第十七話
「本当にやるんだな!?」
バルカン砲の回転を止めながら、黒鵜は再度問いかけた。衣鳩は握りしめたお守りに目を落とし、こちらを睨めつける操られた京都支部長を見据える。力の大部分を奪われたとはいえ、その青い目は十分に威圧的だった。
「…回収は頼む」
「はァ〜…出来る限りはやってやる、腹ァ括れよ!!」
ハンドルをひねり、ブースターが吠える。黒鵜は後ろ手に手を回し、衣鳩の胸ぐらを掴む。
轟とエンジンが咆哮し、そのままトビウオは急加速、愛絶の立つポイントへ機首を向ける。愛絶は刀を構えなかった。
「行って、来い、だァらああッ!!!」
最大速度に至ったところで、黒鵜は衣鳩を力の限り、投げた。
お守りを回収した後、衣鳩が指し示した場所は衣鳩が隠れていた時に会った和装の女、七堂が身を隠し愛絶の様子をうかがっている物陰だった。衣鳩はそこで、七堂と黒鵜に策を説明していた。両者ともに面食らう内容だったが、逼迫する状況に、どちらも最後は衣鳩の策を使うことに決めた。
その策というのが、これだった。
「おおおわああああああッ!!!」
思わず叫んだ。服が暴れ、前面で風を受ける顔と手が冷えていく。体験したことのないスピードの中、歯を食いしばり気合で姿勢を御した。これほどの時間、落下の浮遊感を味わったことはなく、身体が異常のアラートを発して汗が吹き出るが、無視する。そうして、射出された衣鳩はようやく地表の愛絶を見据えた。
風に飛ばされないようしっかと握り込んだお守りを、視線の先の愛絶へとかざすように構える。
「………」
それを視認した愛絶は、右手の大太刀をクルリと逆手に持つと、自らの手前の地面を軽く突き刺す。瞬間、地表に衝撃波が走り、飛んでくる衣鳩を丁度迎撃するようにベクトルを与えられた瓦礫の塊が地面から射出される。
「ヤッバ───」
想定外の反撃。衣鳩の策は、ほぼ博打のようなものだった。愛絶の余力が如何ほどか、衣鳩らは知ることが出来ないからだ。空中で回避する術の無い衣鳩はどうすることも出来ず、粉微塵にされる…ように思えた。
「───シィッ!!」
特徴的な呼気の漏れる音が聞こえ、直後に瓦礫の塊は衝突寸前で2つに割れ、衣鳩の両脇を目で追えない速度で過ぎていく。
衣鳩が振り返ると、刀を手にした桃が力尽きて落下していくのが見えた。桃が能力を使い、ギリギリで瓦礫を両断してくれたことを理解する。桃が頭から落下しながら叫ぶ。
「あの時アンタは協力しようと言ったな!!その言葉に、私はたった今イエスと答えることを決めた!!」
桃が見えなくなる。衣鳩は咄嗟に何も言えなかったが、心のなかで感謝をした。衣鳩の落ちる角度は増していき、愛絶の立つ場所に至るまで、残り何秒も無い。
衣鳩と愛絶の目線は直接交差し、極度の緊張の中、時は進むスピードを遅くする。
上方から飛んでくる(落ちてくる)衣鳩に対して、愛絶は手を翳し、波状の力を発する。衣鳩はお守りを持つ右手をあらん限りの力で突きだす。空間を伝った力の波は衣鳩のベクトルを殺し、彼の身体を押し返していく。その衝撃で、衣鳩の右手はお守りを離してしまう。そのお守りが衝撃にあおられて、ふわりと宙に浮く様を目で追う。まるで、中身が何も入っていないようなお守りを。
(囮だと…………!!)
衣鳩の策とは、お守りの外身を持って自らが囮となり、その隙に七堂の能力で距離を詰めた物部祓がお守りの中身である鍔を刀身に嵌め込み、再封印を図る、というものだった。
愛絶は振り返る。振り返った目の前には、七堂の力によって速度が与えられた物部祓が、お守りの中身を握り締めて飛び込んでくる姿があった。その鬼気迫る表情、肌にさえ感じられる意志の強さに、愛絶は一瞬だけ、怯えの感情すら覚えた。
祓は鍔を持った手を空中で振り上げる。
愛絶は手を翳した。
「………けフッ」
差し出した右手が揺れる。一瞬の静寂の後、苦悶の声をあげたのは、祓であった。
祓の身体は愛絶がギリギリで放った力に捉えられ、宙に浮いた状態で喉元を抑えられ身動きを取れないようにされている。
油断の無い青い目が祓の顔から視線を外さない。最大限の注意を払いながら、愛絶はほんの目と鼻の先にまで来ていた、己を封印するための鍔をつまんで奪い取る。その直後に祓を拘束していた力は解かれ、祓は地面に転がると喉元に手をやり激しく咳き込む。
『おお…おお、これが、我が忌まわしき首輪…わざわざ届けてくれようとは…』
そんな祓の様子には目もくれず、愛絶は奪った鍔を月明かりに照らして眺める。しばらく眺めながらひとしきり楽しげに笑うと、凄絶な笑みを浮かべ左掌に鍔を乗せる。
(まさか…鍔を…!!)
祓は喉の痛みで声が出せない。倒れ伏しながら、目だけでその光景を見ていることしか出来なかった。
愛絶は右手に逆手に刀を持つ。そうしてゆっくりとそれを振り上げた。
『まさかこの時が来るとは、思ってもみなかった…我が首輪、我が大太刀にて、突き壊さん!!』
そしてそのまま大太刀を鍔へと突き立てる。
鮮血が迸った。
『な…に……?』
切っ先から赤黒い液体が滴る。大太刀は鍔の中心に空いている穴に、伽藍の左手をも貫通する形で無理矢理突き通されていた。
伽藍の左目から、青の光が消えている。
「刀風情が…私の妹にまで手を出しやがって」
その発された声は、正真正銘、物部伽藍本人のものだった。ギチギチと音を立て、右腕は鍔から大太刀を抜こうとするが、その右腕の制御も伽藍は奪い返す。
「京都支部長物部伽藍を、舐めるなよ!!」
そのまま勢いをつけて、伽藍は己の左手と共に鍔を大太刀の根本まで嵌め直した。左掌が裂け、血がボタボタと塊で落ちる。耳鳴りのような音が鳴って、そして止まった。
痛みを堪えて、細く息を吐く。その双眸に青の光は少しも無いことが、物部伽藍が愛絶から完全に身体の主導権を取り戻した証左であった。
愛絶を介してではあるが身に余る規模の能力の行使、その上左掌の大怪我が重なり、常人ならば気絶、否、死んでもおかしくないような状況だったが、伽藍は意志の強さのみで片膝をつくまでに抑えている。彼女のこの類稀なる意志の力が、愛絶に身体の制御を奪われながらも多少の干渉をすることを可能にしていた。すなわち、伽藍が祓に求めたのは”自身の身体に鍔を渡すこと”で、そこからの算段、彼女の干渉が届く範囲での愛絶封印の算段は、既についていたのである。
伽藍は左掌を貫いている刀の柄を握りなおし、唇を噛みながら一息に引き抜く。さらに血が流れるがお構いなしで、伽藍は妖刀を放り捨てると倒れ伏している祓の元へ駆け寄った。
左手が痛むのも構わずに、伽藍は祓の体を抱き起こし、そのままきつく抱きしめた。
「…ただいま、お姉ちゃん」
「おかえり…!おかえり、祓…!!」
3年ぶりの再会。背格好も取り巻く状況も昔とは違う。それでも彼女たちは、互いの内に変わらないものを感じ取っていた。
その涙ながらの再会を、黒鵜に回収され小脇に抱えられた桃は、複雑そうな表情で見ていた。