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限界OL、山を継ぐ~前世の従魔とスローライフ  作者: 灰銀猫


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新しい人生に乾杯

「新しい人生にかんぱ~い♪」


 真っ暗な空には上弦の月、崖下に広がる海には点々と漁火が星の様に瞬く。日中の日差しで熱せられた空気は未だに冷めず、風は温いまま潮の香りを含んで葉音を立てる。目の前では赤々とした焚火が時折爆ぜながら、食材を乗せた鉄板を焼く。いい感じに焼けて来た肉の香りが早く食べてと私を誘う。ここには私を怒鳴りつけたり面倒事を押し付けてくる嫌な人もいないし、誰かに気を使ったり時間に追われることもない。


「あ~感無量~ちょっと蒸し暑いけど、風が気持ちいい~」

「うむ、漁火というものはなかなかに情緒があってよいものじゃな」


 隣のロータイプのアウトドアチェアには、唯一の同居人でもある長いきな粉色をした毛を持つ猫。椅子の上に載せたひんやりマットに身を預けながら焼ける肉の匂いに首を伸ばしていた。湧き水で冷やしておいたビールを片手に、私は今、これまで感じたことのない幸福感と解放感に満たされていた。


「きなこ、このお肉美味しいよ! やっぱり炭で焼くのは一味違う!」


 声が上ずってしまうのは許してほしい。本当に美味しいのだから。


「まったくじゃな。おい音羽や、この鶏肉も美味じゃぞ」


 椅子の傍に置いたローテーブル。その上に置いた皿に焼いた肉を載せるときなこが満足げに喉を鳴らした。


「これ、魚焼いても絶対に美味しいよね」

「うむ、せっかく海の傍に住むんじゃ。次は魚を仕入れねばな」


 この感動を語り合わずにはいられなかった。何の変哲もない牛コマ肉も鶏肉も炭火で焼くと何故か絶品になった。憧れていたソロキャンプ、焚火での焼き肉、そしてキンキンに冷えたビール。都会じゃ味わえなかった幸せがど田舎のここにあったなんて……!


「はぁ、あの会社から逃げられてよかったわ~」

「そうじゃなぁ。あの男もいては落ち着かんかったからのう」


 全くその通りで、あの会社を辞めたのは正解だった。私が会社を辞めたのは、ブラックなのもあったけれど、とある人物が関係していた。彼がもしあの人だったら……そう考えただけでぞわりと悪寒が背中を走る。うん、さっさと辞めて遠く離れたここに来てよかったわ。


ここは祖父から相続した、どがつくほどの田舎の、山道を登った先にある一軒家。徒歩範囲にはスーパーどころかコンビニも八百屋もない辺鄙なところだけど、私が手に入れた終の棲家であり私だけの城。これまでのすべてを捨ててここに移り住んだけれど悔いはない。ビールで喉を潤しながら、これまでの日々を思い返した。






 東京のとあるオフィスビル、まだ世間知らずだった私の目にとても白く見えた会社は、パワハラセクハラが横行する真っ黒なブラック企業だった。昭和かよ、今時それが世間に知られたら会社の価値ダダ下がりだけどと思わなくもなかったけれど、純朴素朴だった私はそんなものだと言われて素直にそれを信じてしまった。


 あれから早三年。無理難題を課す上司に手柄を横取りする先輩、更には男漁りに忙しい後輩に囲まれて奮闘していた。そんな状況だから出勤するのも気が重くなるのは当然で、怠い身体を引きずる様に無理やり出社する毎日。頭と目の奥が痛いし眠いし、胃も痛い……


「おはよ~ございま~す!」


 就業時間開始間際、一人だけずば抜けたテンションで入ってきたのはこの「第二営業部三課の姫」と呼ばれている新卒の後輩だった。何だよ、その呼び名。ここは飲み屋じゃないんだけど。


「お、華恋ちゃん、おはよう!」

「藤永ちゃん、今日も元気だねぇ」


 鼻の下を伸ばして彼女を迎えたのは営業の戸田先輩と、さっきまで気難しい顔をしていた山田課長だった。名前の通り可憐な容姿を持つ彼女はこの三課で一番若い二年目の営業事務で、私の唯一の後輩だ。


「山田課長! 戸田先輩も、おはようございます~」

「ははっ、今日も可愛いね。華恋ちゃんの顔を見るとやる気が出るよ」

「そうっすね、課長。やっぱり女の子は若くて華がないと」

「もう、お二人ったら、可愛いだなんてぇ~」


 相変わらず朝から元気な三人だった。他の社員が冷めた目を向けているけれど気にしている様子はない。まぁ、いつものことだけど。相手にしている暇などないので今日のタスクの確認に入った。


 決算発表が終わった社内はどこか気だるげで、大きな商談もないせいか十時を過ぎると三課には課長と商談の報告書を作る営業、そして私と華恋だけになった。華恋も戸田先輩に頼まれた資料作りに勤しんでいるように見えた。まだ新卒で出来る仕事は少ないけれど、やる気だけはある。あるのだが、間違いが多いと有名だったりする。それでも課長たちが甘やかすから成長しないんだけど。


 そして、そんなやる気はあっても仕事が出来ない後輩がいれば、割を食うのは私なわけで……


「佐野せんぱ~い!」


 窓からオレンジ色の光が事務所内に差し込む頃、甘ったるい声で話しかけてきたのは華恋だった。もう嫌な予感しかしない。気合が入ったメイクは今すぐ夜職に行っても映えそうに見える。そういえば今日って……


「何?」

「この書類、作り方がわからなくてぇ~」


 嫌な予感は直ぐに確信に変わった。華恋の「わからない」は「代わりにやれ」と同義語だから。


「それのやり方なら共有ファイルにマニュアルあるよ。悪いけど、今日は課長から至急の資料作りを頼まれているから手伝いをする余裕ないのよ」


 これは事実。三時を過ぎた頃に頼まれた資料は明日一で使うからと言われたもので、残業しなければ間に合わない代物だ。


「そんなぁ……先輩だけが頼りなのに……」

「そうは言われてもね。それにその資料作り、朝頼まれたものでしょ? わからないなら午前中のうちに言ってくれたらよかったのに」


 今日一日なにやっていたのよ? 朝に相談されたら対処も出来たのに。


「すみません。まずは自分でやってみたくて……」


 いやいや、間違ったまま作って出す気だったと? それで取引先で誤爆したらどうするのよ?


「おい、華恋ちゃんをいじめるなよ!」


 後ろから怒号が上がった。振り返らなくてもわかる、この無駄に柔軟剤臭いのは戸田先輩だ。


「いじめてませんけど」

「けど、華恋ちゃんが泣きそうじゃないか」


 いいところを見せようとしてか柔軟剤男が華恋を庇うように立った。泣きそうなのはこっちだよ……


「ったく、いくら華恋ちゃんが可愛いからって僻むなよな」


 僻んでないし、僻みたくなる要素もないんですけど……


「だったら先輩が彼女に仕事を教えてあげてください。朝先輩が頼んでいた資料の作り方、わからないそうですから」

「は? 無理。今から課の飲み会だから」


 華恋ちゃんにいいところ見せる機会ですよ~という気遣いは秒で消えた。飲み会ねぇ、一応私も参加するよう言われていたけれど、それは課長に潰されていた。まぁ、この課の飲み会って「華恋を甘やかす会」と他の課から言われているくらい華恋中心だから行きたくないけど。


「お前、この資料作ったことあるだろ」

「今日は課長の資料作りを頼まれているので余力はないです」

「そこを何とかするのがお前の仕事だろ。ちゃんとやっておけよ。ほら、華恋ちゃん、もう大丈夫だから」

「先輩、ありがとうございます~」


 柔軟剤男に甘ったるい声で礼を言うと二人は飲み会の店の話をしながら席へと戻っていった。席に着く間際、華恋がこちらを見て口の端を上げた。あの女……込み上げてくる殺意を必死に飲み込んだ。ここで暴れても私が悪者になるだけだから。


 結局、この日も終電ギリギリの残業になってしまった。そろそろ限界を感じる。このままここにいても利用されて使い潰される未来しか見えないから……


 そんな私に大きな転機が訪れたのは、それから三日後だった。この時期としては珍しく異動があったのだ。


「ねぇ先輩、営業一課に海外事業部の人が戻ってくるですって!」


 興奮が隠し切れない華恋が珍しく声を掛けてきた。海外事業部ねぇ、そういえばそんな噂が流れていたっけ。華恋の話では各課に挨拶しに回っているらしい。


「あ、来たみたい!」


 華恋が目を輝かせて向けた視線の先には若い男が事務所内に入ってくるのが見えた。年は四、五歳ほど上だろうか。一際高い背と顔立ちは日本人離れした美形で、着ているスーツも高そうで背を真っ直ぐに伸ばして歩く姿は確かに目立っていた。課長らに挨拶をして何やら話し込んでいたけれど……


「……う、嘘……」


 誰にも届かないはずの呟きが自分の耳にはやけに大きく聞こえた。彼の顔を見た途端、頭の中を一気に大量の何かが流れ込んで来た。一度に処理するには膨大なそれに目が眩む。立っていたら倒れていたかもしれない。だけど、信じられない……だって、あの人は――



読んでくださってありがとうございます。

新作は初の現代日本が舞台、ファンタジー要素ありのものになりました。

ジャンル、ここで合っているのかが不明なので後で変わるかもしれません。

かなり前から温めていたネタですが、なかなか形にならず……

キャンプ、憧れはあるも如何せん根っからのインドア派なので知識は薄いですが、少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。

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