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時忘れの部屋

バアル・ゼポンは王族より神殿が優先される。しかし、王族は外交の要であり国の政(まつりごと)を司っていることに変わりはない。

だから、王族が集う王城も大神殿同様、防衛機能は揺るがない。

そのはずだった…。


アザリアが封じていた多重呪詛の結晶(ペンダント)が砕かれたことで放たれた無数の漆黒の刃(のろい)は大気を切り裂き、絶対の防御を誇る大神殿と王城の結界をも弾き飛ばした。

結界を失った王城の城壁や塔は、次々と強い呪いを秘めた刃の前に崩落し始めていた。



「城が崩れたぞ!」

誰かが叫んだ。

城門前で戦っていたケトラはその声を聞く前に、結界が弾けた衝撃を受けて城を振り返っていた。

祭司たちが紡ぐ城の結界はテモテの攻撃魔法やダベルネ国の魔道具でも決して揺らぐことはない。

それが、一瞬で破られ、散っていく…。


結界を破った黒い小さな刃は城のみならず霧のように都中に広がり、それに触れただけで魔物や傭兵達が絶命していく。

ところが、不思議なことに自分達は何かに守られているかのように刃(のろい)が当たらない。神の力を近くに感じ、大神殿へと視線を走らせたが、大神殿を守る多数の結界さえ砕け散っていた。大神殿には国を代表する祭司や魔導士が揃っている。その魔力をもってしても結界が破られたのだ。

微細な黒い刃は凄まじい破壊力を秘めているということだ。

いや、大神殿は崩れてはいない。ただ、壁面が魔力の衝突で砂塵を煙のように生み出しているだけだ。神は大神殿をお守りくださっているのだ。そう素直に思えた。


城を振り返ると、各所では叫び声が上がっていた。神は何故、城を見捨てられたのか。


ケトラは副官にその場を任せて、城への転移魔法陣のある場所まで疾走した。

魔法陣に辿り着く前に伝令が上げる声が耳に届いた。


「陛下が崩御された!」


その叫びに耳を疑った。

陛下…父上!

祈る思いでケトラは、転移魔法陣に足を踏み入れ、呪文を唱えた。


ケトラが玉座の間に入った時、多くの一族が泣き崩れていた。

荘厳な玉座の間は、無残にも柱が何本も倒れ、照明も疎らで天井の一部が落ち、床はひび割れていた。高度な防御魔法が施されていたはずの室内とは思えない。

「兄上!父上が…」

年の近い弟の声に、ケトラは崩れた柱の近くで跪く兄弟たちに駆け寄った。

王ゲダリヤの亡骸を抱えていたのは、祭司で妹のエリ姫だった。エリは第5王女だ。近くにはノバが息子である第11王子ケダルを抱きしめながら床に蹲るように座っていた。


「守れなかったのか」

誰かを責めるわけでもなく、ケトラが呟くと、エリは首を横に振った。

「突然でした。黒い稲妻が結界も城壁も柱も貫いて…父上に」

何ということだ。

「陛下は、神の御手と言い残されました」

神の御手?

淘汰の渦の中、死を身に受けるのは本来であれば褒められることではないが、神の御手ならば、神に召されたということだ。


「ケトラ、見ろ」

親族の一人に声を掛けられ、ケトラはその視線の先へ目を走らせた。それは玉座だった。

半ば瓦礫と化した室内の設えの中で、唯一、形を保っている玉座周辺が仄かに明るい。玉座は全く傷ついていない。不思議な青白い光が取り巻いている。


誰にともなく呟きが漏れた。

「精選の玉座…」

青はバアル・ゼポンでは高貴な色だ。玉座の間にも青はふんだんに使われている。しかし、玉座そのものは白い大理石だ。それは、正しき王の青い髪を際立たせる為だと言われている。


ケトラは茫然と玉座を見つめたまま告げた。

「戴冠式の時に稀に輝くことがある。玉座が次の王を望んでいるということだ」

その言葉はその場にいる全員に届いていた。

そして、視線は玉座から8歳の第11王子ケダルへ向けられた。次代の王はケダルだ。

皆が見つめる中、ケダルのトパーズの瞳が、玉座の輝きを映すと僅かに黄金色の煌めきを放った。

その瞳を見ると、大祭司アベンが告げた次期王は正しかったのだろう。誰もが納得した。


「淘汰の中で戴冠式など行えないわ」

エリは困ったようにケダルと周囲の親族を見回した。戴冠式には大祭司の承認も必要になる。大祭司は今、大神殿にいるし、外は戦場だ。

「まずは、結界の再構築だな」

「城全域に張り直すのはやっかいだな。破壊されていない魔法陣がどれだけ残っているか」

「大丈夫よ。予備をアベン様が用意してくださっているから」

祭司と魔導士が城のいたるところに設置されている防御結界の魔法陣を再構築しようと動き始めるまで時間はそうかからなかった。


王の突然の死にも直ぐに冷静に対処できるのは、死に対して準備ができているからだ。

誰の死であれすべては神の御業である。それがバアル・ゼポンで生きる者の思考だった。


ケトラは、ケダルに跪いて声を掛けた。

「神殿が次期王としてあなた様を定めているのですから、玉座へおつきください。戴冠式は淘汰の後で行うことになりますが、王不在の玉座は戦時にはよくありません。今は戦時と同じです」

玉座へと促すしぐさをするケトラに、ケダルは不安そうに母ノバを見上げた。

ノバは静かに頷いてケダルの手を取って立ち上がると玉座へと道を示した。

ケダルの青い髪とトパーズの瞳に、親族は恭しく跪いていく。

玉座への道を作るように整然と並んでいるかのようだ。

そして、ケダルが玉座に座ると漣のような光が瞬いて玉座の間を床から天井へと駆け抜けた。その光の後には青銀の輝きが残るように室内全体を仄かに照らしていた。


「泉の青だ」

誰かがそう呟くと誰もが感嘆符をこぼしながら新たな王への敬意を示した。

その声に応えるように再び玉座から水が湧くかのように青い光が放たれ、その輝きはまるで玉座から広間の正面まで小川が流れるように煌めき、扉の外へと続いていく。

やがて、輝きは城の各地に設置された魔法陣へと至り、失われた防御結界を再構築していった。


「奇跡だ」

「神の御業だ」


気が付くと主の祈りを口にするものや天を仰ぐもの、ひれ伏す者が玉座の間の中だけでなく、外にも溢れ始めていた。


玉座に座ったケダルは眼前の光景に身をすくめた。

青と銀の輝きが波打つように広がっていき母や兄姉達を始め親族たちが皆一様に跪いていく。

それは自分に対しての敬意なのだ。そう思うと喜びよりも恐怖が勝った。玉座で身震いしてしまう。


…怖い。

神様が見ているかもしれない。玉座は常に神の目に晒されていると皆が言う。

神は子どもの自分を王と認めてくれないかもしれない。そう思うと逃げ出したい衝動が沸き上がってくる。


周囲の反応に戸惑っていたケダルが母に声を掛けようとした瞬間、視界が切り替わった。


ケダルは別の部屋にいた。


え…?


玉座の間ではない場所。

人の気配もない。誰もいない。


誰もいなくなってしまい、自分は知らない場所にいる。

座っている椅子も玉座のような石ではなく、木製だ。

自分は20人分の席がありそうな円卓を囲む椅子の一つに座っている。


周囲を恐る恐る見回した。

かなり広い部屋で、天井も高く裕に3階分はありそうだ。周囲の壁に窓はなく、書架が天井まで続き、大量の書物が壁を埋め尽くし、扉さえ見当たらない。


本当に誰もいない。一人だ。


不安で心が乱され叫びそうになった時、不意に左肩に手が掛けられた。

悲鳴を上げるのを堪えたが、肩が震えた。

人の気配などなかったはずなのに。

怯えながら、左上へ視線を向けると傍らに黒いマントを着た大祭司アベンの姿があった。


「ケダル様、王位を継ぐ者に受け継がれる王都の事を語りましょう」

ケダルがその言葉に何かを返す前に、左肩に賭けられたアベンの手が目の前の円卓の上を示した。

目の前には大型の本が置かれていた。

先ほどまで円卓の上には何もなかったはずだ。


表紙の文字は金色でバアル・ゼポンと書かれている。

「その本は歴史書となります。代々の王の名も、大祭司の名も刻まれております。その書籍を学ぶ権利は玉座についたものか、大祭司が選んだ者のみとなります。ですから、ここから出た後、この部屋の事は他言無用です」

声は目の前からだった。

いつの間にかアベンがテーブルをはさんで正面に立っていた。


「あの、ここは?」

「玉座の間の真下になりますが、この部屋に扉はありません。また、王都の時間が他と異なるようにこの部屋もまた時間の流れが異なります」

「あの、よくわかりません」

ケダルはまだ王族としての勉学も始めたばかりだった。この部屋どころか場内の配置図も把握していない。


「この部屋は<時忘れの部屋>と呼ばれております。建国以来のすべての情報がここにはあります」

西都アーホールの書物庫とは比べ物にならない量の貴重な書物が収められている。そのことを示すように書架がゆっくりと動き始めた。

書架が扉のように開いた先にさらに書架が現れ、より古く重厚な棚や本が姿を現してくる。細工も施された堅牢な棚は天井近くまでどれも続いているため、小さなケダルを圧倒し、威圧した。


「母上は、私が今ここにいることをご存知でしょうか」

つい不安になる若い王に、アベンは優しい声で語り掛けた。

「この場所を知るものは僅かです。そして、申し上げたとおり時の流れが異なります。時間とは人それぞれの主観でさえあります。遅いと感じる者、早いと感じる者。時間は使い方で変わります」

つまり、母上はこの部屋の存在をご存じないということだ。そして、他言無用。


時忘れの部屋。

時の流れが異なる部屋ということだろうか。

「日時計は平等に時を刻みます。ねじ回しの時計も、です」

アベンの言葉に、つい反論してしまう。まだまだ子どものケダルに、アベンは微笑みを浮かべた。

「今、私たちは話しています。しかし、玉座の間では全てが止まっています。言い換えると、この室内の時間が止まっており、時間の動かない中で私たちは話しているのです」

ケダルは眉間にしわを寄せた。時間が止まった中で話す?それは可能なのだろうか。

「止まっていないとしたら、我らは高速で進む時の中にいて、玉座の間で瞬きする間に1年を過ごすということかもしれません」

「そんな!あっという間に年を取ってしまいます」

「ええ、ですから、時は止まっているのです」

よくわからないけれど、時間(とき)の流れの異なる部屋ということだけはわかった。


「時は止まっていますが、それでも、そう長くこの部屋には留まれません。早速、王としての英才教育を始めたいと思います」

英才教育…帝王学。

ケダルは身を震わせて驚愕した。確かに王という職(もの)は知識無しでできるものではない。しかし、父が他界したその瞬間にいきなり学べと言われるとは。


「あの、アベン様、私は神学の勉学も不十分です。それに私は魔力や魔法についても学びたいです。王様というのはどれだけの勉強が必要なのでしょうか」

「あなた様を支えるのは優秀な王族と、私(・)の(・)後(・)を(・)継(・)ぐ(・)祭司ザドクです。御心配には及びません。だからと言って無学なことは罪でさえあります。王族とその頂点となる王位についてはもちろんのこと、神事、世界の事、歴史、魔力・魔法についても広く学んでいただきます。時間にして、5年ほどでしょうか」

「5年!?」

「優秀なケダル様だからこそ、5年です。王の中には長く、10年かかった方もいたそうです」

「それは、この部屋から5年、出られないということですか?」

恐る恐る問いかけるケダルは本当に泣きそうな表情をしていた。母上と5年も会えない?!

母を恋しがる幼さの残る王子にアベンはあっさりと告げた。

「よくお分かりですね。では、さっそく始めましょう」


その言葉通り、たちまち教育は始まった。


必要な教材は書架からいつの間にかケダルの前に現れ、目まぐるしく書架が動く姿にケダルが気付く暇もなかった。


どれだけの時間を費やしたのか、ケダルには実際のところ分からない。

睡眠をとった記憶も食事をした記憶もない。5年か10年か。時間の感覚は一切ない。

ただ、アベンから多くの事を学んだ。それは確かだ。


或る時、アベンが最後の書物を閉じ、講義の終わりを告げた。


「バアル・ゼポンの英知は、陛(・)下(・)のものです」


バアル・ゼポンのすべてを把握できたのかと思ったとき、

ケダルは自分が玉座に座っていることに気が付いた。


瞳を瞬く。

玉座。確かに玉座の間にいる。

書物はどこにもない。アベンの姿もない。

目の前には、アベンと過ごした空間(へや)へ行く前と全く変わらず、兄弟や母が跪いていた。

玉座の間の柱や天井も得体のしれない黒いものの攻撃によって崩れている。

父が…神の御手によってこの世を去った、日だ。


ケダルはこの光景に冷静でいられるくらいには知識を得ていた。

鮮やかな青い輝きに包まれる玉座の間に集う一同を前に、ケダルはゆっくりと玉座から立ち上がった。


「バアル・ゼポンは新しい時代を迎えます」

ハッキリとした王(・)の声が響き渡った。

その声は、怯えるように玉座についた第11王子のものではなかった。

姿は変わらない。

しかし、明らかに雰囲気が変わった。


玉座が王となるものを変える。


そういうことが稀にあることを王族は学んでいる。だが、ここまでの変化はそうあることではない。騒ぎたてはしないが、神の力を感じ、息を飲むものが何人もいた。

ケダル自身、玉座に座った時の自分と、今、臣下に語る自分が違うことを自覚していた。

恐らく本当に5年。

そう、5年もアベンは王となるものの心構えを、バアル・ゼポンの過去と現在、未来を、歴史の真実を教示してくれた。


不思議なことに、この玉座の間では瞬きする時間ほどしか経っていない。

時間を制するもの。

それがバアル・ゼポン。

その力こそが無敗の歴史を作っているということ。それこそが、神の存在を証明しているということ。

大いなる力の源泉がバアル・ゼポンとともにある。

これぞ、神の御業(みわざ)なのだと、それを実感できた。


ケダルが右手を掲げるとそこに光が溢れはじめ、魔力がほとばしる。生じた魔力は崩れた城内に点在する魔法陣へ注がれ、崩落した玉座の間の天井や柱を始め、塔、城壁を修復していく。その力は熟練の魔導士に勝っていた。

「なんと、若き陛下は玉座で魔法を習得された」


奇跡が起こる場所。それがバアル・ゼポンの王都バアル・ゼポンだ。


一方、大神殿でも奇跡は起きていた。

大神殿の結界が全て破壊され、堅牢な建物が揺れたとき、中に集う民衆は震えあがって祈りの声を上げた。

その民の前、祭壇の中央で水晶の杖を高く掲げて建物の崩壊を防いだのはザドクだった。

煌びやかな装飾に彩られた大神殿の祭壇に青い閃光が生じ、空間全体を照らし、民衆に畏怖を抱かせる。その姿は青い髪とトパーズの瞳というだけで伝説を彷彿させる。

民衆はひれ伏して祈り続けた。

神は、今、ここにいるのだと。


「恐れることはありません。大いなる神の御業があなた方全てを守ります」

その声はまさに神の声として響き渡っていた。


城の結界が持ち直す中、大神殿の結界も内側から再構築され始めていた。その力の源は大神殿の地下深くから湧き上がる魔力だ。

ザドク自身はそこまで魔力を使っていない。再構築は全てアベンの時限魔法陣によるものだ。

時を司る最高の大祭司であり、神の使途。

悠然と民衆を見下ろしながらザドクは敬愛するアベンの御業に打ち震えていた。魔力の深淵。その域にまで達した人間はアベンただ一人に違いない。


ザドクは知っている。アベンが人々の信仰が揺らぎ始めていることに憂慮していることを。

偉大な大祭司であり魔導士のアベンは、今日この日を待ち望んでいた。

淘汰。

人々が神の言葉である泉の伝承を忘れ、欲望に塗れ、太古の英知が失われた時代を嘆き、アベンは神の粛清を望んだのだ。


人には欲が絶えない。人は罪深い。人は神に裁かれるために存在する。

神の期待する「人」になり得ない者達の罪を全て浄化する。それが大祭司アベンの生涯を賭けた祈り。

ザドクは、アベンの偉大さを間近で見てきた。

他と隔絶する魔法の絶大なる威力。知力。高潔さ。

神の声を聞くということは神に近づくということなのだと感じた。

そして、今、敬愛する大祭司アベンは神を呼び出した。

その代償は計り知れない。

何が起きるのか、想像さえできない。

それでも、大祭司アベンは決断した。


千年前の古代人の時代でさえ「神」を呼び出すなどという畏れ多いことはなされなかったに違いない。

神の降臨。

神による裁き。


ザドクは奇跡の瞬間に立ち会っている自分と民とを選民だと讃える声を聞いた気がした。


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