第1話 消えた王女
1478年12月21日――冬至の夜
その日は、モン・ルグリュ王国の王女、マルグリットの三歳の誕生日だった。
城の広間では、王や王妃、諸侯たちが華やかな宴に興じていた。
だがその灯りも、深い霧に包まれた夜の闇には遠く及ばない。
城を見上げる村人たちの目には、ぼんやりと滲む明かりが、まるで霧の中に沈む幻影のように映っていたことだろう。
日が沈み、奥まった寝室の小さな寝台では、三人の子どもたちが身を寄せ合っていた。
寝台に重ねられたふかふかの毛布からは、淡いラベンダーの香りがほのかに立ちのぼり、そっと眠気を誘う。
窓の外では蔦が揺れ、どこからともなく狐火めいた明かりが差し込んでくる。
乳母は静かに毛布を掛け、二人の男の子はその端をしっかりと握った。
その間には、幼い妹が、安らかな寝息を立てている。
「……お兄ちゃんたちも、そろそろおやすみの時間ですよ。目を閉じて、いい子にね」
優しく語りかける乳母の声が、暖かな毛布の中で小さく響いた。
「ねえ、グリュエットの話、してくれる?」
少年の声には、どこか不安と甘えが混ざっている。
「いい子にしていれば、連れ去り妖精も悪さはしませんよ」
乳母は微笑むと、そっと歌うように語り始めた。
「霧の夜には、森からグリュエットがやってきます。三つになったばかりの子どもは、名前を知られると……妖精に連れて行かれてしまうことがあるんですって」
隣の少年が、布団の端をさらに引き寄せる。
「……つれていかれたら、どうなるの?」
小さな囁きに、乳母はやさしく笑みを返した。
「連れ去られた子は、妖精たちの国で、妖精の子どもとして育てられるそうですよ。でも大丈夫。家族が見守って、今夜だけは絶対に名前を呼ばなければ、妖精も手出しできないの」
布団の中で、兄は小さな声で囁く。
「大丈夫だよ、ぼくがいるから。もしグリュエットが来ても、絶対にマルグリットを守るよ」
乳母はマルグリットの額にそっとキスを落とし、灯火を弱めた。
兄は隣りで眠る妹の小さな手を握りしめ、ゆっくりと目を閉じる。
やがて、寝息と子守唄だけが寝室に満ち、遠く廊下では宴の気配が、かすかな笑い声となって漂っていた。
――夜も更けたころ。
少年は、奇妙な静けさに目を覚ました。
眠りにつく頃は、微かに響いていた宴の音が、今は途絶え、部屋の中はしんと静まり返っている。
まどろみの中、隣にいるはずの小さな温もりが、ふっと消えていることに気づく。
寝台の毛布は小さく乱れ、マルグリットの姿はどこにもない。
「……マルグリット……どこ?」
思わず呼びかけてしまった自分の声に、少年の心臓は激しく脈打った。
(いけない――今夜だけは、絶対に名前を呼んじゃいけないのに……)
全身の血の気が引き、背中に冷たいものが走る。
少年は慌てて寝台を降り、薄暗い部屋を見回す。
扉の隙間から小さな足音が聞こえたような気がして、息をひそめて廊下に出る。
だが、廊下の灯りはすべて消え、先にあるのはただ闇だけ。
霧の夜は静まり返り、どこにもマルグリットの影はなかった。
(マルグリット……、グリュエットに連れて行かれた……?)
少年は唇を噛み、胸の奥に、どうしようもない罪悪感がじわじわと満ちていくのを感じた。
――この夜、王女マルグリットは忽然と姿を消した。
だが、夜明けとともに、城からは『王女が死亡した』という知らせだけが国中に伝えられた。




