第二話『相棒との出会い』
「やべえ、迷ったわ」
俺は、迷子になっていた。
【ワイバーン】の群れを追って街道から外れ、森の中に入ったのがマズかったかもしれない。
今俺がいるのは、ぶっとい木々が無数に立ち並ぶ森の中――いや密林の中だ。
正直、自分が今どこにいるのか全然わからん。地図もないし。
いや、地図があってもたぶんわかんねえな、コレは。
「まいったなオイ、どの方角から来たのかもわかんねえし……そろそろ暗くなってくるぞ」
太陽はもう沈みかけており、木々の間から見える空は夕刻時に染まっている。
あと1時間もすれば、森の中ならば真っ暗になってしまうだろう。
こう植物が生い茂った場所なら【ワイバーン】に襲われる心配はないだろうが、他の野生動物に襲われそうだ。狼とか猪とか。
あっ、やべえ詰んでる。
どうしよう、ホント。
俺は冒険開始三日目にして、目の前が真っ暗になりかけた。
――その時、
『キュイイイィィィ!』
一匹の【ワイバーン】が、頭上を通過していったのだ。
ソイツはそびえ立つ木々の上を飛び、辛うじて俺からも飛んでいく方向が見える。
「おお!? そっちに行きゃいいのか!? こうなったら、もうイチかバチかだな!」
俺は半ばヤケクソで、【ワイバーン】の後を追いかける。
見失った冒険への手掛かりが、再び現れてくれたのだ。こりゃ行ってみるしかない。
立ち止まってたって、野垂れ死ぬだけだしな。
――俺は森の中を走る。
【ワイバーン】を見失わないように、息を切らしながら全力で。
もちろん『ワイバーンの肉』を引きずりながら。
そうしてしばらく走っていると――森を抜け、開けた場所に出た。
そこには――
「……【ドラゴン】だ……【ドラゴン】がいる……」
そこには、小型種の【ワイバーン】などより遥かに大きい中型種の【ドラゴン】がいた。
真っ赤な鱗で全身を覆い、捻じ曲がった二対の角を頭部に生やしている。
身体も大きく、【ワイバーン】の身体など棒きれに見えてしまうほどがっしりとしている。
その全長は優に4mを超え、牙の生え揃った口は人間の胴体など容易く噛み千切ってしまえそうだ。
アレは間違いなく、一級の冒険者しか狩ることのできないであろう凶悪な個体だろう。
だが――その【赤いドラゴン】は、傷ついていた。
全身が傷だらけで至る所から血を流しており、前足の翼はボロボロになっている。
とても健常には見えず、ともすれば死んでいるようにも見える。
「……ゴクリ」
俺は背中から『竜斬包丁』を引き抜くと、忍び足で【赤いドラゴン】に近づいていく。
上空では何匹もの【ワイバーン】が飛び交っており、その様子はまるで獲物を狙うカラスの群れのようだ。
俺がある程度の距離まで近づくと、
『……なんだ、"人間"か』
突然、人の声が聞こえた。
「え……? だ、誰だ!? どこから話しかけてる!?」
俺は突然の出来事にビクッと驚き、辺りを見回す。
周囲に人影はない。いるのは【赤いドラゴン】と、上空の【ワイバーン】だけだ。
『どこから、とは可笑しなことを言う……。お主の目の前からに決まっておろう。近頃の"人間"は目も退化したのか……?』
再び声が聞こえた。
――間違いない。
この声は――目の前の【赤いドラゴン】の声だ。
「お前……人の言葉が喋れるのか……?」
『お主、耳は付いておるのだろう? ハッキリ話してやっているつもりだが』
俺の問いに、【赤いドラゴン】は答えた。
【赤いドラゴン】の眼がギョロリとこっちを見る。
俺は驚きのあまり、茫然としてしまった。
「マジかよ……。ってことはアンタ、【賢老竜】の種族か! 今じゃ世界でも数えるほどしか存在してないっていう、幻の"人語を話す竜"だよな!」
――【賢老竜】。
その名が示す通り、【ドラゴン】の中で最も賢いとされる古竜の種族。
世界に存在する数多の言語を理解できるだけでなく、人間をも超える知能と記憶力を持つといわれる"賢者の竜"。
太古には多くの個体が存在していたらしいが、今では軒並み数を減らし、その個体数は全世界で十匹を下回るらしい。
とても希少な【ドラゴン】だが、その力は強大で、一匹で百の街を壊滅させることが出来るとまで伝えられている。
故に冒険者の中には【賢老竜】を見つけ、狩ることを目標にしている者のいるとかいないとか。
そんな絶滅危惧種の超危険生物が、今俺の目の前にいる。
やべーよ、冒険三日目でスゴイのと遭遇しちゃったよ。
俺ってツイてる? それとも半端じゃなくツイてない? もしかして殺される?
などと危機感を感じる俺だったが、【赤い賢老竜】は特に動く様子もなく、
『ワシが幻かどうかなど知らぬな。所詮は"人間"が勝手に決めたことよ。……もっとも、そんな幻ももうすぐ消え失せる』
「? どういうことだ?」
『見てわからぬか……? ワシはもうじき死ぬ。この傷では、もう夜を越せまい……』
自らを嘲笑するように、【赤い賢老竜】は言った。
……そう、アイツの身体は全身傷だらけだ。
見るからに致命傷と思える痕もある。
せっかく話している言葉も、とても弱々しい。
俺は【赤い賢老竜】のすぐ傍に近寄り、
「……どうしてこんな酷い怪我を……」
『フン、縄張り争いに負けただけよ。【賢老竜】であるこのワシが、惨めにもな』
「そうか……他の【ドラゴン】に……」
俺はコイツに、少しだけ同情してしまう。
人間を襲う【ドラゴン】とはいえ、やはり言葉を交わせると、思う所も出てくるものだ。
『上を見ろ……【賢老竜】たるワシが死ぬのを、煩いコバエ共が待っておる。ワシの死骸を喰らうつもりでいるのだ』
「なるほどな……だから今日は、やけに【ワイバーン】が騒がしかったのか。アンタがいたから……」
俺はようやく腑に落ちた。
どうして【ワイバーン】が皆同じ方向に飛んで行ったのか。
そう、【賢老竜】がいたからだ。コイツが死ぬのを待っていたからだ。
これも自然界の掟、といえばそれまでだが……冒険だと思ってワクワクしていた自分が、少し恥ずかしい。
【赤い賢老竜】は、次に俺の武器である『竜斬包丁』を見る。
『……ワシをその剣で殺すか? "人間"に殺されるなど、全く忸怩たる思いだ。上を飛んでいる煩いコバエ共を喰えれば、お主など一息で噛み殺してやるものを……』
「どういうことだ、そりゃ。【ワイバーン】を喰って体力でも回復しようってのか?」
『ああそうだ。コバエとはいえ彼奴等も【ドラゴン】。お主ら"人間"は忌諱しているが、『ドラゴンの肉』にはあらゆる効能がある。肉を喰らえば、傷などすぐに癒えよう』
「…………」
【赤い賢老竜】の言葉を聞いて、俺は引きずっていた『ワイバーンの肉』に目をやる。
【ドラゴン】の肉を喰えば怪我が治るってのは初耳だ。
でももし、それが本当なら……
――ああ、そうだな。
よし!
「そうかい、わかった。なら俺がコイツをご馳走してやるよ」
俺は下ごしらえした『ワイバーンの肉』を、【赤い賢老竜】に掲げて見せてやる。
『……なに?』
「コイツを喰えば、その酷い傷も治るってンだろ? なら遠慮せず喰え!」
俺の言葉を聞いて、【赤い賢老竜】はしばし考えるように沈黙する。
『……何故"人間"のお主が、ワシを助けようとする? ワシを殺せば、さぞ名誉も大金も手に入るであろうに』
「俺は冒険がしたいだけだ! 金や名誉なんて知るか!」
俺は『ワイバーンの肉』を結ぶロープを解き、背中のリュックも下ろして準備を始める。
「それにな、俺は肉屋の息子なんだ。肉を喰えば怪我が治るって聞いたら、極上の肉を喰わせないワケにはいかないね」
テキパキと調理の準備を進める俺。
……そうだ。確かに俺は冒険者に憧れて家を飛び出した。
けど、肉屋としてのプライドを捨てたつもりは微塵ない。
冒険者やりながら肉屋もやって、なにが悪い。
怪我して死にそうなヤツが、肉を喰えば元気になるだって?
それを聞いて最高の肉を用意できなきゃ、肉屋の沽券に関わるだろうが。
肉屋ってのは、美味い肉を売るのが"商売"だ。
けどな、肉を喰って笑顔になるヤツを見るのが、肉屋の"生き甲斐"なんだよ。
そこに人も【ドラゴン】も関係あるか。
「いいか、肉屋のプライドにかけてアンタを助けてやる。だから、俺の料理が完成するまでくたばるんじゃねえぞ!」
俺はそう言い残し、荷物を置いて足りない野草などを探しに行った。
『……可笑しな"人間"も、いるものだ』
【赤い賢老竜】が小声でなにかを言ったようだったが、走っていた俺にはよく聞こえなかった。