1 悪夢の中へ
不可思議な「戦争」が始まり、僕たちの高校生活はほんの少し、だけど大きく変わった。
いつものように登校し、いつものように授業を受ける。クラスの友達と休憩時間に雑談し、笑い合い、時に喧嘩し、誰かを好きになったりフラれたり……それは以前と何ら変わらない。
変わったのは、教室の机に添えられる花が絶えないこと。そして「居眠り」の扱いだ。
以前は授業中に居眠りをしても先生に怒られる程度だったが、「戦争」が始まった今は違う。命に関わる重大事だった。
† † †
「先生、強い眠気が……」
午後、本日最後の6時間目の授業中。僕の右隣の席の相葉さんが手を上げ、震える声で言った。
相葉さんは、真面目で勉強熱心。優しい性格でクラスの皆から慕われていた。僕と相葉さんは、小中高と同じ学校だ。同じクラスになったのは小学校以来だけど。
僕をはじめ、周りの皆が一斉に相葉さんを見た。皆、真剣そのものの表情だ。中には泣き出しそうになる女子生徒もいる。
先生が板書の手を止め、相葉さんの席へ駆け寄った。相葉さんは、眠気でフラフラしている。
先生が緊張した様子で言った。
「『ナイトメア』の攻撃か……このクラスの登録者で助けに入れる者はいるか?!」
登録者とは、明晰夢、すなわち「自分が夢の中にいると自覚できる夢」を見ることが出来る者のうち、特に想像力が豊かで、夢をコントロールすることが可能な者だ。
知らない間に「戦争」が始まっていたことに人類が気づいてもうすぐ1年。これらの者は国に登録されるようになり、任意ではあるが、「戦争」への参加を求められていた。
このクラスの登録者は、僕と山田タケトの2人だけ。
僕は深呼吸をして手を上げた。後ろの席のタケトも手を上げたようだ。
「分かった。山田、それに結城、相葉を頼む。皆、生きて帰ってこいよ……」
先生が沈痛な面持ちで言った。僕は静かに頷くと、右隣の席の相葉さんを見た。
相葉さんが、眠気と戦いながら涙目で僕に言った。
「結城君、ゴメンね……」
「気にしないで、相葉さん。僕もタケトも頑張るから」
僕は、相葉さんに優しくそう言うと、後ろの席から歩いてきたタケトに顔を向けた。
タケトは空手部でスポーツ万能。長身で陽キャのイケメンだ。帰宅部で背が低く、陰キャで顔も良くない僕とは真逆という感じ。
謎の存在「ナイトメア」に対する「夢の中での防衛戦争」が始まるまで、僕とタケトは単なるクラスメイト。ほとんど接点はなかった。だけど、今は文字どおり「戦友」だ。
そんなタケトが、笑顔で相葉さんに言った。
「結城の言うとおりだ。相葉、安心して寝ていいぞ」
「タケト君、ありがとう……」
相葉さんが、眠気で今にも閉じそうな目をこすりながら言った。
相葉さんの前の席の女子生徒が席を譲ってくれた。その席を、タケトが相葉さんの席に向かい合う形に移動させ、座った。
僕は自席を相葉さんの席に横付けして座った。
タケトが特殊な睡眠薬を口に含むと、向かいに座る相葉さんに言った。
「手を握るぞ」
「うん……」
タケトが右手で向かい合う相葉さんの左手を握った。相葉さんは、限界が来たようで、右腕を枕にして机に伏せた。小さく寝息を立て始める。
僕は、急いでタケトと同じ薬を飲むと、タケトが握る相葉さんの左手に、僕の右手を乗せた。相葉さんの体温を感じ、少しドキッとしてしまう。
僕は、眠気を感じた。薬が効いてきたようだ。
先生やクラスの皆が見守る中、僕は、相葉さんの左手に僕の右手を乗せたまま、左腕を枕にして目を閉じた。
ナイトメアとの戦いは、攻撃を受けている者の夢の中で行われる。夢の中で死ぬと、現実でも命を落とす。
この「戦争」が始まるまで感じたことのなかった、「睡眠」への恐怖。容易に現実となり得る「死」への恐怖。それを、相葉さんを助けたいという気持ちと特殊な睡眠薬の効果が打ち消していく。
僕は、眠りについた。
† † †
僕が目を覚ますと、いつの間にか夕方になっていた。夕日の照らす教室には、誰もいない。皆、もう帰ってしまったのだろうか。
僕は席から立ち上がり、背伸びをした。その時、ほんの微かな違和感に気づいた僕は、両腕をブンブンと振り回した。
腕を振り回すときに感じる空気の揺れ、制服の擦れる音……どれもが現実よりも不明瞭。僕は、これが夢だと気づいた。
その時、教室のドアが開いた。廊下からタケトが顔を出す。
「結城、どうだ? 意識保てたか?」
「うん。お待たせ。これが夢だって今気づいたよ」
「はは、結城は明晰夢になるまで少し時間がかかるからな。よし、じゃあ相葉を探そう」
「了解」
僕とタケトは、夢の中の相葉さんを探し始めた。