雑談
部屋の窓から、外を見る。夜の暗闇に包まれた景色は、教室の窓から見る景色とほとんど変わらない。昼と夜だとか、場所が違うとか、そういうことではないのだ。僕にとって、景色というものは、ただ目の前に広がっているだけのものなのである。
部屋の中にいれば、内側の景色。外に居れば、外側の景色。つまり、学校にいようと、家にいようと、僕が見ているのは、内から見た外の景色にすぎないのだ。浪漫がある無しじゃない。そう見えてしまうのだから、仕方がない。
僕のこんな感性を、千堂美月はどう見るのか。
浪漫の欠如?
貧困な感性?
枯渇した想像力?
どうだろうか。美月は、あの奔放な女は、どんな言葉で、僕の感性を表現するのだろうか。そんな事を考える。僕は窓を開け、夜風を部屋に入れる。髪を少しなびかせる程度のそよ風。僕はそよ風を顔に受けながら、美月の事を考える。
少なくとも、美月という女は、僕にとって大変刺激的な女だ。
僕の中にある、自分でも気付かなかった感情を、美月は掘り起こしてくれる。その掘り起こされる感覚は、鬱陶しいだけの詮索とは違う。僕は、窓から少し身を突き出してみる。別になんてことない。ただ、美月がやりそうなことを真似てみただけだ。何の意味もない。
意味もないことも、少し楽しいものだな。
僕は夜風を頬に受けながら、そんなことを思っていた。
「目に映るものを、一樹はどう感じる?」
放課後、手にした台本に視線を落としたまま、美月はそう言った。いつもの庭園の、いつものベンチ。僕はパンを頬張りながら、美月の問いに対する答えを考える。
「そこにあるなって感じかな」
「そこにある?」
疑問を口にしていても、美月は台本に視線を落としたままだ。
「そこにリンゴがあれば、ああ、リンゴだなって思うし、そこに知り合いがいたら、ああ、知り合いがいるなって思う。それだけ」
美月は変わらず台本を読んでいるが、一瞬だけ横目で僕を見て、また台本に視線を戻す。それから、また話し始めた。
「そこにあるっていう認識が、まず特別なものだよ。だって、一樹はそこにあるリンゴだとか、友達を、感じとっているわけでしょ?」
そこで美月は台本を閉じる。
「なんにも感じようとしない人は、リンゴを見ても、リンゴだとすら思わない。ただ、そこに何かがあるなって感じとるだけ。限りなく人に無関心な人は、道行く知り合いに気付かない。閉じた世界に自分を閉じ込めているよりは、そこにある物だったり人だったりを、当たり前のように感じとれる凡人の方がいいと思う」
凡人とは。中々に手厳しい。まあ、当たり前の人生を望む、凡人至上主義者である僕としては、願ってもない称号ではあるが。
「でもさ、何かを見たり、聞いたりで、そう簡単に感情揺さぶられるかな?」
僕がそう問うと、美月は自分の鞄から水筒とスチールカップを取り出して、カップに水筒の中身。おそらく紅茶を、カップに注いで飲み始める。
「いちいち、カップにいれて飲むんだ」
美月は注がれた紅茶を一杯ぶん飲み終え、僕に微笑みかけながら、「だって、ペットボトルのふたで中身を飲む?」と言い放つ。そういう問題ではないように思うのだが、それを言ったところで、またなんらかの美月流の理屈で押し切られるだけのなので、やめておく。
「で、そう簡単に感情が揺さぶれるかだっけ?」
美月は二杯目をカップに注ぎながら、聞く。
「うん」
「例えばさ、一樹は、目の前の女の子のスカートがめくれて、パンツが丸見え状態になったらどう思う?」
「嬉しい」
「更に、そのパンツ丸見えちゃんが物凄く美少女だったら?」
「超嬉しい」
「でしょ?」
美月はそう言って微笑む。
「だけどさ、パンツ丸見えちゃんとの遭遇率なんて稀だし、そもそも、それって見たり、聞いたりっていうさっきの会話と関係あるのかな」
僕がそう言うと、美月は僕の目を指差して、「多分さ、一樹が思ってる以上に、パンツ丸見えちゃんは多いよ」と言った。真面目な顔でパンツ丸見えと発言するのは、、面白い。なんだか、凄く間抜けだ。
「つまりはさ、探そうと思えば、自分の心を揺さぶれるものは見つけられるってこと。目を開けて、周辺をくまなく探せば、どっかに自分の望んでる何かが落っこちてる」
「その例えがパンツ?」
「うん。だって、パンツ好きでしょ」
そりゃ好きだけども。
「小難しい例えじゃ、納得しないでしょ? 人間の欲望って、しっかり自覚して、応用すれば、物凄い力になるんだよ? つまり、パンツ愛をエネルギーに変換させれば、もっとクリアに世の中を見渡せるってわけ」
自信満々に、美月はそう言った。
「そういうもんかね」
僕がしばし欲望について考えていると、いつの間にか水筒をしまった美月が、ベンチを立ち、僕を見た。
「あのさ、明日は私、学校休むから、会えない」
「なんか用事でもあるの?」
少し、プライベートに突っ込みすぎただろうか。僕は少し心配になったが、美月はそんなことを気にする様子はなく、「うん」とだけ答えた。
「そっか。分かった」
僕がそう言うと、美月は笑った。
「じゃあ、私帰るね」
「ああ。じゃあ、また明後日」
走り去る美月を見送って、僕は庭園に一人残される。
「今度、一緒に帰ろうって誘ってみようかな」
そんな恥ずかしい独り言を口走りながら、僕は走り去る美月の後ろ姿を思い出していた。その背中は、やはりどこか悲しげだった。




