#6 神様だって叶えられない願いを抱えてる(2)
#4 神様だって叶えられない願いを抱えてる
「武流の妹を返せ!!」
全身を血まみれにした荒神が天に向かって吼えた。
そして再び駆け出そうとしたので、武流は遮るように前に立った。
「もう、いい」
武流は言った。
「もうやめろ。
死んだ人間は帰ってこない。
いくらお前でも、一度黄泉の門をくぐった者を現世に連れ戻すことはできないんだ」
「そんなことはない!!」
きっと睨んできた荒神の瞳は、赤色だった。
今までは武流たちと同じ、黒い瞳だったのに。
ここまでムキになっているのは初めて見たが、それでも武流は荒神の癇癪には慣れている。
いつものように、激昂している神を冷ややかに見つめた。
「確かにお前はおれたち人間に比べたら凄い力を持っているが、それでも、万能の神じゃない。
どうにもできないことってのが、世の中にはあるんだ。
いつも自分の思い通りになるとは限らない。
いい加減、それを分かれよ。
これ以上、癇癪おこして暴れても、寿命を縮めるだけだぞ」
武流はため息をついて、癇癪持ちの神様を見上げた。
だが、自分を見つめる荒神の顔に気付いて、武流は眉をひそめた。
荒神は、やにわに武流の肩を強い力で掴んで怒鳴った。
「お前はそれでいいのか!?
妹が死んだままで!
離れ離れになったままで・・・!!」
「痛い」
容赦のない力で肩を掴まれた武流は、痛みに顔をしかめた。
「武流!!」
返事を強要するように名を呼ばれて、武流は仕方なく口を開いた。
「そんなこと言っても仕方ないだろ。
死んだ人間を甦らせることはできないんだから」
「お前はどうしてすぐ諦めてしまうんだ!
本当は嫌なくせに、どうして黙って我慢してしまうんだ!
オレはもうこれ以上、お前が辛そうにしているのを見るのはイヤだ!!」
荒神は叫んだ。
「このままじゃ、お前の妹は死んだままだぞ!
黄泉の国から連れて帰らなきゃ!
たった一人の家族までいなくなってしまうなんて、そんなの武流が可哀想だ。
そんな無情があっていいものか!!」
――え?
武流は困惑した。
こいつは自分の思い通りにならないから、癇癪を起こしているのではなかったのか?
オオオオ・・・!!
荒神は、天に向かって慟哭した。
血のように赤い瞳が妖しく輝きを増し、全身の筋肉がめりめりと音を立てて隆起していく。
荒神の体に何か変化が起ころうとしているのだ。
武流は息をのんで、見つめた。
閃光が炸裂した。
武流が眩さに目を閉じ、次に開いたときには、そこには見慣れた大男の姿はなかった。
代わりにいたのは、天を突くほど巨大な生き物――
頭には王冠のように尖った角をいただき、長いたてがみを風になびかせ。
背には巨大な翼を持ち、鋭い爪のある四本の足で大地を踏みしめ、光を放つ鱗に全身を覆われたその姿。
「荒神、お前は龍だったのか・・・」
雄雄しい龍の巨体を前にして、武流は目を細めた。
太陽の光を受け、その体は虹色に輝いている。
本来の姿に戻った荒神は、天に向かって一声嘶いた。
背中の翼を広げ飛び立とうとしたが、しかし、その巨体は大地に崩れるように倒れこんだ。
「荒神!」
よく見れば、虹色に輝く鱗の間からは真っ赤な血が幾筋も流れていた。
先ほどの冥府の門番との戦いで受けた傷は、武流が思っていたよりもずっと深かったのだ。
立ち上がる力すら残っていないほどに。
「すまない、武流・・・」
大地に倒れ伏した龍は、自らの頭を持ち上げることもできず、顎を地面に乗せたまま呻いた。
子供の頭ほどもある、龍の巨大な目玉は、ちょうど立っている武流の目線と同じ高さにあった。
「確かにオレの力では、死んだ人間を甦らせることはできない・・・
オレはお前に何もしてやれない・・・」
ころん、と透明な水の塊が大地に転がり落ちた。
龍の赤い目玉から、大きな水の塊が次から次へと零れ落ちていく。
荒神は泣いているのだ。
武流は呆然としてその涙を見つめた。
「武流。
お前がオレを嫌っているのは分かってた。
それでもオレは、お前といられるだけで嬉しかった。
お前の笑った顔が見られるだけで、なんだか楽しい気持ちになる。
だから、武流にも、オレと一緒にいるとき、楽しい気持ちになってほしかった。嬉しい気持ちになってほしかった。
そうなるようにしたかったけれど、オレにはどうしていいか、分からなかった・・・
いつもお前を傷つけてばかり。
大風を遮ることができたって、雨を呼ぶことができたって、それがどうだと言うんだ。
お前のたった一つの願いさえ、叶えてやることもできないなんて。
オレの力はムダなだけだ。
虚しいだけだ・・・!」
龍はおんおんと声を上げて泣いた。
まるで子供のように、恥も外聞もなく、泣きじゃくっていた。
「荒神、お前・・・」
武流は龍に近付き、その鼻先に手を置いた。
太陽の光を反射して七色に輝いている鱗は硬くて、まるで鋼のようだったけれど、触れると龍の体温が感じられた。
自分から荒神の体に触れたのは、初めてだった。
今まで、荒神に近付こうなんて思ったことはなかったから。
でも今、武流は初めて自分から手を伸ばした。
「武流?」
荒神もそれに驚いたように、赤い目玉をきょろりと動かして武流を見つめてきた。
武流は大きな龍の鼻先にそっと身を寄せた。
「村の連中は、荒神のこと、神とあがめたてまつってはいるけれど、本当は訳の分からないバケモノだと軽蔑してる。
ただ、その力を利用したいだけ。
そのために、生贄を捧げ、膝まづく。
それは、おれにしたって同じこと。
神官だなんて大層な肩書きつけて頭を垂れては見せるけど、自分たちの生活を守るために利用しているだけ。
おれが荒神に壊されたところで、すぐに次の生贄を捧げる・・・使い捨ての駒だ。
村の連中にとっては、おれも荒神と同じように、ただ利用するためのもの。
分かってた。
だけど、それを自分で認めてしまったらあんまり惨めだったから・・・
だから、意地張ってた。
神だなんて言ってもしょせんは、ただのバケモノ。
そうやって軽蔑していれば――村の連中と同じようにしていれば、おれは村の連中の仲間でいられる。
おれは、バケモノの仲間なんかじゃないと――
荒神とは違うんだと――
そう思って、安心したかったんだ。
バカだな。
おれ、自分のことしか考えてなかった。
すぐ隣にいるお前の気持ちなんて、分かろうともしなかった。
お前はいつだって、おれのこと、心配してくれていたのに。
おれがどんなに軽蔑しても、お前はおれを受け入れてくれたのに。
今までずっと、お前に体を傷つけられて、ひどい目に合わされてきたと思ってたけれど・・・
おれはお前を傷つけてたんだな。
その心をずっと。
お前はいつだって、『仲良くなりたい』って気持ちを、おれに伝えようとしてくれてたのに、おれはその心を踏みにじってた・・・」
龍の目玉からぽろりとこぼれた涙の粒を両手で受け止めて、武流は言った。
「人だろうが妖だろうが、そんなことは関係ない。
お前は人ではないけれど、たった一人の家族に死なれたおれのために、本気で涙を流してくれた。
なのに、おれはお前のこと、分かろうともしなかった」
武流は龍の鼻先を抱きしめるように、両手を伸ばした。
その心に近付こうとでもするように。
「ありがとう、おゆうに会わせてくれて。
別れは悲しいけれど、でも、お前がいてくれなかったら、おゆうと言葉を交わすことさえできなかった。
最後におゆうと話せてよかった。
ありがとう」
龍はその目玉を驚いたように丸くしたが、やがて目を細めた。
「武流、初めてオレに、本気の『ありがとう』を言ってくれたな」
――しょせんバケモノに人の心は分からない、なんて。
分かってなかったのは、自分の方。
荒神は、全てを知っていた。
それでいながら、ずっと武流のそばにいたのだ。
「オレ、武流を喜ばせることができたんだな」
子供のように無邪気に目を輝かせた荒神に、武流は頷く。
すると、荒神は、満面の笑みを浮かべた。
そんな荒神を見て、武流は苦笑した。
「お前、本当におれのこと好きなんだな」
「うん」
なんのてらいもなく、力強く頷かれると、武流の方が困ってしまう。
武流は前々から気になっていたことを尋ねてみた。
「どうして、おれなんかがいいんだ?
見てくれのいいのなら、他にいくらもいるだろうに」
「オレは武流のそばにいたい。
初めて見たとき、そう思ったんだ」
荒神は、まっすぐに武流の目を見て答えた。
「他の子供たちはみんな大人に守られていたのに・・・
武流は、誰にも守ってもらえなくて、独りぼっちだったから」
確かに、自分たち妖には、ちっぽけな人間たちとは違って力がある。
だから、独りで生きていける。
仲間と群れる必要などない。
そうだけど――
はかなく消えてしまいそうな小さな命を前にして、その傍に寄り添いたいと――
生まれて初めて思ったのだ。
「お前も寂しかったんだな」
「さびしい?」
「そういう気持ちを『寂しい』っていうのさ。
人間だって、十分な食料と安全な寝床さえあれば、独りでも生きていける。
でもそうしないのは、寂しいから。
人が集まれば、腹の立つこともたくさんあるし、たまにはケンカにもなるけど、それでも、つまんない馬鹿話に一緒に笑いあって、自分が必要とされてると感じる時、ほわっと心があったかくなる。
だから、人は寄り添いあって暮らしてるんだ。
お前も、人とおんなじだ」
「そうだな。
オレは、神にはなりきれない。
それでも、お前のそばにいていいか?」
荒神の真剣な眼差しに、武流は頷いた。
「当たり前だろ。
今さらおれを一人にする気か?」
「武流、やっぱりオレがいないと寂しいんだ」
荒神が嬉しそうににんまりと笑う。
それはそれは幸せそうな顔を見て、武流はその鼻先をぽかりと叩いた。
「痛っ!
なにすんだよ、武流?」
荒神は、どうして叱られたのか分からない子犬のようにきょとんとしている。
そんな荒神に武流は答えた。
「なんとなくムカついた」
「なぜ?
武流を喜ばせるのは、本当に難しいな・・・」
荒神は、鼻の頭に皺を寄せている。
「人間の心は複雑なんだよ。
まだまだ勉強が必要だな!」
真剣に悩んでいる荒神の顔を見て、武流は心からの笑い声を上げた。
「むう・・・そうか。
ならば、この姿ではダメだな」
再び閃光が龍の体を包みこんだ。
咄嗟に目をつぶった武流の耳元で、聞きなれた声が囁いた。
「やはりこの姿でないとな。
武流に触れることができん」
目を開けると、すぐ目の前には、見慣れた癇癪持ちの神様の顔があった。
人の姿に戻った荒神は、武流を抱きしめ、幸せそうに目を細めている。
鳥の羽でもつかむように、そうっとそうっと武流の腰に腕をまわして。
力の加減に迷ってるその腕の様子がおかしくて、武流の頬にふっと笑みが浮かんだ。
「・・・そのくらいなら、苦しくない」
武流がそう伝えてやると、荒神は得意げな笑顔を見せた。
「よし、このくらいだな。覚えたぞ!」
時には、武流を傷つける凶器にもなるけれど。
それでも、ずっと武流を守ろうとしてくれていた逞しいその腕に、武流は身を委ねた。
End
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!!