96 その少年、独り
***
夕焼けによって紅く染まる街並み。
親子連れ、カップル、友達。多種多様な人間関係が一日の終わりを告げる夕陽の下で賑わいを見せる。
これが夢だと気付くのに時間はいらなかった。
この悪夢はよく見るものだ。
俺の前を歩く見慣れた背中が二つ。
俺の父と兄に当たる人物だ。
ちなみに今回は俺の横に母がいる。
今回は、というのは悪夢が毎回少しずつ違った形で現れるからだ。
正直、事件の前後の記憶は覚えていない。霧がかかったように曖昧になっている。だから、この夢は過去の記憶ではない。周りから伝え聞いた事故を映しているだけだ。要するに勝手な想像であって事実ではない。
そのせいか悪夢の内容は見る度に違う。
それでも変わらないものは存在する。
それは父と兄がいること。
俺がいること。
――――そして悲劇であること
信号が赤から緑に変わり、人々が横断を始める。
その瞬間、すぐ近くの歩道で激しい衝突音が響き渡る。
衝突音の元凶は止まることなく、歩道を突き進む。
ただの大型トラックは一瞬にして平和な夕方を惨劇に変えた。
トラックは暴走を続ける。多くの人の日常を非日常に変え、安寧を壊し、生活を奪って走り続ける。
止まらない。
日常で起きた異常に咄嗟に脳が判断できなかった。
トラックは頭が真っ白になっている俺の目の前に迫って――――
*
「…………っ!]
悪夢を振り払うように身を起こす。
爽やかな朝にそぐわない不快な汗が額を伝う。気持ち悪い寝汗を落とすために風呂場に向かう。寝室を出て、階段を下りる。いつも通りの屋敷は酷く静まりかえっていた。
赤いマフラーをはためかせて駆け寄ってくる銀髪の女の子の姿はない。
カグヤが屋敷に来なくなって一週間が経つ。インフェクトを、初めてできた同年代の友達を失ったのが大きな傷になっているのだろう。リビングを侵食している遊び場だけが寂しく残っている。
現在、彼女は閉じこもっていると紅月の民の構成員であるミムロドが教えてくれた。俺や紅月の民のメンバーにも顔を見せてくれない。
一週間が経っているが、あの子にはまだ時間が必要みたいだ。
事件が収束して一週間が経つ。
俺は気を失っているところを騎士に発見されて病院に搬送されたらしい。病院のベッドで目を覚ました俺にセレアが色々教えてくれた。
一つ目は謎の機械兵が現れたこと。これはライザーの活躍によって事なきを得たらしい。機械兵は管理されていたものは一機もなく、全て外から持ち込まれた可能性が高いようだ。かなりの数の機械兵をどのように見つからないで運んだかのかは不明である。
二つ目はクリスタル・コアがなくても電子魔力が正常に機能していること。これは調べてもどういう原理で機能しているのか分からないらしい。
そして、アキヒロのこと…………。女神の加護者が死んだことも謎を残している。前例は一つあるのだが、それでも大騒ぎだ。超のつく回復力を持つ女神の加護者を殺す術は、この世界の常識を覆すものと言っても過言ではない。
セレアは三つのことを簡潔に話して病室を後にした。彼女も事件の事後処理で走り回っているようだ。
「あ」
そのセレアに呼び出されていたのを思い出した。たしか午後に城で会う約束だったはずだ。伝言を頼まれていた紅月の民が昨日伝えてくれた。
午後の予定を再確認して脱衣所のドアを開けた。
*
城に着くと、すぐにセレアの部屋に案内された。
「……来たぞ…………」
「…………いらっしゃい」
疲れているのか、彼女の声に元気がない。女王の仕事が大変なのだろう。
「そういえばシェリーは?」
「来たばかりのバートリーさんにお説教をもらっているわ」
「そ、そっか……」
彼女は真っ直ぐに俺を見てくる。
「あなたは今回の事件と関係ないわよね?」
彼女はそう望むように問う。アキヒロの側に最後までいた絶海さんに色々訊いたのだろう。
「……ああ、関係ないよ」
望まれるがままの答えを口にする。自分でもびっくりするほど冷静に答えることができた。
嘘をついてしまって申し訳ないが、これで彼女も納得してくれるはずだ。絶海さんは気を使ったのか、俺のことは喋らなかったようだ。
俺の返答にセレアは静かに俯いた。
「…………そう。それなら良いわ」
話は終わりとばかりにセレアは黙り込む。
「そういえばジャロウが獄中で不審死したって本当なのか?」
「…………っ!」
何気ない質問に彼女は身を強ばらせた。
「それをどこから…………いえ、それは……あなたに伝えるまでもないことでしょう」
彼女は紅い髪を僅かに揺らしながら俺から視線をそらす。その声はなぜか少しだけ固い。
たしかに伝えられたところで反応に困る。それに俺がその情報の如何で何かしなければいけないわけでもない。
「それもそうだな。じゃあ、紅月の民が来年までに目立った成果を上げなかったら恩赦がなくなるって話は……」
「カケル!」
急に名前を呼ばれて言葉が途切れた。
呼んだ本人であるセレアは眉をひそめている。
「そんな話、どこで訊いたの?」
「どこって…………」
異様な食いつきに答えるのを躊躇ってしまう。
その僅かな沈黙でさえも痺れを切らしてセレアが続ける。
「まあ、いいわ。とにかく、私はこの国の王で、種族の長よ。守秘義務を負わなければいけないものもあるわ」
固くて冷たい声だった。
その突き放すような言葉は小さな疑惑を確信に変えた。
セレアは俺に意図して隠していたのだ。
嘘や隠し事をしないという約束を破っている。だからといって責める気にはなれない。そもそも俺も約束を破っている。責める権利なんて元から存在していない。
居心地の悪い緊張が室内に蔓延る。耳を刺すような静けさ。俺の周りだけ酸素がないかのように息苦しい。
「…………ごめん」
乾いた喉を震わしてどうにか言葉を出す。
「…………話は、終わりです」
退室を促され、俺は振り返ることなく部屋を出た。
当然、彼女の顔どんな顔で俺を見送ったのかは知らない。
*
外はいつのまにか曇天で覆われていた。今にも泣き出しそうな空模様だ。早く帰らなければ、雨に降られるだろう。
それにもかかわらず、俺は城の門に続く道を重い足取りで歩いていた。
「浮かない顔だな、小僧」
進行方向から声をかけられて、俯いていた顔を正面に向ける。
絶海さんが門の前に立っていた。相変わらず古びた赤い外套にボロボロの赤いマフラーを身につけている。
正直、今は誰とも話す気分ではない。俺は黙っているのを見かねて絶海さんは呆れたようにため息をつく。
「やれやれ、挨拶もなしか」
「……こんなところで何をしているんですか?」
素直に指摘されたことに従えるような気分でもないため、挨拶がわりの質問をぶつける。結果、そんな気分でもないのに会話をする流れになってしまった。今日は何から何まで上手くいかない。
「なに、ただの散歩だ。……あの後、何があったのかは大体分かっている。救われたようだな」
「……はい」
「君の兄と合わせて二度目になるのかな。相島翔という人間が誰かに救われたのは」
二度目。
俺は二度も誰かに救われている。そして救ってくれた人が犠牲となった。彼らが代わってくれたおかげで生き延びている。
俺は立ち止まっていた足を踏み出して、絶海さんの横を通り過ぎる。
「一度目は何もできずに。二度目は守るべき者から守られて、か。……救いようがないな」
「…………っ!」
すれ違いざまの声に俺は言い返そうと彼を睨む。しかし、出る言葉はなかった。それは彼の言葉を肯定しているという証である。
動かない唇を噛みしめる。
絶海さんは顔と目線だけ動かして俺の様子を冷ややかに見る。そして呆れたように肩をすくめた。
「やれやれ、必要以上に苛立っているようだな。女王様と喧嘩でもしたか?」
「……あんたには関係ないだろう」
絶海さんはやけに挑発的だった。元から俺に対してはこんな感じだったが、今日はそれ以上だ。彼も虫の居所が良くないようだ。
絶海さんは見透かした笑みを見せる。
「そうだな。引き止めてすまなかった。雨が降り出す前に早く帰ると良い」
彼は片手を上げて別れを告げる。
俺は古びた外套をいつまでも睨みつけていた。




