142 その神格、激突
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夕焼けが差し込む山の中をゆったりと歩く。
リアは街まで降りてセレアに晩ご飯をねだりに行った帰り道だった。一国の主であるセレアは女神の加護者を丁重に扱うという為政者のみに課された暗黙のルールに従ってこの七日間、食料を分け与えてくれている。
ちなみにカケルにはそのことを伝えていない。喋ったら面倒なこと言い出しそうだし、元々外の情報を絶つために住まいをあの洞窟にしたのだ。そこで教えてしまったら元も子もない。
彼には最短でその身に宿る神格を呼び起こしてもらわなければならないのだ。一度目に来たときの縁を気にして特訓が長引くとリアの計画にも支障が出る。
(あと三日……ワンチャン四日ってとこかしら)
リアはこの六日の間に城内で聞いた情報を整理する。
ゴットゼルクの使いが来訪し、リグルートにドラコーンを討つための共闘を申し込んできた。そして、リグルートの代表であるセレアはこれを承諾して四日後にドラコーンに向けて出立するらしい。
聞いたといってもこれらは盗み聞きではない。
かといっていくら女神の加護者といえど部外者に話すバカもいなかった。
だから〈文明の幕〉――カケルが言うところの神のチカラで口を割らせたのだ。もちろんその騎士に情報を漏らした自覚はない。最近召喚された女神の加護者と他愛ないおしゃべりをしていたくらいの記憶に落ち着いていることだろう。
そしてリアは同様にアルバーレ王国の中枢の人間を対象にも暗示をかけた。
内容は『リアとカケルのプレアについて言及しない』である。本来なら目の前の対象にしか効果がない業だが、正真正銘の神が発動させるとならば文字通り次元が違う。広範囲を対象として、かつ持続効果もある。
(カケルもこのくらいできるといいんだけどなあ)
カケルの進捗から察するにそれは高望みだ。
そもそもリアとカケルでは存在の規模が違う。億単位で乗算してもまだリアの足下にも及ばない存在がカケルである。リアの神格を基準に考えるべきではない。
しかしリアは本気だった。
本当にカケルがリアの領域に達せると信じていた。それは美しき姉弟愛でもなければ根拠のない妄想でもない。
ただ知っているのだ。
人が神を凌駕した古の大戦を。
「…………?」
ふと足を止める。
妙な気配がした。微かだが神格も感じ取れる。
「カケルが成功させたってこと……?」
自分で言いつつ首をひねる。あり得ない話ではないが、きっかけが分からない。自然に開花するものでもないし、感じ取れる神格も小さかった。
まるで悟られないように隠しているみたいだ。
嫌な予感がして先を急ぐ。
向かう先はカケルが帰宅しているであろう洞窟ではない。食料の入った紙袋を抱えて、リアは神格を感じる方へと足を早めた。
「おや、ようやく来たか。家にいるという話だったが、その様子だと買い出しにでも行っていたのかな」
神格は見知らぬ男のものだった。いや、正確に言えば全く知らないわけではない。カケルを通してこの世界を見ていたときに何度かその存在を確認している。
古びたコートとマフラーという旅人を想起させる格好で、銀色の髪を携えた男だ。
男はリアを見て僅かに目を見開く。
「これは驚いた。まさか本物か。管理者なんてとっくに死んだものと思っていたのだが」
「へえ、ウチのこと知ってんだ。ひょっとしてウチのストーカーとか?」
リアの挑発に男はニヒルに笑って返した。
「その言い方にはやや語弊があるが、たしかに君の動向に興味がないわけではないな」
「じゃあそのストーカーさんがわざわざウチに何の御用かしら」
男はちらりと明後日の方向を見遣ってからリアへと視線を戻す。
少し離れた場所には、鉱石で作られた歪な立方体があった。
「ここに来た理由はいくつかあるが……。ひとつは銀の髪を持つ女神の加護者に会うためだ。管理者の証たる銀色の髪。私はそれを目印に絶対神法書を探している」
「それは始まりの世界線の、ってことでおけ? そーじゃないとアンタの持ってるソレはなんだって話だしね」
「……さすがは管理者だな」
コートの内側から光が放たれる。
その光は絶対神法書によるものだ。しかし男が手にするそれはこの世界の絶対神法書ではない。
どこかで枝分かれした、別の世界線における惑星の記録媒体だ。つまり、目の前の男はリアと同様、自力で別の世界から来た召喚者ということになる。
そして、それはひとつの終わりをも意味する。
「……一応聞いとくけどさ、アンタが元々召喚された世界は滅んだのそれとも……」
「他人様の過去を気安く訊くべきではない管理者よ。地上に降り立ったのならプライバシーというものを覚えるんだな」
「口の減らない男ね。ウチ管理者ぞ。もっと敬意を払えし」
男は肩をすくめる。
その馬鹿にしたような行動にリアはますます腹を立てる。
「悪いけどウチもここの絶対神法書探してんの。手は貸さないわよ。ていうか、どんな状況でもアンタなんかと協力する気ないけど」
「構わないさ。管理者たる君がここにいる。それがこの世界線こそが始まりの世界線であることの何よりの証拠だ。それだけ分かっただけでもこんな山にまで足を運んだ甲斐があったというものだ」
「満足したならとっとと帰ってくれる? ウチも弟を待たせてっからはよ帰りたいんだけど」
「ああ、そうだった。そのことについても言いたいことがある」
男は親指で少し離れた場所にある歪な立方体を示した。鉱石によって作られたもので僅かに神格を感じることから彼が〈文明の幕〉で作ったものだろう。
「あの半端者、本当に生かしておくだけの価値があるのか?」
「まさか……っ!?」
リアは弾かれたように歪な箱を見遣る。
箱は人ひとりは問題なく閉じ込めることができる大きさだった。
(彼が神格を持つ証拠として作ったものだと思っていたけど、あの中にカケルがいるの!?)
リアは紙袋を投げ捨て、両手を鉱石の箱に向ける。
「怪物の嫉妬!」
手の平から八頭の水の大蛇が現れる。八つの大蛇は滝の勢いで突き進み、鉱石から成る堅牢な壁を破壊せんと肉薄した。
「山神の怠惰」
鉱石にあと一歩というところで大蛇の群れが霧散する。まるで幻のように消えていった自分の御業を見て、リアは男を睨み付けた。
「どーゆーつもり!?」
「まずはこっちの質問に答えてもらおうか。今この世界線が危うい状態であることを知らないとは言わせないぞ。なのになぜあんなお荷物を連れてきた。……未だ亡霊の背中を追うような奴を!」
男の神格が膨れ上がる。それはリアにとって臨戦態勢を取られているのと変わらなかった。
リアは固唾を呑む。神格を持つ者との戦闘は始まりの世界線の管理者である彼女にとっても楽なことではない。
神格の強さはその時の心の有り様によって大きく変わる。確固たる自信だったりひとつの感情で思考が埋めたり――要は我を押し通す意思が神格を強くするのだ。そこに始まりの世界線の管理者だとか派生先の絶対神法書が核となる神格だとかは関係ない。
「アンタが何処の誰とか知んないけどさ、他人ん家勝手に押しかけて文句言ってんなし。それと」
リアは招かれざる異世界の旅人に向き合う。カケルを助けようにも男が邪魔をするのは先の一撃から明らかだ。
ならば。
「ウチの可愛い弟に手ェ出してんじゃねえよ」
――――まずはコイツをぶっ飛ばしてからだ。
リアの内側で神格が膨れ上がる。
「管理者を名乗るのであれば相応の言葉を使いたまえ。箔が落ちるぞ」
男も臆することなく神格を高める。
二つの神格は相手を威嚇するように大きくなり、火花を散らす。
次の瞬間、爆発に似た衝撃が辺りの空気を震わせた。




