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誰が王女を消したのか  作者: 藤井 紫
妖精嫌いの偏屈王子

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第8話 碧玉の瞳

 書庫の扉が軋んだ音を立て、冷たい廊下の空気がひと筋流れ込んできた。

 蝋燭の炎がひとつが、ゆらりと揺れる。


 入ってきたのは、二十歳くらいの青年だ。

 齢は同じくらいだが、昨日見た『灰色の瞳』の青年――ではない。


 くすんだ金色の髪、瞳の色は碧玉色。その澄んだ青緑の色は、薄暗い書庫の中でもはっきりと見えた。

 蝋燭の炎が揺れ、虹彩の内側で薄い光がきらめく。


 灰色の瞳の青年とどこか似ている気がする。

 背の高さ、肩の幅、歩く所作。

 しかし、雰囲気は少し違う。昨日の青年は灰色の城の空気に溶け込むような落ち着きと静けさがあった。

 対して、この青年は静かな威圧をまとっている。どこか、城そのものには馴染んでいない。


 青年はエマを見た瞬間に足を止めた。

 部屋全体を素早く見渡してから、またエマに視線を戻す。きっと他に人が居ないかを瞬時に確認したのだ。


「……マリー、ではないな」


 独り言のような声だった。低く平坦だが、怒っているわけではなさそうだ。


(マリーさんが来るのを知っていて、書庫に来たのかな?)


「あ、はい。マリーさんは本日体調が悪くて、わたしが代わりにこちらの書庫の整理を命じられて……」


 エマは布巾を握りしめながら答えた。


 青年はエマを見つめている。その目が少し変わった気がした。

 マリーではないと分かると、髪を見て、瞳を見て、顔全体を見られる。じっくりではなく素早く。何かを確認するような目線。


(誰かと比べているのかな……)


「……書庫の整理は、いつ命じられた」

「昨日の夜です」

「誰に?」

「年配の侍女の方に。えっと、お名前は存じないのですけど、左の耳たぶに小さなホクロのある方です……」


 エマの答えを聞いて、青年は視線を落とし、少し考えるように黙った。


 蝋燭の芯がパチ、と弾ける。


 その間、今度はエマが青年を観察する。

 仕立ての良い絹の服。でも飾り気がない。刺繍はなくボタンだけが等間隔で並ぶが、左の袖だけボタンが一つ色が違う。同じ形だがそこだけ素材が違った。衣装係が着け直したとは思えない、まるで自分で替えたような下手な付け方。


 そして、右手の中指と薬指と、その爪の隙間にインクの染み。何度も繰り返してできた、染み込んだような色。羽根ペンを長時間持つ人間の手。


(書庫に来る人だから、何か書き物をする人なのかな……)


 青年が書棚を見た。エマが整理し終えた列を順番に目で追う。そこはエマによって本の上や背表紙についた埃がきれいに払われていた。


「お前が昨日来たと言う新人か?」

「はい」

「では、マリーと同室、なのだな」

「はい、そうです」


「昨夜、王妃は、マリーのところへ来たか?」

 唐突な問いだった。

 この人がマリーをここに呼んでいたのだろうか。それとも王妃か。


 エマにはわからなかった。ただ、この青年がマリーの名前を知っていて、マリーがここに来ると思っていたことだけは確かだ。


「……昨日お部屋にいらしたと聞きました」

「そうか」


 青年の「そうか」という言葉の意味をエマは想像する。

 安堵でも落胆でもない声音。でも何かがある。もう少し個人的な何かがある声のような気がした。


(この人も、灰色の瞳の人みたいに、マリーさんのことを気にしているのかな)


「お前は?」

 青年の視線がまたエマに戻ってきた。


「王妃と会ったのか?」

「いいえ、わたしはお会いしてませんけど」


 エマは布巾を持ったまま、青年の顔を見つめた。

 青年の碧玉の瞳もエマの瞳を見ている。

 そして、エマの髪に視線が移る。


(……また、比べてる)


 何と比べているのかは、わからなかった。


「お前はどこから来た?」

「ピエルモンです。サント=ヴェール修道院から参りました」


 一瞬だけ、青年の目が変わった。

 青年が考えているときの癖のようで、視線が少し下に落ちて、またエマに戻ってくる。この人が考えているとき、こういう目をするのだとエマは気が付いた。

 答えるかどうか決めてから話す人間だ。


「……ヴァレンヌとの国境に近い町だな」

「はい。そうです」

「……なるほど」


 ヴァレンヌ帝国との国境に近いピエルモンは、帝国から訪れる人も多い町。ブラウンの髪と蜂蜜色の瞳——エマの見た目を、この青年はヴァレンヌ人のようだと思ったのかもしれない。


 それだけ言うと、青年は踵を返した。

 しかし、扉に向かいながら、棚のひとつの前で足を止めた。


 エマがさっき本を取り出した棚。


 青年は一冊の本の背表紙に、指先でそっと触れた。

 その瞬間、棚の奥から埃がふわりと舞う。


 宙に漂う細かな粒が、一瞬だけ集まって人の手のような輪郭を作り、すぐに崩れた。

 エマだけが、それを見ていた。


 本を引き抜くわけでも、確認するわけでもなく、ただ触れた。

 エマには、その本がどれかわかった。さっき自分が手に取って、元に戻した王家の系譜だ。

 プルヴィアが守っている本に、この人も触れた。


「しっかりと埃を払え。ここに埃綴りの妖精(プルヴィア)の巣を作らせるな」


 そう言葉を残し、扉が静かに閉まった。


 エマはしばらくその場に立っていた。

 扉が閉まると同時に、蝋燭の炎がまた静かに揺れ、元の位置に戻った。

 廊下から流れ込んでいた冷たい空気が、ゆっくりと書庫の空気に馴染んでいく。

 古い紙と革の匂いだけが、また静かに満ちる。



(……あの人、本当はここでマリーさんと会うはずだったんだ。マリーさんと王妃が会っていることを気にしていた……。それと、)


 エマは系譜の背表紙を見た。


(あの本を気にしてた……。埃綴りの妖精(プルヴィア)も知っているなら、書痕妖精(リグネア)のことも知ってるのかな)


 ふと、微かなインクの香りが鼻に届いた。

 書庫の奥の肖像画に描かれた人物たちが、エマを見つめているようだ。

 王家の証の『灰色の瞳』で。


(……今日の人も、昨日の人も、どちらもマリーさんのことを気にかけている)


 『碧玉の瞳』の青年は一体何者なのだろう。そして、昨日の『灰色の瞳』の青年も。


 エマは布巾を手に、また整頓作業に戻った。

 頭の中では、今見たものを順番に並べ直しながら。

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