141 その男、再来する
*
自分の息遣いが耳に届く。
俺は木々の合間を縫うように走った。もちろん意味もなく山の中を走り回っているわけではない。リアが与えた特訓の一環だ。
しかし、それはただの走り込みなどという甘いものではなかった。
「怪物の嫉妬!」
「っ!?」
木々の奥からリアの声が届く。
同時に声のした方向から何かがこちらに飛び出してきた。
俺は避ける暇もなくソレと衝突する。水の入った風船を勢いよく叩きつけられたような衝撃だった。その後を考慮するならばプールに飛び込んだような衝撃といった方がしっくりくる。
俺はソレの中に囚われた。ソレの正体は、一言で表すなら水の大蛇だ。流体の身体を持ち、飲み込んだものを溺死に至らす。
「…………っ! ――――!?」
リアに教わった対処法を試みるも効果はない。
口を開く度に肺に蓄えた空気が蛇の体外へと抜けて、代わりに蛇を形成するが液体が体内に侵入する。
「――――! ――――」
だんだんと苦しく、目の前が暗くなる。
そうして、今日の特訓は通算七回目の失敗で幕を閉じた。
***
「なぁんで上手くできないかなー?」
リアが不思議そうに俺を見下ろす。
俺は蛇の体内から解放されて横になっていた。傍らには剣の形をした火が文字通り俺の身体を癒やす。おかげで体力は言い返せるまでに回復していた。
「そもそもこんなので本当に神になれるのか? 無駄に痛めつけられてる気しかしないんだが」
「うーん緊張感が足りないのかなぁ。もうちょっとムズくしてみるとか?」
「ヒトの話聞いてたか?」
これ以上過酷な特訓は勘弁願いたい。ただでさえ失敗する度に死ぬ思いしてるのに更に難しくしても成功する気がしない。
『神のチカラを身につける』
七日前、リアは俺にそんな試練を突きつけた。
それからというもの俺はリアによって実戦形式による特訓を受けていた。しかし結果は振るわず日数ばかりが過ぎていく。
「とりま早く身につけなきゃねー。ムリめなら初っぱなのドラコーンのトコはウチだけで片すのもアリなんだけど……」
「何としても身につける。だからもう少しだけ待ってくれ」
頼み込んでこの世界に連れてきてもらった以上、約束は守る。やっぱりできませんでした、ではリアに申し訳ない。
リアの手助けをすると約束したのだ。神のチカラが必要ならば、それが不可能でないのなら絶対に修得してみせる。
「じょーだんだからそんなマジな目で見てくんなし。……ほんっとこーゆートコはそっくりなんだから」
「そっくりって誰とだ?」
「レイ……って今はハレイって呼んだ方がいいか。アンタの兄とそっくりだって。一度決めたら曲がらないトコとか、アホみたいに頑固なトコとか」
リアが呆れたように息を吐く。口ぶりから褒めたつもりではないみたいだが、俺は悪い気はしなかった。
俺にとって亡兄である相島羽令は今もなお目標とする人物だ。彼は誰が見ても完璧だった。それこそ日本にいた頃のリアに比肩するほどである。
文武両道・品行方正の完璧超人。物心ついたときから俺は羽令に憧れて、羽令を指針に生きてきたといっても過言ではなかった。
おそらく今も。
「そういえば、リアもレイ……羽令を知ってるんだな」
「当然だし。向こうの世界コピーするときにいろいろイジって赤ん坊の頃からスタートしたかんね。アンタらと幼少期を共にしたってワケ。まあ、今のアンタとじゃないけど」
「……リアと過ごした俺はどんなだったんだ?」
「それほんとに聞きたい? 別の世界って言っても自分のことだかんね?」
リアの指摘にはたと気付く。たしかに今の発言は中々に気恥ずかしい。自分のことをどう思ってるのか訊いているようなものだ。
「やっぱりいいや。どうせ俺とさして変わらないだろうし」
俺は傍らに突き立つ炎の剣を見上げる。持ち手は既に消えて、残る刀身を象る炎がゆらゆらと揺れていた。
「じゃあウチは一足先に帰って夕飯の準備しとくから、アンタもそれが完全に消えたら帰ってきな」
リアが銀色の髪を揺らして踵を返す。
俺は遠くなる足音を聞きながら茜色の空を見上げた。
仰向けになって夕焼け空を見て慈悲の炎剣が終わるのを待つ。こっちの世界に来てからそれが日課となっていた。とうぜん、そんな日課からは一刻も早く脱したいところである。
俺は夕焼け空を見て今一度神のチカラというものについて考える。具体的には横にある炎の剣や特訓で見た水の蛇がそれに当たる。
リアが言うには、ヒトが神のチカラを使うには段階があるらしい。はじめから神のチカラを全開にすると心身共に吹き飛ぶと特訓初日に脅された。
段階は三つあって炎の剣やら水の蛇やらは三つ目に、つまりは最終段階となる。だから俺の今の目標は、神のチカラを獲得する一段階目だ。
リアは格上の神格に触れればそれがトリガーになると言ってこの七日間の特訓では俺に攻撃を仕掛けてくるが、今のところそれらしい兆候は見られない。
口では身につけると啖呵を切ったが雲を掴むような感覚でどうも要領を得ない。
「……早く身につけないとな」
焦燥感に駆られるように起き上がる。
剣を象った炎は影も形もなかった。
「君、もしや先日召喚されたという女神の加護者かい?」
帰路につこうと足を踏み出すと、唐突な声に呼び止められた。
聞き覚えのある声だ。その男は以前と変わらず古びたコートにマフラーを身につけ、黒髪が主流の女神の加護者に珍しいくすんだ銀髪を茜色の空に晒している。
男は俺の顔を見て一瞬だけ顔をしかめたが、その後何事もなかったように言葉を続けた。
「黒髪に黒目、間違いないみたいだね。私はタルミ。絶海翔だ。よろしく頼む」
「……レイです。初めまして」
タルミはすっと目を細めて俺を見据える。
その視線はどこか見下されているようで心地が悪かった。
「あの、なにか……?」
「失礼。気にしないでくれ。……話によれば君ともう一人召喚者がいると聞いたのだが、一緒じゃないのかな」
「見ての通りです。……リアに用事ですか」
「ああ。髪が銀色なのだろう。同じ色に髪の召喚者が現れたと聞いて親近感が湧いてね。少し挨拶しようと訪ねたわけだ」
タルミが自分の髪に触れる。同じ色と彼は言ったが彼の髪色はリアの光を反射しそうなほど明るい銀色ではない。どちらかといえば灰色に近い、くすんだ銀色だ。
「一応、俺いまから帰るとこなんですけど一緒に来ます? リアもそこにいるんで」
「その必要はない。いるとわかればこっちで探すさ」
「え? いやですから、俺いまからリアのとこに行くんですけど……」
タルミが馬鹿にしたように一笑に付し、俺の言葉に被せるように続ける。
「君の手は借りないと言っているんだ、相島翔」
「え………………」
気付けば一歩後退していた。
思わず返事をしそうなほど自然に名前を呼ばれた。言い間違いの類いじゃない。彼は確信を持って、俺を相島翔だと看破したのだ。
それは絶対神法書が行った錯覚を見破ったということだ。言い換えるのなら目の前の男は、この世界の絶対的な権限の枠外にいるということになる。
「なにを驚いている。君の名前だろう」
「俺の名前は……」
「見苦しいぞ。私が確信もなくこんなことを言うとでも思っているのか」
苛立つようにタルミが被せる。
俺は誤魔化すことを諦め、固唾を呑んだ。目的が見えない以上、探りをいれていくしか選択肢はない。
「……リアに何の用ですか」
「さっき話した通りだ。どんなやつか見ておきたかった。それだけだ。……君のような半端者を救った奇特なやつをね」
「随分な言い方じゃないですか。もしかして最後に会ったときのこと気にしてます?」
話ながらにタルミからどうやって逃げるかに思考を割く。
周りの空気はいつの間にか冷たく張り詰めていた。そんな空気に、今すぐ逃げろと本能が警鐘を鳴らす。
「事実を述べたまでだ。小物に噛みつかれただけで根に持つほど器量は狭くない」
「たしかに戦闘面ではまだ役立たずかもしれませんが、それはこれからどうにかしていきます。あなたに心配されるようなことじゃあ」
俺が言い終わる前にタルミは鼻で嗤った。
「戦闘? たしかにそれもあるがもっと根本的な問題だ。君は決定的に歪んでいる。完全に歪んでしまえばまだ救いはあったものを、中途半端に歪ませてなおも正気でいようとするその醜さは見るに耐えん」
タルミが一歩、足を前に出す。
「これは、せめてもの慈悲と知れ」
悪寒が走る。彼から膨れ上がる殺気を前に背中から冷たい汗が吹き出す。それは避けられない死を予言しているようだった。
俺はそれまで考えていた逃げる算段を全て放り投げて、その場から脱兎の如く逃げた。
「富の強欲」
「っ!?」
逃げた先の地面から何かが吐出する。
それは地中にある鉱石で作り上げた壁だった。
「この技は……!」
技の性質上、作ったものは違うが間違いない。特訓のときにリアが出した神の御業のひとつだ。俺は呆気を取られて足を止め、その一瞬の間に鉱石の壁に囲まれた。壁は四方八方の退路を断ち、天井を作ろうと先端を頭上へと集める。
――ここに来た己を恨め、相島翔。
壁の向こうから敵意を孕んだ男の声が聞こえた。
壁は俺の反論を待たずして外界を遮断し、暗闇の世界を作り上げた。




