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美少女天使(中身おじさん)は、できるだけ頑張らず楽しく生きたい  作者:


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閑話6 ケーキと呼び方

 その夜、天宮家の居間は、いつもより少しだけ明るく見えた。

 理由は簡単で、ローテーブルの上に白い箱が置かれているからだ。


 箱の角に貼られた店名のシールを見て、私は反射的に背筋を伸ばしかける。

 ——前の人生の癖。お土産の包装ひとつで、場の“目的”を考えてしまう。


 でもここは会議室じゃない。

 ここは、帰ってきて息ができる場所だ。


「シエル、ちょっと座ってくれる?」

 美穂さんが、いつもより改まった声で言った。

 隣では武臣さんが腕を組み、無言で頷いている。妙に真剣な顔だ。


「はい」

 私はソファの端に腰を下ろし、姿勢を正した。

 結衣は少し離れたところで、状況を理解したような顔をしていて、面白がっているのが分かる。


 咲さんは、台所から湯飲みを運びながらこちらを見て、にこっと笑った。

 その笑顔が、なんだか今日は見守り役の色を醸しだしている。


 美穂さんが、テーブルの箱に手を置いた。

「今日ね、買ってきたの。シエルが好きそうだと思って」


「ケーキ?」

 思わず口に出すと、結衣が小声で突っ込む。

「当てるな!当てるな! 前フリが死ぬ」


「結衣、静かに」

 咲さんが軽く言う。怒ってない。むしろ楽しそうだ。


 武臣さんが咳払いを一つして、私の目を見た。

「……その、だな」


 言いよどむ。珍しい…

 武臣さんは言うときは、はっきり言し、言わないときは、唯々見守ることに徹して黙っている。

 

 美穂さんが、少しだけ助け船を出すみたいに続けた。

「シエルが——私たちのことを“さん付け”で呼んでるでしょ?」


 胸の奥が、きゅっとなる。

「はい。……失礼でしたか」


「失礼じゃないよ」

 美穂さんはすぐに否定して、それから少し困ったように笑った。

「ただね。私たち、欲が出ちゃって」


 武臣さんが、意を決したみたいに言う。

「お父さん、とか。お母さん、とか。そう呼ばれたら、嬉しい……」


 言い切った瞬間、武臣さんは視線を逸らした。

 耳が少し赤い。隠そうとして隠せていない。


 結衣が、声を殺して笑いかけて、慌てて口を押さえた。

「……かわいすぎる」


「結衣!」

 咲さんの声が、今度は少しだけ圧を含む。

 結衣が背筋を伸ばして「はい」と返事をした。


 私は、言葉がうまく出なかった。


 お父さん。お母さん。

 それは呼び方の問題じゃない。役割の名だ。

 呼んだ瞬間に、自分がそこへ“入る”ことになる。


 美穂さんは、私が固まったのを見て、慌てて手を振る。

「もちろん、無理にじゃないの。急に変えてって意味じゃなくて……」


「ううん」

 私は首を横に振った。

 違う。嫌じゃない。むしろ——怖い。

 自分がそこに行っていい、という実感が、まだ薄いから……


 武臣さんが、少しだけ声を柔らかくする。

「呼び方は、無理に変えなくていい。……でも、考えてくれたら嬉しい」


 その言い方が、押しつけじゃなくて。

 私の中の緊張を、少しだけほどいた。


 咲さんが、ここぞとばかりに手を挙げる。

「あの。便乗していい?」


「……何だ」

 武臣さんが即座に警戒する。


 咲さんは、にこにこしたまま言った。

「私はね。お姉ちゃんって呼ばれたら、すごく嬉しい」


「便乗がひどい!」

 結衣がつい声を出してしまい、咲さんにじとっと睨まれて口を閉じた。


 私は、咲さんを見る。

 咲さんはいつも通りで、でもほんの少しだけ期待の色が混じっている。


 ——家族って、こういう圧のかけ方をするんだ。

 優しいのに、逃げ道も残してくれる。

 だから余計に、ちゃんと返事をしたくなる。

「……わかりました。急には、難しいかもしれませんけど」


 美穂さんの目がふっと潤む。

「うん。ゆっくりでいい」


 武臣さんが、咳払いで照れを隠して、箱を指で叩いた。


「……で、ここにケーキがある。これは、逃げられない」

「そこは強制なんだ」

 結衣が小声で言って、咲さんに再び睨まれて黙る。


 箱が開く。

 ふわっと甘い匂いが広がって、場の空気が一気に柔らいだ。


 ショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン。

 それと、見た目がやけに可愛い小さめのチーズケーキ。


「シエル、どれがいい?」

 美穂さんが聞く。


 私は一瞬だけ迷って、チーズケーキを指差した。

「これ……好きそう、です」


「当たり」

 咲さんが嬉しそうに言う。

 結衣が「はいはい、当たり当たり」と適当に相槌を打つ。




 フォークを入れると、柔らかく沈んでいく。

 一切れ、口に運ぶ。


 甘い。

 でも、甘すぎない。舌に残る後味が軽い。

 呼吸が、自然に深くなる。


(……息を、置ける)

 そんな言葉が頭をよぎって、私は自分で少し可笑しくなった。

 祠の前じゃなくても、息を置ける場所はある。これもそう…


「……おいしいです」

 にっこり笑って言うと、美穂さんもぱっと笑顔になった。

「よかった」


 武臣さんは、ケーキを食べながら、ぼそっと言う。

「……言い方、練習してもいい。最初は、たまにでいい」


「練習って…」

 結衣が吹き出しかけて、咲さんに肘で小突かれて押し黙る。


 私はフォークを置いて、もう一度息を吸って、吐いた。

 次の吸い込みまでの短い間に、言葉を置く。


「……お父さん」


 声が小さすぎて、自分でも聞き取れるか不安だった。

 でも、武臣さんの手が止まった。

 美穂さんも、目を瞬かせた。

 私は続ける。逃げない。今だけは。

「……お母さん」


 言った瞬間、胸の奥が熱くなった。

 恥ずかしさじゃない。痛みでもない。

 “入ってしまった”感覚。


 美穂さんが、涙ぐみながら笑う。

「……うん。ありがとう」


 武臣さんは、しばらく黙っていた。

 それから、いつもの低い声で、でも少しだけ震えて言った。

「無理はするな。……しかし、いいものだな」


 隣で、咲さんが両手を胸の前で組んでいる。

 期待の顔だ。


 私は咲さんの方を向いて、ケーキのフォークを持ち直すみたいに、照れを誤魔化してから言った。

「……咲お姉ちゃん」


 咲さんが、ぱっと花が咲くみたいに笑った。

「うん!」


 結衣が耐えきれずに笑い出す。

「なにこの家、かわいすぎない? 糖分過多!」


「結衣は黙って食べてなさい」

 咲お姉ちゃんが即答して、結衣が「はい」と従う。

 そのやり取りが、やけに自然で……


 私は、もう一口チーズケーキを食べた。

 ほどよい甘さが、ちゃんと現実の味がする。


 名前を呼ぶ。

 役割を呼ぶ。

 そして、呼ばれて返す。


 ——名のある世界って、こういうことなんだ。

 胸の奥で、細い糸がほどける音がした気がした。

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