93 その能力、暴走
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二つの背中を見送った絶海翔はアキヒロの方を向いた。
近づいてくる絶海にアキヒロは弱々しく手を上げて彼を留める。
「どうされました?」
「……治療は、いい。………………手遅れだ……」
アキヒロは僅かばかり頭を下げて自身の身体を見る。
深い創傷が二箇所。
右胸の傷は肺まで届いているのか、上手く呼吸ができない。僅かに繰り返す浅い呼吸でさえ、一息毎に内側から突き破られるような痛みを感じる。
しかし痛みも徐々に薄れていく。
痛みが遮断されていく。
神経の末端から消えていく。
何もかもがなくなる中で自分が死ぬという事実だけはどんどん存在を示す。
「……あ…………」
もはや多くを語れない口を動かし、喉を震わせて、アキヒロは目の前の男に言葉を遺した。
「……かれ、を…………頼むーーーーーー」
ゆっくりと眠るように目を閉じたアキヒロの身体は、それを待ち構えていたかのような淡い光に包まれる。
アキヒロはその光に溶かされるように身体を光の粒へと変えていく。
女神の加護者の死後は光となって、その身体をこの世に遺すことはない。
アキヒロは光の粒となって夜空に上がる。
古びた外套を身につけた男は天に散る淡い光をいつまでも見送っていた。
***
地下施設のある建物に辿り着くまでに時間はかからなかった。
全力疾走したせいで息が上がる。
インフェクトは自身を電子魔力にして移動したため息は切れていないが、その反動か若干の疲弊が見られる。
「…………はぁ…………はぁ………何だあれ………………」
建物の上空にワンセルフはいた。
その手には光が集まって小さな球体を形成していた。
「ワンセルフ、やめて!」
インフェクトは空の彼方にいる男の子に叫ぶが、彼はこちらを振り向きもしない。聞こえている聞こえていない以前に、周りの全てを気にしていないような様子だった。
ワンセルフは無造作に光を建物に放り投げる。
瞬間、小さな光は雷鳴を携えて建物を呑み込んだ。
「なっ……!?」
急に激化した光から目を両腕で庇う。
巨大化した光は雷雲のようだった。内ではバチバチと電子魔力が音を立てながら行き交う。
その渦中にある建物は濃密な魔力電子に遮られてよく見えない。自らが作り出している球体の中で電子魔力が荒れ狂う。
そして、電子魔力の塊は四方八方に激しい勢いで散っていった。
「ぐっ……!?」
建物から充分に距離があるのにも関わらず、激しい衝撃波の襲われる。辺りを散らすように衝撃波は通り過ぎて、残ったのは既視感ある空っぽの光景だけだった。
短時間で二つ目のクレーターを完成させた男の子は死んだかのように眉一つ動かしていない。
「ワンセルフ……!」
雷鳴が去った後、再びインフェクトは上空にいる彼に声をかける。
それでもその声に応えない。
そのまま、誰かに指示されるかのようにどこかに移動しようとしていた。
「待て!」
俺は一瞬躊躇ったが、銃を手に取る。
当てるのが目的ではない。意識をこちらに向けることさえできればいいのだ。
彼の前方に撃つ。
狙い通り、光の弾丸は彼の前方を突き抜ける。ワンセルフもさすがに光弾を無視できずに停止した。
そして感情のない双眸でこちらを一瞥する。
「最優先課題、完了。此れより不穏分子の排除に切り替える」
起伏のない声は人間味と呼べるものは存在していなかった。
ワンセルフは俺たちの前にゆっくりと降りてくる。
その動作はやっぱり無造作ではあったが、儀式めいたものを想起させるような神秘があった。
いや、違う。彼のその行動ではなく、彼そのものがヒトを超えた存在としての妙な威圧がある。
重くはない。攻撃的でもない。刺すような鋭さもない。しかし、竦んでしまうような重圧を放っている。
「実行開始」
下界するや否や、ワンセルフは攻撃態勢を展開する。その一声で彼の周りに幾つもの小さな光が出現する。
魔力電子によって生み出される雷光の球体。
建物を消し去ったあの光のように周囲の電子魔力を圧縮しているなら、数を揃えた分、先程の破壊力を数段下回る筈だ。
「インフェクト、あの光弾はこっちが引き受ける。後は頼んだよ!」
「はい! 任せてください!」
アキヒロからもらった無名の武器を銃から剣に変形させる。
「……ふっ!」
地面を蹴って駆け出す。
光弾対策として、直線的に向かわず、ジグザグと左右に走る。
「ーーーー」
ワンセルフが俺を一瞥して光の球を放つ。
俺を狙ってくれるかは少しばかりの不安だったが、杞憂だったようだ。
「はあっ……!」
豪速球で向かってくる光を剣で弾く。
光球の群れが間髪入れずに襲ってくる。
「ーーーーのっ!」
襲ってくる光がどんどん増える。
徐々に全てを弾くことが難しくなって、頭や胸など急所を庇うように剣を構える。
必然的にそれ以外の守りは疎かになる。
「いっ……!」
横から降り注ぐ光の雨は脚や腕に擦れて小さな傷を遺す。ちくちくと針で刺されるような痛みが身体のあちらこちらにまとわりつく。それを女神の加護者の力によって始めからなかったように傷が塞がる。
光はしつこく傷を与える。光を弾く振動は繰り返す度に、剣を握る両の手から感覚を奪っていく。
顔に迫る最後の光を剣の原で防ぐ。
「ぐぅっ……!」
痺れた手は剣に伝わる振動に耐えきれなかった。剣と共に体もその衝撃で後方に吹き飛ばされる。
最後は受けきれなかったが、第一波を辛くも防いだ。多少の達成感を胸に痺れが続く腕を剣に伸ばす。
………………ジジ…………。
ラジオのノイズのような音が微かに聞こえてきた。
その音に底知れぬ恐怖を感じて反射的に横に飛ぶ。
瞬間、機関銃さながら、光の弾丸が今さっきまでいた場所に連射される。
飛び退いた位置でワンセルフに目を向ける。
「…………嘘だろ……」
彼の後ろには幾つもの弾丸が形成されていた。
思わず引きつった笑みを浮かべる。笑っていないと精神がもたないと潜在的に思ったのか、はたまた自分では対処不可能な現実から逃避するために笑ったのか。
どちらにせよ、その笑みはより一層俺に絶望を確認させた。
「不可解」
ワンセルフが全てを削ぎ落とした簡潔な言葉を発する。ようやく俺の方を向いたワンセルフは少しばかり顔を顰めていた。
それが俺が最初に見た彼の人間らしい態度だった。
「何故笑う」
電子魔力の弾丸を構えたままワンセルフは訊ねる。
「いや……これは…………」
「危機的状況で」
ワンセルフが虫でも払うかのように手を動かす。その動作に合わせるように近くの電子魔力が小さな音を鳴らして散る。
「きゃっ……!?」
少し離れた場所でインフェクトが弾かれたように尻餅をつく。彼の動作が彼女の侵入を阻止したのだ。
操っているというレベルではない。
彼は完全に電子魔力を己の一部にしている。
「インフェクト! …………っ!」
彼女に視線を移した瞬間、電子魔力の塊が飛来する。
咄嗟に避けたが、躱しきれなかった。右肩が小さく削られるが、瞬時に傷が癒える。
「何故お前たちは笑っているんだ」
その目は俺を見ているようで見ていない。彼は遠い空を見つめるかのように別のものを見ていた。
「理解できない。…………っ……!」
突然、ワンセルフが苦しむように頭を押さえる。
「うっ……ううっ…………ああっ…………ああああああああ!」
夜空が割れるような悲鳴をあげる。痛みに耐えきれずに彼は崩れるように膝をついた。
「どうしたんだ、一体……」
「……あ…………」
インフェクトが何かに気づいたのか小さく声を上げる。
「……電子魔力が、暴走してる」
***
「はっはー。すげぇな! バカでかい石ころ奪っただけでこの騒ぎだ!」
港付近にいる男は風が運んでくる戦闘音を聞いて声を上げて笑う。轟くような音と共に攻撃的な光もそこから視認することができた。
その男の後ろには学者然とした装いの者たちが緊張の面持ちで並んでいた。
「ボス、イワノフ先生方が戻られました。……戻られたのですが…………」
高笑いしているその男に黒ローブ姿の男が駆け寄ってくる。報告には予想外の出来事が起こったらしく、どうしたものかと対処に戸惑う声色も含まれていた。
「なんかあったか?」
「ぅぅぅぅ…………!」
それは報告係が伝える前に姿を現した。丸っこい腕と脚を必死に回しながらリップに近づいてくる。
「ははははははは! 先生、なんだそりゃあ!? 新手の顔芸か!?」
そして、ばっくり割れているイワノフの傷を見て再び笑い声を上げる。
後ろに控える者たちは青ざめた顔になる。それは尊敬する偉大な研究者が大怪我していることもあるが、何より頬が裂けて、流血どころか肉が見えているその傷に笑う要素は一つもないからだ。
彼らは狂ったように笑う男の内側をそれで知ってしまった。
何一つ読み解くことができない、解析不能な男だと知ってしまった。
男は満足するまで笑った後、その場の全員が聞き慣れない単語を口にする。
ラファエル。
その単語に、男の左の人差し指の指先から炎が灯された。
炎は彼の手から離れて、イワノフの頬の傷に移動する。
「……っ!」
その炎に熱さはない。
熱のない炎はゆっくりと彼の傷口をなぞると、立ち所に止血されていく。傷口を滑り終えた炎は水でもかけられたように急に消えていった。
「あ? おいおい、何か特別な攻撃でも受けたか? 慈悲の炎剣でも完治してねぇぞ」
「プレアを使った攻撃だねぇ。研究に支障が出なければ問題ないよ」
イワノフは顎から唇にかけて生々しく残った傷跡を確かめるようになでる。
「データは集まったのか?」
「それはもう充分に」
イワノフが光り輝く木簡を取り出す。そこには次々と文字の羅列が流れている。
自己強化と他機影響という二つの能力のデータだ。
「また一歩研究が進んだねぇ。近いうちに研究成果を彼に導入する予定だよ」
イワノフは後方に視線を投げる。
何かを企む視線の先には少年に担がれているシモンの姿があった。
今も目を覚ますことなく活動を停止している。
「順調なら良かった。今回は特別だからそうじゃないと困るがな」
「む? ワタクシの研究はいつも特別だねぇ」
「ああ、こっちの話だ。気にするな。それよりも、そろそろアジトに戻るが、あのガキは待たなくてもいいんだよな」
今も耳を澄ませば、激しい衝突音が聞こえてくる。
イワノフは特に興味なさそうに言う。
「構わないよ。未発達の肉体に未完成の能力。それらが全ての電子魔力を長時間制御できるわけがない。自然消滅するから放っておいても問題ないねぇ」
その直後、悲痛の叫びが遠くから聞こえてきた。




