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70億分の1の奇跡

 いつものような、朝でもこの時と同じ時間は戻らない。時間は一定方向に流れていくものだ。過去は振り返ることしかできないが、未来もまた進むことしかできない。進むといっても、ただ生きているだけのこと。日々を繰り返し、年を重ねていくだけ。それが今までの自分だった。


 でも、今この時は違っていた。幸といる時間があった。のめり込むほど好きかといえばそうでもない。かといって、好きじゃない訳じゃない。


 "罪滅ぼし"


と言えば、ていのいい言い訳だ。自分を納得させる。


 俺は、自問自答しながら、台所で食器を洗う幸の後ろ姿を眺めていた。少しやせ気味で、背が高く長い栗毛の髪をカラーゴムで括っていた。若さがみなぎっているように見えた。幸の過去にどんなことがあったのかは、おおよそ理解ができた。ほんとは、まだまだ周りに甘えたい世代なのに、幸にはそんな普通のことさえなかったのだろう。

それでも、懸命に生きてきた。


 "できるのに、しないのは罪だ"


 俺は、腕時計をちらっと見た、もうそろそろ仕事に行く時間だ。


 「幸、そろそろ仕事にいくね」


 「はい、気おつけて行ってらっしゃい」


 いつもの笑顔で、俺を送り出してくれた。


 季節は、初夏のにおいを漂わせていた。いつものように、かかりの悪いバイクのセルを回して、アクセルを軽く開けて、ギアを一速に入れて走り出した。


 幸と暮らしだしてから、同じ時間の流れなのに違った景色が見えた。人のぬくもりなのだろうか。人といることで、心がこんなに休まるものだろうか。俺はずっと真樹のことを背負ってきた。どこかで、俺は人を好きになってはいけないと思っていたし、そうしてきた。でも、あの日幸が飛び込ん来た日に、"守りたい" と思てしまった。真樹の時のような思いはしたくないと思った。

 幸との和やかな日は、俺の心を確実に癒してくれていった。

もの迷うのは、やめようと思った。俺のすべてを幸に話して、それを受け入れてくれるのなら、俺の残り人生は幸にすべてあげてもいいと決心した。


 夕方、仕事から戻るとアパートの玄関の換気扇からいい匂いがしてきた。


 「ただいま」


 「おかえりなさい、お疲れ様です」


 「今日は、シチューなのかな」

 

 「はい、そうです、明日はお休みだから明日も食べれるようにたくさん作りました。」


 「うまそうな匂いが外までしてたからそうだと思ったよ」


 「おいしいかどうかは、しれませんけれども頑張って作りました」


 と幸は笑顔を見せた。最近ようやく見せてくれるようになった笑顔だ。


 幸の料理は結構おいしかった。たぶん小さい時から作ってたんだろうなと思った。


 食事を終えて、俺は風呂に入り、続いて、幸が風呂に入った。

 

 窓枠に腰かけて、煙を外に吐き出しながらたばこを吸った。幸の体のことを思って、幸の前では吸わないことに決めていた。

ふと、部屋の中を見回すと、物が増えていた。以前の自分の部屋ではなかった。他人と暮らすという意味がしみじみと分かったような気がした。


 浴室からドライヤーの音が止んで、パジャマ姿の幸が出てきた。


 「何か、飲みますか」


 と幸に問われて、アイスコーヒーを頼んだ。

 幸は、カップを2つ持ってきて、テーブルに置いた。


 「ありがとう、ところで幸、あの件は考えてくれた」


 「・・・・・・」


 幸は、何も答えずに下を向いた。


 「正式に考えてほしいんだ、俺は本気だから」


 「私にその資格はないです」


 消え入りそうな声で、幸は言った。


 「資格って、なにそれ」


 「岡崎さんは、私のことを憐れんで、そう言ってくれたんですよね」


 「憐れむ、誰を、俺は幸のことを憐れんではいない」


 「汚れた私に、優しくしないでください。」


 幸は、くちびるを噛んで、俺を見つめた。


 「幸に、聞いて欲しいことがあるんだ、俺のことでとても大切なこと、自分のことは、棚に上げて人の事情に首を突っ込んだりするのってさ、信頼なんてできないし、ましてや信じることなんてできないよね。だから、俺のことも幸に話すよ、真剣に聞いてくれるかい」


 俺の普通でない態度に、幸は頷いた。


 「成人T細胞白血病、白血病・リンパ腫の一種、これは俺が抱えている問題の1つなんだ。」


 幸の顔から、血の気が引くのが見えた。


 「白血球の中のT細胞にHTLV-1ウイルスが感染し、がん化したことにより発症する血液のがんなんだと。九州では、風土病として以前は恐れられた病気でな、俺の住んでいた、長崎の五島では、このウイルスに感染している確率が本土の2倍以上なんだ。俺は、これを発症している。」


 「治るんですよね」


俺は首を振った


 「この病気に、根治の治療法はない。急性化すれば、1年以内に5割以下の生存率だ。」


 「白血病ならば、テレビなんかで骨髄移植をすれば助かるとか言ってますよね」


 「2万年以上も前から、共生しているウイルスだから、そう易々とは死なないよ」


 「どうして、岡崎さんがそんな病気に」


 「さあ、どうしてだろうね」


 俺は、2年前に自衛隊を除隊したときに、このことを恨んだ。呪われた島だとさえ思った。古い風習が脈々といまだに息づいているところだ。2万年以上も前から共生したウイルスを、その子孫まで受け継がせる、業の深い場所だ。閉ざされた地域で、従兄妹同士の近親交配などで、血が濃くなっていたのだ。


 「それに、この病気は、平行感染つまり、性行為で男性から女性に移ることもあるから、子供を持つことにはリスクが高すぎる」


 実際、この病気は母子感染する、母乳を通じて子供へと感染するのだ。いまでは、妊婦検診で、必ず抗体検査が行われている。母乳等を与えなければ通常ルートでの感染は防ぐことができる。

 この病気の発病後に、両親へ検査を進めたところ二人ともキャリアだった。両親へは俺の病気のことは伏せた。キャリアでも発病する確率は1~6%程度で,潜伏期間は、40~60年だ。俺みたいにまれに若くても発病するやつもいるらしい。さらに、俺の病状は慢性型で病状が固定しているらしく、今のところ日常生活をするのは支障がない。病状が、進むと強い免疫不全を示し血液中のカルシウム値が上昇し意識障害等を起こすらしい。


 「だから、幸もお腹の子供も俺は守りたいんだ、自己満足だと言われてもいい、たぶんそんなに短くもないけども、長くもない俺の人生で、幸に会えたことは、きっと意味のあることなんだと思う。」


 「私、きっと岡崎さんにたくさん、たくさん迷惑をかけます。それはできません、自分のことだけでも大変なのに、私のことまで抱えたら病気が悪くなってしまいます。」


 「最近さ、幸と暮らしだしてから、街の風景が違うんだ。色も匂いも全部違うんだ、そして、そこで出会う人たちも。優しい気持ちになれるんだ」


 「どうして、そんなに他人に、よく知らない他人に優しくなれるんですか、私みたいな、馬鹿な女に、こんなに優しくできるんですか」


 といって、幸は俺に抱きついてきた。俺は背中をポンポンとたたいて


 「俺も、馬鹿だかに、偶然と必然の出会の中で幸に巡り合えた、これはきっと奇跡だよ。73億分1で巡り合えた。」


 幸は、大声で泣き出して俺の背中に手を回して強く抱きしめてくれた。子供のくせに、感情だけは大人より強い。あの日、あの場所で幸に出会わなければ、俺は、自分の生きる意味も分からずに、いずれ病気に侵されて死んで行くだけの人生だった。でも、いま腕の中で、心地よい温かみを持った女の子、幸がいる。


 幸が泣き止むまで、しばらくそうしていた。


 幸は、俺の腕から離れると、まっすぐに見て、顔を寄せてきた。

俺は、それを押しとどめると、幸の顔を両手で挟んで、額に口づけをした。

それから、二人並んで手を繋いで眠った。心地よい眠りだった。


 次の朝、目が覚めると俺の顔を覗き込んでいる、幸と目が合った。


 「おはようございます」


 「趣味悪いな、人の寝顔なんて見て」


 「口ぽかっとあけて、結構かわいかったですよ」


 「幸もいびきかいて、可愛かったぞ」


 と俺もやり返してやった。


 幸は照れながら、俺の目の前に一枚の紙を差し出した。


 「そばにいても、いてもいいですか」


 「うん、いてほしい」


 俺は、幸を力いっぱい抱きしめた。幸の手の中には、記入済みの婚姻届が握られていた。


 それからは、早かったすぐに、近くの役場に婚姻届けをだした。幸の家に行ったときに同意書と婚姻届けの保証人欄には記名捺印させてあったので、不備はなかったので、必要書類(戸籍謄本など)と一緒に提出し正式に受理された。

 そのまま、その足で役場の近くのアーケードの宝石店に入り、マリッジリングを買った。


 「岡崎 幸、照れくさいですね」


 左手の指輪を空にかざしながら、幸ははにかんだように俺にいった。


 俺は、幸がとても愛おしく思えた。俺に出会うために生まれてきてくれたんだと思った。俺が抱えてきた、痛みを癒してくれる大切な存在だと思えた。


 「あのさ、結婚式はまだ先だけれども記念に、写真撮らない」


 俺は幸に提案した。さっき時間があるときに、スマホで検索すると予約なしで取れそうなところがあって、さっきメールしたらOKの返事か来ていた。

JRで近くの駅まで行き、スタジオに入った。スタッフがすでにスタンバっており幸は、衣装選びにメイク等で、あたふたしていた。俺はタキシードだけだから簡単と終わったが、2時間くらいかけて出てきた。


 俺は、息を飲んだ。


 オーソドックスな、白の上のロングウエデングドレスで、胸元にはバラの花の刺繍が施されて、幸の長い髪は編み込んできれいにセットされていた。驚いたことは,初めて幸が化粧をしているり見た。若さが強調されて、みずみずしさをたたえていた。赤いバラのブーケ持つ、ロングの手袋がまぶしかった。


 いろんなボーズで写真を撮り、最後に出来上がりの写真をみて驚いた、プロ恐るべしだった。別人が写っていると思った。


 この時が、俺と幸は一番幸せだった。


 今は、そう思う。










 



 

一緒居ることで、心が休まることがありますよね。でも、だんだんと一緒に居ることが苦痛になる人もいます。そんなときどうしたらいいんでしょうか。と最近考えています。

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