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東の果てのマビノギオン  作者: 秋月つかさ
21/60

蠱惑(こわく)

「おい!」

 

 風船男の怒鳴り声が、割って入ってきた。


「お前ら、呑気(のんき)に話し込んでんじゃねえ!」


「なによ、まだいたの?」

 

 皐月は、ありったけの嫌悪感を声に込めた。

 

 大男のほうも、それを感じ取れないほど鈍感ではない。「何ィ?」と、怒気をそのまま声にした。


「怪我しないうちに、とっとと消えてよ。私は季武(すえたけ)さんみたいに、人間出来てないんだから」

 

 腰に手を当て、自分のことを仰ぎ見るようにしながら言い放つ皐月のことを、大男は品定めするかのような視線で睨みつけた。


「────ほう。確かに、そこの腰抜け野郎とは違うようだなぁ……さすが、金太郎の子孫は勇ましいぜ」

 

 次の瞬間、風船男は、「はぐっ」と低く呻きながら、その場にズルズルとうずくまった。電光石火の素早さで、骨喰(ほねばみ)眞守(さねもり)()が、男の鳩尾(みぞおち)に食い込んだのだ。


「あ、ゴメン。手が滑っちゃった」

 

 それを見た季武が、「あーあ、先に手を出しちゃいましたよ」と、心の中で天を仰ぐ。


「コレ、ちょっと(あず)かってて」

 

 皐月は、骨喰眞守を季武に手渡した。


「武器は、使っちゃまずいでしょ?」

 

 と、顔をほころばせながら言う。

 

 ────もう、それ使って一撃喰らわせちゃってますけどね

 

 季武はそう思ったが、思うだけに留めた。


「こうなったら止めませんけど、油断しないで下さいよ?」


「何でよ?あんなの、単なる(ふと)ったオジさんでしょ?」


「奴は、『()』と呼ばれる術の使い手です。その成り立ちは、我々の家よりも(ふる)いんです。虫を仲立ちとして、一種の異能を振るいます。注意すべきは、奴がカエルと結縁(けちえん)を結んでるってことです。多分、半分くらい人間捨てちゃってると思いますので、そこのところは本当に要注意ですよ?」


「カエル?何それ?カエル男ってこと?笑っちゃうわね」

 

 腹を押さえつつ起き上がってくるカエル男を視界にとどめながら、皐月は口調とは裏腹に、慎重にカエル男との距離をとった。


「季武さん、少し離れててよ」


「言われなくとも……」

 

 季武の声も、表情も、警戒をはらんだ緊張感に(こわ)ばっている。


 起き上がったカエル男は、見た目、平静そのもののように見えた。だが、いまや全身、怒気の塊と化していることは間違いない。

 

 一瞬で、カエル男は皐月との距離を詰めた。枝から落ちる、一枚の木の葉が地面に落ち切る前に、カエル男は、皐月の視界一杯を占めていた。

 

 ギュンと大気が唸りを生じて、カエル男から強烈な回し蹴りが繰り出される。

 

 反射的に身を沈めて、皐月はこれに空を切らせた。相手がカエル男と知って、最初から人間離れした瞬発力を警戒していたのだ。

 

 皐月は()かさず、今、まさに相手の全体重を支えているはずの、片方の脚を思い切り蹴り払った。

 

 カエル男を転倒させて、今度は相手に立ち上がらせる時間を与えず、そのボテ腹を一蹴りして終わり────

 

 そう考えての、最初の一撃である。

 

 案の定、吹き損ねのトランペットのような声を発して、カエル男は地べたに転倒した。

 

 よし、狙い通り────

 

 皐月は、この後、自分の知らないところで見合いなんか段取りしていた父に、どう文句を言ってやろうかと考えながら、トドメとなる一撃を放った。

 

 ズブリ、という音がした。

 

 蹴りを放った皐月の脚に、手応えは(ほとん)ど無かった。

 

 自分自身の戸惑いを表に出さないよう、皐月は意識的に、表情を硬くした。それとは対照的に、カエル男は歯を剥き、表情だけで笑う。

 

 皐月の白い足首が、カエル男の、グローブのような手に(つか)まれた。


 白足袋(しろたび)に塗り下駄の片足を掴んだまま、カエル男が立ち上がる。


「あっ」

 

 皐月が、尻餅をついた。

 

 カエル男は、さらにその手を高々と(かか)げ上げ、皐月を宙吊りにする。振袖の(すそ)がめくれ、白い脚と、そして太股(ふともも)、さらには、その下の下着までが(あら)わになる。


「やだ、ちょっと、やめてよ!」


「ふん、捕まえちまえば、こっちのもんだぜ」

 

 カエル男は、勝ち誇ったように言った。そして値踏みするような声で、「おやぁ?」とつづける。

 

 皐月が、慌てて振袖の裾を両手で手繰(たぐ)り寄せた。


「何だぁ?お前、勇ましいわりには、随分と可愛らしい趣味してんじゃねぇか」

 

 カエル男は、特徴的な「キシシ」という笑い声を、再び上げた。


 皐月が、くやしそうに唇を噛みしめる。


 戦いの様子を静観していた季武が、「骨喰(ほねばみ)眞守(さねもり)」の封を解こうと、大薙刀(おおなぎなた)をくるんでいる、色褪(いろあ)せた布の組紐に手をかけた。

 

 その時────

 

 人気(ひとけ)の無い、広すぎる庭に、いやにハッキリと、「バキッ」という鈍い音が響き渡った。


「お?」

 

 カエル男が、くらり(・・・)とよろける。

 

 カエル男のこめかみ(・・・・)には、白い足袋(たび)に包まれた、細くて白い脚────ではなくて、筋肉が隆々(りゅうりゅう)と盛り上がった、白いが、逞しい足が「蹴り」の形でめり込んでいた。

 

 カエル男は、今、自分に何が起きているのか理解できない、という声で、もう一度「お?」と言った。

 

 バキッという音が、もう一度。

 

 さらに、もう一度。

 

 剛力を誇る坂田(さかた)家特有と言われる「剛化(ごうか)現象」を起こした皐月の蹴りは、喰らうと、流石に効くらしい。その上、頭部というのは他の部位と比べて、柔らかくは出来ないものだ。

 

 四度目を喰らった時点で、カエル男は大きくよろけた。つかんでいた皐月の脚を離し、今度は、自分が派手に尻餅をつく。


「思ったとおりだわ……」

 

 上から振り下ろされるような声に、カエル男は動転しきったように皐月の姿を見上げた。頭がクラクラして、すぐには立ち上がれない。うまく足に力が入らず、いったんは腰を浮かしかけるものの、また、すぐに尻餅をついてしまう。


「頭だけは、柔らかくすることが出来ないのね」

 

 そう言う皐月の姿は、隆々とした筋肉に(よろ)われて、体全体が二周(ふたまわ)りほども大きくなっていた。肩幅も広がり、着ているものは、完全に着崩れしてしまっている。


「おい、ちょっと待てって……マジかよ?」


「ダメよ────こうなると、もう止まらないの」

 

 何やら興奮した様子の皐月に、カエル男は初めて焦りの表情を見せていた。

 

 人体の中で、唯一やわらかくできない部分、それは骨であり、皐月が口にしたように、頭蓋骨(ずがいこつ)に覆われた頭部である。その後頭部を、皐月はサッカーボールでも蹴るかのように、思いきり蹴り飛ばした。

 

 衝撃と共に、カエル男の巨体は10メートル近くを吹っ飛んでいった。そしてその先にある、大きな庭石に頭から突っ込んでしまう。


 轟音と、地響きと、そして砕かれた石塊の破片が、濛々(もうもう)たる埃のなかをパラパラと落下する。


「それにしても、ずいぶん派手にやらかしましたね」

 

 季武が、肩で息をしながらへたり込んで(・・・・・・)いる皐月のそばに膝をついた。


「まぁ、あれでも死んではいないと思いますが……」

 

 そう言いながら、皐月の着崩れした着物を、さり気なく直してやる。皐月の体型は、すっかり元に戻っていた。


「しかしこれでは、さすがに人が集まってくるでしょうね。早いとこ、この場を立ち去りますか」


「うん────」

 

 か細い声。

 

 皐月はカエル男を蹴り飛ばしてからというもの、地面にへたり込んでしまって、動こうとしない。


「大丈夫ですか?────立てます?」


「大丈夫……大丈夫、だけど…」


「坂田家の剛化現象、初めて見ましたけど、リスクも大きいようですね」

 

 皐月に肩を貸しながら、季武はゆっくりと立ち上がった。

 

 源家の使用人たちが、庭の異変に気が付いたらしい。少し離れた母屋(おもや)のほうから、口々に何かを叫びながら、こちらのほうを指差しているのが見える。

 

 二人が(きびす)を返しかけると、少し前まで「庭石」だった瓦礫の山で、爆発らしき(・・・・・)ものが起こった。


 カエル男が跳ね起きたのだ。


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