理想
「……今までのオレは傍観者だったかもしれません……」
ぽこり、ぽこりと、なにもない空中から水の固まりが続々と現れる。その数はハーミが目視できるだけでも百を越えていた。
「けど、ここからはそうじゃないですよ!」
水球が縦横無尽に駆け巡る。防人全員が捕まるのは時間の問題だ。
「くっ、この状況、どうします? ハーミ様」
ダツラが苦しげに問いかける。
「一時的にパージャの規模を縮小しましょう。まじないを扱う人員を全てこちらに割いて、事態の沈静化にあたりましょう」
「それでは水精域の非戦闘員が危険ではないですか!」
「ザザはこちらを殺す気ではありません。隙をつけば時間はかからないでしょう」
初老の男性はハーミの返答に深く息を吐いた。
「俺が時間を稼ぎます。ダツラさんは号令を……ダツラさん?」
「ディーチ様の息子だと思って肩入れしていたが、とんだボンクラだったな」
「なっ?!」
ダツラはハーミの後ろ手を拘束し、首もとに短刀を突きつけた。
「ザザムシ! 捕らえた防人を開放しろ! さもなくば貴様の恩人の命はないぞ!」
「ダツラさん?! いったい何を……」
「スニタさん、若い貴方は知らないでしょうね。こいつは、あの危険人物を生かせと言った張本人ですよ。ディーチ様を含め、草分けとして活躍された防人の多数を殺した女の赤子の命を見逃せと。赤子は水精の力を引き出す鍵になるだろうからと──こうして失敗しましたがね」
スニタの美しい瞳に、軽蔑の色が宿るのが見てとれた。
「亡き父母の意思を継ぎ、水精域の民の守りを固めるどころか、全てがおじゃんになりそうだ。責任は取るんですよね、ハーミ様」
ハーミはぐったりと項垂れ、抵抗をしなかった。
ミトラはゆるゆると水球達を地面に降ろす。パチンッ、パチンッと水球が弾け、防人達が開放された。
痩せこけた手足のミトラは、鍛え上げられた数十人の防人に取り囲まれる形となってしまった。
「動かないでもらおうか、ザザムシ? 貴様のせいで死人が出るぞ?」
ミトラは身動ぎもせず、まっすぐに見つめる。
「ダツラ、彼は仲間ではありませんか。ハーミは公私共に水精域の守護に努めました。なぜないがしろにするのです?」
「寝たきりだった癖に気色悪い小僧め! 大きな理想を語る者は、責任を取らなければならない、それが水精域の不文律だ」
「それでは仲間割れが起きてしまいます。その亀裂が重なれば、いかに堅固に外壁を固めたところで、内側から瓦解するでしょう」
「……貴様には関係のないことだ。今ここで死ぬんだからな!!」
防人達がミトラに飛びかかろうとした瞬間、夕日が夜闇に変化した。
「私は貴方を助けに来ました、約束を果すためにです」
ミトラはにこりと笑った。
「待っていましたよ、ディーアン」




