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ニュクスの海に溺れて  作者: なつ
第二章 ユウキ
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6

 体が震えている。

 わたしは自分の部屋のベッドで小さくなっていた。日比野はもうあのメモを読んだだろう。人には知られたくない部分でもある。けれど、ユイは日比野を信頼しているようだ。だったら、わたしも信頼しなければならない。きっと、わたしたちの始まりを伝えるということは、自身の嗜好を正直に晒すとうことだ。それだけ日比野の心証があがる。それが、捜査本部にも、もっと多くの人にも知られるかもしれない。恐ろしいことだ。

 だから、せめてもと思い、ERTYUIというローマ字を残した。何の意味もない文章だ。その意味に日比野もすぐに気がつくだろう。

 深夜になるころ、ようやくわたしは落ち着いた。

 わたしはパソコンを立ち上げた。膝の上で震える振動が気持ちいい。そして広がる薄い青。フォーゲット・ミー・ノット。どこの話か忘れたけれど、悲しい物語だ。愛する人のために、命を捧げる騎士。否、騎士ではなかったかもしれない。ただ、一輪の花を捧げる物語。あまりにも安い代償だ。彼は必死に手を伸ばし、花を渡した。彼は落ちる。彼は最後に言葉を残した。

「フォーゲット・ミー・ノット」

 薄青い花。わたしの好きな色だ。

 スーサイダー・バーサス、ニュクスの掲示板に入る。

「ごめんね、Yu-ki。もしかしたら、わたしはもう帰らないかもしれない。どちらかというと止める立場だったのにね、これが運命かしら<ERT」

「ERTさん、先に行ってしまわれるのですか。それならばお供をと手を上げたいところですが<Masaki」

「Masakiさんはそのつもりないでしょうが。冷やかしはダメだよ。ERTさん、何かあったのですか?<Aio」

「さよーならー<unknown」

「ダメだよ。ERTさん。もしも、あれが原因なんだとしても、ERTさんが気に病むようなことじゃないでしょう。どうか考え直して<Tsutsuji」

「そうだな。考えなおして欲しいよ<Masaki」

 キーボードを打つ。

「確認しました。謝られて、ボクにどうしろっていうの? 全然分からないよ。でも、ERTさん、ボクはボクなりに真実を見つけてみせるよ。ボクはERTさんを愛しているから。どうか、ボクを忘れないで」

 掲示板に書き込む。

 最初のERTの書き込みは朝四時三十二分だ。まだ岬と飲んでいた頃だろうか。その間に、ユイは自分なりの回答をもう見つけていたということだろう。けれど、分からない。それを直接日比野に知らせようとしないのは、どうしてなのだろう。

 このまま何もしなければ、警察は佐々木殺しの犯人をユイと断定してしまうかもしれない。それは許せないことなのに。どうしてユイはその人をかばっているのだろう。分からない。ボクを忘れないで欲しいのに。

 軽いポップ音とともに、下から文章が飛び出した。メールが届いたようだ。タイミングがよすぎる。立ち上げると、やはりTsutsujiからのメールだった。

「件名:繋がるかな。本文:今書き込んだよね。まだ繋がってる? とにかく送るよ。佐々木さんと一緒に来た女性は前田柚衣さん。まだ新入社員のようだけど、おそらくERTさんのことだろう。違う? 前田さんは、まさか自殺をしていないよね。今朝の書き込みが気になるよ。きっと彼女は将来N社を背負うほどの人物になりそうだというのに。それに、佐々木殺しの容疑者も前田さんなのだね。総合するとそういうことになるだろう。たいしたことはできないかもしれないが、機会があればSの本部まで来てもらって構わない。わたしは辻という。正直言うと、あの場にいた。そうだな。研修内容の確認とでも言ってもらえば、すぐに出ていく」

 先日の文章とは大違いだ。おそらく、こちらが人の顔なのだろう。感謝を表し、時間を作って伺うという内容のメールを返信した。

 その間にもう一件メールが届いていた。それを開く。

「件名:ERTYUI。本文:どうも結城静江さん。日比野でございます。こちらは残業につぐ残業でぐったりですよ。ちょっと息抜きに、あのメモにありましたこちらのページに足を運んだわけです。なるほど、キーボードを打ってみればERTの意味はすぐに分かりましたよ。まあ、別に意味はないようですが。前田さんのハンドルネームですね」

 自然とため息が出る。

「ええ、あなたが直接お話したくない理由はよく分かります。あちらの文章は保存させていただき、提出することになります。それに、以前にも伝えましたが、わたしは佐々木殺しの犯人は別にいると考えております。その可能性は日に日に上がっていく一方なのですが、まだ確信にいたるに足りていません。どこかで何かを見落としているようなのです。もしも、わたしを信じてくれるのでしたら、あなた知りえている情報をすべて教えていただきたいのです。前田さんは、どうも、わたしを信じてくれているのか分かりかねましてね。このまま返信していただけましたら、わたし個人のパソコンにアクセスできます」

 返事を書く。

「件名。Re:ERTYUI。本文:あなたでしたら、すぐに件名の意味にたどり着いてくれるだろうと思って、余分にあの文を残したのです。時間が問題だという認識をわたしも持っています。交換条件です。他の容疑者を教えてください」

 指が震える。しばらく待っていると、メールが返ってきた。

「件名:本文:容疑者という表現ははばかられる。本部はまだ広く捜査している現状だ。わたしの率直な意見を言わせてもらえましたら、これは以前お話したと思いますが、佐々木の恋人が犯人ではないか、と。そのため、前田柚衣さんは、その最たる候補というわけです。佐々木の死体に抱きついていましたからね。ですが、わたしには疑っている。もし彼女が犯人であれば、その行為は殺人を犯したその日に行われなければならない。そのことを私は確信していますから。そこで名前が挙がってくるのが、事件の当日に一緒に飲んでいた二人だ。一人は御前岳涼子。前田柚衣の先輩に当たるN社の社員。よく佐々木氏とけんかをしていたようだが、けんかするほど、とも言います。もう一人が直属の部下に当たる広田葵。彼女はよく二人でバーにいるところが目撃されている。年齢的にも佐々木氏に一番近い。あと、容疑者ではないが、警察が特に動向を確認しているのはS社のメンバーだ。佐々木がプレゼンをしたときに同席したもの。井崎勝久、S社の取締役。辻直秀、S社広報部長。神崎充、S社広報副部長。今のところ以上だ。詳しい情報はまた。明日も早い」

 プリントアウトする。さらにもう一件メールが届いている。辻からだ。日比野のメールによるとS社の広報部長ということだ。

「件名:待っているよ。本文:人材派遣といっても、派遣する側は本部にいるからね、いつでも構わない」

 わたしはパソコンを落とした。


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