黒騎士の進軍
[XXXX年XX月XX日XX分 地球XX]
ピチャッ、ピチャッ、ピチャッ、
何かが跳ねる音が聞こえる。規則的な旋律。間にうがたれる間隔。
ーー美しい律動だ。
ーー陳腐な音楽だ。
ーー悲しい静寂だ。
頭の中で激しく思考を巡らせるが、数秒と経たない内に停止してしまう。なにもかもが手詰まり。全く分からない。
視界には何も映っていない。瞼は開いているはずなのに、光は流れ込んでいるはずなのに、光が像を結んで極彩色の景色を描いてくれない。真っ白。床も、壁も、天井も、全てが真っ白で、その境界すらも薄れて行く。いや、そもそもどこが床で、どこが壁で、どこが天井なのだろうか。どれも大して変わりがないのに何故下を床と言えよう?
口には甘い味が広がる。チョコレートやクリームのような、ずっと食べていると飽きてしまいそうな甘さ。触感はネバネバとしていて、口にまとわりつく液体。
昔、幾度にも口にしたことがある懐かしい味。大嫌いな地獄の風味。
ーーそして、思い出す間もなく、鮮明な感覚が戻って行く。
「ごふっ!?」
状況も理解できないままに鈍行していた時間が正常に戻り、口の中から液体がこぼれ落ちる。喉が詰まって息が出来ない。
口から落ちた液の色は黒ずんだ朱。鈍く輝いた血。喉につっかえていたものを吐き出し、懸命に酸素を吸い込む。
体中が痛みを訴えている。いつかの余韻のはずなのに、身体を抉り、主張を強めている。
「……」
立っている。ようやく自分の体がどうしているのかが理解されてくる。しかし、ここがどこか、どうしてここにいるのかが分からない。
視界の白が占める部分が少なくなって行き、色付いて、像を結ぶ。その結果もやはり白く塗りつぶされた世界で、かなり落胆する。
違う。少しだけ違うとすれば、眼はしっかりと床と、壁と、天井の境界を認識出来ている。そして、僕の眼の前に幾重にも折り重なって壊れている漆黒の銃口。黒く底の見えない冷徹な虚構。
その中を覗き込んだ途端、乱れていた記憶が急に列を整え、その形を示すように完成する。
ーー『僕』と『私』の眼の前で。
「うぎっ!」
「あぐっ!」
撃たれて、撃たれて、撃たれて。ゴムで出来た殺傷性のない繊維の固まりが、僕の体で跳ねて地面に落ちる。
重なる暴力。殺到する銃弾。地獄は終わらない。『僕』が結果を残すまで、『僕』が苦痛に壊れるまで。
苦しくって、狂詩句って、来る死喰って
『僕』は悶えて倒れ込む。衝撃が伝わり、口の中から血が漏れる。それでもあきらめの悪い銃達は、そっと向きを変え、再び暴力を繰り返す。
死ぬのか、『僕』は死ぬのだろうか。
不思議な確信があって、何故かそれを覆すことは出来ないように感じられた。根拠のない諦め。絶対的な確信。世界が黒く染まろうとしている。消えて行く音、消えていく色。跡形もなく消えた世界の中で、『僕』は生まれ出る『私』を見付けた。
『苦しいか?』
『私』の問いかけに、『僕』は無言で頷く。黒い世界の中では、自分が喋っているはずの相手の顔も、表情も、どこにいるかさえもわからない。しかし、『僕』には『私』がどんな顔なのか、表情なのかが少しだけ分かるような気がした。
『我慢することはないよ、私も苦しい。君の見ているものは私の見ているもの。君が感じていることは私の感じていることでもあるのだから……』
『どうして……どうして……今になって出て来たんだよ! あの日さえなければ、僕は! 僕は、こんなことには……』
『僕』は怒りを『私』にぶつける。どうしようもない。無駄なことだと知っていながらも、僕はそれを止めることが出来なかった。
『……』
沈黙が空間を支配する。『僕』の荒くなった息づかい以外は、全てが静寂を保っている。
『……すまない』
沈黙の後に、『私』が静かに話し出す。
『私自信、君の認知できない場所で君が息を引き取るまで静かにしているつもりだった。君に気付かれることもなく、誰にも知られずに死ぬべきだと考えていた……』
『僕』はその声に憂いが満ちているような気がした。しかし、感じたのはそれだけではなく、その平坦な口調からは氷華のような美しく儚い冷徹さなども同時に思い浮かべた。
『だが、君の大切な人間が死に行く中で見て見ぬ振りをすることだけはどうしても耐えることが出来なかったのだ……』
『……彼女はあなたにとって大切な人だったのですか?』
『僕』はこみ上げてくる怒りを必死に抑え、『私』に聞く。『私』は悩むように唸り、答える。
『どうだったのだろうな? 私は今まで間接的にしか人に触れて来なかった。だから、誰かに対して執着を持つという感情自体、あまり縁のないものだったのだと思う。もし執着というものが、今私が君に抱いている感情であるのだとすれば、私は彼女に対して執着を持っているとは言えないのではないかと思う』
『そう……』
『僕』は『私』の言葉を聞いた時、少しだけ考えを改めなければならないと思った。
『私』は知識を持ちすぎた無垢な胎児だった。未だ誰とも話したことはなく、外の世界に触れたことも少ない。ずっと暗い世界の中でうずくまっていた、今まで『僕』のことを想ってくれていた理解者。
『……救ってくれますか?』
『え……』
『僕を今の苦しみから、救ってくれますか?』
『私』は少しの間沈黙し、やがて息を吐く。『私』は感じたことのなかった不思議な感覚に苛まれていた。深淵の世界の中で終わりが訪れるのを待つ日々。間接的に見える世界に憧れる時間。それらが今日、この時をもって全て報われた。『僕』に必要とされた。そんな幾つもの体験が、私に味わったことのない感情を植え付けていた。
『ええ、君がそれを望むのなら』
世界が白く染まって行く。光だけの場所へ。静かに、激的に。
ーーこの体に眠る能力を使えるのが『私』だけならば、『私』はせめて、『僕』の為にこの能力を使おう。
地面に横たわる『私』の体。鈍く響く傷み。
これが痛いというものか。静かに手をついて立ち上がる。想像以上に上手く行かず、何度か倒れそうになりながらも、地面を二本の足で踏み締め、初めて見た世界を眺める。
「酷く矮小で……美しい世界」
それが、最初に揚げた産声だった。沢山の銃身が、一斉にこちらを向く。最悪な目覚め。しかし、彼をこんな目に遭わせてしまったのも、彼を救うことが出来るのも『私』だけで、もう後戻りなど出来るはずもなくて。
一筋の涙が流れ、頬を伝う。これが、悲しいというものなのだろうか。
「始まり……彼らにとっても、私らにっても」
手が上へと持ち上げられていき、その手の平が幾重にも連なった銃を捉えた。口がゆっくりと動き始める。
ーーそして、全てが一瞬で終わった。
「反応、確認されました。実験は成功です。対象の状態も、今は正常です」
暗い部屋の中で、白衣を着た金髪の男がコンピュータに移るデータを確認しながら淡々と告げる。その他にも何人かの人達が、それぞれ真剣な表情で画面へと目を光らせていた。
「……分かった。データは私の所へ送っておいてくれ、後で確認しておく。それで、空間にある量との割合は?」
「使用率は60%、出力では観測対象『M.H.』が20%前後なので、その3倍もの使用量です」
「……わかった。対象『K.R.』の回収を急げ」
その中でただ一人黒髪の男が、周りへと指示を飛ばしている。その態度は堂々としていて、動きには少しの無駄もない。
「私は部屋へ戻っている。何か問題があった場合は呼び出してくれ」
「了解しました」
黒髪の男は静かにその部屋から去って行く。扉が自動で閉まる音以外、ほぼ無音で。
薄暗い廊下は非常灯と最低限の光しか付いていない。まるで停電しているときのようになっていて、その中を歩く男も幽霊のようだ。
男は一つの部屋の前で立ち止まり、扉に手をかざす。彼の指紋を読みとった扉が鍵を解除すべき人間だと判断し、扉が開いてゆく。
中に入ると、自動で電気が付き、コンピュータが動き出す。男はコンピュータの置いてある机の前に座ると、白衣の胸ポケットからライターとたばこを取り出し、たばこに火を付ける。一筋の煙が、たばこの先から空へと舞い上がる。男はしばらくそれを見ていたが、コンピュータの画面へと、視線を戻す。
「観察の開始から六年、ようやく『ステージ1』の完了か……」
画面では繰り返し映像が流されている。
走る車。その先にいる少女。
そして少年が手を車に向け、粉砕される車のタイヤ。
「経過は概ね予測通り。『ステージ3』までは来年内での完成が見込めるだろう。」
少女の目の前で車は停止し、少年と少女がほぼ同時に地面へと倒れる。
「しかし、まさか『分裂』していたとは、このままでは不味いな」
男は灰皿にたばこの先を押しつける。たばこの火が消え、最後に一筋だけ煙が上へと上って行った。
「……少し、経過を見る必要がありそうだな」
[2204年5月9日12時30分 月 EAF基地 第3訓練場控え室]
戦闘訓練まであと2時間。時間は刻々と迫っている。
第3訓練場、通称『闘技場』。円形の場所以外何一つ物が設置されていない訓練場の観戦席は、いつもは人がいないのに、今日は満席で人がごった返していた。
どうやらどこからか情報が流れてしまったらしい。結果、お祭り騒ぎと勘違いしてしまった人々が山のように観戦席に集まってしまっていたようだ。
控え室の中で、理駆斗は何をするわけでもなく、静かにたたずんでいた。
「黒鉄小慰」
理駆斗は名前を呼ばれて振り返る。そこには金色の髪の長髪の女性が立っていた。
「遅かったねシルビィ。後もう少しして来なかったら連絡しようかと思っていました」
「あなたが急すぎるのですよ。まさか誰も到着して2日で戦闘訓練をするとは誰も思っていませんから」
理駆斗に悪態をつきながら、シルビアは長い髪をかき揚げる。
「それで、例の物は?」
「こちらです」
理駆斗はシルビアが差し出してきたアタッシュケースを受け取る。ロックをはずして中を取り出す。その手にあるのは、漆黒カラーリングに1本の青白い光の線が入った腕輪。環境順応型高機動鎧、その収縮状態だ。
「久しぶり『死の神』」
理駆斗はそれをARIVSの腕輪に重ねるように装着する。
「装備は揃えておきましたので、ご確認下さい」
「了解、シルビィ。いつもありがとう」
「黒鉄理駒斗の作戦管理オペレーター、それが私の仕事なので」
理駆斗はそのまま控え室を出て、静かにその先、闘技場の方を見やる。まだその中に人はいないようだった。流れすぎる時間が、緊張となって静かに身を蝕んでいる。
ーーいや、なぜ僕は緊張しているんだ?
今まで作戦を遂行するときにだって感じなかった感触。何かが体の中をはいずり回っていた。関係ないことだ。理駆斗は首を振って思考を打ち消すと、その瞬間を静かに待ち望む人達の中に顔を出す。同じタイミングで対戦相手、白裂百合香もその場所に現れる。視線が交わり、自然と理駆斗の口が結ばれる。そして、対する百合香の口がつり上がる。
『展開』
両者同時に空中を操作し、右手に付けられた腕輪が光を生み出し、包まれる。そして理駆斗は黒と青の、百合香は銀と赤の機動鎧を装着していた。
「実弾銃? また珍しいものを……」
百合香は理駆斗の武装の素直な感想を口にする。理駆斗が両手に持っていたのは紛れもなく火薬によって鉄の塊を発射する形の銃だった。
宇宙戦闘において、重力が変化する場合があることは誰もが知る事実だ。その中で、重力に左右されやすい実弾を使用することは、ある意味自殺行為で、あまり褒められたことではなかった。しかし、小慰まで昇った彼が実弾銃を使っている意味。それは単純だ。黒鉄理駆斗にはそれほどまでの射撃技術を持っているということだ。
ーーもしくは、別に何かを隠しているのか
百合香は昨日、少しだけ理駆斗のことを調べてみた。戦争とは情報の戦いでもある。戦う相手のことをあらかじめ調べておくことは勝率を上げるという意味で重要な役割を果たす。しかし、結果はノーヒット。軍のデータベースにですら、彼の名前と生年月日、昇進記録しか書かれていなかった。
空っぽなのだ。何もかもが不自然なほどに。
「黒鉄理駆斗の秘密、か……やっぱり……」
理駆斗はゆっくり百合香の装備を見定める。見た目は完全な刀だが、そのフォルムは科学的だ。装備と色を揃えた銀に赤の光が灯っている。幻想子の操作を組み込んだ幻繰武装だろうか。
「まあ、戦ってみて判断するしかないな……」
『二丁拳銃とは珍しいわね。何かこだわりでもあるの』
「いや、こだわりっていうよりか、僕にはこっちの方が都合が良いんだ」
百合香から通信が入り、理駒斗は問いに答える。
『それに、戦闘鎧の形状も異質ね。胸よりも足に重量がよっている』
「それの理由は、戦っている内に分かると思うよ」
視界の上に、点滅するカウントが現れる。ゼロになった瞬間、彼らの戦いが始まる。
5……4…… 3……2……1……0!
開始の合図が鳴り響き、、二人はほぼ同時に地面を蹴った。




