終章 朝
気がつくと、夜が明けていた。
ホールの大きな窓から、朝日が差し込んでいた。十月の冷たい空気の中に、金色の光が溢れていた。
六人は、ホールの床に座り込んでいた。一晩中、話していたのだ。
怜のこの十年のこと。最初は知り合いのいない地方で、住み込みの仕事を見つけたこと。何度も戻ろうとして、戻れなかったこと。カウンセリングを受けて、少しずつ自分と向き合えるようになったこと。父親の借金はすでに整理されて、霧島館は競売を免れたこと。
五年前に咲良のSNSを見つけてから、このゲームを計画するまでのこと。
「最初は手紙を書こうと思った」怜は言った。「でも、手紙だけじゃ伝わらないと思って。わたしが一方的に『ごめんなさい』と書いても、みんなの中にあるものは消えない。みんな自身が、自分の言葉で、あの夜のことを語らないと」
「だからゲームにしたのか」透が言った。感心したような、呆れたような声だった。
「秘密を持つプレイヤーが、ゲームの中でそれを開示していく。誰かに強制されるんじゃなくて、流れの中で自然と語り出す仕組み。——それを考えてるうちに、TRPGに行き着いたの」
「インセインっていうTRPGがあるんだけど」と怜は照れくさそうに言った。「プレイヤーがそれぞれ秘密を持っていて、ゲームの中でそれが明かされていく。あれを参考にしたの」
「趣味悪すぎるだろ」陽太が笑った。目は赤かったけれど、十年ぶりに見る陽太の笑顔だった。
「でもさ」咲良が言った。「普通に『会いたい』って連絡してきたら、わたしたち会えたかな」
沈黙が落ちた。
「……会えなかったかもしれない」透が正直に答えた。「俺は多分、連絡が来ても無視していた。向き合うのが怖くて」
「わたしも」美月が小さく言った。
「俺も」陽太。
「俺も」僕。
怜が微笑んだ。「だから、ゲームにしたの。逃げられないように。でも——強制的に閉じ込めたことは、ごめんなさい」
「いや」僕は言った。「閉じ込めてくれてよかった」
窓の外で、鳥が鳴いていた。山の朝は静かで、空気が澄んでいた。
僕は立ち上がって窓を開けた。冷たい風が頬を撫でた。十年ぶりに、深く息を吸い込んだ気がした。
「蓮」
振り返ると、怜が立っていた。朝日を背負って、少し眩しそうに目を細めて。
「今さらだけど、お誕生日おめでとう、って言ってもいい?」
怜は不思議そうな顔をした。「わたしの誕生日は十月三十一日だけど——」
「十年分。おめでとうを十回、言い損ねたから」
怜が笑った。泣き腫らした顔で、髪は乱れていて、化粧も落ちかけていて。でも、僕が今まで見た中で、一番綺麗な笑顔だった。
「ありがとう。十回分、受け取ります」
背後で、陽太が大きく伸びをする音が聞こえた。
「腹減ったな。この辺、朝飯食えるとこあんの?」
「山降りたところにコンビニあるよ」透が答えた。
「コンビニて。十年ぶりの再会の朝飯がコンビニて」
「じゃあ何がいいんだよ」
「ファミレスくらい行こうぜ」
「朝五時にファミレス……」
「ドリンクバーあるだろ」
「この時間に開いてるファミレス、この辺にあるわけないでしょ」咲良が笑った。
「じゃあ俺が作るよ」陽太が言った。「車にカセットコンロ積んでるし。駐車場で目玉焼きくらい作れるだろ」
「なんでカセットコンロ積んでるんだよ」
「キャンプの帰りだったんだよ。そのまま来たから」
「お前、この大事な日にキャンプ行ってたの?」
「大事な日だから気合い入れてたんだよ! キャンプで精神統一してから来ようと思って!」
「意味わかんねえ」
くだらない会話。十年前と同じ、くだらない、くだらない会話。こんな会話がどれほど尊いものだったか、失って初めてわかった。
咲良が僕の隣に来て、小声で言った。
「ねえ蓮くん。怜、ちゃんと捕まえときなよ。今度は逃がさないで」
「……うん」
僕は怜の隣に歩み寄って、手を差し出した。
十年前のバルコニーでは、この手を差し出す勇気がなかった。告白はしたけれど、手は出せなかった。言葉だけで、触れることはできなかった。
怜は僕の手を見つめて、一瞬だけ躊躇して——
そして、握った。
小さくて、冷たくて、でもしっかりとした手。
六人で館の扉を開けて、外に出た。
朝の光が眩しかった。山の稜線の向こうから太陽が顔を出していて、世界中を金色に染めていた。
駐車場まで歩く間、誰も手を離さなかった。怜は僕の手を握り、咲良は怜の腕を組み、美月は咲良の手を取り、陽太は美月の肩を叩き、透はその後ろを——少し離れて、でも確かに同じ速度で歩いていた。
六つの影が、朝日の中で伸びていた。十年分の長い、長い影。
でもそれは確かに、前を向いていた。
山道を下りながら、僕は思った。
あの夜、僕たちは全員が不器用だった。怜は助けを求められなかった。僕は怜の痛みに気づけなかった。透は正しさに固執した。咲良は見守ることしかできなかった。陽太は恐れて目を逸らした。美月はメールを見せられなかった。
でも、それは「悪」ではなかった。ただの「弱さ」だった。
人は弱い。当たり前のことだ。二十歳の僕たちに、互いの全てを受け止める力なんてなかった。それを責め続けるのは、もうやめていい。
怜が作ったゲームは、僕たちにそのことを教えてくれた。秘密を開示するルール。嘘をつかないというたった一つの制約。それだけで、十年間の氷が溶けた。
必要だったのは、大層な覚悟でも、正しい言葉でも、完璧なタイミングでもなかった。
ただ、正直であること。弱さを見せること。そしてそれを、受け止めてもらえると信じること。
僕たちは十年かかって、ようやくそこにたどり着いた。
翌年の十月三十一日。
咲良のSNSの投稿が変わった。
五年間、毎年同じ言葉を投稿していた場所に、六人で撮った写真が載っていた。霧島館の前で、全員が笑っている写真。
キャプションは一行だけ。
「おかえり。そして、ただいま」
その投稿には、六つの「いいね」がついていた。
そのうちの一つは、十年間フォロワーゼロだった、真新しいアカウントからのものだった。
プロフィール画像は、六角形の中に目のマーク。
アカウント名は「ゲームマスター(引退済)」。
お読みいただきありがとうございました!
TRPGのインセインが好きでイメージしながら作った作品です。
知らない方でこの小説が面白いと思った方は、ぜひ調べてみてください!




