胎動する渡辺党 ①
10月────この「神無月」とも呼ばれる月も、あと一週間もすれば今年のカレンダーから切り取られ、あとは過ぎ去った時間の抜け殻として、ひっそりと佇んでいるばかりとなる。
だが、この年の、この月は、一部の人々にとっては、およそ80数年ぶりに特別な月になってしまった。
京都で「鬼」と「人」との境界を千年の間守ってきた見鬼達が、自滅に近い形で争い合い、結果として、「鬼」による「人」への「侵入」を許してしまったのだ。
千年以上も昔、鬼退治で有名な平安時代の武人である源頼光は、渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武という四人の優秀な部下を持っていた。
彼等をして「頼光四天王」と呼称するのであるが、その内の一人、渡辺綱は四天王の筆頭武士であり、「渡辺党」と呼ばれる私兵集団を持っていた。
二十一世紀も十数年を過ぎた現在、「渡辺党」の名は、いまや、目に見える「形」としては残ってはいない。
千年の間、その内情も変質していかざるを得ず、いまは「多々良」という旧い表札を下げ、現在は東北地方の、とある山間部の小さな町に居を構えている。
この地方は10月も終わりが近くなってくると、そろそろ、短い秋を終えて冬の準備に入る。
山と山の間を吹き渡る風が凍てつくように冷たくなって、寒々とした畑や雑木林を抜け、川の水面にさざ波をつくるのだ。
この町も、この地方の一般的な例に洩れず、今朝から、白くけぶるような冷たい雨が降り続いていた。
降り始めた頃は、それこそ小さな小さな、細かい水滴が大気中に渦を巻くような霧雨だった。
それが夕方になると、急に雨足を早め、たちまちの内に、緩急をともなった大雨になっていったのだ。
降りしきる雨の中、町外れの一画に建つ「多々良家」に、この日の夕方、何人目かにあたる客が、重厚な門戸をまたいで、敷地の内側へと吸い込まれていった。
豪壮を形にした様な木造の佇まいは、この地方の豪雪の重みに耐えるため、特に瓦屋根がどっしりと大きい。
まるで、神社仏閣のような趣きがある。
その、お屋敷の一室では、今、五人の男女が集まって、何事か話し合っている最中だった。
そこは「鬼撃の間」と呼ばれる、およそ二十畳ほどの一室である。
五人は高校の、それも同じ制服を着ていることから、皆、同じ学校の生徒であるとわかる。
全員、同じ「多々良」の姓を持つ、いわば血縁者同士だ。
まず口を開いたのは、制服の上に、鬼の刺繍の入った黒地の羽織りをはおった、少し気だるげな雰囲気を持つ女の子だった。
「さて、まずは生憎の天気だというのに、私の招集に応じてくれて、感謝するよ」
一同を見回すようにしながら満足気に口を開いたのは、ここに集まった五人のリーダー格となる、多々良十六夜であった。
「多々良」の本家の、一人娘である。
長い髪、黒い瞳の、人目を引く「キレイ」な外見の女子高生だが、サラサラの黒い髪は、どう見ても「伸ばし放題」といった印象を拭えず、唯一、手を入れているらしい箇所といえば、眉の高さで切りそろえられた前髪のみ、といった様子である。
そして、何より印象深く人目を引くのは、その前髪の下の瞳だった。
何処となく虚ろで、生気に乏しい「穴」のような印象があるのだ。
もっとも、今は大抵の人が、彼女がはおっている、羽織りの背中に大きく刺繍されている「鬼」の姿のほうに気付いてしまえば、そちらに目が行ってしまうだろう。
白髪に、ツノの生えた老婆の姿をした鬼が、斬り落とされたらしい自らの片腕を持って、恐ろしげな形相で逃走している。
これは、いわゆる「羅生門の鬼」こと、茨木童子の姿である。
渡辺家の開祖である渡辺綱は、この鬼を退治するまでに、数回、場所や状況を変えて、相まみえている。
茨木童子は、いわば渡辺家と渡辺党に仇なす、代表的な鬼なのだ。
「そんな挨拶は、どうでもいいって」
放り投げるように口を開いたのは、ここに集まっている五人の「渡辺党」の一人、多々良良平である。
年齢は17歳。
ハリガネのように硬そうな髪は短髪で、見た目通り、針金のように立てている。
いまだ反抗期を続けているような仏頂面は、特に、ここに居るからではない。普段からそうなのだと、ここにいる全員が知っている。
童顔で、身長も高校生の平均より低いため、中学生に間違われることも多い。それが一層、彼の日々の不満を増長させていったとしか思えない顔付きで、良平は面白くもなさそうに一同の顔を見回し、口を開いた。
「それより俺らを呼びつけた理由、さっさと話せよ。この前みたいに全員で人生ゲームとかだったら、すぐ帰っかんな」
「あのゲーム、いまだに新バージョンが発売され続けているって、知ってました?歴史あるよね〜」
「そんなこと訊いてんじゃねぇよ!」
「人生ゲームの件は、言うなれば懇親会ですよ、懇親会」
やだなぁ、と言って、十六夜は苦笑気味に笑った。
「はぁ?」
「だってボク、キミ達とはイトコ同士なのに、あんまり仲良くないから」
「お前が『協調性』って言葉を知ってりゃ、も少し違ってたと思うぜ?」
良平の言葉に、他の三人も小さく頷く。
実際に十六夜は幼い頃から気分屋で、一緒に遊んでいる時でも、いつの間にか、一人で勝手に帰っているというのはしょっちゅうだった。
他にも、普通に約束はスッポかすは、親戚同士の集まりにはほとんど顔を出さないわで、一緒に行動している者は、その身勝手さに、必ず振り回されることになるのである。
そんな自由奔放を絵に描いたような娘が、兄である多々良朔夜が成人すると同時に、渡辺党の末裔である多々良家の「鬼憑き狩り」代表となったのだ。
渡辺党が、実際に「鬼憑き狩り」として振る舞えるのは、実のところ、子供の時だけに限られている。
なぜなら、渡辺党が鬼と戦うために振るう「神力」は、昔から成人すると無くなってしまうからだ。
そもそも「神力」という力は、言ってしまえば一種の超能力であり、個人によって、どんな形で発揮されるのかは分からない力である。
それを、渡辺党内では、鬼と戦うため、子供の間だけ「神様」から借りている「力」という認識で、いつしか、これを「神力」と呼ぶようになったのだ。
そして神力には、もう一つだけ特筆すべき点がある。
それは、鬼を相手にしている時以外、まったく発揮されないということだ。
まさしく、他の用途における使用はいっさい許されない、というよりは、やろうとしても出来ない、鬼と戦うためだけの力なのだ。
とにかく、この多々良一族の本家の娘十六夜が実質的な「渡辺党」の代表となった事で、他の渡辺党メンバーは、事あるごとに招集をかけて自分達を集める十六夜に対して、「いいかげんにしろ」という不満を、もはや、それぞれが、それぞれの態度に表して隠そうともしていない。
五人の内の一人である多々良莉奈子は、不機嫌そうに真一文字に口を結んで、視線を窓の外へと向けている。
そこからは秋雨に濡れた日本庭園がよく見え、その先には、多々良家の母屋である、古くて大きな二階屋が見える。
莉奈子は外を眺めながら、それが半ば癖ででもあるかのように、ヘアアイロンでキレイにカールした長い髪を、左手の指で所在無げに弄んでは、つまらなそうに小さな溜め息をついている。
つり目がちの瞳が、勝ち気で気紛れな印象を与えるが、整った顔立ちと、高校生離れしたスタイルの良さが某有名モデル事務所のスカウトの目に止まって、最近、ティーンズ向けのファッション雑誌などで、見かけるようになっていた。
「あくまでも、『よそ行きの顔』がね」
と、辛辣に評したのは、莉奈子と最も距離を取るように座っている、多々良由利絵だ。
いつだったか、メガネの奥の一重まぶたを莉奈子にからかわれて以来、もともと良くはなかった二人の仲は、普通に悪い。
それでも由利絵は、あえて前髪を伸ばして目元を隠そうとはせずに、むしろ、前髪を分けて自分の額を露出している。
彼女は彼女で、負けず嫌いな性格なのだ。
口数が少なく、物腰も落ち着いている由利絵は、一六歳という実年齢よりも大人びて見える。
マジメ、カタブツとクラス内でも揶揄されることの多い由利絵は万事が「校則通り」で、例えば制服の襟元にかからない程度の頭髪の長さを冗談まじりにからかわれても、
「だって私は、ちゃんとしていることを取り柄にするしか無いんだもの」
と、心の中で言い返しているのだった。
良平の隣りに座っている多々良蓮は、現在、童子切安綱の所有者である見鬼、渡辺遥と、祖母が同じである。
祖母が同じということは、蓮の両親のどちらかが、遥の両親のどちらかと、兄弟姉妹の関係にある、ということで、言ってみれば蓮は、渡辺党で最も見鬼の家系の血が、濃いのである。
蓮は渡辺家の実質的な当代である渡辺洸よりも遥に年齢が近いぶん、その容貌は、洸以上に、遥に似ている。
蓮は、遥のように中性的で華奢な容姿の持ち主だが、見鬼ではないから、そこには遥や洸のように、誰かれ構わず人を魅了していくような「先天的な誘惑者」とも言うべき蠱惑的な魅力は備わってはいない。
が、長い髪を大胆にカットした、ボーイッシュな少女のごとき容姿は充分に人目を惹いたし、加えて、メガネをかけた知的な雰囲気は、同学年の女子のみならず、上級生や下級生にも人気がある。
彼等は「渡辺党」として、西暦1934年以降、初めての「敵」との戦いに挑もうとしているのだった。
 




