第9話 Reality of monochrome
「わぁ…!凄いっ、キレイ…!」
観覧車から見える景色。陽も落ちかけ、街灯や建造物にも明かりがともされる。遊園地にもライトアップされたアトラクションの光が煌めき、下界はキラキラと輝く宝石箱のようであった。美しい光景に鳴鳥は釘づけになっているが、同じく景色を見ていたアリーチェは溜め息をついた。
「あぁ…この景色もジルと見たかったんだけどなぁ…」
アリーチェの愚痴に鳴鳥は苦笑いを浮かべる。けれどもこの美しい景色を好きな人と一緒に眺めたいという気持ちには同感であった。そこで鳴鳥は想い人である、久城を思い浮かべて頷いた。王子様オーラを出している彼ならばこの光景にぴったりであるだろう。一方、アリーチェの想い人であるジルベルトを思い浮かべてみた。無精髭にぼさっとした髪型の中年、かったるそうな態度。彼ではあり得ないと鳴鳥は首を横に振る。そこで彼女はひとつ興味が湧いた。なぜアリーチェはジルベルトを好いているのかと。
「アリーチェさんはジルベルトさんの何処が好きなんですか?」
「全部よ!」
「全部…ですか?!」
堂々と言い放ったアリーチェ。彼女の言葉に鳴鳥は驚きを隠せなかった。ハッキリと言うと鳴鳥はジルベルトに良い印象を持っていない。彼女は彼に助けて貰い、母星に帰る手助けもしてくれている。しかし気にしている身体的特徴を何度も小馬鹿にしたり、約束を破った事に対して独房に投獄するなど扱いが荒い。自業自得な部分もあるが、どうにも性格的にそりが合わないようだ。その上、ジルベルトは金に関する執着心が他の者より強い。これらの事柄から、鳴鳥はジルベルトの良さがさっぱり分からなかった。
「アナタ、ジルの良さが分からないの?」
「ええ、まぁ…はい」
「勿体ないわねぇ~。あんなに良い男なのに」
「良い所…。一つ挙げるとしたらどんな所が良いんですか?」
「そうねぇ…顔が良くて身長が高い所は当たり前だし、たまに見せる優しい所かなぁ~」
「はぁ…」
「あの強さも惹かれる所だし~」
「強さ…」
「ぶっきらぼうな所も良いわ!なんか構いたくなっちゃうの」
「へぇ…」
恍惚の表情を浮かべ、ジルベルトの良い所を挙げていくアリーチェ。彼女はその想いが鳴鳥に通じていないと感じ、頬を膨らませる。気の無い返事を返す鳴鳥に対し、ならばアナタはどうなのと指摘した。
「アナタまだ恋とかした事無いんでしょ」
「え?!いや…そんな事は」
「誰か好きな人が居るの?まさかあの犬っころ?!それともオカマじゃないでしょうね!?」
「い、いいえ、コンラードさんやマリアンさんではありません。私の好きな人は―――」
言いかけていた鳴鳥は下を向いて膝の上に置かれた拳をきゅっと握り締めた。その様子に聞いてはならない事を訊ねてしまったと察したアリーチェは口をつぐんで追及を止めた。自分が原因で暗い空気になってしまった事に気がついた鳴鳥は、顔を上げて取り繕うような笑みを浮かべて返答の続きを口にする。
「―――あ、すみません。その、私の好きな人は王子様みたいな人で、優しくて、悪を許さないカッコ良い人なんです」
「ふーん、そうなの」
アリーチェは鳴鳥の想いを寄せる人に対して疑わしげだ。彼女があれこれ詮索してきた筈だが、その答えで自分の想い人の方が素敵な男性であるだろうと自信があるようだ。鳴鳥は久城の良さをアリーチェに理解して貰えなかったのが腑に落ちないのか、続けて彼の良い所を挙げていこうとする。しかしきっぱりとアリーチェはジルベルトの方が良い男だと言い張り、久城の事を見下す。
「優しいってどうなのかしら?優しく接するばかりじゃ相手の為にならないんじゃないの?」
「む。久城センパイは優しいばっかりの人ではありません。それに、ちゃんと忠告もしてくれますし」
「正義漢ってのもどうなの?善悪なんて立ち位置によって変わるモノだわ」
「久城センパイは検察官になろうとしている方です。そんな人が間違っているなんて事はないと思います」
「あと王子様って言うのがね~。歯の浮くようなセリフでも吐くの?」
「で、でもジルベルトさんみたいに人の気にしている事とかを小馬鹿にするのってどうなんですか?」
互いに自分の想い人の良い所や、相手の想い人の悪い所を言い合っていた二人だが、ムキになりヒートアップする。それは観覧車が一回りを終えて地上に着くまで続いた。
「まぁそんな完璧な人が居るのなら一目見てみたいわね」
「本当に居るんですよ!」
結局、恋の話はアリーチェが久城の存在そのものを疑わしく思った所で終わった。観覧車に乗る前はさほど険悪でなかった鳴鳥とアリーチェ、コンラードとマリアンは彼らが降りて来るのを待っていた彼女らの空気が悪くなっていた事に首を傾げた。
第9話 Reality of monochrome
観覧車から降りてきて機嫌を悪くしていたアリーチェだったが、マリアンからジルベルトが迎えに来ていると聞いた途端、上機嫌になった。
「わざわざ迎えに来てくれるなんて~。やっぱりジルは私の事が大事なのね…!!」
能天気にはしゃぐアリーチェに、鳴鳥は久城の事を理解して貰えなかった事がどうでもよくなり苦笑した。と、そこで一つ気になる事が出来た鳴鳥は隣を歩くコンラードに問いかけた。
「あの、今日のジルベルトさんはなんだかいつもと違いませんか?遊園地に迎えにだなんて…」
「え!?いや~…。ま、まぁこんな事もたまにはあるんじゃないっスか?」
「そうですか…」
「そ、それよりも今日は楽しかったっスね。また今度(二人きりで)来られたらな~なんて」
コンラードは目線を逸らして誤魔化し笑いを浮かべながら話題を変えた。彼の挙動不審な姿にも疑問を感じるが、追及しようとした所でその機会は失われた。それは前を歩いていたアリーチェが不意に足を止めたからである。ピピピと鳴る電子音、それはアリーチェが持つ小型端末が着信を知らせた音であった。楽しい気分を害されたアリーチェは不機嫌そうに眉根を潜めながら応答する。
「ちょっと、今日は一日オフだって言ったでしょうが。―――えっ?ああ、そう。なら早めに手を打たないといけないわね。連合に睨まれるのは避けたいからテレンティアへの輸出は止めないと。それから迎撃ミサイルに防護フィールドの需要も増えるから、その辺を切らさないようにね」
これまでの恋に恋する乙女の姿を捨ててビジネスモードに切り替えたアリーチェは部下と思われる通信相手に指示を出す。仕事絡みの通信を終えたアリーチェに鳴鳥が何事かと問いかけた。
「何かあったんですか?」
「ええ、辺境の星がARKHEDによって消滅したとか何とかでね、そのARKHEDを保有している星への制裁処置と各星々の軍備強化による兵器需要の指示を仰いできた訳」
「辺境の星が消滅…?」
「あぁ、これこれ、さっきニュースになっていたみた―――ちょっと何すんのよアンタ達!」
アリーチェが何か言いかけた所でマリアンが彼女の肩を掴んで強制的に回れ右をさせ、コンラードは鳴鳥の前に立ち、話を逸らそうとした。あからさまに怪しい態度を取る二人、正確にはジルベルトを含めて三人。アルヴァルディの面々に対する疑念が鳴鳥の中で大きくなり渦巻く。
「コンラードさん、何か私に隠していませんか?」
「えっ?!べ、別に隠し事なんてしてないっスよ?」
鳴鳥に問い詰められたコンラードは明らかに動揺していて目は泳ぎ、声が裏返っていた。じっと見つめて真意を問おうとするが、彼は目線を合わせないように視線を彷徨わせる。一方アリーチェはうっとおしいとマリアンの手を叩いてはねのけた。彼女もマリアンとコンラード達二人の態度が気に食わなかったのか、腰に手を当てて両者を睨みつけながらハッキリさせようとした。
「なによ?そんなにこのニュースを知られるのが不味いの?そこまで必死になるなんて一体何が―――」
「とにかく、こんな所で立ち話もなんだからね。そうそう、船長もこの先で待っている事だし」
「マリアンさん、皆さんいったい何を―――」
『―――その惑星は太陽系の地球と呼ばれる星で、直径12756.274km、人口は約72億人、その全てがARKHED一機により消滅させられたとの事です。星団連合による調査の結果―――』
「ちきゅう…、しょうめつ…?」
不意に聞こえてきたニュースの音声、それはアリーチェが手に持つ小型端末から流れていた。どうやら彼女は皆に聞こえるよう音量を上げたようだ。そしてそのニュースには鳴鳥にとって聞き覚えのある言葉が含まれていた。彼女はニュースの内容が信じられないと目を見開き呆然とする。マリアンとコンラードがひた隠しにしてきた内容はいとも容易く当人に知られることとなった。
「あぁ~もうっ。余計な事をしてくれたわね、小娘が」
「なによ?この星がなんか関係ある訳?」
「ナ、ナトリさんっ!これはですね、その~」
「(そんな…地球って…私が帰る所?消滅って…)」
華やかであった遊園地。キラキラと輝いている筈のイルミネーションの色がスッと色あせて行く。鳴鳥の視界には事態をややこしくさせたアリーチェを咎めるマリアンが居たが、彼女は何が悪いのか分かっていない様子で反省の色は見せていない。コンラードは衝撃を受けた鳴鳥のフォローをするが、彼女には周りの声など届かない様子であった。そして言葉だけではなく、色さえも失われつつある。
遊園地のゲートをくぐり、人々が行き交う往来で立ち止りわたわたともめ事を起こしているように見える四人の元に一人の人物が近づく。彼は普段と変わらぬ様子、けだるそうな格好で歩いて来ていたが、様子がおかしい事を察したのか怪訝な表情で声を掛けてきた。
「おい、約束の時間より遅いと思ったら…。こんな所でお前らは何をやっている」
「「船長」」「ジルっ…!」「ジルベルトさん…」
迎えに来たジルベルトに真っ先に駆け寄ったのは、満面の笑みを浮かべるアリーチェではなく、目を見開いて焦点の定まっていない鳴鳥であった。その状況でジルベルトは何が起こったのか察したようで、ヘマをしたマリアンとコンラードを軽く睨みつけた。
「ジルベルトさん…。地球が消滅ってどういう事なんですか…!?」
「…すまない。機を見て話そうとしていた。隠すつもりなどなかった」
「知っていたんですね…。知ってて教えてくれなかった…」
「…」
恨みの籠った目でジルベルトを見つめる鳴鳥、今までの彼女からは想像もできない程の気迫の強さを感じられた。どうして?なぜ?と問いただすようなその瞳にジルベルトは罰の悪そうに顔を逸らす。
遊園地からの帰り道、そこではアトラクションを楽しんだ客達が楽しげに帰路についている。しかし鳴鳥達はとても楽しげな雰囲気には見えない。寧ろ葬式帰りであるかのような湿っぽい、暗い雰囲気である。
マリアン達はジルベルトは鳴鳥を気遣っての判断だったと擁護したが、その言葉は届く事が無かった。ジルベルトは追及の眼差しから逃れるように鳴鳥に背を向ける。
「…詳しい話は宿に着いてからだ」
「…はい」
空気を読まずにまだジルベルトと一緒に居たいと言い張るアリーチェをどうにか言いくるめて彼女の会社に返し、ジルベルト達は彼が借りたレンタルカーが停車してある駐車場に向かった。
宿に向けての車内は静かなもので、その間鳴鳥はじっと窓の外を眺めていた。これまで街の至る所に興味を示し、楽しそうに観光していた姿はそこには無く、光の宿らぬ瞳で遠くを見つめていた。
宿場町エリア、沢山の宿が軒を並べるその中でランクは中の下の宿、その一室の扉の横でジルベルトは壁に背を預けていた。と、しばらくしてドアが開き、中から深刻な表情を浮かべたマリアンが出てきた。彼はジルベルトと目線が合うと少しだけ表情を和らげる。
「アイツの様子はどうだ?」
「…疲れて眠ったわ。一日中遊園地で遊んでいたのが良かったのかも。一晩ぐっすり眠れば少しは落ち着くでしょう」
「…だと良いがな」
遊園地から宿に戻り、ジルベルトは鳴鳥に事情を説明した。彼らアルヴァルディの面々はニュースになる前から地球が消滅していた事を把握しておきながら黙っていたのを謝罪し、現状を伝える。と言っても現時点で判明しているのは地球が一機のARKHEDによって消滅した事、それは残されていた人工衛星のデータを解析した結果である。その残された地球最後の映像に映っていたARKHEDは黒いフォルムにエメラルドグリーンのラインが入ったものであり、聖王星テレンティアが保有する機体であった。聖王星テレンティアは先進惑星でありながら、他の星との交流は極力避け、多くの先進惑星によって組織されている星団連合にも名を連ねていない。というのも聖王星と名が付くだけあって、その星の頂点には聖王、宗教の頂点に立つ者、教皇がその星を支配している。その星で信仰されているエイゼル教では他の宗教を邪教とし、排斥する。その為、他の星々との交流を極力避けているのだった。星同士の交流が途絶えている為、現時点ではテレンティアにどういった思惑があって事を起こしたのか判明していない。分かっている事は地球という名の星ひとつがARKHEDたった一機によって消されたという事実だけだ。
自分の帰る場所が、母星が消失したという事実、それだけを知らされた鳴鳥は取り乱す事もなく、静かに聞いていた。普段の彼女なら消滅させたARKHEDを倒すだの、テレンティアに乗り込むだとか言いそうなものだが、彼女は大人しく、と言うよりも声を掛けても返答は気の無いものばかり、表情の変化は乏しく、虚ろな目をしたままだった。こちらの制止を振り切り飛び出す様子は見えないが、逆に自暴自棄になり、命を絶つ恐れが出てきた。現に鳴鳥は夕食を摂らなかった。マリアンが付き添い、どうにか眠りについたようだが、その時間は日を跨いでからだった。
「まぁどの道こうなっていたと思うわ。貴方が気に病むことなんてない」
「ああ、分かっている。だが、前もって覚悟をしてから伝えられるのと不意に知らされるのとでは訳が違う。詰めが甘かったのは俺の責任だ」
「船長だけが悪い訳じゃない。私とコンラードも配慮が足らなかったのよ。それにここで誰の責任か考えていても彼女の苦しみが和らぐ事なんてないわ」
「…そうだな」
気を落とす二人であったが、今誰よりも辛い思いをしているのは鳴鳥である。自分達までこの調子ではいけないと思いなおし、気持ちを切り替える。そこでマリアンはフッと笑みを浮かべた後、意地の悪い事をジルベルトに言った。
「それにしても随分と気に掛けてあげるのね、あの子の事」
てっきり仏頂面で否定するかと思いきや、ジルベルトはマリアンのからかいの言葉に対して真剣な面持ちで返答する。
「無事に送り届けると約束したからな。アイツが約束を破った時に咎めた以上、俺が反故にする訳にもいかない。それに―――」
「それに?」
ジルベルトは言葉を途切らせて遠い目をする。それは過去を思い起こすようなものであり、彼にとっては苦い思い出のようだ。懐かしむ様子は無く、悔いるように拳を握りしめる。
「帰る場所を…母星を失った者はあの様な姿になるんだな…」
「…船長」
自嘲するような笑みを浮かべてジルベルトは扉の向こうに居る鳴鳥の事を想う。ここで鳴鳥に尽くしても彼の過去が変わる訳ではない。けれども彼はそうせざるを得なかった。
時刻は午前三時。ホテルの一室、暗闇の中でのっそりと動く者、その人物は虚ろな表情のままの鳴鳥であった。彼女はけだるい身体をゆっくりと上半身だけ起こすと、辺りを確認する。その室内には自分一人しか居らず、付き添ってくれていたマリアンは居ない。静かな部屋で一人きり、これまでの出来事を振り返ろうとする。けれどもそれは信じ難い事であり、素直に受け入れられるものではなかった。未だ信じられず、頭の中で整理が付かない。ジルベルトから口頭で説明を受けたが、それは何かの冗談であると思いたいし、見せられた人工衛星が残した映像は創作物、CGであると考えたかった。
「(星が…何億人も生きている地球が一瞬で消されるなんて…そんな事ある訳ない。うん…やっぱりこれは何かの冗談だよ)」
何かの間違いであると決めてかかった鳴鳥は乾いた笑みを浮かべる。彼女はまだ本調子ではない重たい身体を動かし立ち上がり、よろよろとおぼつかない足取りで部屋を出てある場所を目指した。
アルヴァルディの面々は寝静まっており、一人宿を脱け出した鳴鳥を追う者は誰も居ない。彼女は人工的に作られた真夜中の町を歩く。最初はゆっくりとした歩みだったが、目的地が近づくにつれ、足は早まる。宿に着くまでの道のりは憶えていなかったが、ジルベルトから渡されていた端末のナビを頼りにしたので道に迷う事は無かった。
鳴鳥が目指した場所、そこはこのエーデル・シュタインに着いて初めて降り立った所、ドックエリアである。入船管理局があるドックエリアは他の場所と違い絶えず船の出入りがある為、深夜であるにもかかわらず賑わっていた。鳴鳥は降り立った際に持たされた滞在許可カードを管理局員に渡し、アルヴァルディに乗り込む。そして目当ての物があるハンガーへ向かった。
「…っ!」
「夜の散歩か?それなら宙には出ずにエーデル・シュタインの中だけにしておけ」
「ジルベルトさん…っ!」
ハンガーで鳴鳥を待ち受けていたものは目当てのARKHEDだけでなく、煙草を咥えているジルベルトだった。呆然と立ち尽くす鳴鳥を前にすると、彼は吸いかけの煙草を携帯吸い殻入れに入れた。そしてハァ…と溜息と共に煙を吐き出すと、鋭い視線を鳴鳥に向ける。睨まれた彼女はびくっと身体を震わせるが、すぐさま体勢を立て直し睨み返す。
「どうして此処に…?」
「お前の行動は大体把握できるようになってきた。しかしその様子だと睡眠は取れていないようだな」
「…」
口をつぐむ鳴鳥の目の下にはクマがある。瞳は焦点が定まっておらず、とても正気であるとは言えない状態であった。宿に戻るよう促しながらジルベルトは頑なにその場から動こうとしない鳴鳥の肩に手を触れようとする。しかし彼女はその手をパシッと払うとジルベルトの脇を通り抜けようとした。彼はすかさず逃れようとした鳴鳥の腕を掴み自分の傍へと引き寄せて怒鳴りつける。
「おい、待てっ!話を聞いていたのか?お前は大人しく―――」
「放して下さいっ!」
叱られても怯むことなく拒絶の意思を示す鳴鳥にジルベルトは一瞬たじろぎを見せる。彼女はその隙に掴まれた腕を大きく振り上げて拘束を解く。そして振り返ることなく自分のARKHEDに向かって走り出した。背を向けた鳴鳥にジルベルトは腰に吊ってあるホルスターから銃を抜き、躊躇いもなく銃口を向けた。そして威嚇の為に数発足元を撃つ。発砲音に驚き足を止めて鳴鳥は振り向くが、撃たれた個所はへこんでなどおらず、兆弾した様子もない。撃ったのは低出力の電撃を使ったショックガンのようだ。
「手荒な真似はしたくない。大人しく戻れ」
「じゃ、邪魔をしないで下さいっ…!!」
「なっ…!?」
追い詰められた鳴鳥が取り出したのは折り畳み式のナイフ。それは久城のジャケットの内ポケットにしまわれていたものだった。一応持ち主がいるとの事で、ジルベルトは返却したが、いくら刺されても死なない彼の慢心による大きなミスである。鳴鳥は震える手で握り締めたナイフを邪魔者であるジルベルトに向けるのではなく、自分の喉元に両手でつかんで突きつけた。
「馬鹿な真似は止せっ!どういうつもりだ?!」
「私の…帰る場所…無くなっちゃったんでしょう…?お父さんも…お母さんも…棗も。…留美ちゃんも……久城センパイも…っ!!みんなみんな居ないんじゃっ…生きている意味……無いっ…!」
ぐっと息を飲み、構えていた銃を下ろすジルベルト。彼の手にしている銃は暴徒鎮圧用のものであり、殺傷能力は無い。ここで大人しく従わない鳴鳥を撃ち、身体の自由を奪った所で引き上げるのが賢明な策であったが、今彼女はナイフを自分に突きつけている。迂闊に銃を撃ち、昏倒させた弾みで彼女の手にしたナイフが彼女自身を傷付けかねない。ジルベルトは銃の安全装置を戻し、ホルスターに仕舞い込み、互いに動揺しているこの場をおちつかせるように彼らしからぬ穏やかな物言いで声を掛ける。
「とりあえず、落ち着け。お前の要求は何だ?俺達は出来る限りの事をする」
「…確認したいんです」
「言っておくが、テレンティアに行ってARKHEDを倒すなんて事は認めないぞ。相手が悪すぎる上に星間問題になりかねん」
「確認したいだけなんです……この目で……本当に…地球が…無くなったのか」
「…そうか。わかった、とりあえず今夜は―――っておい!今すぐには無理だ、準備を整えて…いや、その前に一度本部に帰投して―――」
「今すぐじゃなきゃ駄目なのっ…!」
鳴鳥はナイフを下ろし、再びARKHEDに向かって走り出す。ジルベルトは彼女の暴走を止めようと何度も声を荒げて叫ぶが、彼女が思いなおして留まる事は無かった。
アルヴァルディのカタパルトは作動しておらず、射出口は固く閉ざされている。前回と同様に鳴鳥がARKHEDのAIを使い、コントロールを奪う事を危惧したジルベルトは自らも自機である黒いARKHEDに乗り込む。すぐさま対抗するようにAIに指示を出す。最初は拮抗していた電子戦であったが、ARKHEDは意志の強さでその威力が左右される。この場で鳴鳥を行かせまいというジルベルトの想いは鳴鳥の一刻も早く母星の無事を自らの目で確かめたいという気持ちに勝る事は無かった。
「チっ…!アイツめ…っ!!」
開く射出口、作動するカタパルト。ジルベルトは先にアルヴァルディを去った鳴鳥機の後を追うように自分の機体も発進させる。鳴鳥機は停泊された他の船舶の間をかいくぐり、エーデル・シュタインを立つ。ジルベルトは宿で休む乗組員に連絡を入れ、後を追うように指示を出す。そして自分は一足先に鳴鳥を追いかけ宙へと飛んだ。
宇宙には煌めく星々と色鮮やかな星雲が広がっている。これまでの鳴鳥だとしたらその美しい景色に胸を打たれていた所だが、今は気にも留められない。漂っている見た事もない星はただの障害物であり、物珍しいものに目を奪われる事は無い。
「おいっ、ナトリ!止まれっ!!」
「付いて来ないで下さいっ!!」
進路はAIに任せて鳴鳥は目的の場所へとARKHEDを飛ばす。その後方をジルベルトの機体が追いかけてきている。二機の速さは尋常ではなく、航行している船を次々と追い越して行く。ジルベルトは手を抜いている訳ではないが、鳴鳥の機体に追いつけない。捕縛用のアンカーフックを射出するが、それもひらりとかわされてしまう。それはいかに鳴鳥の意志が強いかを物語った動きであった。今の所ジルベルトが鳴鳥に追いつく気配はないが、彼はどうにか鳴鳥の心変わりをさせられないかと呼びかけ続ける。
「ナトリ!ARKHEDは精神力を消耗する。無茶な使い方をすると倒れるぞっ!」
「いいから私の事は放っておいて下さい!!」
制止を呼び掛ける声を頑なに拒む鳴鳥はハンドグリップを強く握りしめる。この先には見たくない現実があるのだと理解はしている。けれどもどうしても、この目で確かめるまでは信じきれずにいた。
二機はただひたすら宙を駈ける。これまでは見た事もない天体や小惑星の浮遊する宙域であったが、やがて鳴鳥の見知った星を見かけるようになった。巨大なガス惑星で氷や岩石の欠片や宇宙塵で形成されたリングを持つ木星、そのすぐ傍を通過する。地球までの距離は互いに回り合っている為、どのくらいか測りかねるが、太陽系の中心となる天体、太陽を捉えた為、地球はもうすぐなのだと分かった。
それまで全速力で飛ばしていた鳴鳥の機体が徐々にペースを落とす。やがて立ち止まるかのように排気口から出ていたエネルギー粒子は逆噴射をし、急ブレーキ―を掛けたかのように機体をその場に留まらせる。そこで鳴鳥は信じがたい事実、けれども受け入れなければならない現実をAIに告げられる。
「目的地ニ到着シマシタ。現在ノ座標ハ―――」
「うそ…でしょ?ここ、何も無いよ?おかしいよ…何一つ残っていないなんて…」
何も無い空間、その現実にこれまで出てこなかった涙が瞳からこぼれ落ちる。グリップを握りしめていた力は弱まり、身体からふっと力が抜けた。口からは言葉にならない嗚咽ばかりが漏れる。これまでの勢いを失ったのは鳴鳥の機体だけでなく、鳴鳥自身も茫然としていた。
宙空に留まる鳴鳥機にジルベルトの機体が追いつく。何があったのかを察したジルベルトはどうしたものかと顎に手を当てて考え込む。下手な言葉は掛けるだけ無駄になり、ありきたりな慰めでは彼女はらしさを取り戻さない。このまま傍で立ち直るのを待っているのが賢明かと思われたが、そうはいかなかった。
「二時ノ方角ヨリ戦艦一隻、ARKHED一体、此方ニ向カッテ来テイマス」
AIが彼方から戦艦とARKHEDがこちらに向かってやって来ている事を告げる。警告では無かったことから、相手はジルベルトが所属する連合軍の関係者のようだ。間を置かずにジルベルトの元に通信が入る。そこに映っていたのはコックピットに座る一人の女性、瑠璃色のロングヘアに右目だけ隠れる前髪、理知的な顔立ちに思わせるのは掛けている眼鏡のせいか、身に纏っている浅葱色の軍服は胸元が少々きつそうである。
「そういえばクヴァルが言っていたな、お前が任務についていると」
「どうして貴方が此処に居るの?それにその白い機体、所属不明のARKHED。もしかして貴方の任務で調査予定だった未契約の機体なのかしら?」
ジルベルトにとって彼女との再会は約10年ぶりとなるのだが、任務中である為、互いに感傷に浸る事はなかった。そして鳴鳥は未だに茫然としたままであった。