残り香たちの明日
「俺は、お前のそういうとこ、マジで心配だよ……」
多々良朔夜は鈍痛をこらえるような顔で、眉間に深いシワを寄せた。
瘦せ型で、180センチ近い長身。
十六夜同様の艶やかな黒髪は肩くらいまであり、男性にしては、長い。それを首のところで一つに縛って、束ねている。
温顔で、やや浮世離れしているような印象のある青年だが、鼻すじの通った、なかなかの美丈夫だ。
朔夜は十六夜の四つ上で、この多々良本家の長男にあたる。
そして多々良家────というより、久遠寺も含めた「渡辺党」では、「年齢」が非常に大きな意味を持っている。
長男とはいえ、一昨年に成人を迎えたことにより「神力」を喪失した朔夜には、「渡辺党」を率いる資格、それ自体が、すでに無かった。
それでも、この多々良本家の長男は、十六夜以外のメンバー達には、随分と好かれているらしい。
十六夜を除く全員が朔夜のために場所を空け、すぐに座布団を敷き、朔夜の名を「さん」付けで呼びながら、こちらへどうぞと、腕を引っ張る。
良平などは、
「朔夜さんに神力があるうちに、人鬼の出現が起こればよかったのに」
と、わざわざ聞こえるように口にする始末で、思わず十六夜は唇を尖らせた。
「ん〜…………」
キョロキョロと、周囲を窺うような素振りを見せる朔夜に、十六夜は、イライラしながら「何か?」と応じる。
兄には、早く、ここから出て行って欲しいのだ。
外は、もう夜の帳が降りきってしまう、まさに直前である。
「鬼撃の間」の照明は、和風の天井であるにもかかわらず、洋風の意匠が施された、簡素だが、小洒落たデザインのシャンデリアだ。
年代モノで、いわゆる「和洋折衷」という日本独自の様式文化なのだが、光量そのものは余り強くなく、柔らかいオレンジ色の光は、広い部屋の四隅にボンヤリと暗がりを作っている。
「十六夜、ちゃんと招集は全員に出したのか?」
「当然でしょう?今回は、事が事ですからね。ちゃあんと、全員に出しましたとも」
「それにしては、一人、応じていない子がいるじゃん」
「え?」
「来ていないのは、多々良綾か」
朔夜の、つぶやきのような言葉に、由利絵が頷きを返す。
朔夜の両眼が細くなり、自分の妹に、針のような視線を射込んだ。
「もしかして、お前、覚えてないとか無いだろうな?」
兄の視線とぶつかると、途端に十六夜の目が泳いだ。
「はぁ、信じらんねぇ」
口に出したのは良平だけだったが、十六夜に対しては他の四人も、似たような視線を浴びせかけている。
「お前なぁ、仮にも、現在の『多々良・渡辺党』の党主なんだからさぁ」
朔夜の声は、形を変えた、深い溜息そのものだ。この妹は、常に、兄の頭痛の種のようである。
「な、何ですか⁉︎だいたい其奴、毎年の親戚の集まりにも、一度も顔を出さないような奴なんでしょ?知りませんよ、私は!」
「綾の家は、家庭事情が複雑ですから……例え、連絡漏れが無かったとしても、出てはこれなかったと思います」
朔夜は、妹のほうにではなく、自分のほうに、取りなすように言ってきた由利絵に、
「あの、オヤジさんだものなぁ……」
と、しみじみと答えた。
「あの子、自分がどんな内容の『神力』を持っているのかも、まだ知らないんじゃないかと……」
気遣わし気に言い添える由利絵の頭を優しく撫でると、朔夜はしばし考えてから、こう言った。
「よし、十六夜、お前、あの子を入れた何名かを、例の『坂ノ上学院』に転入させろ。当主権限で」
「はぁ?冗談じゃありませんよ、兄様。私としては、そんな扱いづらそうなのは要りませんね。それにもう、坂学に転校させるメンバーの人選は、済ませてありますし」
「へぇ。お前にしては、随分と行動が素早いな。で?誰を、何名くらい派遣する気なんだ?」
「莉奈子、蓮、そして良平の三人です。この三人に、近々、京都の坂ノ上学院へと赴いてもらいます」
「はぁ?聞いてねぇぞ、そんな事!」
怒声と共に、真っ先に立ち上がったのは良平だった。
蓮も、彼にしては珍しく、表情を歪ませて、何度も左右に小さく首を振っている。
冗談じゃ無いわと、こちらも勢いよく立ち上がった莉奈子は、怒りと不満で、顔いっぱいに苦虫を噛み潰している。
それを平然と跳ね返しながら、十六夜は、しれっとした顔で続ける。
「それと、言っておきますけど、まず『坂学』に着いたら、情報収集は渡辺遥では無く、坂田皐月から行って下さいね。できれば、遥には必要以上に接近はしないで。彼には、すでに久遠寺の連中が近づいているはずですから」
奴等に、こちら側の情報が漏れないよう、気を付けて。
そう言い添える十六夜に対し、地団駄を踏みかねない勢いで、良平が
「どうしてもってんなら、蓮と俺だけで充分だっての!邪魔な添え物なんて、いらねぇ!」
「ちょっと!邪魔とは何よ!誰だろうと、私に向かって、そんな口はきかせないわ!」
取っ組み合いの喧嘩に発展しかねない莉奈子と良平の間に、蓮が割って入る。
「二人とも落ち着けって!良平!これは、お前が悪いぞ!」
「だってよ、こんなイヤな女と、三人で京都行きだぞ!お前は平気なのかよ!」
良平の言い方、その言葉を聞いて、莉奈子の両手が、一瞬だけ固い握り拳をつくる。
莉奈子は口調を変えて、一歩前へと踏み込むように蓮に話しかけた。
「蓮もさぁ、いいかげん良平との関係、切った方がいいんじゃない?せっかく、女子たちの間で結構話題にのぼったりするのに、良平といるだけで台無しよ?」
莉奈子は良平の方へと向き直ると、心底バカにしきったような表情で、逆上でみるみる顔を真っ赤に染めてゆく良平を見て笑った。
「貴っ様〜、許せん!」
良平が、吠えた。
「必殺!ちゃぶ台返し!!」
その掛け声と同時に、良平の両手は、あたかも卓袱台を引っくり返す星○徹のごとく、莉奈子の制服のスカートを勢いよくめくり上げた。
「バ、バカ!」と顔を赤らめ、蓮が、目を逸らすように良平の頭を引っぱたく。
莉奈子のほうは、咄嵯のことに、まったく反応できなかった。
「な、何しちゃんずよ〜、この、ほでなす!」
(*訳 「な、何してんのよ〜、このバカ!」ですw)
思わず方言が出てしまった莉奈子が、顔を真っ赤にして座り込む。
「見たかよ、蓮!いつもお高くとまってるコイツのことだから、どんなケバイやつかと思ってたらよ、マジかよ!」
「とにかくお前、ちゃんと謝れ!」
蓮が、大はしゃぎする良平の頭を押さえ付けて、無理やり土下座させる。
立ち上がり、体を震わせながら、薄っすらと涙目で何か叫ぼうとした莉奈子だったが、視界の隅に、自分とは仲の悪い由利絵が、小さく吹き出しているのを見てしまった。
二人の視線がぶつかり合い、それに気が付いた由利絵が、失笑気味に「何アレ」とつぶやく。
莉奈子は内心で、常々、由利絵のことを
「真面目とか、成績がいいとか、取り柄になると思ってるんだから笑えちゃう」
と、意地悪く思っていたから、その分、自分の醜態を見られてしまった羞恥と腹立たしさは、誰が何と言おうと引っ込みがつくレベルでは無い。
「良〜平〜!殺す!!」
莉奈子の、あまりの剣幕の凄まじさに、とばっちりを避けようと、由利絵が部屋の隅へと避難する。
朔夜が良平と莉奈子の表情を交互に見比べ、身振りで降参の意を露わにする中、蓮が慌てて、念を押すように十六夜へと詰め寄った。
「ちょっと、十六夜さん!どうしても、この三人で行かなくちゃダメなんですか?こんなんじゃ、敵地で仲間割れ、なんて事にもなりかねないですよ?」
「いやいや、蓮くん、それがね、今回は良平がどんなに嫌がろうと、莉奈子の神力は不可欠なわけさ」
「……どういう事です?」
蓮が問い質す。
情報を小出しにしているように見える十六夜に対し、蓮の声が、猜疑心を含むのは仕方の無いことだ。
「どうも逃亡中の鬼憑きの中に、巴家の『鬼殺しの妖刀』を持ち去った奴がいるらしいんだな」
兄である朔夜を含めた全員が、一斉に十六夜のほうを向いた。
「その鬼憑きに出くわした場合、莉奈子の神力でなければ対処できないからね」
静まり返った室内。屋根を打つ雨音が、異様なほど耳に響く。
十六夜の言葉が独り言のようなトーンで朗々と流れると、良平が、いまいまし気に舌打ちを一つ打って口を開く。
「ったく、それにしたって、見鬼どもは何やってたんだかな。もうメチャクチャじゃねぇかよ」
彼にしてみれば、見鬼たちが己の本分を果たしてさえいれば、自分たち「渡辺党」の出番なんて無かったはずだという思いが強い。
「だから、出来れば莉奈子、良平、蓮の三人には────何とか、その妖刀をこっちに持ち帰ってもらいたい」
「ちょっと待て!お前、どんだけコイツらに無茶苦茶やらせる気だ!」
声を荒げて、朔夜が慌てて反対を唱える。
「やだなぁ、兄さん。渡辺党でも、とりわけ優秀な神力を持った三人ですよ?」
「黙れ!鬼憑きとの初めての戦いだってのに、巴家を出し抜けなんて、ムチャもいいところだ!」
「だって、不公平ですよ!」
十六夜が、叫ぶ。
「久遠寺には、すでに一本、『顕妙連』があるじゃないですか!アイツらなんかより、多々良のほうが、強いに決まってるのに!」
僕たち多々良家には一本も無いなんて、ズルい!と、駄々っ子のように言う。
その様子を、溜め息とともに眺めていた朔夜は、「決めた」という呟やきを小さく洩らした。
「俺もコイツらと、京都に付いてく」
「ちょっと!勝手な真似は困りますよ!兄さんは、もう『渡辺党』じゃないんですから」
「だから勝手に行動するんだろうが。俺には、お前の指図に従わねばならん謂れは無い」
「うう……京都で、何をするつもりです?」
「久遠寺の連中に、協力を呼びかけてみるつもりだ」
何をバカな!と、十六夜が失笑する。
「すでに神力の消え失せた兄さんなんて、先方が相手にもしませんよ!」
「向こうだって、初めての人鬼戦に不安も大きいはずだ。久遠寺がバカの集まりでもない限り、呼びかけには応じるはずだと俺は思うがね」
十六夜が、唇を尖らす。低い唸り声を上げる顔は、困っているようでもあり、怒っているようでもある。
「それと、ここに来ていない綾も一緒に連れて行くからな」
「ちょっと!」
十六夜の眉が、勢いよく飛び跳ねる。
「お前、さっき『いらない』って言ったろ?要らないなら、俺がもらっていく」
「それはダメ!この上、貴重な『神力持ち』まで持って行かれては、たまりませんよ!兄さんに預けたら、どんな悪だくみをされるか……」
ブツブツと不平を口にし始めた十六夜を横目に、由利絵が朔夜の袖を引っ張り、小声で囁きかける。
「綾のことは、私が引き受けます」
「頼んだよ。あの子を、あのオヤジさんから何ヶ月間だけでも引き離せれば、あのオヤジさんでも、いかに自分が娘に依存していたかを、身を持って知るだろうから」
結局、良平、蓮、莉奈子の三人を朔夜が引率するという形で、京都にある坂ノ上学院への転入手続きが、最優先でとられた。
少し遅れる形で、十六夜、由利絵、綾の三人も、京都にある渡辺の宗家へと向かう。
およそ100年ぶりの、「繁栄」を運ぶ姫を巡っての、因縁の戦いの幕開けである。




