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169 ほじょ

 火花が散る。





 全身を覆う金属光沢と、顎を閉じられないほど異常に発達した大きな牙がノワールの剣と幾度もぶつかる。今回の魔物は物理的な攻撃が効かなそうだ。遠目から見る限り、ノワールの両手剣では傷をつけられていない。


 魔物の身体とノワールの剣との間で散った火花が周囲の枯れ葉を燻らせる。火が熾る前に、ブランとノワールの邪魔にならないよう、片っ端から丁寧に確実に消火していく。


 ノワールは攻撃が通じない相手に難しい顔をしている。迫りくる牙や爪、尾をひらひらと避けながら、隙を見つけては両手剣であちこち切りつける。ちょっと魔物との距離が近すぎる気がして、見ていてとてもヒヤヒヤするのだが……まあ、ノワールだから大丈夫だろう。たぶん。


 魔物からの攻撃はもちろん、開きっぱなしの口から飛んでくる涎も避けるぐらいには余裕があるようなので、心配する必要は無いはず。それでも、決定打となるような一撃が与えられずに悶々としている様を見続けるしかないのは申し訳ない。


 魔物が前脚を振り上げる。ノワールが前脚から距離を取るように屈みこみ、魔物の足元へと潜り込む。そのまま無防備に晒された腹へと肩から勢いよくぶつかる。バランスを崩した魔物の巨体が傾き、地面に倒れる。


 それまで一切魔物から離れなかったノワールが後ろに下がる。


 樹上でその様子を見ていたブランがすかさず魔法を打つ。


 視界が白く染まる。次いで、爆音。空気が割れんばかりの炸裂音と、内臓を圧し潰すような重低音に皮膚がビリビリと振動する。


 目の前には全身に紫電が迸る巨体。あれだけの雷魔法を受けて、無事とは思えないが……魔物は太い脚をガクガクと震わせながら、その場に起き上がった。まだ死なないのか。いや、動きがかなり鈍くなってる。だいぶ効いたか。


 ブランの真下にいるノワールは、地面に突き立てた両手剣の柄頭に顎を乗せ、フラフラな魔物の様子をぼけーっと眺めている。いいのかそれで。


 ブランからアイコンタクトを受け、魔法の準備を始める。


 その時には既に魔物の周囲には霜が降り、息が白んでいた。足元から氷が伸び、その体表を少しずつ覆い始める。抵抗のつもりか、魔物がよたよたと脚を動かすが、それでもブランの魔法は勢いを失わない。


 体表を覆いきった氷が厚みを増していく。


 時々罅が入り、欠片が散る音が森に響くが、氷を破壊するまでには至らない。鈍い光を宿した漆黒の瞳がこちらを睨みつけてくる。怖いなあ。


 巨大な氷の結晶ができるとともに、魔物の周囲に張り巡らされていたブランの魔力が消える。その一瞬を逃さず、練り上げていた魔力を氷もろとも魔物の身体へと叩きつける。


 一瞬で氷が融ける。視界を濃霧が覆う。あっという間に全身が濡れる。肌寒さの直後、蒸し暑さに襲われる……が、すぐにその空気が流れていく。風魔法を使ってくれたのだろう。ありがとう。


 高温に揺れる視界では、相変わらず魔物が立ち竦んでいた。以前と違うのは、滑らかだった体表が細かく罅割れていることだろうか。一部からは赤い液体が漏れ出している。


 ゴリ、と鈍い音が響く。ノワールの両手剣が魔物の身体に突き立てられていた。しかし、押し込みきれなかったようで、すぐに剣を抜く。


 魔物が吼える。ノワールへ牙を向ける。


 長期戦になりそうだ。





 結局、学校には全く通えていない。あの中庭での襲撃以来、エリーゼさんは校内で僕を見つけると一切の躊躇無く取り巻きを放ってくるようになった。


 いつでも、どこでも、容赦なく、だ。


 たとえ授業中だろうが、図書室だろうが、講師の前だろうが……僕を見つけると即座に「捕らえなさいッ!」だ。その掛け声で取り巻きが一斉にこちらへ向けて走ってくる光景、たまったもんじゃない。


 いや、まあ、慣れれば面白いけどね、でもそういう問題じゃない。もうね、迷惑。すごい迷惑。僕はもちろんだけど、その場に居合わせた無関係の生徒達がかわいそうでかわいそうで……みんなびっくりしてるよ、分かってんのかな、あの人達。


 誰か止めてくれないかなーって期待したのも最初だけで、僕の逃走劇が勃発した直後、騒然とする場をエリーゼさんが言葉巧みに取りなしているらしい、というのを耳にして以来、いろいろと諦めた。何を言ったのかしらないけど、最終的には周囲の視線が生暖かいものになっていた。やってらんねえ。


 幸い、所構わず襲ってくるのは校内だけなので、学校にさえ行かなければ平穏そのものだ。授業をひとつも受けられないという事実に僕の心はこれっぽっちも平穏ではないが、背に腹は変えられない。身の安全が第一だ。



 さて、そうなると何をして過ごすか、となるが……梅雨休みと同じだ。平日は冒険者稼業に打ち込み、週末は修行でボコられる。



 冒険者としての振る舞いはだいぶ板についてきた気がする。桃色だったギルドカードは橙色になった。一段階上がっただけで下級冒険者であることは変わりないが、おそらく僕ほど魔物との遭遇回数が豊富な下級冒険者はいないだろう。


 相変わらずノワールのお守り役は任されているが……今日のようにノワールの馬鹿力が通用しない魔物が相手だと、僕も魔法で支援している。


 他にも、動きが俊敏だったり気配に敏感だったりして、呑気に隠れて観戦できないような魔物の場合だと、僕が狙われることもある。そうなっては仕方がないので、一時的とはいえ僕が魔物と一対一で戦わなければならない。


 あまり肉弾戦は得意ではないが……できないわけではない。それに、防御と回避に専念すればいいだけだ。魔物の猛攻から身を守るだけの動きをするだけでいいならば、まあ、短時間なら……問題無い。それさえ乗り越えれば、ブランとノワールがどうにかしてくれる。安心、安心。


 といっても、そういったことは稀だ。僕がやることは基本的に補助。周囲を警戒し、戦いやすいように場を整え、時には開けた場所へと誘導し、魔物の動きを鈍らせるべく、目に見えない地味な魔法で支援する。前に出るのはブランとノワールの役割なので、僕は後衛に専念するのだ。


 ……いつかは魔法もナイフも扱える、多才なブランと同じような戦い方ができるようになりたい。



 そして、ベレフ師匠との修行は………………つらい。


 攻撃魔法を徹底的に叩き込まれ、ひたすら惨めになるだけの模擬戦を繰り返しつつ、最近は補助魔法を教えてもらっている。週末の訓練が始まったばかりの頃を思い出す、指摘に続く指摘。ダメ出しからのダメ出しからのダメ出し。はぁ……………………。



 攻撃魔法が環境内の物質やエネルギーへ干渉する物理化学現象の人為的操作であるのに対し、補助魔法は生体内のそれらへ干渉する生物化学現象の人為的操作を試みる魔法だ。


 攻撃魔法では干渉対象の物性にのみ左右されていた魔法抵抗が、補助魔法では干渉対象が意志ある生物となるために、その生物が保有する魔力やその操作の熟達具合によって抵抗の度合いが大きく変わる。


 つまり、補助魔法においては、己の魔法を洗練させる――つまり、魔力ロスを減らす――ことはもちろん、対象の抵抗が小さくなる時を狙って魔法を使うこともまた求められる……らしい、です………………。



 例えば、そう……目の前の、あの金属の塊みたいな魔物なら。


 戦闘前の、元気も魔力も有り余っている時に補助魔法を成功させるには、人間である限り不可能だろう。魔物の持つ魔力量を正確に観測できた事例は記憶に無いが、魔物と真正面から正々堂々の魔力勝負を挑んでも、勝てる可能性は限りなくゼロに近い、と考えられている。ベレフ師匠も考えるだけ無駄だと言っていた。


 どんな動物よりも人間の膂力が劣るように、どんな魔物にも人間の魔力は劣る。人間が勝るのはその知恵と数。だからこそ、僕らはパーティーで活動するのだ。


 それはそれとして、今現在、この魔物はかなり消耗している。全身を赤く染め、絶えず叫びながら暴れまわっている。ここまでくるとさすがのノワールも距離を詰められないようで、攻撃がギリギリ届かないところで魔物を睨みつけている。


 そうして目の前のノワールに気を取られている内に、死角からブランが魔法で攻め立てる。弾丸のようにいくつも放射される魔法は、全てある一点へと狙い撃ちされており、魔法が当たれば当たるほど、魔物の身体から血液が失われていく。


 この状態の魔物に、補助魔法は効くか否か。


 結論から言えばとても効きやすい。魔力・体力ともに失い、かつ狂乱下にあるのだ。僕の存在は意識の外にあるだろうし、容易に不意打ちができる。お膳立てされてるのかなってぐらい、補助魔法を使うのに完璧な状況だ。


 というわけで。


 後ろ脚の……筋肉。ちょっとばかし、動くの、やめてみましょうか……!


 代謝を、エネルギーの供給を、化学反応を、止める……!


 筋肉の収縮に関わる組織に魔力を行き渡らせる。抵抗は……やっぱり弱ってても魔物、人間のベレフ師匠に比べると……強いッ!


 気づかれて抵抗が強まる前に……ATPの、分解を、止める……ッ!


 さらに神経へ干渉! 神経伝達物質の……受容体! 不活性化しろッ! いやもう面倒だ! 潰すッ! 潰れてしまえッ! 熱変性だこんにゃろーッ!! クソッ!! 抵抗するんじゃねえよッ!!


 うあああああッ! もう戦況見てる余裕無いッ! 補助魔法、弱体化の維持に努めさせていただきますッ!!


 ねえッ! 抵抗強くなってきてんだけどッ! なんでだよッ! ちょっと神経焼き切ろうとしただけじゃんッ!! 大人しくしてろおおおおおッ!!


 あああああああもう無理!! 神経の干渉諦めます!! ATPの固定に努めます!! あっはははははは!!!!



 うおおおおおおお!! 控えめに言って助けてえええええええッ!!!!



 一度始めてしまった以上、止めるわけにはいかない……ッ! 戦う二人の歩調を乱すわけには……迷惑な支援を……する、わけ……に、は…………。



 あっ…………。



「クリス? 大丈夫?」


 おっ…………。


「終わったよ」


 うっ…………。


「えーっと……ありがとう。ナイス支援サポート。でも、無理はダメだよ」


 あい…………。


 頭がフラフラする。この感覚、懐かしいな……魔力を使いすぎた時特有の症状だ。魔物との魔力勝負、僕にはまだ早かっただろうか。それともタイミングを見誤った? まさかここまで消耗するとは……帰ってから反省会だな。


 蹲る僕の腕が取られ、ブランの肩に回される。腰にも手が回される。ほとんど担ぎ上げられるようにして立ち上がり、ブランの身体に思いっきり凭れながら脚を動かす。うー、フワフワする。ちゃんと歩けてるのかどうかよく分からない。



 その後、気づけばノワールの背中に乗っていた。不思議だなあ。

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