表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東の果てのマビノギオン  作者: 秋月つかさ
47/60

薄氷


 出発の日が(あわ)ただしく決まり、明日の日曜日には多々(たたら)朔夜(さくや)に率いられる形で、


 多々良(たたら)良平(りょうへい)

 多々良(たたら)(れん)

 多々良(たたら)莉奈子(りなこ)の、計4名が、他の3名に先駆けて、京都へと出発する。


 だから今日は、多々良(あや)の神力が、人鬼(じんき)に対し、どのような形で発揮されるのかを、皆で確認しなければならないのだ。


 土曜日の午後。


 部活帰りの制服姿で、多々良由利絵(ゆりえ)は綾の家へと歩いていた。


 由利絵の家から、綾の家があるアパートまでは歩いて10分程度というところだが、学校からとなると、その倍の20分はかかる。


 重い足取りでの、20分は長い。


 「神力確認」のため、綾を迎えに行く役を(みずか)ら買って出た由利絵だったが、正直、綾の父親の顔は、なるべくなら見たくなかった。


 ────朔夜さんにお願いして、付いてきてもらえばよかったな……


 自然と、由利絵の口から溜息が洩れる。


 綾の父親は、綾の母親────つまりは、奥さんに先立たれてから、お酒をあおっては、荒れることが多くなったのだという。


 そう大人達が渋い顔で話しているのを、由利絵は聞いてしまったことがある。


 まともな働きも無いのに、何度も何度も借金しては、その度に、親戚中で面倒をみているのだという事も。


 さらに、借りたお金の、ほとんど全てを、お酒やギャンブルにつぎ込んでしまって、家のことは、ぜんぶ綾に任せっきりなのだという事までわかると、もう、由利絵にとっては綾の父親は、もはや自分の叔父(おじ)と言うより、酷い大人の象徴としてしか映らなくなっていた。


 目的地のアパートが見えてくると、由利絵は口元を、固く、真一文字に引き結んだ。


 足取りを重くする思いを、頭の中で、横へと押しのける。


 綾の住んでいるアパートは、二階建てだ。もともとは白かったのであろう壁は黒ずみ、所々、茶色と黄色を混ぜたような色になっている。


 綾の部屋は二階で、由利絵は、老朽化で所々サビついた階段を、特に意識したわけでは無いが、足音を立てずに昇った。


 四つ並んでいる部屋の、一番奥の突き当たりが、綾の家だ。残り三つの内、手前の部屋以外は表札(ひょうさつ)が出ておらず、誰かが住んでいる様子も無い。


 奥にある綾の家まで足早に辿り着くと、由利絵は、少し震える指先で呼び鈴を押した。


 誰も、出てこない。


 また、呼び鈴を押す。それを何度か繰り返すと、ようやく扉が開いて、


「……なんだ」


 と、無精(ぶしょう)髭を生やした、年の頃40代後半といった、やつれた感じの不機嫌そうな男が顔を出した。


「突然お邪魔して、申し訳ありません、叔父(おじ)様」


 由利絵は、まずは丁寧にお辞儀をした。


「クラスの、連絡事項の事で(うかが)いました。綾ちゃんは、いらっしゃいますか?」


 由利絵が喋っている最中に、綾の父親が、「お前は、あっちに行ってろ」と、家の中に向かって吐き捨てた。おそらく、綾本人が、何事かと顔を出したのだろう。


 その様子に由利絵は苦笑したが、叔父が自分の方に向き直る前に、すぐに表情を元に戻す。


「連絡?そんなものは、週明けにでも、学校ですればいいだろう」


「今日、これから、少し前に怪我をして入院したクラスの子の御見舞いに行こう、という事になったんです。その子と仲良かった子、全員で。急に、本当に、急に決まった事なんです」


「……」


「綾ちゃん、その子と席が近くで、よく楽しそうにお喋りしていたから、綾ちゃんも誘おう、という事になって、私が誘いに来たんです」


「……」


「もちろん、担任の先生も付き添って下さいます。あ、先生に電話して、確認とりますか?そのほうが安心ですよね?」


 この手の親が、担任教師と良い関係を築けているわけが無い。そう見越しての、由利絵の「策」である。


「そんな事、せんでいい。わかった。おい、綾、クラス全員で御見舞いだとよ。行きたければ、行ってこい。夕飯の支度をする時間までには戻ってこいよ」


 綾が身支度を終え、部屋の奥から出てくるまで、綾の父はブツブツと、何事か不平を洩らし続けた。由利絵としては、綾を連れ出すことにまんまと(・・・・)成功した以上、あとはせいぜい、お行儀よく、愛想良くしているだけだ。


 やがて制服に着替えて、肩より少し長いくらいの髪を左右で結んだ、綾が顔を出す。慌てて準備したらしく、息が少し乱れている。


 綾は、早生まれの由利絵より何ヶ月か年上のはずだが、小柄で背が低く、年齢よりも幼く見える。実年齢より大人びて見られることの多い由利絵にとって、綾は、何もかもが対照的だ。何よりも、睫毛(まつげ)の長い、儚さを感じさせる透き通った瞳は、由利絵には、とても綺麗に見えた。


 従兄弟の莉奈子(りなこ)などは、会うたびに、これ見よがしに綺麗に着飾っている。


 だが、莉奈子のことは、あまり綺麗とも、可愛いとも感じたことは無かった。本当の美少女というのは、綾のような子のことを言うのではないかと、由利絵は思う。


「由利絵ちゃん?」


 綾の呼びかけに、由利絵はハッと我にかえると、素早く綾の手を取って、足早に歩き始めた。


「由利絵ちゃん、お見舞いって、誰の?誰が入院したの?」


「さぁ、早く。綾も急いで。みんな待ってるから」


 綾の言葉にかぶせるようにして、由利絵が少し声高に喋る。


 由利絵が、綾を呼びに来た本当の理由を話したのは、何度か道のりに角を曲がって、綾の住んでいるアパートが、視界から完全に消えてからだ。


「え⁉︎じゃあ、本家の裏の『御山(おやま)』の入り口で、みんな待ってるの?」


 綾は、文字通り目を丸くした。


「そう。これから皆で付き添って、綾の神力をチェックするから」


 由利絵と綾が言うように、多々(たたら)家の本家の裏手には、一族が所有する山がある。


 「御山(おやま)」、もしくは「聖域(せいいき)」と呼ばれるその山は、多々良家の広大な敷地の大部分を占める形で、隣り合う多々良、久遠寺(くおんじ)の両家の敷地にまたがり、仕切りのような形で鎮座している。


 御山の南側が多々良、北側が久遠寺というように、両家の敷地は、この山を挟んで、背中合わせのように広がっているのである。


 山に、決まった名前は無い。


 ただ、そこは現在(いま)から900年近く前、鎌倉(かまくら)幕府が(みなもとの)義経(よしつね)を追って東北へと攻め込んだ際、同行した渡辺党(わたなべとう)によって、殺された人鬼(じんき)の血肉がバラ撒かれた場所なのである。


 だからこの山に生えている木々は、当時の鬼の血を吸って育った、言うなれば「鬼木(きぼく)」なのだ。


 神力の一番厄介な点は、鬼にしか、その力を発揮することが出来ない、という点にある。


 それは、言い換えれば渡辺党は、鬼と対峙するまで、自らの神力がどのようなものなのか知る(すべ)を持たない、ということだ。


 その最大の問題点が、この山の中ではクリアーされるのである。


 渡辺党が(なが)きに渡って、この地に縛り付けられてしまうのは当然の成り行きだった。


「……」


「心配しなくたって、大丈夫よ。急な事だけど、実は、『渡辺党』全員の京都行きが決まったの」


「えっ‼︎じゃあ、もしかして……」


「そうね。私達に出番がまわって来たってことは、鉄壁だと思われていた見鬼(けんき)たちが、失敗したって事よね」


 綾は頷きを返したが、由利絵を見返す瞳には、はっきりとした不安が揺れている。


 ──────あ、ヤバ……


 これはマズイ、と、由利絵は思った。


 騙して連れて来た上、色々あって、ただでさえ皆の前に出て行きづらい綾を、これ以上、不安がらせてどうする。綾は、自分以外の従兄弟(いとこ)達に会うのも、ほとんど初めてのはずだ。


「だ、大丈夫よ。戦いと言ったって、実戦は、みんなが初めてなんだし。それに、私たち『渡辺党』からしたら、害虫駆除みたいなもんでしょ?」


 由利絵は饒舌(じょうぜつ)に徹する事にしたようで、他にも、今回の京都行きには朔夜(さくや)も同行してくれること、綾の、まだ誰も知らない神力の内容に、皆、ことのほか興味を抱いていること、莉奈子という底意地の悪い女がいるけど、何を言われても気にする必要は無い、ということなどを、由利絵は口にしてゆく。


 綾の顔に笑顔らしきものが射し込みはじめ、やっと由利絵は安心した。


「7人が2班に別れて行動する事になるけど、私と綾は同じ班だし、『坂学(さかがく)』への転入組に比べたら、ずっと危険は少ないよ」


 自分達の班は、綾と自分と、そして、あの十六夜(いざよい)であるという事は、あえて由利絵は口にしない。


 やがて、神力を確認するための神域である『御山』への入り口を示す、朱塗りの鳥居が見えてきた。


 朔夜が、由利絵と綾に向かって片手を上げる。


 あまり歳が違わないと思われる、男の子が2人。1人はこっちを見ないけれど、もう1人は、メガネの奥の瞳が優しそうだ。綺麗な子と、綺麗だけれど、どこか気怠(けだる)げな雰囲気の女の子が、2人で並んで立っている。


 どっちが「意地の悪い」莉奈子ちゃんだろうかと、綾は考える。綾の目には、どちらも意地悪そうには見えない。


 こうして7人は、朔夜と十六夜に先導される形で、初めて全員そろって、聖域へと足を踏み込んでいった。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ