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可能性の溢れる未来を


「それに比べてあなたのなんと無垢なことか。今まで制限されていた分、少しずつ、人らしくなるあなたは可能性の塊だと思った。わかりづらいかもしれないが、私の人生においてあなたのような無垢で、可能性に溢れた存在は初めてなのだ。言い方は悪いが、私の母に、よく似ていると思ってしまった。地下のこともそうだ。あなたはきっと、母のように人々の心に大きな影響を残す才能がある。私はあなたの才能が花開くところを、間近で見たい。だから――」

 

 体が離れる。

 寂しいと思ってしまう。

 でも、完全に離れるとは少し異なり、ヘルムート様はベッドの下に跪く。

 懐から小さな箱を取り出して、開ける。

 中に入っていたのは指輪だ。

 目を丸くする。

 

「結婚してほしい。私の生涯をかけてあなたを幸せにする努力をするので、私を選んでもらえないだろうか?」

 

 なにを――なにを言われているのか。

 僕は、今、ヘルムート様に。

 指輪。跪くヘルムート様。僕の前に。

 僕は、僕の前に、僕、ヘルムート様が、ヘルムート様に……。


「え? ……え? え……?」

「ゆっくりで構わない」


 ヘルムート様にそう言われて、口を手で覆い、混乱する頭を必死に落ち着けてヘルムート様に言われた言葉を反芻する。

 目の前に差し出された指輪。

 結婚と言った? 結婚って言った?

 幸せにする、努力ってなに? 誰が誰を選ぶ?


「待ってください。待ってください……! それではまるで……まるで、ヘルムート様が……ぼ、僕を……」

「ああ、私はあなたを愛おしく思っている。あなたが許してくれるのならば、契約ではなく正式に結婚をしてほしい。いや、契約についても……その、先ほども言った通りあなたを繋ぎ止めておきたかったからであって……私はあの頃からあなたに惹かれていたのだ」

「っ……」


 手を握られる。

 自分に都合のいい夢を見ているような気がして、首を横に振ってしまう。

 体がますます熱くなって、涙が溢れて溢れてまた嗚咽が出てきてしまった。

 発情期の興奮とは別種の興奮で、涙が止まらない。

 どのくらい泣いたのかわからないけれど、いつの間にかタオルを濡らして僕の目元に当ててくださる。

 カーテンの隙間からは光もなくなり、きっととっぷりと夜になってしまったに違いない。

 早くヘルムート様を解放して差し上げないと。

 夜ご飯が遅れてしまう……。


「少し落ち着いたか?」

「は、はい……も、申し訳……」

「大丈夫そうなら、食事はこちらで一緒に取ろう。そのあと湯浴みしてくる。あなたの返事がどうあれ、あなたの発情期中の相手は私にさせてほしい」

「あ……う……は、はい」


 このあと、夕飯を食べてから湯浴みしてヘルムート様と……。

 そう思ったら涙が引っ込む。

 結局は発情期なので、そういう期待をさせられるとそちらが優先になってしまう。

 でも、そのおかげで本当に落ち着いたし先ほどの言葉と共に握らされた小箱――指輪を見下ろす。


「ヘルムート様……は、その……本当に、僕なんかで、よろしいのですか……?」

「ん? 結婚のことか? カミルは私では嫌か?」

「とんでもないです。むしろ、あの……僕も、ヘルムート様が好きです。好き、なので、多分……僕の感情が、世間一般でいうところの恋情で合っているのかどうかは検証していくべきなのかもしれないですけれど……」


 小説で得た知識を総合的に考えて、自分の心情の変化に当てはまるのは恋情ではないかと思っている。

 そしてヘルムート様が僕に向けるのも、同じもの?

 同じものだから結婚する。

 契約ではなく、恋をして、恋をされての結婚。

 これは夢?

 僕にとって都合のいい。いや、よすぎる。


「そうであれば嬉しい」

「ぼ、僕もです」


 だんだんと、止まったはずの涙がまた溢れてきた。

 ヘルムート様がタオルを目元に当てて、溢れる涙を吸ってくださるけれど。

 僕はこんなに泣いたことはない。

 どうしてこんなに止まらないのだろう?


「お互いに恋だの愛だのと、あまりにも縁遠い人生だったからだろうな。俺も自信がないと言えば自信がなかった。だが、あなたが誘拐された時、あらゆるものをかなぐり捨ててあなたを捜しに行きたくて焦って焦って仕方なかった。だから今は、確信を持って言える。私はあなたを愛している。改めて落ち着いたのなら、聞いてほしい。私はあなたを愛している。あなたを幸せにする努力をするので、どうか私と結婚してほしい」

「っ……」


 差し出された指輪。

 本当に、本当に僕なんかでいいのだろうか?

 僕なんかがこの幸せを受け取っていいのだろうか?

 涙が落ちる。

 でもここで、この人を拒むことなんて僕にはできない。


「こちらこそ、どうか……どうか、僕を……あなたのお側に置いてください。なんでもします。なんでもするので――」


 ヘルムート様が指輪を僕の左手の薬指に差し込む。

 この人のことが好き。

 ヘルムート様も、聞き間違いでなければ、僕のことを……。

 僕の人生でこんな奇跡のようなことが起こるなんて。


「愛している。カミル」

「僕も、お慕いしております。ヘルムート様」


 唇が合わさる。

 これが、キスというもの。

 あたたかくて、柔らかくて……気持ちが通じているだけでこんなにも――。





 ◇◆◇◆◇


 

 

「聞いたか? カウフマン邸の地下室に、クロイドシリーズの隠し部屋が追加されたらしいぞ」

「本当か!? それはぜひ予約しなければ! ああ、次のミステリーツアーも楽しみだ……!」

「“ヒューズ・ロッセ”の新作、『探偵メイフの溜息』シリーズも新刊が決まったそうですよ。来月発売だとか!」

「なんだって!? それも予約しないと!」

「いやはや……作者がオメガだと聞いた時はそんなバカな、と思ったが……もうそんなのどうでもいいですな」

「ええ、素晴らしいものは素晴らしい!」


 ざわざわと城内の廊下で話しが弾む貴族たちを横目に、書類を持って軍部へ向かうヘルムートは口元を緩める。

 それを察してなのか、ユーインが「奥方の新作、本当に人気のようですよ」と耳打ちしてきた。

 ヒューズ・ロッセの名を継いだ“彼”、は存分にその才能を発揮している。

 つい数年前まで“奴隷樹の首輪”で人形のようだったなどと誰も信じないだろう。

 カウフマン邸の離れの地下室は定期的に貴族相手にミステリーツアーが組まれ、それに参加して謎解きをすることが今の貴族たちにとって最高のステータスになっている。

 と、同時にヒューズ・ロッセの新作は人気が爆発的に広がった。

 いずれ地下室にヒューズ・ロッセの新作に纏わる謎部屋も追加されることだろう。


「私も彼に飽きられぬように努力しなければな」





 終

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