……けど森で見たどの渦とも違う気がする。
もしかしたら地下で育てるウドみたいな植物だったり?
頭の中に、地下へ下りてからの地図を展開してしまったせいか、『魔力感知』に視覚的な知覚も戻ってきてしまった。
聴覚と視覚がごっちゃになりかけて、とっさにその二つの感覚を閉じようとした瞬間、やけにクリアに寿命の渦を感じた。
五感の外側にある感覚……第六感ってやつなのかな?
寿命の渦がはっきりと見えても眩しくない……すごいな。
世界はそこにずっと同じ様に存在するのに、俺の感じ方一つでこんなにも見え方が変わるんだ。
世界にはきっとまだ、俺が気づけていないだけで本当はすごいものや思っていたのと違うものがまだまだあるんだろうな。
万能的な浮遊感の中で、自分よりもだいぶ上方に、寿命の渦を三つ感じた。
ルブルムたちかな?
う、眉間がキーンってなってきた。
いったん範囲を最小限にまで戻そう。
自分の寿命の渦だけが確認できる範囲にまで。
よし……俺の寿命の渦の擬態……普通の猿種は崩れていない。
カエルレウム師匠は慣れてきたら寝ていても維持できるっておっしゃってたもんな。
試行錯誤をしながら少しずつでも成果が増えてゆく。
そんな実感があると、自分がレベルアップしている感じがする。
ゲーム的なレベルとは違うのだろうけど、俺がした経験は確実に、自分の中に活きているんだな。
なんだかやる気が出てきた。
続けて魔法の練習もしておこう……新しい魔法を覚えてから、新しいほうばっかり練習してたから、自分のオリジナルのやつはずっと放置したままだった。
パイアに叩き込んだ『ぶん殴る』。
ネーミングのセンスはないけど、これで意識に固めちゃったからなぁ。
カエルレウム師匠がおっしゃっていたのは、魔術を使う時に『名前』を付けなさいということ。
名前がある方がイメージしやすいので、たくさんの魔法代償を集中する時に失敗が少ないらしい。
複数の魔法を組み合わせた魔術を唱える時、魔法その一を三ディエス、魔法その二とその三を一ディエスずつ、なんてレシピそのままを記憶するより、それをまとめて料理名をつけるみたいに『名前』を決めて使う方が、より集中できるんだって。
同じ魔法を重ねて強化する場合も、ある一定量の重ね方に名前をつけておくと、イメージしやすい……ってのを、通貨で説明してくださったっけ。
十銅貨をばらまいたとき、一瞬でそれが十枚……こちらの世界は十二進数だから十二枚なんだけど……そこにあるのが十枚だけだと把握できるか、という話。
銀貨ならば、すぐに一枚だけというのがわかる。
魔法を使う際は集中するのがとても大事だから、余計なところへ意識を向けないで済むほうが魔法を失敗する確率が高くなるとおっしゃってた。
迷う原因はなるべく排除するために、魔法や魔術に対して最初につけた名前を後で変えるのもよくないとか。
どうせだったらもっと必殺技っぽい名前にしておいても良かったかな。
必殺技っぽいの……せっかくだから『ぶん殴る』の強化版も作ってみようかな。
魔法代償を……五ディエス集中して五倍の『ぶん殴る』をイメージする……名前は……『ぶっ飛ばす』。
いいんだ。
中二病っぽい名前は自分が使う時に照れそうだから。
俺はシンプルなので行くんだ。
魔法代償を『ぶっ飛ばす』分だけ集中して、解放する。
スムーズに集中できるようになるまで何十回か試してみる。
本当は何回かに一回は実際に使うといいんだけど、さすがにここで魔法を使うと壁を壊してしまいそうだからなぁ。
ああ、でも、本当に閉じ込められたときのために、壁をぶち抜けるだけの威力の必殺技も一つ練習しておくかな。
魔法代償を『ぶっ飛ばす』の三倍……十五ディエス集中……うっわ!
引き込まれる!
慌てて集中を解く。
幸い魔法代償は失わずに済んだけど……自分の寿命が魔法代償の中へ吸い込まれる感じがした。
怖い怖い。
失敗の理由はすぐにわかった。十二進数だと、五の三倍は十三ディエスなんだ。
それなのに十五ディエス集中しようとしてしまって、その差分に寿命が吸い込まれそうになった。
本来必要な魔法代償より多いなら問題ないような気がしなくもないんだけど、結果的にダメだったもんな。
あっぶねぇ。
これ、細かく計算するの危険だな。
もう『ぶっ飛ばす』を一つの新しい単位として自分の中に位置づけて、それを三倍ってシンプルに考えよう。
十三『ぶん殴る』ではなく、三『ぶっ飛ばす』……名前なんにしよう。
イメージしやすくて、他のと間違えにくい名前で、照れないですむやつ。
うーん。
ルブルムは、身体強化の数種類を混ぜた魔術を、森の動物の名前を付けてるって教えてくれた。
例えば瞬発力と破壊力が上昇するように筋力をアップさせる魔術を『狼』って名前の魔法にしていたりとか。
なるべく、自分に馴染みのある名前の方が良いらしいんだけどね。
あー、こういう名前考えるの面倒。
『超ぶっ飛ばす』これでいい。
わかりやすいし、忘れないし、カタカナとかにしていると間違えそうだし。
今度は吸い込まれないよう、三倍『ぶっ飛ばす』で……集中……よしよし、いいぞ。
集めた集中を戻して今度は左手で……イケる!
次はいったん戻して右手に集中!
いったん戻して……あー、実際に使ってみてぇなー!
突如、背後に重たい金属音が響いた。
え、魔法、使ってないのに?
振り向いた俺の目を、明るい光が眩ませた。
● 主な登場者
・利照/リテル
利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。ただ、この世界は十二進数なのでリテルの年齢は十七歳ということになる。
リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。
ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。
不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。猿種。
フォーリーの街に来てから嫌な思い出しかない。
・カエルレウム師匠
寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種。
肉体の成長を止めているため、見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。
お出かけ用の服や装備は鮮やかな青で揃えている。
寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。
リテルの魔法の師匠。
・ルブルム
魔女の弟子。赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種のホムンクルス。
かつて好奇心から尋ねたことで、アルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。
リテルのことを頼ってくれている様子。
・ディナ先輩
ルブルムの先輩。フォーリー在住。カエルレウムの弟子。
男全般に対する嫌悪が凄まじい。
・ウェス
ディナ先輩の使いの馬車の御者。肌が浅黒い女性で、男嫌いっぽい。
獣種は不明だが、兎よりもちょっと短い耳をしている。
● この世界の単位
・ディエス
魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。
魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。
・ホーラ
一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ一時間に相当する。
・ディヴ
一時間の十二分の一となる時間の単位(十二進数的には「十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ五分に相当する。
・アブス
長さの単位。
元の世界における三メートルくらいに相当する。
・プロクル
長さの単位
一プロクル=百アブス。
この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。
・通貨
銅貨、銀貨。
十銅貨(十二進数なので十二枚)=一銀貨




