第十八話
無慈悲な月光が、瓦礫の山と化した京都支局を余すところなく闇夜に浮かび上がらせている。ところどころでは松明が掲げられ、負傷者の救出や手当が進められていた。その様子を見渡せる、倒壊しかけの建物の屋根の上に長い手足で黒鵜はよじ登る。屋根には先客、物部伽藍が座っていた。
「クソガキは急いで旅館に返してきたぞ。クーラの書が記憶は消しておくから後は任せろとか言うから、任せて置いて来ちまった。クソ忍者の方は、いつの間にか居なくなってやがった」
何やってんだろうなァ、と夜空を仰いでタバコの煙を吐く黒鵜。
瓦礫の上に座る伽藍は、少し笑って言う。
「そんなこと言って、全部リスクと結果を天秤に掛けて動いてるんだろう?東京支局所属、内部監査、黒鵜カイさんよ」
数日前、暦史書管理機構大阪班は京都支局副官から異端書護送のための能力者数人の出動要請を受け、その不可解な要請を不審に思い東京支局へ報告を出していた。その報告を受けた東京支局は、直前にあった不自然な異端書の移管先の変更と合わせて鑑みて、機構内部を監察するための人員の一人、黒鵜カイを送り込んでいた。
「はッ。俺ァそんな呼び方、初めてされたぜ」
黒鵜は携帯灰皿に吸いきったタバコを差し込む。
「八瀬童子たちが、人員の救出を手伝ってくれている。どうやらそのクソ忍者ちゃんが、連絡をしてくれたみたいだね」
伽藍は左手に巻かれた包帯をなぞる。
「妹の方はどうした?」
「祓は疲れて眠ってしまった。今は七堂が見てくれてるよ」
包帯をなぞりながら、彼女は一瞬だけ姉の顔になった。
黒鵜は一呼吸おいて、聞いた。
「何故あんな真似をした?」
「祓に鍔を託したことだろう?」
伽藍は瓦礫の上に座り直すと、青みの残ってしまった己の髪を梳く。その顔は既に京都支局長の顔だった。
京都支局長は煙を上げる歴史的建造物群に目を落として語りだす。
「…愛絶は、鍔で封印していても人を操る力は少しだけ残ってしまうらしいんだ。私の父は京都支局に安置してあった愛絶に少しずつ支配されていって、最終的に愛人と八瀬童子を殺戮した。その事実と、愛絶の存在を旧アーカイブで確認した私は、一人愛絶に対抗する策を練った。でもその時点で愛絶の毒牙は私にまで伸びていて、八瀬童子が襲撃してきた夜、気づけば私は愛絶を握っていて、目の前には倒れ伏す父親の姿があった。その場ではなんとか愛絶を抑え込んだけれど、いつ何時、愛絶に完全に支配されるかわからなかった」
伽藍の瞳に松明の光と眼下で活動する部下や八瀬童子の面々が映り込む。彼女の目に青い光は無い。
「私が愛絶を握っている今、私の代でこの連鎖を止めなければならないと思った。また同じように封印しても同じことが繰り返される。父が愛人を殺したように、私が父を殺したように…」
黒鵜は黙って聞いている。
「そうしないために、私が完全に封じ込める方法を探さなければと思った。いろいろやったよ。イデア的リソースのために能力の有無に関わらず京都支局の人員を集めたり、専門外の呪術の教書を紐解いたり。結果はまあ、失敗だったんだけどね。そして、もし私たちが失敗して、全員が見事に操られてしまった時のために、鍔を保険として遠ざけておきたかった…って理由なんだけど、ここに愛絶の意図が干渉してないかって言われると、否とは言えない」
伽藍はふっと笑って言った。
「あの判断をした時既に私の中で愛絶と私が拮抗状態だったからね。今考えると無理のある理由に思えるし、私の『祓を安全な場所へやりたい』という願望と、愛絶の『鍔を何処かへやってしまいたい』という願望が、私の中で一致したが故に出た行動だったのかもしれない」
「副官も保険か?」
「そう、私は彼を祓の次に信用しているからね。彼は私の権限を使ったと言っていたけど、あの時点で既に京都支局の全権限は彼に譲渡してあったんだ。彼一人さえ残れば、愛絶に敗北した私たちを処理してくれると思ったから、彼だけは愛絶と接触させなかった。実際、彼のおかげで何とかなったようなものだろう?」
「よく言うぜ」
黒鵜は呆れたように口の端を吊り上げた。
伽藍は立ち上がって、京都支局の惨状を眺める。
「とにかく、京都支局はこれからだ。一度綺麗さっぱり壊されたんだ。新しく、東京支局にも負けないような、立派な支局に育ててみせるさ。彼の為にもね」
負傷者の列に横たえられた副官はクシャミをし、傷の痛みに呻いた。
………
「これでお別れね、衣鳩ヒロマサ」
旅館前の階段に座った衣鳩の隣で、クーラの書はまるでただの本かのように月光に照らされていた。
「とっても楽しい恋愛譚だったわ」
「そうかよ」
衣鳩は疲れ果てた声でクーラの書に聞く。
「なあクーラの書、物部ってさ、たぶん今日中には帰ってこないよな…?」
「まあそうでしょうね。…あら、私の言う通りにしていれば、今頃祓ちゃんと結ばれていたでしょうにね!」
クーラの書は悪戯っぽく笑う。
「…お前、引きちぎるぞ」
「ふふふ、冗談よ、冗談」
クーラの書は唐突に浮かび上がり、衣鳩の目の前でページを捲っていく。
「衣鳩ヒロマサ。あなたには恋のキューピッドも恋文も必要ないみたい。恋文なんかが居なくても、あなたはきっとハッピーエンドに辿り着く。それに、今日のあなたの恋愛譚は、私の中に記録され続けるから。安心して忘れなさい」
クーラの書は衣鳩に最後のページを見せた。
この文を読めば、あなたは今日あったことを全て忘れるわ。でもそれが、あなたにとっての幸せなのだと、私は思ってる。…また何処かで会いましょう、さようなら、衣鳩ヒロマサ。
………
衣鳩は異様に疲れた身体を伸ばし、旅館前の階段に座り直して空を仰ぐ。
「…来ないかぁ」
消灯時間10分過ぎ。スマートフォンを確認しても、祓からのメッセージはおろか、送ったメッセージに既読すら付いていなかった。
衣鳩はポケットからラッピングされた箱を取り出す。お土産屋で買った簪が、その中には入っている。
(なんで簪なんて買ったんだっけな…)
衣鳩は思い出そうとするが、今日の記憶が曖昧で思い出すことが出来なかった。
衣鳩はしばらく空を仰ぐと、長く長く息を吐く。バチン、と衣鳩は自分の頬を叩き、「しょうがない、来ないモンは来ない!」と言って勢いをつけて立ち上がった。
プレゼントの入った箱をポケットに突っ込むと、衣鳩は力なく歩き出す。
「あ〜あ、恋愛小説みたいにはいかねえな…」
そう言って、衣鳩はため息を漏らす。その情けない後ろ姿も、月は平等に照らしている。




