1 王国歴342年 勇者②
「勇者君って」
「リカルドって呼んでくれ」
翌日、リカルドとメフィストは再び祠を探すべく森に足を踏み入れた。太陽は雲の後ろに隠れ、昨日よりも陰鬱とした空気が森に漂っている。
「リカルドって、勇者なんだね」
勇者君呼びのままだったら1=1みたいな文になっていたのかと、リカルドは内心で少し呆れた。
「そうだよ。正真正銘の勇者さ」
「もっと怖いって思ってた」
「・・・まるで今の僕が怖くないみたいに言うんだね」
力とは、すなわち恐怖だ。強大な力は相手の生死を握ることが可能で、それこそが勇者が恐れられている理由でもある。だからこそリカルドは王すら逆らえない存在として王都に君臨していたのだ。道行く少女を襲っても、気に食わない商人を殺しても、すべてはなかったことにされた。
国ですら彼を裁けない、何者にも縛られない。敬意と畏怖の対象。そんな自分を目の前の少女は怖くないと言った。おもしろい。
「あの時真っ先に死体を片付けたのもそうだけど、君は人の生き死ににはあまり興味ないのかい?」
「やっぱり怖くない。そんなこと聞いちゃうなんて」
メフィストは足を止め、紅の瞳で真っすぐ彼を射抜く。
――まただ、またあの感覚だ。
リカルドはまたしても心臓をぎゅっと掴まれるような感覚に陥る。緊張か、畏怖か。判断がつく前にその感覚は霧散する。怖気づいたように固まる自分を誤魔化すべく、彼は口を開く。
「今から君を力づくで襲ってもかい?」
森の中で、二人きり。いくら叫ぼうとも助けなんて期待できない空間だ。彼は少女を巨木にむけて抑えつけた。彼女の肩はぞっとするほど冷たかったが、そんなことは気にならなかった。自分は本気であることをアピールすべく、彼女の顎に手を添えた。長いまつ毛に縁どられた目は物憂げに伏せられている。目、鼻、口が完璧なバランスで配置された少女の顔は美という言葉では言い表せないほど美しく、それを独占しているという状況にリカルドは激しい興奮を覚えた。
「ねえ、依頼はいいの?」
「そんなこといつでもできるさ」
「あそこに祠があるよ」
「・・・まじ?」
メフィストが指さす方に視線を動かすと、雑草の隙間から僅かではあるが白い石のようなものが見えた。休日に仕事のメールが入ってきた会社員のように、リカルドの気持ちは急激に落ち着きを取り戻した。落ち着きすぎてマイナス方向に振り切れた。
「・・・祠に入ろう」
自分の口から出た声は、驚くほど低かった。
邪魔な草を切り刻むと、そこには祠の入り口が姿を現した。完成当初は白く磨かれていたであろう石造りのそれは、長い年月の風雨に晒され、また草に覆われていたこともあって凸凹が目立つようになり色もくすんでいる。しかしていたるところに刻まれた王家の紋章が、これがただの石ではないことを雄弁に示していた。
地下へと続く階段を降りると、なぜ教会が自分をここに向かわせたのか彼は理解した。祭壇に繋がる道には白く脱色した蛇が蜷局を巻いて寝ていたのだ。それもただの蛇ではない。胴体の太さが人の何倍もあり、頭から尻尾までを伸ばせば小さな村なら囲えそうだ。これでは普通の人はおろか、熟練の騎士や神官ですら犠牲なしに祭壇へ向かうのは難しいだろう。
「ねえ、強いの?あの蛇」
「僕にお鉢が回ってきたのもおかしくないくらいにはね。でも僕にとっては赤子も同然さ。君はそこで見ていてくれ」
「そう。またね」
愛しの少女に見送られながら、リカルドは白蛇に向けて歩き出す。一歩一歩と彼我の距離は縮まるも、蛇は一向に起きる気配すらない。
「この僕が近くにいるというのに、なんて不遜で愚かな生物なんだろう。」
どうせただの人間が来たと思って侮っているのだろう。
「この僕の魔法で死ねることを光栄に思え」
細切れ肉にすべく、巨大な縄のような白蛇に向けて手を差し出した。
「切り裂け」
空気を弾き出しながら放たれたそれは、蛇の鱗を縦横無尽に切り付けていく。傷口からは紫の体液が噴き出す。が、それだけだ。
そして、ここにきて蛇がやっと瞼を上げた。自らの体に傷をつけた存在を認識し、収斂させた胴を跳ねるように伸ばして彼に飛び掛かる。
「っつ!」
彼の手のひらに火球が出現し、目にもとまらぬ速さで放たれた。それは蠢く胴体に着弾し、轟音を上げながら爆ぜた。鱗がはじけ飛び、紫の液体が床や壁にシミを作る。
だが、巨体を止めるには至らない。所詮川のように長い胴体の一部分にすぎないからだ。お返しと言わんばかりに巨木の幹ほどの太さの尾が唸りをあげて彼に襲い掛かる。
「舐められたものだね、畜生風情が」
彼は片手でそれを受け止めた。飛んできたボールを受け止めるように安々と。無残に潰されると思われた自らのよりもはるかに小さなそれに、蛇はその瞳を驚いたように揺らした。
「君にも脳はあるのだろう。なら、それを壊されたらどうなるのかな」
リカルドは飛び上がり、尾の上に着地する。そして、遡上するかのように頭部に向かって走り出した。自らの頭蓋が狙われていると悟った蛇は咄嗟に胴の後ろに隠そうとするも、二足歩行の限界を越えた勇者の驚異的なスピードに間に合わない。
「潰れろ」
瞬間、巨大な岩が蛇の頭部に降り注いだ。鱗がそれらを押しとどめようとするも、次々と押し寄せるそれらに成すすべもなかった。鱗を突き破り、蛇の頭蓋をズタズタに押しつぶす。空気の漏れるような鋭い悲鳴が地下空間に響くも、不意にそれは途切れた。糸が切れたように巨体の動きが止まり、土煙を上げながら地面に倒れ伏した。
リカルドはそれを無感動に眺め、くるりとメフィストの方に振り返える。
「終わったよ、こっちにおいで」
手招きをして呼び寄せるも、彼女は動こうとしない。返事の代わりか、彼の背後に指さした。それにつられて彼も振り返る。そこには白蛇の死骸が横たわっている、だけのはずだった。
その傷口から、紫の体液と共に小さな白蛇が雪崩を打ったかのように大量に流れ出ていたのだ。
「なっ!」
それは波のように地面を這い、リカルドに向けて殺到する。
「うわああああ!来るな、来るなああぁぁ!!」
魔法を放つ、放つ、放つ。遮二無二に火球を飛ばし、風を放ち、岩を落とす。
数十匹の蛇が爆ぜるも、数百の蛇が吹き飛ぶも、数千の蛇が押しつぶされても、何万という巨大な波を押し返すには到底足りなかった。白の波はやがてリカルドの足を濡らす。足に縋りつくそれを振り解こうとするも、その間に反対側の足に牙を突き立てられた。
激痛のあまり足が崩れ、蛇の波にのまれる。
「た、助けてくれ・・・」
思わず、そんな情けない言葉が口から漏れた。
そうだ、自分は勇者なんだ。こんなところで死んでいい存在ではない。誰にも負けたことはない、唯一無二の絶対的強者。そのはずだったのに。
全身に牙を突き立てられ、次第に力が抜けていく。視界が次第に霞む、その向こうに彼女はいた。逃げろと言いかけた。届かぬ声だとしても、彼女だけは助かってほしかった。
しかし、彼女は平然と歩いていた。白蛇たちは彼女を襲わず、それどころか道を開けるように避けている。やがてリカルドの前で足を止め、瀕死の彼を見下ろす。その視線を彼は知っていた。一昨日、自分が炭にした人間を片付ける時の目と同じだった。
「残念だったね。一週間持たなくて」
優しくも冷たくもない、ただ淡々と事実を指摘するだけの声。
この瞬間、彼はようやく理解した。
――ああ、彼女は人間ではなかった。
あれは人間ではない、それを超越したなにか。まるで・・・
◇◇◇
日が沈み、黒猫亭のピークタイムが訪れた。今日も給仕服を纏った二人の少女が忙しなく店内を動き回り、滝のような汗をかきながら店長は鍋を振るう。
「黒パンにスープね。あれ、頼まないの?いつもの」
「うちのカミさんに腹が出すぎだって怒られてよ、しばらくは健康志向なんだ」
「面白いのに。大きい方が」
「へへ、メフィストちゃんがそう言ってくれるなら俺のお腹ちゃんも喜ぶってもんだぜ。よし、オーク肉のハーブ焼きも頼む!」
「まいどー」
勇者の凄惨な死を目撃した直後にも関わらず、メフィストはいつものように接客をしていた。時には酔っ払いに自制を求め、またある時はもっと料理を食べるようにと発破をかける。注文を取り付け、店長にそれを伝える。一瞬項垂れたように輝く禿げ頭を下げる彼だが、気合を入れなおしたのか両手で鍋を振るい始めた。
本日も黒猫亭は満員御礼、酔っ払いたちの時間は始まったばかりだ。
「ねえメフィ、あの人はどうなったの?」
「あのひと・・・、ああ、あれね」
「あれって・・・」
客の姿が見えなくなった店内には、まかない飯を食べる二人の少女と燃え尽きたように横になる店長がいた。人を「あれ」呼ばわりする同僚に呆れながら、ロッテは話の続きを促す。今日も一緒に森に行ったことは知っているが、昨日とは違いメフィスト一人だけが町に帰ってきたのだ。なにもなかった、なんてことはないだろう。
「死んだよ」
それは人の死を報告するにはあまりにも軽いトーンだった。
「へえ、死んだんだ。・・・・・・・死んだの!?なんで!?」
死んだという言葉を何度も咀嚼し、ようやく理解したロッテは例によって大きな声を上げる。その余波で店長が飛び起きたのは些細なことだ。
「やられちゃった。魔物に」
「ええ、勇者ってそんな簡単に死ぬんだ。もっと強いと思ってた・・・。ま、まあ、これで町のみんなも安心して過ごせるし、なによりメフィが無事で何よりだよ!」
ロッテはその説明で納得し、そんな状況から友人が傷一つなく帰ってきたことを喜んだ。
その後、勇者失踪の容疑でメフィストが捕らえられるのはまた別の話。




