73 その国、朝を迎える
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橙色の朝日が顔を出して獣人の住む大陸を照らす。
その種族の長が統治する国、ガーネッタ国では一先ず魔物の脅威は去って穏やかな日常を取り戻しつつあった。
斎藤みのは騎士数名を従えてイノシシが住んでいた山の現場検証に来ていた。
「ふぅ……ここはもういいでしょう。次は町外れに向かいます」
「はい。ちょっと待って下さい」
騎士たちが慌てて今調べていた場所の状況を書き留める。
「ゆっくりで大丈夫ですよ。私は向こうで休憩させてもらいますね。歳のせいか腰が痛くて」
ミノはおどけたような口調で騎士にそう伝えて木々の間に入って行く。
騎士たちと充分な距離をとった場所でミノは立ち止まる。
「無事に任務を終えたみたいですね。ご苦労様です。クガさん、エルベルさん」
ミノがそう言うと同時に何もなかった場所から人の姿が二つ現れた。
二人とも同じ黒ローブに顔のない仮面を被っていて外見的特徴を一切出していない。
「やれやれ、この大陸は獣臭くて敵わないねぇ。早く出ていきたいものだ」
エルベルと呼ばれた少年が大袈裟に手を挙げて首を振る。
「……うるさいぞ。……黙っておけ」
その様子を見てクガと呼ばれた少年は不愉快そうに言う。
「お、なんだ? この天才に指図する気か」
「…………これが例の物だ。……ちゃんと回収した」
エルベルを無視してクガはミノに何かを包んでいる風呂敷を差し出す。
ミノはその様子に苦笑しながら、それを受け取って中身を確認する。
そこには人の右手があった。
否、人ではない。イノシシだった者の右手だ。
ミノはそれを怯むことなく凝視する。その右腕にある腕輪を確認するように見ていた。
「はい、たしかに」
ミノが再度風呂敷でそれを包んでクガに渡す。クガは無造作にそれを受け取る。
瞬間、クガは反射的に上半身を後ろに傾ける。
顔面の近くを何かが通って、遅れて風が頬を撫で付ける。
何かはうねうねと蠢く触手のようなものだった。
触手は狙いが外れるとすぐに引いた。
「……なんの真似だ?」
触手が戻っていった方をクガは睨みつける。
触手はエルベルの黒ローブから出ていた。
「いや何、ちょっと立場をわからせてやろうと思ってさぁ」
「……立場?」
クガはそう聞き返して鼻で笑う。
「何がおかしい」
「……オレは別に興味はないが、そんなこと考える時点でアンタが下だよ」
「……っ!? 天才はあの方に認められているんだぞ! お前とは格が違うんだよ!」
今度は三本の触手がクガに襲いかかる。
クガはそれでも動じることなく初撃を身体を捻って躱して、続く二撃三撃も同様に回避して当たらない。
「くそがぁ!」
見事に全ての攻撃を躱されたエルベルは同様の三本の触手の同時攻撃を繰り出す。
上、右、左、の三方向から同時に迫る攻撃にクガも後方に大きく跳躍して触手の攻撃範囲から出る。
「……いいよ。……そっちがその気なら」
クガの体内で魔力が膨れ上がる。
張り詰めた空気はクガとエルベルの間で今にも暴発しそうだった。
「はい、そこまでです」
しかし、ミノが手を叩いてその場の空気を変える。
「あまり騒ぎ過ぎると騎士たちに見つかりますよ」
エルベルは舌打ちして触手を仕舞う。
「胸糞悪い。……天才はもう行く」
エルベルはそう言ってミノとクガに背を向ける。
「……ひとつ、訂正をしていけ」
「ああ?」
エルベルは不機嫌そうに首だけを動かしてクガを見る。
「……オレは組織の一員になったつもりはない。……アンタらの上司と契約しただけだ」
エルベルはその言葉になんの返事もしないまま木々の間に消えていった。
「やれやれ」
ミノはそっと頭の金の輪を撫でる。
「……その輪もこれと同じものか?」
クガは風呂敷を掲げて尋ねる。
「……はい、そうです。七種族以外の生物を人の姿に変える能力を持っています」
「……ということは、あのアブドゥルとかいうダルマ博士の試作品だな、これ」
「その通りです。しかし、中々私みたいな者が現れないとあの方と一緒にぼやいていましたが」
「……アンタ、元はなんだった?」
ミノは細い目をさらに細くさせて笑う。
「その質問は野暮というものです、空閑陸さん」
「……そうか」
クガはどうでも良さそうな声でそう告げる。彼はそのまま何も告げずに立ち去って行った。
顔のない集団の一員、斎藤みのはまた静かに金の輪を撫でる。
***
ガーネッタ国のとある一室ではその魔物の討伐に貢献した女神の加護者の少年が静かに瞼を閉じていた。
「医者が言うには魔力切れということじゃ。放っておいたら目を覚ますそうじゃぞ」
舞姫はその少年の横で心配そうに彼を見る二人の娘に言葉をかける。
「じゃからそんな張り付いておらんでも大丈夫じゃぞ?」
舞姫が呆れたように言う。
そこは舞姫の住まいでもある神社がある山。その山の特別病院だ。基本的に負傷した巫女や騎士がここに運ばれる。
しかし、少年はこの国の巫女ではないし騎士でもない。リグルートの女神の加護者、相島翔だ。
「ありがとうございます。でも私はここにいます」
リグルートの長である、セレア・ヴィクトリア・スカーレットは舞姫に丁寧に頭を下げる。
舞姫はそのお辞儀を見てから、その横にいる自分の部下を一瞥する。
「お前もかえ?」
「はい。イノシシが住んでいた山の現場検証は斉藤さんが騎士数名とするそうなので、私もこのまま残ります」
黒髪の少女、吉瀬さきがそう言って心配そうにカケルの顔を見る。
「……にゃは! そうかそうか。なら妾はマレイのところに行ってくるぞい」
舞姫は何か下世話なことを思いついたのか、そそくさと部屋を出る。
「はい、いってらしゃいませ。……上野さんの病室には?」
「あのエロジジィは看護婦にセクハラしまくって追い出された。まあ、カケルと同じ魔力切れだけだったからそのまま働かせておる」
舞姫は呆れたように言って退室した。
『あっ! 何をしておるのじゃ、マレイ!? 病室に仕事の書類を持ち込むでない! そんな事よりも早よう治せ!』
『ちょっ! そこの書類に触るな! 今回の戦いは色々と事後処理が大変なんだ! 邪魔をするな、舞姫様!』
『それなら妾がやっておく故、主はゆるりと身体を休ませろ!』
『…………え。舞姫様、仕事できたのか?』
『……マレイよ、妾も傷つく時があるのじゃぞ?』
セレアとサキが残った部屋の隣でそのような賑やかな会話が聞こえてくる。
カケルの病室はそれと対照的なまでに静まり返っている。
セレアとサキはお互い黙ったままだ。
妙に重たい沈黙が続く。
「……あの、サキさん」
「は、はい」
まさか話しかけられるとは思っていなかったサキは詰まった返事をする。
「子供の頃のカケルってどんな子でしたか?」
「カケルの子供時代、ですか?」
サキは即座に脳内の記憶を探る。
そしてクスリと笑う。
「……レイ兄、兄の後を追っていた以外では今とあまり変わりませんよ」
「お兄さん……」
「はい、私もよく一緒に遊んでいました」
その会話を控えめなノックが遮る。サキが返事をすると巫女服の女性が部屋に入ってきた。
「吉瀬団長殿、今よろしいでしょうか?」
「ええいいわよ。何かしら? スカーレット様、席を外しますね」
サキはセレアに一礼して、眠ったままのカケルをちらりと見る。
巫女と一緒に部屋を出て廊下を歩く。巫女の話は仕事関係のものだった。どうやら手が足りないらしい。
ミノとハチは仕事中だが、不知火は入院中、舞姫は不知火の病室で看病(?)中だ。
立場が上の者で動ける者は限られている状況だ。
サキは巫女の説明を聞いている間、ふと頭の隅でカケルの兄――羽令の声が聞こえてきた。
それはカケルへの恋心が知られた時のことだった。知られた理由はカケルに渡した恋文が何故か羽令に読まれたからだ。
羽令はカケルがサキの恋文を兄当てだと勘違いして受け取ったらしいと言っていた。
当時は何故そのような勘違いをしたのか疑問だったが、昨日のカケルの話で理解した。
カケルはよく兄に恋文を渡して欲しいと女子から頼まれていたらしい。
羽令は事故とはいえ勝手に手紙を見てしまったことの謝罪を言うと共にこんなことも言っていた。
――俺とお前の正しさは違う
――お前は護ることに重きを置いている
――カケルは俺になりたいみたいだが、あいつに似合っているのはさきの方だ
――まあ、なんだ
――つまり……ガンバレよ
その後すぐにサキは転校してしまい、カケルに想いを伝えることはできなかった。
しかし、今予想もしていなかった場所で再会を果たした。
(今がガンバル時かしら……レイ兄)
サキは数年越しの想いについて考えながら、仕事に向かった。
***
イノシシ討伐が無事終了して二日が過ぎた。
俺は今日、獣人たちの国を去ることになっている。
俺は昨日の昼に目を覚ました。側にはセレアがいて、俺が起きる十分前までサキもいたらしい。
そんな俺がこの国で最後に訪れている場所は舞姫の館だった。滞在初日に舞姫と初対面した建物だ。
建物内には舞姫と俺の二人だけだった。
「なるほどのう。ベスティアは光となってお主の身体に入ったのか」
「入ったかどうかは俺がそう感じたっていう話ですけどね」
現在ベスティアは行方不明になっている。一部では俺が盗んだという噂が流れているらしい。ひどい冤罪だ。
「なら、仕方ないのう」
「仕方ない、ですか?」
俺は舞姫の意外な発言に聞き返してしまった。てっきり怒られるかと思っていたからだ。
「そうじゃ。それにお主の話ではあの肉切り包丁のような刀が大剣になったそうじゃの。それなら光となって消えてもさもありなん、というやつじゃ」
「そ、そうですよね」
「うむ、これは仕方のないことじゃ」
自然とお互いに笑い声が生まれる。
舞姫の館が穏やかな温かい空気に包まれる。
「……ってそんなはずなかろう! このたわけ者め!」
手厳しいノリツッコミが入った。
「ベスティアをどこにやったのじゃ! 今正直に言ったら、例えくすねているとしても壊したからどこかに隠しているとしても起こらないぞえ?」
口調が怒っている人のそれだ。そう言われても俺は嘘をついていないのでどうしようもないのだが。
「本当に知りませんよ」
舞姫は俺の目をじっと見つめる。
「……嘘はついておらんようじゃな。なら良い。けどもし何か分かったら連絡してくれ」
「はい、分かりました。……あの」
「心配するな」
俺の言葉を遮るように舞姫が告げる。
「妾たちはソウルビースト。それ以下でもそれ以上でもない。ましてやそれ以外でものう」
結局、ソウルビーストから魔物に変わるという現象の真偽は分からず終いとなった。
「……何かできることがあれば、また言ってください」
「にゃは! 頼もしい限りじゃ」
俺は戸に手をかけて建物から出ようとする。
「カケルよ」
舞姫に呼ばれて振り向く。
「この国を守ってくれてありがとう」
舞姫はそう言って頭を下げる。
そして、満面の笑みで俺を見送ってくれた。
*
鳥居が続く階段の手前でサキがいた。
「あ、舞姫様との話は終わったの?」
「セレアと一緒に港に行ったんじゃなかったのか?」
「客人を一人残して行くわけないでしょう。スカーレット様の方はマレイにお願いしたわ」
要するに俺のために待っていてくれたみたいだ。
「そうか。じゃあ行くか」
「うん。……ねえ、傷はもう大丈夫なの?」
俺の横を歩くサキは心配そうにこちらを見る。
「まだ痛むけど、数日もすれば治るって言われたから大丈夫だよ。……まさか女神の加護者からの攻撃は超回復の対象外とはな」
額の傷はまだ癒えない。
今後、女神の加護者を相手にする時には気をつけなければいけない。
「そうね。しかもあの集団、烏合の集というわけでもなかった。明らかに統率された組織によるものよ」
裏組織というやつか。帰ったら《紅月の民》から何か聞いてみよう。
その後も今回の騒動の話題が続き、もうすぐ鳥居のトンネルは終わるところまで来ていた。
街に着いたら港まで牛車で行くため、五分もかからない。
そう思うとこんな話でサキと別れてしまうのも味気なくなってしまう。
次いつ会えるか分からないし、幼馴染としての会話で締めるべきだろう。
「それにしても、サキとまた会えてよかったよ」
「……ええ、私も嬉しかったわ」
サキが頬を赤らめて俯く。
そして彼女の歩みは遅くなり、やがて止まってしまった。
「サキ?」
俺は数歩戻って呼びかけるが、返事はない。
どうしたものかと悩んでいると、不意に彼女が顔をあげた。
「あのね、カケル! 実は私……!」




