第71話 Cheek which blushes. Feelings are for you
急に真面目な顔をされ、嘘のような言葉を聞かされ、鳴鳥は目を見開き放心状態となる。頭の中には先程のジルベルトの言葉が反芻し、それでもその言葉の意図が理解できずポカンと口を開ける。
「同じ…って。えっと、何が同じなんでしょうか?」
「…皆まで言わせるな」
「だっ、だって…!こんな、嘘みたいな話…」
「嘘を吐くような顔に見えるか?」
「見え…ません」
ジルベルトの表情は真剣そのもので、とても嘘を吐いているような顔ではない。更にいうと、頬には僅かだが赤みが差していて、言葉に信憑性を持たせている。けれどもいきなりこれまでの態度から一変したのが全く理解できない鳴鳥は、どうしてよいか分からず不安で視線を彷徨わせる。
「わ、分かりました。これは夢ですね…!」
「なんだ?夢で終わらせていいのか?」
「い、嫌です。夢じゃなくて現実にしたい…っ」
ようやく彼の言葉が本物であると確信できたのは頬に伝う涙で。それは止めどなく流れ出る。嬉しくてたまらなくて、笑みを浮かべている筈だが顔はグシャグシャで。この気持ちをどう表現すればいいのか分からなくなり、しゃくり上げながら言葉にならない言葉を口にする。
「…すまなかったな。辛い思いをさせて」
「いいえ…。良いん…です…っ。これまでの事…なんて」
「お前を傷つけたくは無くて遠ざけたが、結局傷つけてしまった。そんな俺が今更何を言うのかとも思うが、覚悟を決めた。俺はこれ以上お前を傷つけない。それから自分の気持ちに嘘を吐かない」
「ジルベルトさん…」
「だが、本当に良いのか…?」
「…?」
申し訳なさそうに伏せられた視線。彼が鳴鳥に問いたいのは枷の事で、想いが通じ合った今ではその枷は最大の重荷となる。過ちを繰り返さないようにと考えれば、辛い思いをするのはジルベルトだけでなく、鳴鳥もである。
第71話 Cheek which blushes. Feelings are for you
伸ばされた両手は顔の輪郭にそっと触れ、指は絶えず零れ落ちていた涙を掬う。
「想いを認めてしまえば、俺がお前に出来る事は僅かになってしまう」
その手は震えていて、大切な者を自らの手で壊してしまう事を恐れていると分かる。
それでも鳴鳥の答えは問われる前から決まっていた。彼女はジルベルトの手に自分の手を重ね、優しく握る。怖れる事は何一つないと、一緒に枷を填められてしまっても構わないと。
「私は、こうしてジルベルトさんと一緒に居られるだけで幸せなんです」
「だが…今は良くてもこの先…」
「正直な所、今でも胸が張り裂けそうなほどに痛くて…。これ以上何かが起きたら私、心臓が爆発してしまいます」
「…無理はしなくて良いんだぞ?」
「それを言うなら、ジルベルトさんの方じゃないですか?我慢はちゃんとできますか?」
「…俺も正直に言うが、我慢強くは無くてな。今すぐお前が―――」
熱っぽい視線に、カァ…っと頬に熱が帯びる。このまま彼に身を委ねてしまいたいとも思うが何とか理性を保ち、鳴鳥はジルベルトの手を軽くつねって目を覚まさせる。痛みから顔を歪めた彼は何をするのかと眉間に皺を寄せて訴えてきて、鳴鳥はやれやれと肩を竦めて溜息を吐いた。
「言った傍から…」
「いや違う。これはお前を試しただけで本気では―――」
「試す…?いいえ、今のは本気、でしたよね」
「まぁ、本気で無かった訳でもないが」
「…ジルベルトさん」
「悪かった。調子に乗り過ぎた。だがお前がこの調子なら安心だ」
「…私の心臓には悪いんですから!寿命が縮んでしまいますよ」
「それは困るな」
そう言うジルベルトは笑っていて、いつの間にか鳴鳥の涙は止まっていて、彼女も自然と笑みを返す。
二人のこれからは決して明るいものでは無い。ふとした弾みでジルベルトの枷がその力を振るい、また悲劇を繰り返してしまうかもしれない。だとしても互いに自分の気持ちを抑え続ける事は出来そうになく、こうして想いを通わせた。もう想い続けるだけでなくて良いのだが、これからその距離が近くなればなる程に痛みを伴うだろう。だが二人は恐れずに前を見て、共に歩く決意をした。
アストリアへと帰還の途に着いていた星団連合所有の最大戦艦ブリューナク。敵対しているエルンストの手から逃れたセリアの護衛という名目で、ソフィーリヤとクヴァルは艦内にて待機を命じられた。
セリアが全てを明かす前に、ARKHED契約者達には覚悟を決める為の時間が7日与えられ、皆それぞれ、大切な者や自分と向き合う事となる。それはクヴァルも同じで、彼はソフィーリヤへと自身の使命と犯した罪を告白しようとした。
「いざ、こうしてみると何から話せばよいのやら…」
これから明かす事はあまりにも信じ難く荒唐無稽で、いくら信頼を寄せてくれているだろうという者ですら素直には受け入れられないだろう。そしてそれと同時に全てを知られてしまう事で、自分から彼女が遠ざかってしまうのをクヴァルは恐ろしく感じていた。
どう話すべきか考えを巡らせ彷徨う瞳は彼女、ソフィーリヤの元へ。抱く不安を和らげるような柔らかな笑みを浮かべていた。
「順を追って…。そうだ…!貴方の生まれた星の話からが良いかしら?」
「母星…か。生まれたと言っても、私の場合は作り出されたと言った方が正しい気がするな」
「作り…。そんな…っ、物みたいに言わないで。そんなの、悲しいわ」
「いや、私は主にとっての駒で、実験に用いる機器の一つ、観測装置だ」
決して自虐として称している訳ではなく、クヴァルは事実を述べている。彼はエルンストの手で作られ、そして彼の手駒として役割を果たしてきた。そのような話はやはり信じ難いだろう。そうクヴァルは思っていたが、ソフィーリヤの反応は信じられないといったものでは無く、悲しげなようで、首を横に振った。
「だとしても、私はそんな事実、認めたくは無い。クヴァルは私達と何一つ変わらない人でしょう?物扱いなんて許せないわ…!」
憂いから一転。普段は怒った表情など滅多に見せないソフィーリヤ。彼女は珍しく怒りを露わに、膝の上で握られた拳は固く、エルンストに対する怒りを募らせていた。その気持ちをクヴァルは嬉しく思う一方で、どうにも居た堪れない気持ちも抱いた。今でこそソフィーリヤに同情して貰っているが、過去の行いを省みれば憐れまれる資格などありはしないと分かるからだ。その優しさだけ受け取り、その想いに甘んじる事は無く話を続ける。
「そもそも私の名『クヴァル・デクトリ』とは43番目という意味であって名前でもない。因みにデクセスは16番、デクセプは17番。セルべリアの認識番号は6番で本来ならセスを名乗っている」
「本当の名前じゃ…ないの?」
「認識番号だ。それに、名前など互いに呼び名として認識できればそれで…」
決して強がりではなく、本心から思っていた事を口にしたクヴァルだが、ソフィーリヤの悲しげな表情に二の句が継げなくなる。本当はこの様な顔をさせたくなくて、寧ろ今まで黙っていた事を咎められた方が楽だとさえ感じるが、彼女がそうでないのは分かり切っていた。それでもいざこうしてみるとやはり戸惑いを感じずには居られない。一先ずは気に病む必要などないのだと諭そうとしたが、その前にソフィーリヤが問いかける。
「そういった意味があるとは知らなくてごめんなさい。…でも、クヴァルという名前は貴方に合っていると思うの。だけど、いつまでも番号で呼ばれ続けるのは不愉快じゃないかしら」
「いや、先にも言った通り私は別に何と呼ばれようと構わない。寧ろ君が似合うというならば変える必要などありはしない」
「…本当に、良いの?」
「ああ。それに、この名はこちらの世界では別段珍しいものでもないしな」
案ずることは無いのだと笑いかけると彼女も安心したようで、それならばこれまで通りでと納得したようだ。やはり彼女は名前一つとってもここまで真剣に考え、我が身のように心を痛める。これから話すもっと過酷な事実に向き合えるのか不安になるが、クヴァルの心配をよそにソフィーリヤはどんな出来事も受け止められるように強さを備えていた。そうさせたのは後悔で、忌々しい者が関わっていると知っていて腹立たしいが、彼女が強くなれたのは素直に嬉しく感じる。
今も彼女は敵である者達にも憐れみを感じ、エルンストに対して疑問を投げかける。
「それにしても、エルンストという人は酷いわ。目的の為に人の命を弄ぶような真似を…!」
「確かに非人道的ではあるが、主にも犠牲を出してまでも得たいものがある。それについてはセリア・ストレイスから詳しい話が聞けるだろう」
まだソフィーリヤはエルンストに対し納得がいっていないようだが、そこはセリアの口から伝えるべきだろうと判断し、話を一旦切る。そしてクヴァルは自身の役割とこれまでの自分の行いを明かす。
「私やデクセス達、主の手駒である観測装置はその名の通り、ARKHEDの契約者を観測する為に存在する」
「私達を…?私達の何を…。戦闘データとか…ではないのよね」
「ああ。主が欲していたデータ、それは―――」
それは形のないもので、けれども存在しないものでは無くて。人の手で作り出すことはまず不可能で。けれども誰しもが持っているもので。時に壊れやすく、時に信じられない力を発する源で、通い合わせれば満たされ、互いに感じ取ることが出来なければ痛みすらも覚えさせる。そのようなものをエルンストは自ら作り出そうと、正確に言うならば再現を果たす為にサンプリングを取っていた。そしてそれはARKHEDを介して、戦場という最もデータが取りやすい場所で、その場に適した兵器を利用し、膨大な情報を収集していた。
「観測装置は通常ならば一人の契約者に対し一体。対をなすようにARKHEDを与える。そして契約者が死に至るまで観測し、契約者を失えば次の観測対象を探す」
「もしかして…クヴァル。貴方の観測対象は―――」
「そうだ。私は君を…。そして君にその忌まわしい力を与えたのは…この私だ」
「…」
まともに目を合わせられず、俯いて告げた真実。いくら強くなったとはいえ、ソフィーリヤでも最大の裏切りにはショックを隠せないだろう。そう思われたが、彼女はクヴァルの予想とは違った反応を、それは決して騙されていた事に対して怒りを感じていると言う訳ではなく、驚いて何も言えないと言う訳でもなく、意外な事に穏やかで、逆に今にも自責の念に潰されそうなクヴァルを優しく包むような笑みを浮かべていた。何故彼女がそのように落ち着いていられるのか、全く理解できないクヴァルは驚き目を見開いて問いかける。
「信じられないという訳か。それも無理は無いな」
「そうじゃないわ。貴方の言う事を疑いはしない」
「だったら何故?!驚かない?責めもしない?…そうか。失望して物も言えぬ状態という訳なんだな」
「それも違うわ」
「解せない。どうして君は―――」
「確信は持てなかったけどね。なんとなくかな…。どこか変だなって感じていたの」
「そんな…。まさか…」
自身の正体がバレるような真似をした覚えは無い。そこには自信があったはずだが、こうして言われてみると不安にもなる。そもそもソフィーリヤは聡明でいて、気が利き、相手の気持ちを汲み取れる。ならば僅かな情報から気づかれていても不思議ではないが、クヴァルも同じ観測装置の中では抜かりない行動が取れるほど優秀である。ならば何故、彼女は気付いてしまっていたのか、驚かされる側に回ったクヴァルに対しソフィーリヤは困ったように笑い、疑念を抱いていた事柄を明かした。
「最初からおかしかったのよ」
「最初から…?」
「だって、私は確かにクヴァルの機体に乗り込んでいて、次の瞬間今の機体に居て…。後の公式の報告ではあの渓谷に精神結晶の巨大な結晶が在ったとされていたけど、私は目にしていないんですもの。あの時クヴァルが何かしらの関わりがあったのだとは思っていたわ。その後もほら、最近ではテレンティアとの終戦記念のパーティーでラウナさんと話していた時、貴方明らかに動揺していたでしょう?彼女と接点があって、しかも彼女の入院中の病室に忍び込んで、そこでこれまで目覚めなかった彼女が奇跡的に目覚めて…。不可解な点を全て挙げたらキリがないのだけれど」
「…」
ここでようやく納得がいったようで、ソフィーリヤはスッキリとした表情であった。多少は驚いたようだが動じる訳ではなく、責めてもいない。罵られる覚悟すらしていたがそういった様子もなく、寧ろそのような立場に居る事を強いてきたエルンストへと怒りの矛先を向けていた。
「本当の事を言うと、ずっと監視されていたようで気分は良くないけど、それを貴方が望んでしてきたのではないと知っているし、今は貴方にその役目を負わせた者が許せないって気持ちが強いわ」
「ソフィ…君は…」
「それに、この力は私が望んで得たものだから…。感謝こそすれど、恨みはしない。だって、あの時貴方が居てくれなかったら、私は何もできないままでいて、ジルを救うことが出来なかった」
「君は…人が良すぎる。無理をしなくて良いんだ…。私の前では取り繕わなくても、本当の気持ちを曝け出しても構わないのだぞ」
「無理なんてしていないわ。本当に、今はこう、腑に落ちたといった感じなのよ」
「だが…今まで私は君を騙し続けていたことに変わりは…」
「それでも、貴方は何時も傍に居てくれた」
ジルベルトとの事を悩んでいる時も彼のお蔭で結ばれる機会を得て、僅かだが幸せな時間を過ごせた。その後、ジルベルトと引き離されてしまい、絶望の底に在った時にもクヴァルはソフィーリヤの傍に居て、彼女を支えた。気持ちが沈んでいる時だけではない。彼は戦場においても彼女を守るよう立ち回る。例えそれが観測の為だとしても、ソフィーリヤはそれだけでないことが分かっていた。
「私を守ってくれたのも、落ち込んでいる時に傍に居てくれたのも、全ては使命だから?」
「それは…。他意が無かったとは言い切れない」
「そうでしょう?だから私は貴方を責めたりしない。寧ろ今までずっと一人で秘密を抱えていて、辛くは無かったの?」
「ソフィ…。君がこれまでに苦しんだのに比べれば、私の身に起きた事など取るに足らない」
「ううん。そんなことは無いわ。貴方は時折すごく悲しそうな…申し訳なさそうな顔をしているもの」
今もそのような顔をしているのだろうかと気にしたクヴァルは自分の犯した失態を恥じつつ手で顔を覆う。するとソフィーリヤは顔を逸らし口元に手を当てて肩を小刻みに振るわせて、どうやら笑うのを堪えているようで、そこで彼女がカマを掛けたのだと知り、クヴァルは呆気にとられた様子を見せた。
らしくもない惚けた顔に笑うソフィーリヤ。彼女の優しさに、クヴァルがこれまで抱えていた不安や恐れはすっかりと消え去る。気づけば声は震えていて、情けなくもあるが視界が滲み、目の奥が熱くて今にも昂った感情が溢れだしそうになった。
「君は…。君という人は本当に…っ。私の犯した罪を許すというのか…?」
「そもそも貴方は罪を犯してなんかいない。だから許しようが無いわ」
全てを許してくれると、どこか頭の片隅で分かっていた。だがその優しさに甘えるのは良くないと、本当に彼女の為を思うならばその優しさにつけ入るような真似はするべきではないと決めていた。けれども、そっと両手を伸ばし触れてくる手の温かさに、不意に引き寄せ抱きしめられてしまい引き返せなくなる。
それはまるで子どもをあやすかのような仕草で、右手では優しく頭を撫でられて、左手では背中を擦る。やはり彼女にとって自分の扱いはこうなのだと落胆もするが、これはこれで悪くは無いと思い、その身を委ねる。
「…何度も明かそうとした。だが、明かしてしまえば主からの制裁を受けてしまうかもしれないという恐怖と、何より、君が離れて行ってしまう事が恐ろしかった」
「私はもう逃げたりしないわ。どんなことにだって向き合う。貴方を突き放すなんてことは絶対に無い。それより今はその、大丈夫なの?エルンストは貴方の行動を監視しているんじゃ…」
「その事なら問題ない。先程セリア・ストレイスに接続を断ってもらった。これで私はもう主との主従関係を断たれ、敵対する形となる。だが、君の枷は…」
エルンストとの繋がりはセリアの手によって断たれた。けれどもARKHED契約時の枷はクヴァルとソフィーリヤの直接的な繋がりであって、それを解除するのは容易ではない。正確に言うとエルンストの監視下から逃れた今ならクヴァルから解くことが可能だが、枷を外す為の手立てを知らされたソフィーリヤは首を横に振った。
「そんな…っ。そんな事、私には…」
「君が手を汚さずとも良い。ただ、来たるべき日、主と戦う日を迎え、決着をつけるまでは君の傍に居させて欲しい。その後は―――」
両肩を掴まれて重なっていた身体が引き離され、感じていた温もりが消えてゆく。クヴァルを解放したソフィーリヤだが、彼女は怒った表情を、眉間に皺を寄せていて、両手でクヴァルの顔を挟んで睨み付ける。元々穏やかで優しげな表情のせいか、怒っていても凄みは感じられず、クヴァルはどうしたものかと戸惑うが、ソフィーリヤは至って真剣なようで問い詰めるよう声を上げる。
「そんな手段、私は許さない…!」
「だが…これは当然の報いであって…」
「そうなるなら、私は今のままでいい。それよりも、私はこれからも貴方が隣に居てくれる方が良いの」
「…ソフィ。その言葉はそう、勘違いをしそうになってしまう」
「勘違いでもいいわ。貴方が馬鹿な真似をしなくて済むなら」
「…全く、君という人は…」
ソフィーリヤの手はクヴァルの手より遥かに小さく、力も大したことは無い。それでも込められた想いは強く、頬に伝わる熱が迷いを打ち消していく。その小さな手に自分の手を重ね、指を絡め取り、今度はクヴァルから、か細い腰を抱いて引き寄せる。抵抗されるかとも不安であったが、それは杞憂に終わり、ソフィーリヤもクヴァルの背に手を伸ばした。
アストリアからさほど離れていない場所に在る星、ヴィルト・ルイーネ。かの星では今日も今日とてARKSのレースが行われていて、連合議会の議長が戦を引き起こしていてもお祭りムードのままである。と、言うのも致し方ない。ミリアムやディノスが巻き起こした戦に対してはかん口令が敷かれ、一般市民には公表されていない。軍学校の生徒達が消息不明だったのも事故として扱われていた。
現ARKSレースのチャンピオンに挑むという大きなレースを終え、鳴り止まぬ歓声に見送られながら、フラヴィオは花束と守り抜いたベルトを手に控室に戻った。最早彼に敵う者はこの星に、否、この宇宙に存在しないとまで言われていたが、ジルベルトに敗れて以来、諦めていた者達の闘志に火を点ける結果となったようで、挑戦者は後を絶たない。だが、フラヴィオはやはり無敗で、ジルベルトに敗れて以降は一度も王者の座を譲ることは無かった。そんな彼だが、今日のレースであわや表彰台の場所を掠め取られそうになってしまった。何とか持ち直し、連勝記録をまた伸ばした訳だが、その表情は優れない。控室で出迎えたマネージャーであるラウナはタオルとドリンクボトルを渡して労をねぎらうが、受け取ったフラヴィオは心ここにあらずといった様子であった。
「―――たった今、情報が入ったのだけど、ノルデン・トロイメン学園の生徒は皆、無事が確認されたらしいわ」
「本当か…!?そうか…良かった…」
フラヴィオが上の空であったのは、彼が想いを寄せている者、鳴鳥の身を案じての事だった。彼女の事を想えば直ぐにでも駆けつけたかったが、連合からそのような要請は来ていない。そもそも軍属ではない彼が下手に手を出すと厄介ごとになりかねない上に、彼はレースに出場しなくてはならない。今回ばかりは自分が軍属にならなかったことを後悔した。
「…そんなに心配なら、軍の犬にでもなる?」
「それも考えたが、今、唯の軍人になってもしょうがねェだろう?ナトリちゃんは軍学校に居るんだから、どうせなるなら教官なんてのが良いかもな。…教官と学生、超えてはいけない一線…。…イイな。そそるモノがある…!」
妄想を膨らましているフラヴィオに対しラウナは深い溜息を吐く。これまで心底心配をし、レースに影響が出るほどに心を掻き乱されていたが、一転してこの様で、相変わらずの能天気ぶりに辟易とする。それでも暗い顔をされているよりは今の方がマシで、肩を落としたラウナはクスクスと笑いながら妄想に水を差す。
「まぁ彼女がまだ軍人である時に軍属にならなくて良かったわね」
「ん…?何でだ?」
「仮に彼女と同じ部隊に配属されれば、貴方の上司はあの男、ジルベルトになるのよ」
「…それは御免こうむりたいぜ」
「でしょう?何にせよ、無事だと分かったならそれで―――」
「だが、奴の前でナトリちゃんとイチャイチャするのは爽快だな」
「…」
この底抜けの明るさは枷を外すことが叶ったゆえにか。それは定かでないが、フラヴィオはらしさを取り戻している。ならばもう心配は要らないと確信したラウナは一息吐いて、鼻歌交じりにシャワールームに向かおうとしたフラヴィオを呼び止める。
「…は?今なんつった?」
「しばらく暇を頂くといったの。マネージャーの後任は手配しておくから」
「いやいや、待て待て。いきなり何を言い出す!?休みが欲しいのか?それなら―――」
「どうしても外せない用があるの。それは二、三日で済むようなものでは無い。だから私の代わりを―――」
「お前の代わりなんざ要らねェ。その用件とやらは何だ?俺じゃ力になれねェのか?」
「…フラヴィオ。連合軍絡みの厄介ごとには関わりたくないんじゃないの?」
「お前の為なら話は別だ。遠慮せずに言ってくれていいんだぞ。お前にはこれまでの世話という大きな借りがあるからな」
「…借り、ね」
フラヴィオが言いたいのは、枷によって記憶を失っていた頃の話だろう。確かにラウナは彼の為に毎朝これまでにあった事を説明し、彼を支え続けていた。だがそれはそう至らしめた原因が自分に在ったから、己の役目の為に行っていたというのがある。けれどもそこに他意は無かったのかと問われれば素直に首を縦に振れない。だからこそ彼の言う「借り」はラウナにとって居た堪れないような気にさせるもので、その気持ちを素直に受け取る事は出来なかった。
「…フラヴィオ、大事な話があるの」
「何だ?改まって…。言っとくが、難しい話は無しだぜ」
「ええ。分かっているわ」
ラウナは自分が何者であるか、そしてこれまで何をしてきたか、順を追って全てをフラヴィオに明かした。そしてこれから何が起こるのか、何故自分がフラヴィオの元を離れなければならないのかを説明し終える。最後までフラヴィオは口を挟まず静かに聞いていた。その表情は至って真面目で、真剣みを帯びていた…かのように思われていたが、実のところ話の半分以上を理解していないようであった。
「オブザー…なんつったか?」
「観測装置よ」
「そう、それだ。よく分かんねェが、お前は望んでそれになった訳じゃないんだろう?」
「それは…そうだけれど。でもこれは、そんなどころの話じゃ…」
「俺は難しいことがよく分からねェ。考えるのも面倒臭ェ。後、済んだことをうだうだと言うのはウザイ事この上ねェ」
「だけど、私は貴方を騙していて…。貴方が記憶を失って苦しんでいた原因は、私に在るのよ?」
「それこそ済んだ話だ。今はこうやって何不自由なくしていられる」
「フラヴィオ…」
「それより何より、今はそのエルンストって奴を叩きのめすことが先決だ。そうすればお前のこのちんちくりんと能面が治るんだろう?」
「…成長が止まっているのは自分の意志でよ。あと、表情は生まれつき」
「な…!なんだとぉ。何で成長を止めたんだ!今でも十分可愛いが、あと少し成長した方が良い女に…」
「…だからよ」
やれやれと溜息を吐くラウナ。それでも彼の気持ちは嬉しく、許しを貰えた事はこの上ない幸福であった。それと同時にこれまで心に抱えていた不安がスッと消え去り、呆気なさから思わず笑いが込み上げてきて、大事な話の最中だというのに、クスクスと笑みを溢してしまう。
「…ん?何かおかしなことを言ったか?」
「何でもないわ。…ともかく、私は主を裏切ることを決めた。だから連合側に付いて、主達と戦うわ」
「それは…お前がどうしてもやらなければならない事なのか?」
「ええ、セリア・ストレイスには主とのリンクを断って貰ったの。恩義には報いないと。それから、奴らの暴挙を止めない限り、安息は無いわ」
「…そうか」
腕を組んでいたフラヴィオはどうしたものかと考え込むように唸り、そしてあまり間を置かずに結論が出たようで、決意の籠った瞳でラウナを見つめる。
戦いなど好まず、誰かの下で生きるのではなく、自由を選んだフラヴィオ。今回も無関係であって、これまでの彼ならばキッパリと断わるだろうが、今回は訳が違う。彼にとってラウナは大切な者であり、正体を明かしたとしてもそれは変わらない。そんな彼女が戦場に赴くというのに、自分は何もせずにいられるはずが無かった。
「ちょ、ちょっと!何をするの!?」
歩み寄ったフラヴィオは軽々とラウナを抱え上げ、目線を合わせる。急に抱き上げられ、バランスを保つように肩に掴まったラウナは、眉間に皺を寄せて何をするのかと抗議するが、フラヴィオは心底楽しそうに口端を緩めていて、解放する気は全く無いようだ。
「今の内にこのサイズを楽しんでおこうと思ってな。まぁ、多少大きくなっても抱えられるが」
「…どういうつもり?」
「良い女に成長したお前が見たいからな。だから俺が傍に居て、お前を守る」
「…全く、貴方と言う人は」
「今回の厄介事が片付いたら、俺様にご褒美って事で…一つどうだ?」
「…考えておくわ」
それならば決まりだと。フラヴィオは既に祝勝モードでラウナを抱えたままクルクルと回り出す。どうせ何を言っても無駄だと諦めきっていたラウナは、振り落とされてしまわぬよう、この温もりを手放しては仕舞わぬようにギュッとしがみ付いた。




