第49話 At a dark star
ブラオン・ヴァント、そこは死せる星。およそ人は住んでいないと思われるような劣悪な環境下であるが、僅かに残った緑地帯で人々は生きながらえている。今回は人々の住まう場所ではなく、遠く離れた地点、砂嵐が止まぬ荒野へ鳴鳥達はARKHEDで降り立った。
降下地点からさほど離れてはいない場所に目的地へと至る洞穴の入り口があり、付近にARKHEDをステルスモードに切り替えて残し、突入する。
まずは環境確認。今現在鳴鳥達は特殊スーツを纏い、マスクを被った完全防備状態である。このまま進んでも問題無いが、マスクというのは居心地が良いものではない。できれば外したいが、正常な空気に満たされていない場合もある。アナログな検査キットは人が通常に呼吸できることを示し、皆はマスクを外した。
「俺が先頭を歩く、後ろは任せるぞ、クランド」
「はい、了解しました」
これまであまり仲が良いとは言えなかった二人であるが、任せると言うジルベルトの言葉に対して久城は喜んでいるように見えた。これから少々骨の折れる任務になるが、これを機にもっと二人の仲が深まればと思う鳴鳥は思わず顔を綻ばせるが、早速足元を取られてつまずきかける。それを支えたのは久城であり、後ろから抱きしめられる形となった。
「大丈夫?」
「あ、す、すみません…」
「ったく、早速コレか」
振り向いたジルベルトはウンザリしたようで、眉間に深い皺を刻んで肩を落とす。後ろで支えてくれた久城の笑顔との落差に鳴鳥は浮足立っていたのが収まり、冷静にならざるを得なかった。
足元が安定しないという面を除いては、洞窟内はそこまで危険ではない。しかしそれはジルベルトと久城の話であって、鳴鳥には当てはまらない。先程つまずいた失敗を恐れてか、意識は下へと向いていたために、今度は天井から垂れ下がるつらら状の鍾乳石に頭をぶつけそうになる。その度に久城に助けて貰い、ジルベルトに溜息を吐かれるのだが、進む毎にその回数も減っていった。
危険種との遭遇も覚悟していたが、洞窟内に生息するのは小さなトカゲなど害の無いものばかりで、時折姿を現すのは臆病な魔物、スライムであった。緩いゼリー状のスライムは中心に核を持ち、ゆっくりと地を這ったり、天井からぼたりと落ちてくる。攻撃はしてこないのだが、その感触は独特で、鳴鳥の頭に落ちてきた瞬間、甲高い悲鳴を上げて駈けずり回った。
彼是と些細なハプニングは起こるが、それらも数が重なれば対処は速やかになる。歩みを進めるのにも慣れてきたが、長い長い洞窟の先は暗闇でどれだけ歩いてどこまで続くのか不安にもなった。
鳴鳥の分は少なくされているとはいえ、荷物を背負い悪路を歩き続ければ疲労を感じる。それでもこれ以上迷惑はかけたくないという思いで鳴鳥は歩みを進めるが、前を歩くジルベルトが足を止めた為、鳴鳥も立ち止まった。
ここまでの間、ジルベルトは一定距離を進む度に時計を取り出し確認を取っていた。今回も時計を見てからであり、それは疲労を感じる事のない彼が普通の身体である二人を気遣っての事であった。
まだ休憩を取るには早い。鳴鳥から見れば久城も余裕があるように思える。自分のせいで足を止めてしまったのかと思い至った鳴鳥はまだまだ歩けるとアピールをするが、ジルベルトは首を横に振った。
「ここは他の場所より開けていて、その上水もある。この先これほどの条件が揃うか分からないし、休息を取らないといざという時に動けなくなるぞ」
ジルベルトの言う通り、この場は伸び伸びと休めるだけの広さがあり、澄んだ泉もある。久城も同意すれば鳴鳥は反対する訳にもいかず、まだ早く感じるが一日目を終える事となった。
水質の調査を終え、安全が確認できたところで夕食の支度をする。と言ってもお湯で温めたり、ふやかすだけのインスタントで準備に手間はかからなかった。具沢山のミネストローネとチーズリゾット、インスタントにしては中々の味で、鳴鳥は特に不満を漏らさなかったが、ジルベルト達は顔をしかめていた。
「やはりレーションは駄目だな」
「同意します。特に、鳴鳥の手料理の味を知ってからは、余計にそう感じる」
「珍しく意見が合うな」
「そうですね」
「お二人ともっ、そんなに褒められても何も出ませんよ!」
「今は、な。帰ったらよろしく頼むぞ」
「そうですね。僕のリクエストは―――」
意見の一致。それによってまたジルベルトと久城の仲は深まったかのように思われる。その事が嬉しい鳴鳥は顔を綻ばせているが、二人に怪訝な表情をされてしまう。ここで素直に思っていた事を話してしまうとジルベルトは否定するだろうから、鳴鳥は何でもないと誤魔化した。首を傾げる二人であったが、鳴鳥が喜んでいるのは確かなようで、詮索はしなかった。
何時もよりは質素な食事であるが、雰囲気は悪くない。これまで余所余所しかったジルベルトと久城も意見が合う事をきっかけに幾分か空気が和らぎ、久城がジルベルトに教えを乞うなどいい方向に向かっている。
食後の茶と共にチョコレートの甘みを楽しんでいた鳴鳥だったが、ジルベルトに声を掛けられ、その内容にピタリと手を止める。
「水浴び…ですか?」
「さっきスライムを浴びただろう?まぁ我慢できるってのなら別に構わんが」
「それは…、そうですけど…」
指摘された通り、一応濡らしたタオルで拭いたが、まだあの感触は残っている。それに加え、ここに辿り着くまでに長い間歩き、汗もかいたので水浴びが出来るならば喜ばしい。それでも鳴鳥は素直に頷くことが出来なかった。と、言うのも、野営地と泉はさほど離れていない。二人に限って覗きなどしないと思うが、これほど近い場所で肌を晒すのは抵抗がある。
どうしたものかと悩む鳴鳥に対し、久城は気持ちを察したようで気遣った提案をした。
「少し、離れた方が良いかな?」
「久城センパイ…」
「別に、後ろ向いていれば良いだろう?」
「そういうものでは無いんですよ」
「…面倒臭いな」
不貞腐れつつも、ジルベルトは何かあったら大声で叫べと鳴鳥の身を案じながら立ち去る。久城からも自分達なら気にせずゆっくりして良いよと言われ、彼はジルベルトに続いて離れて行った。
またしても二人に気を遣わせてしまったが、水浴びが出来るのは素直に嬉しい。お言葉に甘えるように鳴鳥は泉に向かった。
第49話 At a dark star
野営地から少し離れたジルベルトと久城。適当な所で腰を下ろしたジルベルトは煙草を取り出して火を点ける。一息ついた後、精神結晶を使用したランプに照らされ、今日起きた事をメモに纏めたり、地図で進路を確かめていた。久城も手持ちの銃の整備に取り掛かっていたが、手際が良いせいか直ぐに終わらせてしまう。カップに注がれた茶も飲み干し、いよいよ手持無沙汰になった所で水の音、鳴鳥が身を清めているだろう水音が耳に届いた。意識しないでおこうと考えるが、他に音を立てる物も無く、静かな洞窟内では余計に響いて聞こえる。他の事に意識を集中すれば気にはならないだろうといった思いもあるが、久城には以前から確かめたい事があった。今はジルベルトと二人であり、鳴鳥は離れた場所に居る。と言っても叫べば声が届く距離なので、ジルベルトだけに聞こえる様に声量を下げて話しかけた。
「任務外の事で一つ、質問したいのですが、良いですか?」
「何だ?言ってみろ」
「…鳴鳥の事です」
記録帳に目線を落とし、ペンを走らせていたジルベルトは鳴鳥の名前を出した瞬間、ピクリと反応し、手を止めた。俯いているせいで表情は分かりにくいが、身に纏う空気が変わり、常に不機嫌そうな面が更に険しくなったように感じる。
これまでの行いから、ジルベルトに自分の事を受け入れては貰えないと久城は覚悟していたが、今日の任務で幾分か態度が軟化したように思えた。それでもこの話題は彼の不興を買うようで、迂闊に口にしたことを後悔しかけた。返事を諦め、前言を撤回しようとしたが、態度とは裏腹に、ジルベルトは口を開く。それでもやはり、苛立っているのか、声は低く、あしらうかのような言い方である。
「…アイツがどうした」
今から久城が問おうとする事は、この先の任務に支障をきたすかもしれない。それでもこんな機会は無いかもしれないという考えが迷いを消し去った。
「貴方は、鳴鳥の事をどう思っているんですか?」
「アイツを?…アイツは無鉄砲で手の掛かる奴だが―――」
「…誤魔化さないでください。僕の言いたいことは分かるでしょう?」
「…」
溜息を吐いたジルベルトは記録帳を置き、冷め切ったコーヒーが注がれたマグカップを手に、一気に飲み干す。明らかにこちらの意図は伝わっているようだが、はぐらかしたいようだ。本当に何も思っていなければ、誤魔化しなどせずに否定すればいい。そうしなかったのは久城の予想通り、ジルベルトが鳴鳥の事を想っている表れだろう。
「僕が聞きたいのは、彼女の事を恋愛対象として見ているか否かです」
「…その事か。お前には言っていなかったか、俺はあんなまな板には興味ない。最低でもCカップは―――」
「そうですか。でしたら僕が彼女に想いを告げても、その想いが叶ったとしても、文句はありませんね」
素直に話す筈がないと分かっていたが、ここまで往生際が悪いと腹立たしくもある。突いて出た言葉は宣戦布告とも取れるもので、早まってしまったかと言い切った所で後悔しかける。それでもここまで言ってしまえば流石に本性をさらけ出すだろう。そう思ったが、ジルベルトは肩の荷が下りたかのような、スッキリとした顔をしていた。
「俺はアイツが幸せならばそれで良い」
「本当に、良いのですか?」
「ああ。アイツを散々傷つけたお前の事はまだ許せた訳ではないが、アイツが選ぶのならば致し方ない」
「…仮に、鳴鳥が選ぶのが、貴方だとしたらどうしますか?」
「安心しろ。それは無い、絶対に無いな」
「そうとも言い切れません。思い当たる節が幾つかありませんか?」
一緒に過ごすようになってまだ日の浅い久城にも鳴鳥の想いが向いている方向を感じさせる場面があった。それならば自分よりも長く共に過ごすジルベルトには彼女の想いに気付く機会が何度かあっただろう。
顎に生えた無精髭を右手で擦りながらジルベルトはこれまでの事を辿っているようだったが、結局は笑い飛ばしながら否定した。
「…ただ単に、弱っている所で優しくされて、勘違いしているだけだ。そんな想いは直ぐに揺らぐ不確かなものだ。それに俺は―――」
「その事なら存じています」
「…どこまでだ?」
「テレンティアで、貴方に完敗した後にセルべリアが色々と教えてくれたんです。ARKHEDは精神力によって稼働する。ならば敵の情報、弱みは知っておいた方が良いと」
「そうか…。だったらなおの事―――」
「僕の枷は外れました」
「…!」
これまで動じる事の無かったジルベルトの目が見開かれ、言葉を詰まらせる。身を乗り出そうとして動いた足先はマグカップに当たり、カラカラと音を立てて転がって行った。些細な事に気を止めている場合では無いのだろう。ジルベルトは転がったカップをそのままに、久城を睨み付けて詰め寄る。
「どういう事だ!?」
「声を荒げないでください。鳴鳥に気付かれます」
「…す、すまない」
久城は冷静にジルベルトを嗜め、彼も状況を察したのか、声の大きさを絞って素直に謝る。それでも問いたい気持ちは抑えきれないようで、早く話せと鋭い目つきで促した。久城としてもこのままではジルベルトの本心が聞き出せないであろうと考え、隠す事無く真相を明かした。
「…事情を明かせなかったのは研究機関、SARの方から口止めをされていたからです。それと、残念な事ですが、僕自身も何故枷が外れたのかわかっていませんので、不確定事項で他の契約者を失望させないようにという配慮です」
「…そう…か。…ならば致し方ない事だな…」
目に見えて分かるように落胆したジルベルトは身を引き力なく座り込む。期待させておいて落胆させたようで久城は気が引けるが、ある程度覚悟していたであろうジルベルトは一息つくだけで気持ちを切り替えた。
「所で、お前の枷は何だったんだ?」
「『破壊衝動』…いいや、そんな格好つけたものでは無くて、人を殺すという厄介なものです。時折どうしようもないほどの憎悪に駆られて、手を下してしまう。周りの全てが敵に見え、症状を抑えるためにテレンティアでは処刑人をしていました」
「成程な。確かに、今のお前はあの時と違う。憑き物が取れたかのように感じていたが、実際に枷という厄介なものを取り除けたわけだ」
「研究員の方々は初の事例で予断は許さないと言っていましたが、自分としてはもうあの様になることは無いと言いきれます」
「それは…」
「ARKHEDは意志の力で動く。そして今、僕を動かしているのは鳴鳥への想いからであって、彼女を悲しませる事など絶対にしない」
思ったことをそのまま告げたが、聞いていた方が恥ずかしさを覚えたのだろう。ジルベルトは驚いたのちに口元をヒクつかせ、目線を逸らした。一方久城は真剣な表情で、その瞳には迷いなどない。その真摯な想いが伝わったのか、笑いかけていたジルベルトは咳払い一つで何時もの仏頂面に戻る。
「僕という前例もあります。仮に貴方の枷が無くなったその時はどうするつもりですか?」
「だとしてもだ。俺の好みではないし、アイツは俺を選んだりなどしない。考えてもみろ、俺はアイツと16も歳が離れている。あり得ないだろう?」
「歳の差など関係ないと思いますが。…貴方がそこまで言うのならば遠慮はしません。これまで鳴鳥を守って下さった貴方だからこそ、義理を立てなければと思いましたが、どうやら必要なかったようですね」
「おう、せいぜい仲良くやってくれ。アイツにとってもその方が良いだろう」
了承は得たのだが、久城はどこか納得がいっていない様子である。それでもこれ以上追及しても無駄だと悟った彼は話を終わらせた。
タイミングが良いのか悪いのか、二人が話を終えた所で足音が近づいて来た。
黒色と白色が折り重なった岩肌の洞窟内。そこには澄み切った泉があった。
水浴びをする為に、鳴鳥は身に纏う物をすべて取り払う。衝撃をある程度吸収するピッタリとしたスーツ。少々圧迫感があるそれを脱げば開放感を感じるが、同時に肌寒さも味わう事になる。手早く済ませてしまおうと考えた鳴鳥だが、手で触れた水は意外にも温かく、すんなりと入ることが出来、水中の方が居心地よく感じた。
「(んー…。気持ちいいけど、いつまでも待たせるのは良くないよね)」
泳いでみたくもあるが、今は任務中であり、二人を待たせている。汗を流し、まだスライムによるべたつきを感じた頭を洗い、手早く水浴びを終えた。
再び少し窮屈なスーツを纏い、肩にタオルを掛けた鳴鳥は二人の元へと近づく。二人きりで大丈夫かと心配であったが、何事も無かったようだ。二人は離れた時と変わらぬ様子であった。
次に水浴びに向かったのは久城で、鳴鳥はジルベルトと二人きりになる。彼とこうして向かい合うのはあの日、ジルベルトにもう馴れ馴れしくはするなと言われて以来であり、内心身構えてしまう。銃の整備をしているジルベルトは無言であり、此方には気にも留めていないようで安心するが、何故か寂しくも感じた。
「(やっぱり、ジルベルトさんと話せなくなるのは…悲しい)」
彼と全く話せない訳ではない。皆が居るブリーフィング中も、今回の任務中も、何時もの彼らしい態度であった。結局の所どこまでが良くて、どこからがいけないのかよく分からないが、確かに以前より距離を感じる。
ジルベルトの言った事は間違ってなどいない。それでも彼から拒まれた時はどうすればよいか分からず、受け入れることが出来ず、背を向けた。鳴鳥自身、未だにどうしてそんな態度を取ったのかは理解できない。
久城への想い、ジルベルトとの事。これまで久城の事で思い悩む日々が続いていたが、その悩みが無くなったのは僅かの間で、今は二人の事が頭から離れない。
「…へくちっ!」
「…今のはくしゃみか?」
「あ、はい。お気になさらずに…」
「そう言えば髪が濡れたままだったな」
使用したタオルがいくら吸水性抜群と言えども完全には乾かしきれない。ジルベルトは腰のポーチから何かを取り出すと鳴鳥に手渡してきた。それは二つのシルバーリングで、それぞれ赤色と緑色の精神結晶が埋め込まれていた。
「えっと、これは…」
「赤いのは熱を、緑のは風を発現させる。ドライヤー代わりって事だ」
「あ、ありがとうございます!」
早速指にはめて頭にかざしてみる。けれども精神結晶の扱いに慣れていないせいか、熱風がもの凄い勢いで吹き付け、思わず手を離してしまった。驚き間抜けな声を上げたせいか、ジルベルトは笑いを堪えているようで、口元を手で押さえて目線を逸らした。
せっかく貸してくれた物だが、制御できなくては意味がない。今すぐ指輪を投げつけたい所ではあるが、何とか抑えて睨み付けるだけにしておく。ひとしきり笑って落ち着いたのか、ジルベルトは鳴鳥から指輪を取り返すと、自らの指にはめて鳴鳥を後ろに向かせた。
「熱くないか?」
「…ちょうど良いです」
温かい風は心地よく、思わず目を細める。その暖かさは精神結晶の力だけでなく、ジルベルトのお蔭であるとも錯覚させ、嬉しくもあった。暫くして、髪が乾ききった所でジルベルトはかざす手を下した。暖かな風が止み、残念に思うが、いつまでもは続かない。その気持ちを表さぬよう笑顔を作り、向かい直った鳴鳥は礼を言った。
「ありがとうございます」
「いや、気づかなくてすまなかった。どうにもこの身体だと、普通の人の感覚を忘れてしまう」
「そう…ですか…」
無意識的に悲しげな顔をしたのだろう。ジルベルトは困ったように眉をハの字にし、お前が気に病む事ではないと言った。何時もの彼ならば、ここで頭に手を伸ばし撫でてくれたかもしれない。けれども今日は直ぐに身を離した。分かってはいたが、その事実を直視できず、フイと顔を逸らして荷物を漁り、鏡と櫛、えんじ色のリボンを取り出した。背を向け自分だけにしか見えない鏡。そこに映る表情は酷く、微妙な距離感に戸惑うのではなく、明らかに悲しんでいるものであった。
自分の気持ちが分からないと目を逸らしていたが、それも言い訳である。それでも今、大事な任務中に結論を出してしまうと失態を犯しかねない。自分自身に言い聞かせ、過った考えを吹き飛ばすように首を横に振り、表情を整えた所で気合を入れるよう何時もの髪型、ツーサイドアップに括り上げる。
「…おい、後は寝るだけだろう?何故髪を括る」
「え?…寝ている時もこの髪型ですけど」
「は?型が付くぞ。せっかくの髪が台無しに―――」
「せっかくの?」
「…っ!」
ジルベルトの思わぬ言葉に鳴鳥は首を傾げる。つい口を滑らせてしまった当人はというと、言葉を詰まらせた後にワザとらしく咳払いをし、誤魔化そうとした。
彼が褒めてくれている。髪の事など些細ではあるが、鳴鳥は口元が緩むのを止められなかった。嬉しさからニヤついていたせいか、ジルベルトの癇に障ったようで、彼は眉間に皺を寄せて前言撤回を…と言うよりも、小馬鹿にしてくるような態度を取る。
「ただでさえ女の価値の低いのが更に悪くなるっていう意味だ」
「ひ、酷い!そこまで言うなんて…!」
「言われたくないならもう少し淑やかさを身に着けてだな…」
傍から見れば痴話喧嘩をしているようなやり取り。ジルベルトに言われることは相変わらず辛辣であるが、心の底から嫌と言う訳ではない。棘のある言葉が彼の本心ではないと気づいているのもあるが、こうして親しく話せる時間も貴重なのだと感じるからだ。
居心地の良い時はあっという間に過ぎる。下らなくもある言い争いをしていたが、久城が戻ってきたため、ジルベルトは会話を止めて立ち上がった。
「後は頼んだぞ」
「はい。任せて下さい」
今度はジルベルトが泉に向かい、久城が腰を下ろす。もう話せない事を残念に思う気持ちが出てしまったのか、鳴鳥の視線はジルベルトの背中を追う。やがて岩陰に隠れた所で向き直ると、ランプを挟んで座る久城と目線が合った。何故だか気まずく感じる鳴鳥は視線を落とすが、久城は何時もと変わらぬ笑みを浮かべていた。
「随分盛り上がっていたね」
「べ、別に盛り上がってはいませんよ?ジルベルトさんがまた酷い事を言ってきて、それに反論していただけです」
「そっか…。僕としては、君と口喧嘩できるのは羨ましくあるけどね」
「え!?どうしてですか?」
「怒った鳴鳥の顔も見てみたいし、痴話喧嘩ってのも微笑ましくて良いなと思うんだ」
「…そ、そうなんですか。でも、久城センパイは酷い事なんて言いませんし…」
「それもそうだね。僕は君を悲しませたり、嫌がるような事はしたくない。どちらかと言えば―――」
急に立ち上がった久城は鳴鳥のすぐ傍へ寄り、腰を下ろす。肩が触れてしまいそうになるほどの距離になり、鳴鳥は驚き身を引くが、その態度が拒まれたと思ったのか、久城は悲しげな表情で謝って離れた。
「…傍は嫌だった?」
「い、嫌と言う訳ではなくて、急な事で驚いてしまっただけなんです…」
「そうか…。それじゃあ、傍に行ってもいい?」
「は、はい…」
了承を得た久城は先程とは違い、ゆっくりと身を寄せる。許した以上はいくら緊張していたとしても離れる訳にはいかない。こんなに近いと心臓の音が聞こえてしまうのではと気になるが、久城は優しい笑みを浮かべるだけであり、鳴鳥が未だに緊張していることを気に留めていないようだ。
「…そのリボン、大事に使ってくれているんだね」
「あ、はい…。えっと、憶えていたんですか?」
「勿論。そのリボンを選んだのは僕だからね」
「えぇ…っ!?」
久城の妹、由利亜から誕生日のプレゼントに貰ったえんじ色のリボン。少しは女の子らしくねと言われて渡された物だったが、まさか久城が選んだとは知らずに鳴鳥は驚く。由利亜の事を忘れないようにと常に身に着けていたが、久城の思いが込められていたと知り、鳴鳥にとってはますます大事な物へと変わった。それでも女の子らしいこのリボンは似合っているのか不安に思う事もあり、恐る恐る久城に問いかける。
「…その、変じゃないですか?」
「そんなことは無いよ。寧ろよく似合っていて可愛いと思う」
「…っ!そ、それはリボンが可愛いだけであって私は…」
柔らかい笑みを湛えた久城に褒められ、あり得ないと赤面して否定する鳴鳥。世辞ではないかとも思うが、久城に限ってそれは無い。戸惑う鳴鳥対して久城は余裕があるようで、そっと手を伸ばし、リボンで括ったひと房の髪を手に、顔を寄せた。髪に落とされたキス。神経など通っていない筈なのだが、触れた部分が熱く感じる。少しばかりキザったらしい仕草も、久城がすれば様になっており、顔を火照らせた熱が頭まで達しそうになった。
「くくく久城センパイ!?ななな何をっ!!」
「下していても可愛いけど、この髪型、良く似合っている。凄く可愛いよ」
「そんな事、ない、です!も、もう…。お世辞が上手なんですから」
「お世辞なんかじゃない、本心だよ」
「うぅ~!だからそんな真剣な眼差しでそんな事を…っ。勘違いしてしまいますので止めて下さい」
「勘違いじゃない。僕は―――」
言葉を途切れさせた久城の顔が近づく。幼い頃からの付き合いで見慣れている筈の顔であるが、整った容姿がここまで近いと落ち着かず、心臓が跳ねる。久城の言葉の先が気になるようで、その言葉を受けとめられるのかと鳴鳥は不安にもなり、戸惑い目は泳ぐ。やがて息をするのすら難しく感じ、呼吸困難に陥った。このままでは命の危険すらもあり得る。そう思い至った時、頭上から不機嫌そうな声が降ってきた。
「お楽しみの所悪いが、そういうのは任務が終わってからにしてくれないか」
「ジ、ジルベルトさん!?」
タオルでわしわしと荒っぽく髪を拭くジルベルトは何時にも増して眉間の皺が深い。彼の指摘はもっともであり、忠告を素直に受け止めた久城は鳴鳥の傍から離れて立ち上がる。
またもやジルベルトによって近づいた二人の距離が遠のいたのだが、前回と同様、鳴鳥は内心ホッと胸を撫で下ろした。
皆が水浴びを済ませ、武器の整備も終わり、後は寝るだけとなる。暖かい光を放つランプを中心に、鳴鳥と久城は身を横たえる。身に着けているスーツのせいか、ブランケットのみでも肌寒さは感じず、寝心地は悪くなかった。今の所さしたる脅威は無いが、眠らなくても平気なジルベルトは見張り役をしている。
鳴鳥が身を横たえて数十分。未だ目はぱっちりと冴えていて、眠くはならない。荷物を持ち、悪路を進み続けていたから疲労は溜まっている。全く疲れていない訳ではないのだが、鳴鳥は直ぐに眠りにつくことが出来なかった。有体に言えば身体は疲労を訴えるが、脳が休むのを拒んでいる状態である。何故そのような状態なのかというと、目を閉じれば先程の光景、ジルベルトがもう触れてこなくなった事や、久城の積極的とも思える仕草が蘇るからであり、その事が頭から離れないからだった。
久城が触れてくるのも、近づいてくるのも嫌な訳ではない。彼と一緒に過ごせることは心の底から嬉しく思う。及び腰になってしまうのは男性とこういった親密な雰囲気になるのが慣れていないせいだと理由づけられるが、中断されたことに安堵するのは自分でも不可解に思う。
ジルベルトの事もまだハッキリとした答えが出ない。彼から拒まれ、これまでとは違う見えない壁があるかのような態度を取られ、胸が苦しく涙を溢しそうになる。なぜそう思うのか、分かりかけてはいるものの、そんな筈はないと認められない自分も居た。
「(私が好きな人は―――)」
ぐるぐると巡る想い。結局明け方近くまで鳴鳥は思い悩み、ようやく寝られたと思うと直ぐに朝が来た。
任務二日目、鳴鳥達は目的地に向けて再び歩き出す。各々が複雑な想いを抱えているが、誰一人としてその胸の内を明かす事なく、歩みを進める。




