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1 王国歴342年 勇者①

 黒猫亭は今日もいつも通りの喧騒に包まれていた。一仕事終え汗が滲んだ服を着て酒を酌み交わす大工、形式ばった所作でサラダを口に運ぶ役人、すでに酔いが回ったのか顔を赤くしてテーブルに突っ伏す狩人、それを見て笑うその息子。

 そんな中、黒のシャツの上に白のエプロン、そして紫がかった黒髪によく映える白のフリルのついたカチューシャを身に着けた少女が忙しなくテーブルの間を行ったり来たりしている。


「はいお酒。今日もいい飲みっぷりだね」

「ありがとよメフィストちゃん!おまえこそ今日も別嬪さんだな!」

「それはどうも」


 メフィスト。16歳ほどに見えるその少女はここで人気を博していた。猫を思わせる紅い瞳は鈍く光り、艶やかな長いまつ毛と合わさりどこか妖艶な雰囲気を漂わせる。それでいて病的なほど白い肌に作り物めいた美貌があまりにも自然に合わさり、彼女の美を際立たせていた。そのような美少女が給仕服を纏っているのだから、彼女目当てで来る客も多い。


「ここだよね、ウルフ肉のハーブ焼き」

「ああ。ここに置いてくれ。ついでに俺と付き合ってくれ」

「えー、やだ」


 この手の客の対応には慣れ切っているのか、眉ひとつ動かさずにべもなく断りを入れて次の食事を運びに向かう。


「メフィスト!これを奥のテーブルに運んでくれ!」

「了解、店長。あ、きのことオークのスープくれだって。そっちから」

「ああもう今日は忙しいな!」


 まだ若いだろうにつるりと禿げ上がった頭に玉のような汗をかきながら、店長と呼ばれた男は包丁を片手に鍋をかき混ぜるという器用なことをしている。料理担当は彼一人なのでそうでもしないと間に合わないのだ。


「メフィー!あの人吐いちゃった!片付け手伝ってー」


 メフィストと同じ給仕服に身を包んだ少女、ロッテが悲鳴のような声で助けを求める。彼女は外見こそメフィストと同い年に見えるが、ぴょこんと跳ねた緑の毛先にわずかに潤んだ大きな瞳は幼さを感じさせる。大人びた雰囲気のメフィストが傍にいるので、なおさらそう感じさせた。

 今日も黒猫亭はこの三人によって酒場として動かされている。

 

 

 からんと扉に付けられた金具が鳴る。来訪を知らせる合図にロッテが真っ先に反応した。


「いらっしゃいませー!」

「ようこそ」


 それに続くようにメフィストが義務感しか感じさせない声を出す。酔っ払いたちもこの新規客に最初は気にも留めなかった。が、次第にその人物を見つめる視線が増える。なにしろ、ここら辺では見ない客だったからだ。

 整えられた金髪に、まだ青年というべき年の割に自信というものを張り付けたかのような堂々とした表情。されどもそれが不思議と似合ってしまう、そんな雰囲気を漂わせている。

 彼は満員になった店内をぐるりと見渡すと、それを意に介さずまっすぐに歩を進める。そして、小さなテーブル席で一人で酒を飲んだくれる男の前で足を止めた。


「この席に座りたいんだけど、ちょっとどいてくれるかな?」

「あ?俺が酒飲んでるのがみえねえの?お前の目ん玉はお飾りか?」

「ああ、ちゃんと見えるさ。見るに君は一人で、しかも相当飲んでる。もうそろそろ若人に席を譲る頃合いなんじゃないかな」

「あー譲ってやるとも。たっぷり酒を腹にためたうえでな。おーい、エールもう一杯!」


 青年の要求は酔っ払いには通じず、さらには周りの席の見物にされているらしく歯牙にもかけられない青年をみな笑いながら酒をのんでいた。


「ふむ、どうしても、たとえその命を懸けても譲らないんだね」

「ああそうさ。俺の魂はずーっとここにある。どこのどいつだか知らねーがね、あんちゃん。ここは俺の席だ」

「そうか」


 青年は半歩下がる。やっと邪魔者がいなくなるといわんばかりに笑い声をあげる酔っ払い。青年は手を差し出し、静かに指を鳴らす。瞬間、太陽かと見まがうほどの激しい光が黒猫亭に瞬いた。

 酔っ払いも、店長も、ロッテも瞳を守るべく瞼を閉じる。それでも網膜に焼き付いた白が張り付いて離れない。しばらくして、誰かが悲鳴を上げた。それにつられてみな瞼を上げ、同じように声を上げてしまう。

 なぜなら、先ほどまで青年と話していた客がいなくなっていた。帰ったわけではない、ただ彼は床に横たわっていた。彼の形をした巨大な炭となって。


「やっとどいてくれた。ねえ、注文したいんだけど、この店ってメニュー表とかある?」


 青年が何事もなかったかのように席に着く。青年が何らかの魔法で酔っ払いを物言わぬ炭にしたのは明らかだ。魔法、それは神官や王族などの神に選ばれた者にしか使えない人智を超えた御業。それを一介の青年が使い、あまつさえ少し反抗的な態度をとっただけの男を殺したのだ。


「化け物・・・」


 どこからかそのような言葉が漏れる。

 誰も身じろぎひとつしない異常な空気の中、背中まで流れる紫黒の紙を揺らしながらメフィストは箒とメニュー表を取り出した。こつこつと床を鳴らし、青年が肘を乗せるテーブルにメニュー表を放り投げる。


「どうぞ。後でもらうからね、迷惑料」


 言いたいことを言ったとばかりに青年の前を通り、チリを掃くように男だったものを店外に追いやる。

 死体を前にしても態度を崩さない不思議な美少女。大多数の男と同様に、青年もまたメフィストに興味を持った。

 注文をし、料理が運ばれてくる間も男の視線はメフィストを自然と追いかけていた。


◇◇◇


「迎えに来たよ、お嬢さん」


 太陽はとっくに地面の向こう側に沈み、家々から漏れる光が弱弱しく通りを照らす。黒猫亭の営業も終わり自分の家に帰ろうとすると、そう呼び止められた。

 

「一人で帰れる。ナンパはいらないよ」

「ナンパ、ね。確かにそう捉えられるのも当然だね」

「分かってるなら失せ・・・」

「僕が勇者、だとしてもかい?」


 青年には自信があった。自らが神に選ばれし勇者という自信が。彼の父母はごく普通の農夫、祖父母も、そのまた父母も同様に。純粋な平民だった彼は、自らもまた農民として一生を終えると考えていた。しかし、彼の手から炎が出てから、彼の人生は一変した。貴族のような高貴な血筋を持ち合わせない、純粋に神に選ばれし子。その称号として与えられたのが勇者だ。王都でこの名を出せばみな平伏し、反抗的な態度をとるものは誰もいない。皆が称賛し、何よりも望まれた存在。


「ゆうしゃぁ?」


 勇者の名は辺境の町にも健在のようだ。その証拠に死体を目の前にしても感情を見せなかった少女が、わずかに声が上ずらせた。


「勇者、へえ。君がそうなんだ」

「ああ。驚いたかい」

「うんうん。で、終わったかな、自慢。帰るね」

「いやいやいやまって」


 踵を返して夜の闇に溶け込もうとする少女を必死に呼び止める。ここにきて青年は悟った。この少女は勇者の名にはあまり興味がないのだと。勇者の名をアピールしてもいいことはないと。


「僕と一緒に暮らさないか?何不自由のない暮らしをあげる」

「えーーいらない」


 どうやら彼女は現在の生活に不満はないようだ。


「抱えきれないほどの愛をあげる」

「はぁ」


 愛にも興味がなさそうだ。


「望むことをなんでもしてあげる」

「そ」


 返事をすることすらめんどくさくなったようだ。彼はプライドを捨てた。


「お願いします僕と付き合ってください!」


 彼は王にすら下げなかった頭を下げた。それはあまりにも浅く、なんなら顔が上がったままだったので端から見れば滑稽な姿だった。そんな勇者の姿を紅い瞳に映すメフィスト。僅かに瞳は絞られるも、相変わらず表情は読めないままだ。


「・・・条件がある」

「本当か!?何でもいってくれ!」


 青年の顔が喜色に塗りつぶされる。興奮のあまり少女に近づこうとするが、手で制され足を止めた。

 闇に溶ける髪をかき上げながら、少女らしく小さな口を開いた。


「死んで、今すぐ」


 


「冗談。ごめんね」

「・・・笑えない冗談だったな」

「嫌いになった?」

「愛する人のどんな面でも受け入れるのが男の甲斐性ってものさ。君への思いは変わらないよ」

「そう。じゃあ改めて」


 メフィストは一歩踏み出し、息が触れ合うほど近く顔を寄せる。肉食獣のように細められた紅い瞳に見つめられ、青年は心臓ごと自らの存在を掴まれるような感覚に陥った。


――この僕が、恐れている?まさか。相手はただの女の子だ。そうに決まっている。


「1週間。今日から1週間の間、あなたが死ななかったらね」

「・・・そんなことでいいのか?」


 1週間生きる。それが寝たきりの老人であれば絶望的な条件だっただろう。しかし自分は健康な若者、しかもこの世界で最も強力な魔法を有しているのだ。

 拍子抜けするほど簡単なその条件に、実質的なOKだと彼は受け取った。それと同時に彼は思った。目の前の少女は、ただ感情表現がすこし苦手なだけなんだと。


「うん。そうえいば、なんでこんな街に来たの?何もないのに」

「それ自分で言っちゃうのか・・・。実はね、教会の連中に頼まれたんだ。この町のはずれの祠が魔獣の根城になってるから退治して来いって。まったく、勇者遣いが荒いよね」

「なるほど。しばらくいるんだね、この町に」

「僕なら魔獣くらいすぐに倒してみせるけど、君が望むならいつまでもいてあげるよ。別に急いで王都に帰んなきゃいけないわけじゃないし」

「ならいてね。一週間したら、私と一緒に行こう」

「ああ!それまでに僕のことをより一層好きにさせてあげるよ」


 自信満々に自分の胸を叩く青年。彼の脳内には目の前の少女との幸せな生活がすでにシュミレートされていた。


「そういえば、名前。メフィストっていうの」

「メフィストか、いい名前だね。僕はリカルド。リカルド・オーフェンさ」

「覚えとくよ」


◇◇◇


 翌日、二人の姿は町のはずれの森にあった。木々の間からは木漏れ日がこぼれ、草の隙間からかろうじて地面が見える程度の獣道を歩く。常にどこからか甲高い鳴き声や低く響く唸り声が聞こえ、ここが人の支配が及ぶ領域ではないことをいやでもわからせてくる。

 散歩するかのような気軽さで足を進める二人の前に、鋭い牙を口に携えた二足歩行の豚、オークが立ちふさがった。騎士だとしても二人以上で挑むようにしているそれに向けて、リカルドは無造作に手を伸ばした。


「爆ぜろ」


 瞬間、オークが弾けた。妙に食欲をくすぐるいい臭いと共に、焦げた肉片があたりに散らばる。体はそれに向けたまま、彼は横目でメフィストを見やる。彼としては「ステキ!かっこいい!」みたいな反応を期待していたし、それが見たいがために魔物討伐に同行させた。

 しかし、少女はただ無感動にそれを眺めるだけだ。


「・・・どうだい?」


 横にいる少女が感情表現が苦手なことは薄々察していたので、それとなく水を向ける。


「すごいね。勇者の力なんだ、それ」

「そうだろう!ほかにも水魔法とか土魔法とか、とにかくいろんな種類の魔法を使えるんだ」

「勇者ってさ、なりたかったの?」


 その問いに、リカルドは考え込むように指を顎に当てる。


「うーん、どうだろう。そもそも僕って農家の家に生まれたんだよね。親と同じようにずーっと土いじりする人生が待ってた。けど、それは嫌だったな。そんな人生詰まんないじゃん。だから自由になりたいなーとは思ってたよ」


 実家での暮らしは裕福なものではなかった。一日二食、硬いパンと薄いスープだけ。服は兄弟のおさがりで、夜は冷たい風が吹きすさぶ中、一つの布団にみんなで入って寝る。今の暮らしに慣れた今だからこそ、あの頃の暮らしはしんどいものだったと彼は考えていた。

 故に、彼はなりたかった。自由に生きれる何者かに。


「君こそ、どうしてあの酒場で働いてたんだい?君ほどの美貌ならどこでだって輝けるだろうに」

「なんでって、働きたいから」

「・・・あまり理由になってないような」」

「居心地がいい、でいいかな」


 リカルドとしては不思議でたまらなかったのだ。王都の貴族子女ですら霞むほどの美貌の持ち主が、なぜ辺境の町の酒場でくすぶっていたのか。その答えがこれだ。自らの容姿を生かそうだなんて考えていない、自分の居たい場所にいる。彼は横を歩く少女の思考の一側面を見た気がした。

 だからこそ、そんな彼女を我が物にしたいと改めて認識した。


「なるほどね。なら、僕が君にとっての止まり木になれるといいな」


 勇気を込めて紡いだその言葉は、少女の耳に入ってるはずだ。しかし風に溶けて消えたかのように少女からの返事はなかった。



 木々の間を歩くこと数刻、目的の場所は一向に見つからない。リカルドが教会から渡された地図の印の上を何度も通っているはずなのだが、祠らしきものはその姿をかけらも表さなかった。当初は余裕そうな態度をとり続けていたリカルドにも、段々とイラつきが露わになる。

 右手から風を起こし、町の時計塔よりもはるかに大きな木を粉々に切り裂いた。 


「あーもういらいらするな。・・・ここらへん焼き払うのはだめだよね」

「ダメ、だと思う。狩人が困っちゃう」

「そっかー。うん、今日は止めだ。明日また探そう。そうと決まればいまから町でデートを・・・」

「あなたのものじゃない、まだ。それに働くから、今日は来ないでね」

「あ、そう」


 どうやら少女は律儀にも働きに行くらしい。長年勤めた店だから思い入れもあるのだろう。森を抜け、店に入るメフィスト。彼女を見送ったリカルドは、用事が済んだとばかりに早々に泊まっている部屋に戻った。


◇◇◇


「えー!あいつと一緒にいたの!?」

「声大きい」


 黙々と料理の仕込みをする店長を尻目に椅子に座りくつろいでいたロッテは、驚きのあまり空気が震えるほどの声を出してしまう。メフィストがあの金髪の青年となにか話しているのは見たものの、彼女が客に言い寄られるのはよくあることで、その都度断っていた。だからこそ、今日一緒に過ごしたことに驚いたのだ。


「客をいきなり燃やすようなやつだよ!?絶対危ないじゃん」

「自分のことを勇者って言ってたよ」

「勇者?なにそれ。店長は知ってる?」


 店長は鍋をかき回す手を止めないまま口を開く。


「とんでもなく強い魔物をぶったしたやつが勇者って呼ばれてたな。でもな、建国以前の話だったはずだぞ。今の時代に勇者がいるなんて聞いたことないな」

「はえー。じゃあ自称勇者ってこと?」

「本物だと思う。強かった」


 メフィストは彼がオークを爆散させたことや、巨木を切り刻んだことを伝えた。


「なおさら危険人物じゃん!そっか、だから憲兵さんも何も言わなかったんだ!」


 リカルドが店を出た後、客の誰かが憲兵を連れてきていたのだ。店の外に捨てられた巨大な炭を死体だと言い張る彼に、憲兵は何かのいたずらだと思い当初は笑っていた。しかし、当時の状況を伝え、さらに容姿を伝えると憲兵は顔を真っ青にし、一度戻ると言って本部に戻っていった。そして再度やってきた憲兵は、ここでは何もなかったとだけ言い残し逃げるように立ち去ったのだ。

 いつもは食い逃げ犯にも厳しい態度を取る憲兵の姿を知る人々にとって、彼のその姿は非常に不可解なものに映った。


「今日は来るなって言っといた。だから大丈夫だよ」

「それはそうだけどさあ。メフィっていつもなら告ってきた相手のことは無視するじゃん。なんで今回は・・・まさか、顔がタイプだった?」

「違う。断じて」


 気だるげな声の中に、確かな芯が感じられる否定だった。メフィストは艶やかな唇を一度合わせ、テーブルのふちを指でなぞる。


「同情、強いて言えばね」


◇◇◇


 その頃、リカルドはベッドの上で寝ころんでいた。今日は来るなと言われたが、この町に彼女以外の用事はなにし見るべき場所もない。

 頭に浮かぶのは、闇のような髪の少女。無表情で、どこか常人離れした雰囲気を漂わせる美しい少女。彼が今まで出会ったことのないタイプの女を手に入れられることにほの暗い高揚感を覚えていた。


『一週間生きていたらね』


 断るための口実にしてはあまりにも下手だ。だからこそ彼は実質的な告白だと受け取った。

 しかし、言い方が妙に引っかかる。口下手な彼女のことだ、言葉選びを間違えただけの可能性もある。だから、これは勘違いなのだ。

 まるで一週間以内に自分が死ぬことを確信しているような雰囲気だったことなど。

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