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【血の洗礼】と目覚めの契約

深紅に染まる世界--。

「これって、【血の洗礼】?」

「だな」

驚くハシーディムに対し、ラハブが同意してから周囲を見回した。

「呪詛は完全に消えたな」

幾つも憎悪を含み凄まじい破壊力で猛威を振るった呪いが今は全く存在していない。代わりに深紅の呪い【血の洗礼】が覆っている。


「なぁおい。【血の洗礼】ってどういうことだよ」

バルクは思わず呟いてアクロンとサーハラを見た。二人とも肩を竦めて首を横に振る。

深紅の空に、赤い大地。遠くの光の柱も何故か赤い光を放っている。

これが【血の洗礼】?


【血の洗礼】がここで再現されるとは。

ラハブは大神殿を睨みつけながらバルク達の問いに答えた。

()()()()()()()ということだ」

敵。エクレシアに【血の洗礼】を発動させた標的(てき)

恐らく呪詛とともに封印されていた【血の洗礼】の力が開放され展開したのだろうけど、敵を倒さない限り、【血の洗礼】は解除されない。

園への門も開かない。


そもそも、【血の洗礼】は終わっていない。

この18年間、ずっと続いている。

今、呪詛は消えたのに、王都は深紅に染まっている。標的がまだ生きているということに違いない。

多重呪詛を生み出した人物。


リベルデンは、老ハギオイの小屋を出る時に見た遺書ともいえる文字を思い出した。

文字は小屋の扉に白く輝いて浮かび上がった。


『杖を持っているのはリベルデンか?わしは眠るが後は任せたぞ。アザリアには会ったかな?彼女を守っているのはエクレシアだ。そして、エクレシアを守っているのはアザリアだ。カーファルならエクレシアを呼び出せるだろう』


そう、ハギオイは言い残してくれていたではないか。リベルデンは茫然と呟いた。

「エクレシアは生きている。」

「え?!」

全員がリベルデンを振り返った。

リベルデンは、視線をカーファルへ向けた。

カーファルはまだ戦っていた場所でエクレシアの名を呼んでいる。それは理に適っている。エクレシアは死んでいない。


だが、どこにいる?

カーファルは珍しく焦るように声を上げていた。

「エクレシア!」

…。

「うるさいわね。何度も呼ばないで。聞こえている」


3度目のカーファルの声に、反応が返ってきた。

声は、カーファルの足元近くから響いた。つい、カーファルは一歩下がって地面の赤い欠片に声を掛けた。

「エクレシア?」

全員が注目した。さっきのは、紛れもなくエクレシアの声だ。しかし、そこにエクレシアはいない。


「こんなに長い時間、敵を倒せないなんて、あなた達、馬鹿なの?」


エクレシアの声に、歓喜の声を上げようとして、リベルデンもラハブも剣呑な雰囲気を漂わせた。

馬・鹿・だと?


カーファルは足元で砕かれた石からゆっくりと声のした方向へ視線をずらした。

大地に倒れ、黒い胞子が消失すると同時に黒い翼も消えたアザリアのあたまから声は発せられていた。

(あたま)は、切り落とされている。喋るはずがない。いや、動いた。

異様な情景があった。

皆が見守る中、首が胴体につながった。…死んでいなかったようだ。

そんなことがあるのか。不死性とか、アザリアにはないはずだ。


緩慢な動きでアザリアの体は地面から上体を起こし、ゆらゆらと揺れたかと思うと、完全に魔王の力を失ったために臓器が崩壊し始め、血を吐きだした。瞳からも血が流れ落ちている。

その奇怪さに皆、生唾を飲んで固まっていたが、アザリアの髪が白から黄金色へと輝き始め波打つように伸びる様に圧倒されて、後退さってしまった。

さらに黄金の輝きが収まると顔立ちにも変化が起き、血の跡は一切なくなっていた。目鼻立ちのはっきりとした美しい容貌はアザリアとは似ても似つかず、その瞳は蒼色に煌めいている。

魔眼はどこにもない。

勝気に微笑むその顔はまさしく第3の門番、エクレシアだった。


「まさか…エクレシア?」

リベルデンがつつくような構えで杖の先を()()()()()()()()()に向けると、彼女の瞳が大きく見開かれた。

蒼色の強い輝きが覇者たちを威嚇する。

鮮やかな艶のある金髪を翻しながら彼女はゆっくりと立ち上がり、赤い龍の剣を拾い上げると、その切先をリベルデンに向けた。

「気づくのが遅いわ、リベルデン。それでも亡霊?私はずっとこの子の中にいたのに」

「悪い悪い。ハギオイ(じいさん)の遺言を皆に伝え忘れていた。ハギオイ爺さんはちゃんとお前がアザリアの中にいてカーファルなら呼び出せると言い残していた」

伝え忘れ?

全員が呆れてリベルデンを白い眼で見下した。忘れて良いことと悪いことがある。アザリアをカーファルが切っていたら…いや、首飛ばされたし。エクレシアまで死んでいたかもしれないっていうのに。


リベルデンは苦笑して手をばたつかせていた。

まぁエクレシアも無事みたいだし。


次に、彼女はカーファルへ切先を向けた。

「それにしても首を飛ばすなんて、カーファル。あなた、女の子に対して失礼すぎる。千年の恋も冷めるわ」

いや、失礼とか、女の子とか、戦いには関係ないだろう。

やっぱり首は飛んだらしい。幻覚ではなかった。いつの間にくっつける技を習得していたのか。

カーファルは、エクレシアの姿に驚きすぎてポーカーフェイスを崩し、反論できずに固まっていた。

千年の恋も冷めるとか、いきなり言われるカーファルに周囲が同情の視線を向けた。


そんなカーファルに代わりアクロンが恐る恐る質問した。

「あの、アザリアは?」

姿が変わるとか意味が分からない。どんな魔法だ?

彼女は艶やかに微笑んで剣を軽く振って見せた。

「安心して。生きてる。今は私が身体を借りているだけ。【血の洗礼】は、標的以外は殺さない」

「それで、首が元通りってどうなんだ?」

バルクは化け物を目撃したと言わんばかりに冷や汗をかいていた。


「あら、簡単なことよ。魔王は<目覚めの契約>を交わした。最初の願いは必ず叶う。でも、契約者が、願いが叶う前に死んじゃったら叶ったとはいえないでしょ。魔王の信用問題よ。だから、魔王によって蘇生されただけ。叶ったことを契約者が自覚しないまま死ぬことはないってわけ。流石、魔王よね。見事に首が繋がったわ」

華やかな笑みをこぼすエクレシアは自信に溢れ全てを見通す預言者のようだった。

死と蘇生さえも作戦の内なのか?

どうも怪しい。行き当たりばったりな気がする。アクロンはついエクレシアの言葉に疑いの眼差しを向けてしまう。


皆が目を白黒させる中、サーハラも、まるで命を懸けた大技を使った人間とは思えないエクレシアの平然とした態度につまらなさそうに問いかけた。


「呪詛は消えたようだけど蘇生したということは、魔王の目覚めの契約はまだ叶っていないということなのか?それに、さっき私は魔族から契約成就の暁には魂を失うことになると教えてもらったんだけど。蘇生されても死ぬだけなんじゃないのか?」

サーハラの言葉に、アクロンは顔を顰めた。どういうことなのか。

どうもエクレシアの言うこととは矛盾すると思う。

目覚めの契約は必ず叶えられるというのが世界の(ことわり)

叶う前に死なないように蘇生するというのは百歩譲って()()としよう。しかし、黒竜カーファルは生きている。呪詛だけが消えて【血の洗礼】は残った。

それは、アザリアの標的も【血の洗礼】の標的もまだ存在している証明ということだ。

それにしても、契約成就後に魂を失うだって?

それはどうなんだ?

エクレシアはアザリアが生きているという。それは、契約成就前だからか?

目覚めの契約が叶っていないとすると…つまり?これからカーファルは殺されるのか。


サーハラの冷めた声に、皆、カーファルとアザリアだったモノを見比べた。

アザリアだったモノであるエクレシアの笑い声が赤い世界に木霊した。

エクレシアとサーハラはそもそも性格的に合わない。どちらも自覚ありのナルシストだ。口論が始まったら厄介だ。

かといって、ここで口を挟むとややこしくなる。


エクレシアは嘲るようにサーハラを見下して回答した。

「私の標的もくてきと、彼女の契約もくてきは同じなの」

「それ、私の質問に対する回答と言えるのか?」

サーハラは片眉を吊り上げてエクレシアに鋭い視線を投げた。

一方のエクレシアは、そんなことも分からないなんて、と言わんばかりの嘲笑だ。


しかし、誰もがエクレシアの言葉にはピンとこない。

トレスを打ったのはカーファルのはず。これにはカーファル自身も眉を顰めた。

標的もくてきが同じ?


【血の洗礼】の標的はトレスを覇王門へと嗾け、呪いを振り撒こうとした奴だ。

アザリアの仇はトレスを討った傭兵黒竜。


「え?だって、彼女の仇は傭兵黒竜じゃ?」

戸惑うハーリールは素直に疑問を漏らしてしまった。

エクレシアは面白そうに皆を見つめ、にこやかに告げた。

「彼女の願いはトレスの仇討ち。私の標的はトレスを操り、その魂を砕いた奴」

「えっと???」

つまり、それは同一人物で、傭兵黒竜ではないということか?

ピンとこないアクロン達にエクレシアはため息をついた。

ハシーディムは頭を掻いた。

「それは、誰なのでしょう?」


その質問にエクレシアは妖艶な笑みを王城へ向けた。

結界が破壊され、城の中核を成す建物が半壊し遠目にも大騒ぎになっているのが火や魔力の光でわかる。

「ついさっき、死んだわ」

そう言って皆を振り返り、エクレシアはいたずらっ子のように笑って見せた。


死んだ?【血の洗礼】が広がったままなのに?アザリアの首が繋がって蘇生したのは仇がまだ生きているからではないのか?


「まさか、アベンを!アベンは私の獲物だぞ!」

大神殿の結界がすべて砕けた。アベンが死んだということかとラハブが狼狽える。

そこは、喜ぶべきだと思うのだが、アクロンは呆れてつい半眼になってしまった。

エクレシアは慌てるラハブにため息をついて、首を横に振った。

「アベンじゃないわ。アベンは生きてる。あいつ、狡猾すぎる。甘く見ていたわ」

エクレシアは大神殿を睨みつけて剣を大地に打ち下した。金属音から怒りさえ伝わってくる。


ラハブが、アベンが生きていると聞き安心する傍らで、リベルデンは腕組みして問い返した、

「アベンじゃないなら、誰だ?」

テモテで聞き込んだ情報からアベンがこの騒動の根源であることに間違いはない。にも拘らず、エクレシアは標的が別人だという。


「ちょっと待った!」

バルクが頭を抱えながら、言いたいことを言い合う覇者たちに待ったをかけた。


「順序立てて話してくれ。こっちは【血の洗礼】にも驚いているんだ。一度、状況を整理してくれ。何で、標的が死んだのに【血の洗礼】が解除されない?【血の洗礼】を放った門番が生きているっていうのは俺の知る情報と違っているんだが」

バルクの混乱も尤もなことだ。エクレシアが生きている事自体、本来あり得ない。

説明が苦手な門番たちは、若干顔を引きつらせて互いを見合った。

誰が説明するのか。そもそも、真相に辿り着いた人間などいるのか?


エクレシアは肩を竦ませた。

「仕方ないわね。よくお聞きなさい。あまり時間がないから簡潔に行くわよ」

彼女は深呼吸した。

「まず、【血の洗礼】は命と引き換えに行う呪いの一種。だから、私は標的を討った後、確実に死ぬ。

次、私の標的はトレスを送り込んだ奴。そいつは呪詛をトレスに運ばせた。トレスはその呪詛に塗れた状態で門へ挑んでいた。

アザリアの仇はトレスに死を齎した者への復讐。それは、呪詛と呪詛を放った奴。

では、そいつは誰か。

呪詛を生み出し、覇王門へトレスを向かわせた首謀者。

それは、バアル・ゼポンの王ゲダリヤ」


バアル・ゼポンの王?!


王ゲダリヤの名前に、覇者たちは納得できずにいた。この国の王は他国とは違って大祭司よりも立場が弱いはずだ。全責任を負うかというと、そうではないのでは?おまけに多重呪詛を生み出せるほどの能力を持っていないはずだ。


「王のはずがない」

そう否定するリベルデンに対し、エクレシアは苦笑した。

「だからアベンは手強いのよ。アベンは、呪詛に王ゲダリヤの名を刻み、王名で作戦を決行していたというわけ。だから、目覚めの契約も【血の洗礼】もアベンには届かない。王ゲダリヤを討った」


エクレシアの説明にあっけにとられるリベルデン達をよそに、アクロンやハシーディムは納得できないと言わんばかりに険しい表情をしていた。


アザリアの仇が王?それは絶対におかしい。彼女は呪いなんて知らなかった。ただただ傭兵黒竜を狙っていただけだ。エクレシアの目的と一致するはずがない。


ハシーディムが疑問を口にした。

「カーファルはどうして魔王の契約で殺されなかった?アザリアはずっと傭兵黒竜を仇としていた。魔王にもそう願ったはずだ。彼女の狙いは傭兵黒竜だった。この国の王でもなければ、呪いの元凶でもない。まして呪いそのものでもないはずだ」

エクレシアは一瞬、目を細めてから微笑した。

「魔王との取引では、()()()()仇と言わせたの。トレスは涙枯の森で既に魂を呪いによって砕かれていたわ。普通の人間があの呪いに触れて助かる道はない。つまり、トレスの死因は呪い。この子の仇は呪詛と呪詛を生み出した奴ということ」

なんだって?

状況が読めない。

「つまり、なんだ?涙枯の森で死んだはずのトレスが生きていた?8年も?じゃあカーファルが黒竜として討ったのは死体か?」

「そうなるわね。だって、それが、事実だもの」

あっけらかんと語るエクレシアに全員が絶句した。

トレスが18年前に死んでいた?

カーファルたちは森を走って出て行くトレスの姿をはっきり見ている。あれは死者ではなかった。


だが、一人ラハブは大きく納得した。

だから、黒竜がトレスを討った後、アベンは動きを再開したのだ。それまでは、何故トレスが生きているのか、呪詛がどうなったのか、不安で仕方なかったに違いない。

アベンはずっと【血の洗礼】に用心していた。ところが、トレスが死んでも呪詛は暴れず、覇者も動かず、門も開かない。覇者が打つ手がないと感じたアベンにとって、状況は好転したということだ。


「だから…結局、どういう状況だ?どうして、今、【血の洗礼】が展開していてあんたが生きて喋っている?」

唸るバルクの心情にアクロンも共感していた。

エクレシアの説明途中で質問するから脱線して、また疑問点ばかりが増える。標的が死んでいるというなら【血の洗礼】が解除されるはずだ。


エクレシアは肩を竦ませた。

「【血の洗礼】ならそのうち解かれるわ。私の魂をこの世に引き留めているのはこの子(アザリア)なの。10年前、カーファルがトレスを討ったことでトレスの魂を生きているように機能させていた彼女がトレスの死を()()()()。だから、トレスは死んだ。そして、彼女は私の魂をまだ手放す気はないみたいよ」

死んでいた人間を8年も生きているように機能させる?それは可能なのか?


エクレシアは信じられないと目を剥く覇者たちに話を続けた。

「私だって驚いているのよ。18年前のあの日、はじめは何が起きたのかわからなかったもの」

18年前、第1の門ケナズと第2の門アンデレがトレスに討たれたことに衝撃を受けながらエクレシアはトレスと向き合った。トレスごときに敗れる二人ではなかった。だから、用心し、呪詛に気付くことが出来た。


「そもそも、呪いを封印したくて【血の洗礼】を使ったわけ。呪いは魂を砕く悪質なものだったし、幾重にも呪詛が重なっていて解呪は容易じゃない。だから園の中だろうと外だろうと放置はできないし、でも手強くて。【血の洗礼】を発動させたはいいけど、どう収拾をつけようかと思った矢先にあろうことか赤子の声がして、一気に集約。封印が完成したってわけ。この18年間、アザリアが多重呪詛の封印に手を貸してくれていたということ」

アザリアは一切、呪いのことなど知らないだろう。

ずっとトレスが生きていて自分を助けてくれたのだと信じていたのだから。


…。

皆、エクレシアの台詞に絶句してしまう。

「そんな能力がその小娘にあったのか?当時は赤子だぞ」

ラハブは納得できずにエクレシアを睨みつけた。


エクレシアはラハブを睨み返した。

「今日まで多重呪詛の「核」を離さなかったのはアザリアよ。私じゃない」


あの日、あの時、赤子は多重呪詛の核と【血の洗礼】を纏めて小さな手の中に握り締めた。

そう、いとも簡単に。あっさりと。

そして、それは完璧な封印だった。


「赤子が、まさかの呪詛封印とはな」

そう言ってリベルデンは首を振った。まったく予想しなかった。あり得ない。アザリアは賞金稼ぎとしてはまぁまぁの腕前だが、覇気も無いし魔法も使えない。剣術も何もかもが覇者に遠く及ばない。


ラハブは全く納得できなかった。

しかし、現に赤子は生き延び、エクレシアの魂も無事だ。

多重呪詛もだが、【血の洗礼】は覇者の園の生み出す最強の呪いだ。それを赤子が封印し、エクレシアの魂まで留めてしまうなど本来あり得ない。

あり得ないが、現実だ。否定できない。

そう、トレスさえ8年、()()()()()のだ。


エクレシアはため息をついた。

「私は、この子がハギオイに出会うまでは、外部への僅かな干渉もできなくて、この子(アザリア)に危険が及ばないよう魂に語り掛けるのがせいぜい。でも、私の意識は常にはっきりしていたから18年の記憶はある。この子アザリアは呪いとかには一切気付いていないのよ」

何故、突然森に現れた赤子が呪いと【血の洗礼】を封印できたのか。そもそも何故、赤子は森に現れたのか。その答えをエクレシアは持っていない。


皆、何と反応すべきか思案気に首を捻ってしまう。

エクレシアは10年前のトレスの死後のことを口にした。

「簡単に言うと、トレスが死にこの子は傭兵黒竜を探して旅をした。この子がハギオイに出会ったことで、ハギオイが私に気付いてくれて、呪詛の核と封印について調べ始めてくれたというわけ。黙っていたのは敵の目を欺くためだと思うわ。何しろ多重呪詛には多くの仕掛けがあって下手な手は打てなかった」

ハギオイには時間が必要だった。幾重にも紡がれた呪いは近づく者の命を削る。探っているその情報も運ばれてしまう可能性があった。ハギオイは何が起きるか解明するまで仲間に声を掛ける気はなかった。

とにかく解呪の可能性を探ること。呪いへの対抗手段。呪詛を放った人間の特定と対策。その手掛かりを探した。

「最後には、バアル・ゼポンの大祭司アベンが魔王の復活を目論んでいることを知り、何としてもこの地にこの子を向かわせることにしたというわけ。この子によって私がここに辿り着くことが出来たなら、この地で【血の洗礼】を解き、門を開くことが出来るように」

覇者なら必ず魔王の動きに気付きこの地に集まる。

18年分のことを掻い摘んで語るエクレシアは少し間を開けて、ため息を漏らした。

「とにかく、現状は、【血の洗礼】の標的が死んだからこの洗礼効果が消えるのを待っているといったところね。目覚めの契約も叶って、この子の意識が戻るのを待っているところでもあるけど…。本人が自分は死んだと思い込んでいて全然目を覚ましてくれないから私が顕現していられるということでもある。これくらいで理解できたかしら?」


バルクは頭を掻いた。

理解できたかというと、出来ていない。死人が8年間も生きているとか、赤子が多重呪詛を封印するとか異常だろう。だが、目覚めの契約は、アザリアの意図とは違い、この国の王を仇と定めたわけで、それが叶い、多重呪詛も消えたならひとまずカーファルが無事ということだ。

アザリアの身体も蘇生して、死んでいない。ただ、エクレシアの魂が同居しているようだが…。


「あのさぁ、じゃあさっきサーハラが言っていた願いが叶ったら魂を失うことになるというのは?アザリアは本当に無事なのか?」

ハシーディムの困惑した問いかけにエクレシアは肩を竦ませた。

「魔族の表現が悪いわね。要するに魔王の力を使って戦った者は、契約成就後に魔王の力を失い、力尽きるということ。ただし、さっきも言ったように、アザリアに契約成就の前に死なれては困るから肉体が再生した。首が元通りになるくらいなんだから死なないわよ」


ちょっと、いかさまゲームな気がする。エクレシアだからこそ魔王の力も自分の思惑へ引き寄せられたのかもしれない。

そもそもアザリアは何も知らずに黒竜だけを倒そうとしていた。それなのに、魔王との契約では呪いと呪いの主を倒す標的に指定したという。エクレシアの意志が彼女(アザリア)の行動をどこまで支配していたのか。アザリアの意思は?


エクレシアはなかなか現実を受け入れられていない門番たちに呆れて首を振った。

まぁ予想外だろうとは思う。【血の洗礼】を放った自分もこうして生きて話せていることに驚いている。

決死の覚悟の【血の洗礼】を赤子に軽く片手で掴み取るように封印されたのだ。

本当にわけがわからなかった。だけど、呪詛も封印されていたし、トレスまで存在している点でとてつもない奇跡が生じたと思うことにした。そう。これは奇跡のレベルだ。


上から目線で見下してくるエクレシアに対し、ハーリールは眉間にしわを寄せてみせた。納得できない。そして、文句を言った。

「全くどういうカラクリか理解できないんだけど、どうして船上では呪いが発動したのに、他では発動しなかったのよ。それもアザリアの中であなたがコントロールしていたとでも?」

東のケデムへ向かうための船上では明らかに呪いは発動した。いくつもの首が飛ばされた。

「船上の呪いは私が少しだけ誘導したのよ。危なかったから」

エクレシアが誘導?呪いを?疑うようなハーリールの視線にエクレシアはにこやかに続けた。

「アザリアは全く呪いのことを知らないから、呪いの発動は私がコントロールしていたの。まぁ完璧とまでは言わないけど、多重に重なる呪詛の上辺だけ、ほんの少し。要は、多重呪詛より私の【血の洗礼】の方が上だったということ。船上ではアザリアを守るために敢えて放ったのよ。それに、それも標的(アベン)に近づくための手段」


【血の洗礼】は標的を討たない限り解除できない。だから、エクレシアは常に標的を探し続けていた。ハギオイも近づけるように手を貸してくれていた。

ずっとアベンを狙っていたのに、王ゲダリヤへ移行されるとは思わなかった。その点ではエクレシアは腹立たしく内心、舌打ちしていた。


「アザリアの意志も…誘導できるのでしょうか。その…賞金稼ぎになったのも彼女(アザリア)の意識に干渉とかしていたのですか?」

つい敬語になるアクロンに対し、エクレシアは首を横に振った。

「賞金稼ぎは彼女の意思よ。私は危機に直面しそうになる前にちょっとだけ、注意を促せたくらいね。彼女は彼女の意思で生きているわ」

トレスを失った後のアザリアは8歳だった。そこから2年近く旅をしてハギオイに出会うまで生き残れたのはエクレシアが危機に力を貸していたからだが、まだ呪詛をコントロールすることはできなかった。


エクレシアは肩を竦ませた。

「こんな風に姿を表出させ語ることができたのは初めてよ。ハギオイとだけ思念が通じただけ。当初はハギオイだって「核」について何も情報を掴んではいなかった」


「だろうな。アザリアに出会ってお前に気付いたハギオイは驚き仰天したんだろう。そこから慎重に調べ始めたってことか?バアル・ゼポンが怪しいことはオレもラハブも気づいた。肝心の【血の洗礼】の標的だろう「核」が不明だった」

リベルデンは唸ってしまった。

ラハブは舌打ちした。

「…調べるのに時間がかかりすぎたな」

トレスが黒竜に討たれた時、確かにバアル・ゼポンは動き出した。魔王の目覚めなど待つのではなかったか。


「証拠がなければ、戦えない」

そう言ってカーファルは肩を竦めた。

「【血の洗礼】の標的が分からない以上、動けないだろう」

ハシーディムもカーファルも今回の長期戦は仕方ないということで納得した。


ハーリールはため息を漏らすとエクレシアに問いかけた。

「で、結局、そっちは、いつアベンだって確信したわけ?最初から?」

エクレシアは肩を竦ませた。

「ハギオイはある程度、アザリアに出会う前から推測していたようね。呪詛が高度だから生み出せる人間は限られる。それにトレスの死で大気に流れる魔力の気配が変わった」

「確かに。その点でカーファルの暴挙も意味があったわけね」

暴挙…傭兵黒竜の名でエクレシアの仇討ち。

カーファルはエクレシアの冷たい視線から目を逸らした。アザリアが結晶を持っていたことに気付かないなんてと非難されているようでかなり気まずい。


「とはいえ、その後、10年、どれだけハギオイが調べても解呪方法は見つけられなかった」

エクレシアは悔しげに唇を咬んだ。10年。時間がかかりすぎたのも事実だ。


エクレシアは大げさなほどのため息をついた。

「ハギオイと私は、この子に()()()の」

「?」

全員がエクレシアを凝視した。


「どうして赤子が封印なんてできたのか私には全く分からない。運命か奇跡か、分からないけど、この子はあの森に現れて、全てを引き寄せ封印した。この子は必ず多重呪詛とその作り手を倒すきっかけになる。私たちはそう判断したの」

エクレシアは苦い笑みをこぼして語り続けた。

「多重呪詛は安全な解除方法などなかった。だから、呪いそのものを封じられるアザリアに賭けた。そして、賭けに勝った。彼女(アザリア)()()によって解呪困難な多重呪詛は消えた。彼女に感謝することね。呪いは魂を食いつぶす悪質なものだった。あなた達でも止められない太古の呪い。アザリアが魔王と契約したからこそ、消すことが出来た。魔王はトレスの()として、()()と呪詛の()を消し去った。老ハギオイもそれしか方法がないことを知っていた」


信じがたい思いでリベルデンはハギオイの杖を握り締めた。

結局、今の時点でもあの多重呪詛に勝つ手がなかった。魔王の力を利用しようとは、ハギオイも博打好きだ。一つ間違えれば大惨事では済まない。抜け目のない策謀の勝利だったのか、呪いは消滅した。エクレシアとハギオイ、そして正体不明の赤子に助けられたというわけだ。


賭け…。

「そんな…。アザリアは全く何も知らなかったのではないのですか?まさか、仇討ちへ誘導し続けていたのですか?」

アクロンは信じられないと狼狽えてしまった。覇者でもない子供を魔王との戦いに向かわせるなど覇者のすることではないだろう。例えそれしか手がないとしても本人に真実を伝えて依頼すべきだ。

「私は言ったはずよ。賞金稼ぎは彼女の意思。この子はトレスの死から傭兵黒竜を倒すこと以外、何も望まなかった。だから私はその望みにちょっと方向を示しただけ。それに、常にトレスの死の真実を伝えようと努力したわ。最後には理解してくれたと思う。トレスの死がいつ訪れたのか。その魂を砕いたものが何であったかを」

冷ややかなエクレシアの視線と声にアクロンは言葉を詰まらせた。

物は言いようだ。

力任せに戦闘感覚だけで生きる覇者達がアザリアの事をどう扱うか。アクロンの中には不信感が募るばかりだ。赤子は巻き込まれただけだ。それが、この戦場までの道を選ばされた。仇討ちを諫めるものはいなかったに違いない。


怒りさえ抱くアクロンの肩をリベルデンが掴んだ。

「老ハギオイを分かっていないな。爺さんは勝つための手段を択ばない軍師だ」

いきなりそう言われアクロンはムッとした。勝つために赤子の人生も操るということか。

「エクレシアは戦闘狂の負けず嫌いだ。しかし、ハギオイは違う。綿密な計画を立てる。策略を巡らせ長期に渡る戦も爺さんの手の上だ。だが、いいか。爺さんにとってアザリアは可愛い最後の弟子だ。決して彼女を危険に晒したかったわけじゃない」

「え?」

「爺さんは多重呪詛と血の洗礼ごとエクレシアの魂まで封印してしまった彼女を自由にしたかったんだ。その重荷を下ろさせるためにこの地でカーファルと会わせようとした。爺さんはカーファルを信じていたし、俺達のことも信用していた。必ずここに覇者が集うことも。魔王がアザリアを殺さないことも。全て爺さんは読んで逝ったんだ」

そんなことがあるだろうか。いつもの覇者の行き当たりばったりではないのか?

本当に?

戸惑うアクロンにラハブが肩を竦ませて、当然のように頷いた。

「爺さんは狙った獲物は外さない。弟子は大事にするぞ」

「爺さんは命を懸けてこの杖を作り、アザリアにこの世の未来を託したんだ。我々は爺さんの信頼に応える戦いをするだけだ」

リベルデンの悠然とした笑みに、古代人の逞しさを感じた。


エクレシアは自分の掌を見つめてからアクロンに微笑んだ。

「アザリアは、戦いを望んでいるわ。この呪いを誰よりも消し去りたがっていた。この戦場は彼女の望み。私と彼女は18年も一緒にいた。いい?彼女の赤子から私は一緒にいるの。18年、彼女は戦い続けていたの。それを終わらせる。いいわね?」


アクロンは、いきなり覇気を放つエクレシアに圧倒された。


【血の洗礼】は死をもって行う最強の呪詛だ。

生きてこうして語ることなど本来、無理だ。

どうやってエクレシアの魂をこの世に留めたのか。

どうやって赤子がアベンの生み出した多重呪詛と門番の切り札【血の洗礼】を纏めて封じられるというのか。

何故、トレスは8年も生きていた?

では、一体、この娘、魔眼のアザリアは何者なのか?


本当にあり得ないこと尽くしだ!


エクレシアは様々な思いで戦場に立つ覇者達に冷笑を投げかけた。

「この子、普通じゃないの」


それはどこか自慢気だった。

アクロンはつい笑みをこぼしてしまった。エクレシアはアザリアの事を身内として大切に思っているのだ。そのことが素直に感じ取れた。


ラハブは呆れるように首を振ってから問いかけた。

「普通じゃないのはわかった。その娘はいつ意識を取り戻す?」

どこか納得できないラハブに対し、エクレシアは肩を竦ませた。

「だからぁ。魔王を倒さない限り自分が死んだと思っているから目覚めないわよ」

死んだと思い込んで気絶中とは、呆れたものだ。とても呪いを封じる力を持っているとは思えない。

ラハブは鼻で笑ってしまった。

だが、目覚めないのは好都合だ。


ラハブはエクレシアをまっすぐ見つめた。

「戦えるのか?」

エクレシアは第3の門番だ。戦力として申し分ない。

ラハブの問いにエクレシアは毅然と剣を煌めかせて頷いた。

覇者は戦うためにある。


次にカーファルは少し躊躇いながらエクレシアに問いかけた。

「死をもって発動する【血の洗礼】後に、いつまで生きていられる?」

エクレシアは確実に死を前にしている。こうやって話せる時間は残り少ないはずだ。

「<目覚めの契約>により呪詛の主が死に、多重呪詛が消えた以上、長くは持たないと思う。【血の洗礼】が解かれるわ。だから、さっさと戦いを終わらせる」


「それ、同感。珍しく意見があった。お喋りしている時間は終わったようだ。来るよ」

サーハラがエクレシアを一睨みしてから謎解きに夢中な覇者たちに大神殿を示した。

結界が解かれた大神殿から覇気が溢れ【血の洗礼】の呪詛を退け始めていた。

尋常ではない波動が王都に広がりつつある。


「これは、楽しませてくれそうだな」

バルクが半ば顔を引きつらせながらそうつぶやいた。


「ようやく()()()か」

リベルデンは杖を肩に担いで瞳を輝かせた。

先ほどまでの魔族とは桁違いの覇気が溢れ大神殿前の空間が歪み始めた。

魔王の登場というわけだ。


魔族達は魔王のことを同列のように語っていたが、これは格上だろう。

古代人以外の覇者は、無意識に武器を握り直した。


姿を現し始める魔王は全くの別物だった。

格上とかではない。

異質。

この世の法則にない存在。


「やばいな」


バルクは背中に流れる汗を意識しながら口の中の渇きを自覚した。

これは今まで対峙したことのない存在だ。

戦慄とはこういうことかと全身に鳥肌が立つ。

武者震いと思いたい。


ラハブが舌なめずりをした。

「ゾクゾクするな。千年。待った甲斐があるというものだ」

魔王を知るラハブの言葉にアクロンは内心舌打ちした。

だから、先に情報を開示しろ!

こんなやつ、絶対に剣が通らないだろう。

古代人の戦闘感覚はどうなっているんだよ。

アクロンより遥かに長く生きているハシーディムやハーリールですら、息を止めて魔王の出現する様を凝視している。

古代人たちが如何に苛烈な戦いを制したのか身をもって知ることになりそうだ。


そして、神殿の前にはいつの間にか静かに黒いマントフードを深く被った魔導士が立っていた。

その魔導士は【血の洗礼】の「赤」を杖一振りで退けてみせた。

深紅の世界が反転するように黒の世界に変わっていく。

明らかに、大祭司アベンだ。


ついに、真打登場か。


「ハーリール。今なら7門揃っているわ。私が存在する間に覇王門を開けて。アベンが【血の洗礼】を解除した」

いずれ消えただろう【血の洗礼】だが、一瞬でアベンは消し去った。やってくれる。相手にとって不足なし。瞳を輝かせるエクレシアに死の陰りはない。

【血の洗礼】が無くなっていつまでこの世に留まれるかは分からないが、今は戦う時間だ。

18年前のケリをつける。


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