第42話〈弁当〉
「トーキ、飛行酔いはもう大丈夫?」
「うーん、まだ地面が揺れてるみたいだよ」
「あ、やっぱり。私も。寝ててもなんだかぐらぐらしちゃって」
部屋にきたリテは、少し疲れた笑顔でそう言った。
風呂上がりの石鹸の香りが、ほんのりと漂う。
「急いで飛んでるときは気持ち悪くて死にそうだった。本当に死にそうだったキャリュアには申し訳ないけど」
「あはは。俺もだよ。何回も吐いたし」
まさか空を飛びながらゲロ吐くことになるとは、思っていなかった。
「あー、私が吐いちゃったことは忘れて! もうお風呂にも入ったし」
「いや、俺もそれどころじゃなかったから、見てないよ」
嘘だ。目には入っていた。それどころじゃなかったのは本当だが。
妙齢の女性が吐く姿を見ることは、なかなかない。
「魔族の人たちは全然平気そうだったから、恥ずかしかった。トーキがいたから、まだ良かったけど。もう飛行魔法はこりごりね」
「そうだね」
言いつつも、ちょっとだけ悪くなかったと俺は思っていた。
リテと二人で、大変な状況を共有できたからだ。飛行酔いの苦しさは、魔族たちには全く理解されなかったから、つらい思いをしたのは俺とリテだけ。そう思うとなんだか楽しかったような気さえしてくる。実際は死ぬほど気持ち悪かったけど。
…………………
「ノーム族の家って、どこをみても全部真っ白だよね。すごく落ち着かない感じ。トーキはどう?」
「俺もちょっと落ち着かないな。なんだか冷たい感じがするし」
この部屋を含めて、建物に入ってから色の付いたものは一切置かれてない。全部真っ白。
「この白い石、どうやって作ったのかな? すごく硬いし、つるつるしてるし。ノーム族って、この村以外にはぜんぜんいない種族だから、いろいろと不思議」
「リテも初めてノーム族に会ったんだね」
「あたりまえだよ。お父さんも会ったことないし、そういう種族がいるって聞いたことはあったけど。言葉まで違うなんて知らなかったよ。さっきの魔法だって、血を他人にわけるなんて初めて見た」
「俺も驚いた。手を重ねただけで血液を移動させたってことだろうけど、魔法でそんなことができるんだな」
「ね。リュームの血をキャリュアに送ったってことだよね」
リテが感心したように驚く。そして、ちょっといたずらっぽく笑いながら俺に顔を寄せてきた。
なになに? ドキッとする。
「あの二人って、好き合ってるよね」
「え? リューム君とキャリュアが?」
「うん。キャリュアがリュームのこと好きなのは確実だけど、リュームもきっとキャリュアのこと好きだよね」
「うーん、どうだろう? リューム君はキャリュアのこと完全に妹として見てる気がするけど」
「そうだけど、キャリュアが傷ついた時のリュームの態度って、それだけじゃない気がするな~」
確かに。傷ついたキャリュアを背負う役割も、誰にも譲らなかったし。
「でも、あの二人って従兄妹だよね? 従兄妹って結婚できるの?」
「え? できるに決まってるじゃない」
「そ、そうなんだ」
従兄妹は結婚できるのね。いや、確か日本でもできるか。人口の少ないこの世界ならなおさらだな。
「リュームは恋人もいないって言ってたし、お似合いじゃないかな~。そう思わない?」
「そうだね。でも二人って年の差がかなりあるよね」
同意はしつつも、リューム君がキャリュアを恋愛対象として見るかどうかは、難しい気がした。リューム君は、確か186歳。キャリュアはまだ成人前らしい。魔族の成人は50歳ってことだから、100歳以上の年の差だ。
「そんなの関係ないよ。歳の差っていっても130歳くらいでしょ。うちのお父さんとお母さんなんて500歳近く離れてるんだから」
「え⁉ 500歳? そうなんだ」
リテの両親、ギムセックとミルステーナってそんなに年が離れてるの?
見た目はふたりとも若いけど。ギムセックは830歳だと聞いたから、妻のミルステーナは300歳代か。なんかもう、年齢の感覚がおかしくなる。
だとすると、リューム君とキャリュアもあり得るのか? でもリューム君は結婚は諦めてるとかも言ってたし。どうだろうか。
「お父さんは再婚だから、すごく珍しいケースだけど、二人とも仲が良いもの。リュームとキャリュアもきっと合うと思うな」
ん? 再婚? この世界でもそういうの、あるのか。まあ、あるか。
「確かに、あのキャリュアと対等につきあえるのって、リューム君だけかもね」
「だよね」
なんて話をしていたら、また部屋の扉がノックされた。
ディルダンの声だ。
「トーキさん、リテさん。キャリュア様が目を覚まされました。よろしければこちらにお集まりください」
…………………
ディルダンに案内されて、俺とリテはさっきキャリュアを治療した大部屋に戻った。
ちなみに、そこへ向かう真っ白な廊下をさっきも通ったはずだが、道筋は全く覚えられなかった。どこを見ても同じ白壁で、方向感覚が全然つかめない。
ディルダンに「道を覚えたんですか?」と聞いたら、「先ほど通りましたが?」と、キョトンとされた。魔族は、方向感覚も道を覚える能力も、人間とは違うらしい。
大部屋に戻ると、中央に置かれた台にキャリュアとリューム君が座って待っていた。
二人とも、まだ血色は良くなかったが、柔らかい笑顔で俺たちを迎えてくれた。
「リテ、トーキ。心配かけてすまない」
「キャリュア! 良かった、元気になって」
座るキャリュアに、リテが駆け寄る。
「リューム君も大丈夫?」
俺も近くに寄って、力のない様子で座るリューム君に声をかけた。
「すいません。少しふらふらしますが、大丈夫です。キャリュが助かって良かった」
リューム君が回復したキャリュアに優しい視線を投げる。
「リューム兄!」
そのリューム君に、キャリュアが抱きついた。勢いで、リューム君は座っていたベッドのような台の上に押し倒される。
「ちょっと! キャリュ!」
自分よりもでかいキャリュアにのしかかられて、リューム君が苦しそうに声を出す。
それでもキャリュアはリューム君に抱きついて離れなかった。
「ごめんなさい、リューム兄。あたしが、あんな怪我なんかするから……。リューム兄まで迷惑かけちゃった……」
「迷惑なんか、ありませんよ。キャリュ」
抱きつかれて押し倒されながら、リューム君はキャリュアの頭に手をまわして優しく撫でた。そのままキャリュアは泣いているようだった。俺たちに、いやチームの部下たちに泣き声を聞かれたくないのだろうが、押し殺した嗚咽が漏れていた。
………………
「無事、回復されたようで何よりです」
いつの間に入ってきたのか、気付くと俺たちの傍に村長のピュネルがいた。
柔らかく微笑んで、落ち着いた声。
「これは、あなたが村長のピュネルさんか。あなたの魔法がなければあたしは死んでいた。助けてくれて本当にありがとう」
立ち上がり、深く頭を下げるキャリュア。
「いえ、たいしたことはありません。では、あちらの扉から出て真っ直ぐ行かれれば外に出られますので。お気をつけて」
ピュネルは手で壁を指し示す。真っ白な壁に四角く扉が開いていた。
え? もう帰れってこと?
親切そうな笑顔ではあるが、有無を言わさない圧がある。
「いやピュネルさん。せっかく会えたわけだし、何かお礼をさせてくれないか?」
キャリュアも、ピュネルの言葉に少し狼狽して言った。
「いいえ。お礼など結構です。皆様にもご予定があるでしょうから、どうぞ遠慮なくお帰りください」
にっこり笑ってピュネルは言う。絶対、とっとと帰れって意味だ。
「ピュネル様。我々の訪問にはキャリュアの治療の他にもう一つ目的があるのです。よろしければ少々お話させていただけないでしょうか。もうすぐ始まる『パルテュールの祭り』についてです」
あわててリューム君がピュネルに言うと、ピュネルはスッと笑顔を解いた。
感情のこもらない無機質な視線でリューム君を見返す。
「あなた方には関わりのないことです。お話しすることはありません」
冷徹な声。話し合うつもりは全くないのか。
リューム君も言葉が返せずに、居心地の悪い沈黙が降りた。
どうしようもないのかと俺が思った時、キャリュアのからっとした笑い声が響く。
「あっはっは! そう、魔族は祭りには関わるなっていうことね。まあ、それでもいい。しかし、あたしは礼がしたい。悪いがしばらく滞在させてくれ。その間、なにか困ったことがあれば何でも言ってもらって構わない。体力的なことなら、たいがいのことはできるからな!」
キャリュアは快活にそう言って、ピュネルの肩を叩く。ピュネルは迷惑そうな顔を隠すこともなく、キャリュアを見上げる。
「お礼など結構と申したはずですが。困っていることもありません」
「そんなことはないだろう。遠慮しなくていい。なに、あなた方の祭りの邪魔はせん。部屋さえ貸してくれればいい」
満面の笑みをピュネルに向けるキャリュア。
「遠慮などしていません。我々は、他の種族の助けを受けることなく長年この地で暮らしてきたのですから」
顔をしかめるピュネルに、キャリュアは怯むこともない。
「知っているとも! あなた方が他種族との関りを避けていることは。しかし、これからは違う。何しろ、ここにいるリューム兄が新たな魔王になるのだからな。だから、ひとまずお礼がてら世話になる。部屋はどこでもいい。何ならここでもいい!」
上機嫌でキャリュアは言って、ドカッとその場に腰を下ろす。
この様子にピュネルの方が負けて、「お部屋はご用意します」とため息交じりに言った。
強い。図々しいとかいうレベルじゃない。しかも、キャリュアに悪意は全くない。本気でお礼がしたいと思っている。空気なんて一切読まない。自分のやりたいことをやる。それがキャリュア。
リューム君も、言葉を失ってキャリュアを見ていた。
…………………
キャリュアとの話を終えて、立ち去ろうとするピュネルが、ちらっと俺の方を見た。
なんとなくだが、俺の存在を気にしているのを感じる。
「ん?」と思ったが、そう言えば、ここに来てから俺とリテの紹介をしていなかった。
俺たち「人間」は、ノーム族以上にこの世界ではレアな存在だ。ピュネルが気にするのも当然。ここは自分から自己紹介するのが礼儀だろう。
「ピュネルさん、遅くなりましたが、俺はトーキと言います。こちらはリテ。二人とも『人間』という種族で、シュルクタットを目指して旅をしています。すいませんが、俺たちも滞在させてください」
俺がおずおずと言うと、ピュネルは一切表情を変えることなく軽く頷いた。
「リテさんのことは存じています。テルノ村の村長、ギムセックさんのご息女ですね。しかしトーキさん。あなたのことは伺っておりませんでした。もう一人、『人間』がいらっしゃったとは」
リテのことは知ってた? ノーム族は他の種族とはほとんど交流しないんじゃ?
まあ、ギムセックがリテの病気のことをいろいろな人に相談したらしいから、噂くらいは知っていてもおかしくないか。
「あ、俺はパルキストスという人の召喚魔法で、別の世界から来てしまったんです」
「パルキストス……」
ピュネルの眉がぴくっと動く。眉間に皺を寄せて、強い視線で俺を見た。
「その、パルキストス様がシュルクタットへ行けば私の病気を治すことができるって言われたので。パルキストス様をご存じですか?」
リテがそう言うと、ピュネルは視線をそらして溜息をついた。
「あの男のご関係なのですね。召喚魔法とは……。わかりました」
ピュネルは目も合わさずに言って、部屋から出て行った。
この人もパルキストスに嫌な思い出があるのだろうか。この世界で唯一と言っていい性格の悪い奴だから、それも納得だが。
「ピュネルさんもパルキストス様のことご存じだったみたい。でも、あんまり好きじゃないのかな」
リテが不思議そうに言っている。どうしてだかリテはパルキストスに不快感を持ってない。根が優しすぎるからかな。
ともあれ、俺たちもここに滞在して問題なさそうだ。できれば、ピルテルの旅行記にあった山脈を越える抜け道について聞き出せればいいのだが。
………………
ピュネルが去って、大部屋に俺たちは取り残された。瞬間、会話が途切れる。何の音もしない。
「祭りが近いって言うのにこの建物の中は静かで、人もほとんどいないな。準備してる気配もないし」
キャリュアがつぶやいたところに、リューム君が応える。
「魔族が行う『祭り』とは、ちょっと趣が違うのかもしれないですね。僕も『パルテュールの祭り』の詳細は知りませんが、皆で騒ぐようなことはないと思います」
「露店が出たり、酒が振舞われたりするんじゃないのか。だったら残念だけど。まあいい、腹が減ったな、食事にしよう! 食堂はないのかな?」
キャリュアが辺りを見渡すと、俺たちを案内したノームの女性が部屋の端に立っていた。
「それではお食事をご用意いたしますので、しばしお待ちください」
感情の読み取れない声で彼女は言い、後ろの壁を押し開いて出て行った。
ここで食べるってことなのか? 椅子もテーブルもないのに。と思っていると、目の前の白い床が動いているように見える。
なんだ? 真っ白だからはっきりわからない。でも何かが床からせりあがってきている。
そして気付くと、そこには白い大きなテーブルがあった。
よく見るとテーブルの両側には、椅子のように四角いボックスが並んでいる。
「おお! これはすごい! あっという間に食卓ができてる! これはノームの魔法なのか?」
キャリュアも驚きつつその食卓についた。
「魔法の一種でしょうが、ノーム族独特の技術です。どんな形のものでも、自在に作り出せるのだそうです」
リューム君は知っていたのか。この白い石? プラスチックに近い手触りの不思議な素材が、形を変えてなんにでもなるってことか。もしかして、この家全体がこの素材でできているのかな。
そして俺たちが食卓につくと、5~6人のノームたちが入ってきた。
手にはそれぞれ、白い弁当箱のようなボックスを持っている。
無表情なノームたちは機械のように淡々とそのボックスを俺たちの前に置いて、去っていった。一人一個ずつテーブルに置かれたボックス。あ、これ本当に弁当だ。
「これが食事なのか? ノームは変わっているな」
キャリュアが興味深げに弁当箱を開く。俺たちもその弁当箱に触れると、自然に上蓋が持ち上がって開いた。
中身は、赤黒いゼリーのような物体と、四角い乳白色の固形物。その2種類だけが、ぎっしり詰まっている。
え? なに、これ?
「なんだ、これは? 肉でも魚でも野菜でもない。食べ物なのか?」
キャリュアも戸惑っている。
「これがノーム族の一般的な食事ですよ。僕も食べるのは初めてです」
「リューム兄も食べたことないの? 何度もこの村に来てるんだよね?」
「以前に来た時は、普通の魔族の料理でした。おそらく、予定していた訪問だったので用意してくれていたのでしょう。今回は急な訪問ですからね。彼らと同じ食事しか準備がないのだと思います」
「そうか。急に来たのは我々だ。ありがたく食べるとしよう」
俺は飛行酔いの影響で、はっきり言って食欲は全然なかった。
だが、今日はあまり食事をしていないので、食べた方が良いだろう。
箱の横に白いスプーンが、いつの間にか置かれていたのでそれを手に取る。
赤黒いゼリーをすくってみる。何の匂いもしない。プルプルした、濁りのある均質なゼリー。
思い切って口に入れる。
味がしなかった。ひんやりした食感だけがある。
無味のゼリーだ。
周りを見ると、全員顔をしかめて黙り込んでいる。
「これって、本当に食べ物なんだよね?」
リテが小声で聞いてきた。
「たぶん……」
答えようがなかった。少なくとも、毒ではないと思う。
四角い乳白色の固形物の方も手に取ってみる。
硬い感触。これは既視感がある。カロリーメイトだ。
あれをもっと硬く焼き固めた感じ。
かじってみた。
手に持った感触の割には、かみ砕くのは容易だった。
無味の固焼きクッキー。
食べられなくはない。食べようと思えば。
ただ、美味いとか不味いとか、そういうレベルにさえない食べ物だ。
なにしろ無味。
これって、もしかして嫌がらせかな?
キャリュアが無理やりここに滞在するって言ったから。
早く出て行けっていう、そういう意味か?
そう思った俺が、キャリュアの反応はどうだろうかと顔を上げる。
彼女はもう食べ終わっていた。
「うん、足りんな。ディルダン! 肉を焼こう!」
「はい。キャリュア様」
キャリュアは笑顔で立ち上がる。
ディルダンも続いて、荷物から解体したギューヴェルの肉を取り出した。
他の魔族たちは鉄板を用意して、魔法で温める。
素晴らしい手際の良さで、室内無断バーベキューが始まろうとしていた。
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