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「草太さん。――――わたし、死にたくなりました」


 どうやって天文部に帰ってきたのかは覚えていなかった。


 気が付いたらふかふかのソファに横になっていたし、しっかりと毛布も被っていた。何なら屋上に行ったのは夢かと思ったが、ブレザーのポケットには屋上で拾った物が入っていたので現実だ。

 上半身を起こすと頭が少し痛んだが、さっきの吐き気はすっかり治まっていた。すぐに電話をかけようと両手で足りてしまうアドレス帳の、た行を選んで発信。相手はツーコールで出てくれた。それに安堵して、頬が緩んだ。


「おう、どうした?」


 電話の相手は、刑事さんだ。


「刑事さん、まだ学校にいますか?」

「ああ、もう少しで引き上げるところだ。何かあったか?」


 まだ現場にいるのか、少し声を潜めていた。後ろからは他の警察の人がいるのか話し声も聞こえる。


「ちょっと聞きたいことがあるんですけど。三井くんが首を吊っていた将棋部に、天体望遠鏡ってありましたか?」

「望遠鏡?ああ、あったぜ一つだけ。ぐちゃぐちゃにしまわれてた上にレンズのキャップも紛失してて、そりゃあ酷いもんだったけどな」

「そう、ですか」


 わたしのブレザーのポケットには、黒くて薄いプラスチックの――――レンズのキャップが入っている。

 これで、ピースは揃った。ミステリ小説の中で言うのならば、ここからは解決篇だ。関係者をずらりと呼んで「犯人はこの中にいます」とお決まりの台詞を堂々と言い放って、時系列順に事件を紐解いていく。そうするのが正しい解決篇なのだとミステリ初心者のわたしだって分かる。でも、わたしは探偵ではない。


 わたしは、しにたがりだ。


「ひとつ、いいですか?」

「何だ、改まって気持ち悪い」

「草太さん。――――わたし、死にたくなりました」


 電話の向こうで、刑事さんが息を呑むのが分かった。


 自己申告をするようになったのはいつからか。初めて刑事さんに会った日に「見殺しには出来ない」と言われてから、わたしは刑事さんを試すようになった。本当に、止めに来てくれるのか。あの言葉は嘘じゃないのか。それを確かめたくて、わたしは何度も刑事さんに死にますと自己申告をして、その度に止めに来てくれることを望んでいるのだ。


 言葉とは裏腹にとても穏やかな気持ちに満たされているわたしとは違い、刑事さんは凄く慌てた様子で聞き返してきた。   

それはそうだ、わたしは死にたいと伝える時だけ、刑事さんをちゃんと名前で呼ぶのだから。


「おいほたる、お前今どこにいる?」

「わたし全部わかっちゃいました。三井くんはわたしが死のうとしたから死んだわけじゃないですけど、自殺でもありません。そして、――――わたしが殺したようなものです」

「どこにいるかって聞いてるんだ!」


 怒鳴り声が響いたが、わたしの心は乱れなかった。ああ、心配してくれているんだなと、余計に嬉しくなっただけだ。


「ほしの部屋にいます」


 それだけ言って、わたしは通話を切った。ついでに携帯の電源までしっかりと切って、机の上に放り投げる。通話を切る直前に通話口から思い切り扉を開ける音がしたので、きっと将棋部を飛び出してこっちに向かってきてくれているのだろう。背広を投げ捨てて全力で走っている刑事さんを想像しながら、わたしは制服のネクタイを外し、椅子にのぼって丁寧にカーテンレールに結び付ける。輪っかを作った状態で、ほどけないようにきつく結ぶ。自宅のカーテンレールと違い、学校のカーテンレールは凄く頑丈だ。ちゃんとわたし一人分なら支えてくれるだろう。この時ばかりはわたしが女子高生の平均体重より少し軽いことを誇らしく思う。


 いつも首に巻いている赤いネクタイを、顎のラインに沿うように自分の首に通した。なるべく苦しまないように、頸動脈にあてないといけない。三井くんの話を聞いた時には面倒臭いと言ったが、何とまあ一瞬で準備が済んでしまった。一日に二人も同じ学校から首吊り死体が発見されたら、警察は勘違いで連続殺人事件として捜査をしてしまうかもしれないけれど、それはこっそり謝っておこう。足場にしている椅子を蹴飛ばしたら、わたしはあっさり死ねるんだから。


「せえの、」


――――ドンドン、ドン!



 やる気のない掛け声をかけて、椅子を蹴飛ばそうとしたのと、部屋の扉が大きくノックされたのはほぼ同時だった。


 二回、一拍、一回。


 人の生き死にがかかっているというのに律儀にいつもと同じ(但し酷く乱暴な)ノックをするのは、世界に一人しかいない。それがあまりに滑稽で、わたしは椅子を蹴飛ばすのを忘れてしまった。

 大きな音をたてて扉が開くと、そこには本当に全力疾走をしてきたであろう、刑事さんが立っていた。やはり背広は置いてきたようで、腕まくりをしたワイシャツの両肩は呼吸を整えるために大きく上下していた。


「っ、ほたる!」


 今にも首を吊りそうなわたしを確認した刑事さんは、そのままの勢いで窓側までやってきて、強引に首からネクタイの輪っかを外し、これまた強引に膝から抱え上げられて椅子から降ろされた。


「あはは、見つかっちゃいました」

「ったく、大馬鹿野郎だな」

 

 安堵か呆れか、刑事さんはとても大きな溜息をつく。膝から抱っこをされた形が新鮮で、わたしは子どものようにからからと笑った。にしても軽々と持ち上げられてしまって、何だか悔しい。しばらく刑事さんを見上げるという景色を堪能してから、大人しく下ろされる。

 一瞬、足元がおぼつかなくて一歩前のめってしまった。目の前の刑事さんはちょっと不思議そうな顔をした後、思いついたようにその大きな手をわたしのおでこにあてる。走ってきたばかりだというのに、刑事さんの左手はひんやりと冷たかった。熱っぽい身体にはそれが気持ち良くて思わず目を細めてしまう。


「熱あるな」

「おでここつんでもいいんですよ?」

「するかよ」


 それは残念だ。

 わたしはしばらくされるがままになっていたが、その場を離れてソファにぼすんと座り込んだ。立ったままの刑事さんを見上げると、その奥に輪を作ったネクタイが見えて、今回も死に損なったなあと苦笑する。またどこかで関係のない誰かが死んでしまうのだろう。


 ぺちぺち、と気合いを入れるように両手で頬を叩いた。しにたがりが死に損ねてしまっては、下手くそな探偵を演じるしかなくなってしまった。うまく話せるだろうか、あの飛行士みたいに、うまく語れるだろうか。


「今回はわたしが熱を出したから、三井くんは死んでしまったと言っても過言ではありません」

「何だって?」

 

 意味がわからないと言うように刑事さんは聞き返してくる。わたしはソファで三角座りをしながら、膝を抱えて息を吸った。


「わたし、三井くんと話したことがあるんです。去年の今頃、丁度一年前。わたしは同じようにここに登校していたし、三井くんはさっきの写真と同じようにあまり特徴のない平凡な容姿でした。だから、すっかり忘れてしまっていました。わたしが三井くんと会ったのは、夜中の屋上です。刑事さん、この時期の夜中の屋上には、何をしに行くと思いますか?」


 からんからん。

 手の届く距離にある金平糖の入った瓶を軽く転がす。あまり頭脳派ではない刑事さんはしばらくうんうんと考えていたので、わたしはヒントをあげることにした。


「刑事さんは朝の情報番組とか見ないんですか? 凄く綺麗だったって、どこの局でもやっていたはずですよ」

「……! 流星群か」

「正解です」


 そう、オリオン座流星群。


 秋を代表する流星群で、明るい流星が多く眼視も出来ることで有名だ。わたしは星が沢山詰まった宝石箱をまだころころ転がしながら続けた。


「流星群を見るために、夜中になるまでここに残っていました。この辺りでは屋上が一番綺麗に天体観測出来ますからね。そして、同じ考えをしていたのはわたしだけじゃなかったんです」

「三井も流星群を見るために屋上にいたのか」

「はい。高そうな天体望遠鏡を立てていました。そこでわたし達は少しだけ会話をして、とある約束をしたんです。――――来年も、ここで会いましょう、って」


 言い出したのはあっちだった。

 わたしは学校にはいるけど、教室にはいないから彼には会えない。それでも誰かと見る星も悪くはなかったから、「約束なんてしなくても、来年も星が好きならきっと来ますよ」なんて曖昧な返事をした。お互い名乗りもせず制服でこの高校の生徒だとわかるだけだったけれど、きっと来年もここに来て二人で星を見上げているだろうという確証があったのだ。


「その約束の日が、昨日です。今年のオリオン座流星群のピークは、十月二十一日深夜一時ですから。勿論わたしも屋上に行く予定でした。でも、それが出来なかった」

「風邪をひいたからだな」


 そう、風邪をひいてしまったから。


「健康優良児にあるべき失態です。夜にはすっかり熱も上がっていて、何と三十九度を軽く超えてしまっていました。流石に起き上がるだけでやっとだったので、わたしは彼との約束を忘れて、自宅の窓からぼんやり流星群を見てました」


 そうしたら、彼が死んでしまった。

 わたしが屋上に行っていたら、死んでいなかっただろうに。


「それがどうしてお前が殺したようなもの、になるんだ?」


 わかんねえなと言って刑事さんはがりがりと頭を掻く。


 ここから先が本番だ。わたしは一度息を大きく吸い込んで、そして吐き出す。


「三井くんは、屋上で見てはいけないものを見てしまったのです」



 本人が死んでしまった今、彼の行動は完全にわたしの予想でしかない。それを刑事さんに前置きしておいてから、疑問に答えていく。

 片手一杯の金平糖を食べて、再び膝を抱え直した。



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