箱舟の人々
大分遅れた更新になってしまいました。本当に申し訳ありません。
[2204年5月13日8時15分 月 EAF基地 居住区画]
『これより月面基地防衛作戦のブリーフィングを開始する。各員、ARIVSの接続状況を確認せよ』
自分の部屋の中、理駆斗は網膜に映る映像を確認して、問題なしの項目にタッチする。全員からの承認が終了した時点で話の続きが始まる訳だが、それまでに大分多くの時間が掛かる。そんなことをするのであれば集まって会議した方が効率が良いというのにも関わらずそれをやっているのは、命を賭して戦っている兵士達が上層部に信用されていないということの表れなのではないかと思う。
かなり時間か経って視界に映る男が話を始める。
『では、説明を始める。数日前、火星付近のある地点より小惑星が月へと接近していることが確認された。予定到着時刻は23時11分。今から約15時間後である。我々はそれまでに然るべき防衛網を展開し、その襲撃に備えなければならない。そのことは心得ていると思う』
髭面で鋭い目をした男は言葉を切ると、静かに息を吐く。そこから何かの感情を伺い知ることは出来ず、理駆斗は目の前を通過する幾つかの情報に意識を集中させた。
月の軍事基地に呼ばれたということ。その理由を考えることは簡単で、いずれはこうなると理解していた。それは、今までの重ねてきた経験や、培ってきた感覚が明瞭に告げていることなのだから仕方がないとも言える。それでも、今まで踏み出したことのない孤独に包まれた空間に立つと言うことに対して恐怖を覚えずにはいられなかった。幾度と地獄を味わったとしても、理駆斗に自分の命をゴミ同然に扱う機械のごとし精神が芽生えることはなく、言葉では言い表せないような圧力と不安は、静かに彼の心を蝕んでいる。
それは動きにも明確に現れ、理駆斗の手は空中と座っているソファの素材との間を彷徨い、じっと固まっていることを拒んでいた。
『そして、本作戦は長く続いた冷戦状態に終止符を打つ、惑星同士での戦闘である。我々は地球に住む家族、友人、その他全ての人と生物を護るため、なんとしてでもこの場所を死守しなければならない。いや、絶対に守り通すのだ!』
上官の熱のこもった言葉の数々も今の理駆斗の意識には触れず、周囲を静かに揺らめくだけにとどまっている。それはとても煩わしくてどこかに追いやってしまいたいはずなのに、無くなってしまうと不安を掻き立ててしまう。きっと自分と周りとの関わりが切れてしまうのが恐いのであろうが、それを認めてしまうと心が折れてしまいそうで、あたかも暗く窓のないこの部屋のように、心は八方塞がりだった。
尚も上官の言葉は続いているが、それを耳にしていると気がどうにかしてしまいそうで、理駆斗は立ち上がると、ARIVSの映像はそのままに、ゆっくりと部屋の外へ出た。
[2204年5月13日8時30分 月 EAF基地 ロビー]
白を基調とした空間は、先程までいた自分の部屋とは対照的だ。理駆斗はその空間の感覚的な眩しさに少し目を細める。高く絶対に手の届かない天井、影の出来ないように計算して配置された照明。何処か現実味の欠けた光景は異世界に迷い込んだかのような感覚にさせた。
理駆斗が辺りを見回すと、同じように不安に駆られ、ここに行き着いた人達が、座る場所を占領していた。人は尚も溢れ、至る所に小さな人の集まりが点を作っていた。
その中の1つ、理駆斗はそこに幾つかの見知った顔を見つける。1人はオペレーターの制服。藍色の少し長め髪から大人びた顔が姿を見せている。もう1人は何処かの学校の制服。今までに1度は目にしたような気がするが、そこから何かが浮かんでくるようなことはない。髪は白味の強い灰色で、少女の肩辺りまで下がっていた。
「沙夜姉、百合香」
理駆斗が声をかけると、沙夜姉と百合香か揃って後ろに振り返る。その顔に浮かぶ神妙な表情から、彼女達も同じ不安を抱えているであろうということが理解出来る。
「おはよう、沙夜姉、百合香。気分はど……いや、良いわけないよね」
理駆斗は言葉を取り消して苦笑を浮かべる。今、このような落ち着きのない環境で不用意な発言をするのは避けたいと思っていたはずなのに、初手から失敗してしまっている。
「まさか、ここまで早いとは思わなかったものね」
沙夜姉の顔からもいつもは絶えない笑みが消え、何処か不安を隠せないようである。
「そうね、軍の上の方も今回のことは重く見ているみたいだし、予想が大きく外れてしまったことは確かだわ」
「うん、でも、上層階級の人達が考えていることは良くわからないからね……」
俯きがちに視線を落としながら、理駆斗は静かに呟く。
「それはそうとして、あなたはとても落ち着いているようね」
「そうかな……」
百合香の指摘はあまり的を射ていた訳ではないが、彼は少し曖昧に肯定する。けれど、先程からの落ち着きのなさは解消されてきている気がした。
「そう見えるのは多分、僕が今日の話を既に知っていたからじゃないかな」
「ちょっと待って、あなたに今日の防衛作戦の話が前もって流れていたの?」
理駆斗が何の意味もなさげに呟いたことを、百合香は見逃さなかった。
「そうだけど……」
突然強くなった百合香の気迫に、理駆斗一歩後退りながら答える。
「それはおかしいわ。あなたと私は少尉と准尉で階級は少ししか変わらない。なにより、情報開示のレベルが同じのはずよ」
「それは……」
理駆斗は口籠もり、そして黙る。睨みの効いた百合香の視線と、心配そうな沙夜姉の眼差しとが重なり、彼の体に突き刺さっていく。
その時、沈黙を破るように理駆斗の耳に電子音が響く。視界に表示されたのはメッセージ送信者の名前。
「ごめん、ちょっと用事が出来たからそっちに向かうよ……」
百合香の鋭い視線をかいくぐるように目を逸らして振り返ると、数歩足を動かして立ち止まる。
「今はまだ話せないんだ。でも、いつかきっと自分の口で説明するから……」
その後ろ姿が落とす影は途方もなく暗く、立ち去っていく理駆斗を引き止める者は1人もいない。制服姿の少女は、その顔に困惑を浮かべ、藍色髪の女性は、ただ他に何も出来ることがないかのように目を閉じて、その場で何かをこらえていた。
[2204年5月13日8時42分 月 EAF基地 ロビー]
3人が話していた場所からそう遠くない所、されど幾人もの人が壁を作って視線が遮られるある位置に2人の男女は立っていた。
「どうしましたか? 体調が優れないようですが」
金色に輝く髪を長く伸ばした凛々しい顔の女性、理駆斗の作戦管理オペレーターのシルビアがもう片方の少年に問いかける。
「何でも無いよシルビィ、ちょっと嫌なことがあっただけ」
「そうですか」
理駆斗の答えをシルビアは無表情のままに聞く。一切の感情の変化も感じることの出来ないことが、理駆斗には少しもどかしく感じた。
「それで、今回は僕はどう動けば良いの?」
「はい、黒鉄少尉には研究区画の動きに注意していただきたいと思っております。以前説明した話は覚えていますか?」
シルビアの問いに、理駆斗は眉をひそめる。少し、場の空気が乾いた感じがした。
「ああ、問題なく覚えているよ。抜かれてもいないみたいだ」
「それでしたらやるべきことはわかっていますね?」
「裏切り者の発見、排除だね」
「はい」
理駆斗は俯いてしばらく黙っていると、決意を固めたように拳を握り締める。
「了解したよ。でも、それまではどこで戦闘をしていてもかまわないのかな?」
「はい、研究区画から遠くなりすぎなければ、ですが」
シルビアの肯定の返事に、理駆斗は満足そうに頷く。
「それじゃあ、上にはこう伝えておいてくれないかな……」
[2204年5月13日12時5分 月 EAF基地 商業区画]
白裂百合香は本日の昼食を探すとともに、ある人物に会えないかと、密かな思いを秘めて商業区画を歩いていた。
(傷付けてしまったみたいだから謝りたいのに直接呼び出すのは気まずいなんて、私も臆病者ね……)
その人物が見付かる気配は一向になく、時間だけが経っていく。彼の従姉弟であるらしい沙夜は気にしないで欲しいと言っていたが、それでも自分の中で折り合いがつかずこう探しに来るまでに至っているはずなのに、何処か出会わないで欲しいと思っている自分がいる。それは昔からの悪い癖のようなもので、根を張っては心の中に望まない影響をもたらしてくる。
「はあ……そろそろ昼を食べる場所を探そうかな……」
百合香がため息交じりに呟いた時、目の前を見知った黒髪の少年が通り過ぎて行った。
「ちょっと、理駆斗!」
[2204年5月13日12時12分 月 EAF基地 商業区画]
黒鉄理駆斗が後ろを振り返って最初に見たのは、見覚えのある灰色の髪と制服だった。
「百合香……」
理駆斗の口からその少女の名前が漏れ出る。彼女は理駆斗にとって最も会いたくて、その上、最も出会いたくなかった人物だった。
「どうしたの? 何か用でもあった?」
理駆斗は少しぎこちなくなりながらも百合香に問いかける。ほんの数時間前の、ほんの数分間のやりとりを思い出しただけで、何処か不安なんかと同じような嫌な感覚が纏わり付いてきて、彼の自由を奪っているようにすら感じられた。
「昼ご飯、まだかなって……」
百合香も同じような雰囲気を感じ取っているのか、彼女の話す言葉の端々から不安が感じ取れる。
理駆斗は精一杯空気を良くしようと、1つ1つの言葉を慎重に選び、答える。
「まだだよ、一緒に食べる?」
百合香が理駆斗に向かって無言で頷く。それを見て、顔に微笑み作る。
「それなら、最初に一緒に食事をした所で良いかな? あそこのカレーライス、とても美味しかったんだ」
[2204年5月13日12時42分 月 EAF基地 商業区画 カフェテリア]
2人は向かい合って席に付いている。テーブルには2つのカレーライス。スプーンを口に運んでは次のをすくい、咀嚼して飲み込む。そのどのタイミングにも会話と呼べる風景はなかった。
(気まずいな……)
理駆斗は話かけるために様子を窺うも、百合香の顔はカレー以外の何にも向いておらず、隙の1つもないらしい。それどころか、無言はより空気を重くしてゆき、会話を始めても続けられるような雰囲気ではない。
「百合香」
「え……」
理駆斗が声をかけると、百合香は驚いたような表情でこちらを向いて来る。その眼差しですら何か怖いものに感じてしまい、理駆斗は視線を逸らす。
「カレー美味しい?」
段々と小さくなっていってしまう声はどうしたものだろうか。自分でも恥ずかしくなって視線を更に逸らすと、視界の端辺りでスプーンを動かす手を止めた百合香が小さく頷くのが見えた。
このままではいけない、そうわかってはいるものの、理駆斗は声をかけることが出来ない。2人揃ってスプーンは動かず、時間だけが緩やかに流れて行った。
「百合香!」
「理駆斗!」
意を決して放った声が重なる。真剣な表情で名前を読んで向かい合って、そんな状況が恥ずかしくなって視線を逸らす。
「……理駆斗から話して」
小さく聞こえた言葉が、先を促す。理駆斗は何も言い返すことが出来ず、そのまま続ける。
「今回の作戦、百合香はどこで戦うことになっているの?」
少し躊躇った後、百合香は小さく口を開く。
「まだ、わからない。でも、飛来物体が落ちた場所に近い所で敵を迎撃することになると思うわ」
「そっか、僕と同じ年の筈なのに百合香はすごいね。そんな危険な所で戦って……」
「あなただってすごいでしょう、私よりも階級が上だったし、何より前回の模擬戦で戦った時、とっても実戦慣れしているって思ったわ」
「そっか……」
理駆斗は向かいに座る百合香の顔を見る。自然と、気まずいと思う感覚は消え去っていた。
「百合香は何を?」
「あ……」
僕が訪ねると、百合香は顔を赤くして何度か机の上で合わせた手を動かす。
「私、あなたに謝らないといけないなって思ったの」
「……」
理駆斗は無言で先を促す。
「ごめんなさい。あなたのことを何にも知らないのに傷付けるようなことを言ってしまって」
百合香が、机に付くギリギリの所まで頭を下げ、謝罪の意を示す。理駆斗は何も言わず、彼女のおでこに手を当ててその顔を起こした。
「僕の方こそごめん。百合香は何も知らなかったんだから仕方ないよ。それに、これだけのことがあっても、僕は百合香にそれが何なのかを話せないんだ……」
理駆斗の笑みを浮かべた顔に、暗い影が落ちる。それは、何処か泣いているようにすら見えた。
「大丈夫、あなたはいつか話すって約束してくれたわ。だからあなたが話せるときまで、私はずっと待っているから」
百合香もその顔に笑みを浮かべる。その表情は、理駆斗が今まで見た彼女の笑顔の中で、最も輝いて見えたのだった。




