#2 憂鬱
▼憂鬱
今は夏まっさかり、地上に照り付ける太陽光線は、素肌をじわじわと焦がして行く。たまに降る雨は焼けたアスファルトを叩き付けるが、雲摸様はすぐに変わり蒸し暑さをかもし出し、このアパート中にその代償を払えと云わんばかりに責め立ててくる。
そんな、起きだちの塚原叶は団扇を煽ぎつつ、吹き出してくる汗を首に掛けているタオルで拭いながら、テーブル脇に有るリモコンでテレビを付けた。
『昨夜の事件です…』
画面を見る事無くただアナウンサーの声に耳を傾ける。テレビは共有の場所、ダイニングキッチンの端に設置されてはいるが、基本的に叶が独占する形がこの共同生活の掟のようになっている。
『東京、下北沢で、二十才前半の女性がOOマンションの屋上から飛び下り自殺をはかると云う事件が起こりました。警察は今、この女性の身元及び、動機を調べることを……』
流れて行くスラスラと発せられるセリフを聴きながら今気が付いたとばかりに、冷蔵庫から冷えた麦茶をコップに注ぎ込む。そして一気に飲み干す。
「なあ……ここんとこ下北沢での事件多ないか?」
そう、どういう訳かここ最近の下北沢は殺人事件を始めに自殺、強盗と相次いで起こっている。
その事について意見を聞こうと既に起きて、自室で相変わらずネットを楽しんでいるであろう都住朔夜に問いかけた。
「……そうですね……」
しかし関心を払わない朔夜に、叶はまたいつもの事だと想っていたが、どうやらそう云う訳では無さそうなのが目の端に映り、
「なんや?ネットに夢中にしとるんかと想えば、そう云う訳やないんやな〜」
珍しく、ノートパソコンの前で手を止めていて、心ここにあらずといった様であった。その様子を不思議に思い、団扇を片手に朔夜の部屋に入る。
「あ……まあ、色々と……」
そこで黙り込んだので、ハッと気が付き、
「そういや、明日やったよな?都住家恒例の一族会議ってのは。明日は一日帰らんのか?年に二度の適例会議ってのも難儀やんな〜俺ならそんなもんぜってえ〜ボイコットするわ」
顎に手を掛け未だ片付けられていない万年コタツの脇に『ドカッ』と腰を下ろす。
叶は、中学二年に家を出たきり一度も実家には顔を出していない。その後大学を何とか卒業するまで叔父、叔母の所で一緒に生活した後、これ以上お世話になる訳にはと、家を出て今ではこのアパートに居候しでいる。
「はあ〜」
この時期になると、溜め息がこぼれる朔夜を知っていて、この時ぞとばかりにいじわるな態度にでる叶。確かにこういう朔夜はいじめ甲斐がある。
「やっほ〜明日はバイトも休みやし。朔夜もおらんし羽根のばせそうやなあ〜かえでちゃんとニ人きりになるチャンスなんて滅多に無いから遊びに来てもらうように連絡とっとこっと〜」
かえでに疎まれてる事くらい知っているのに、敢えてこう云う事を云って退ける辺りかなり図々しいかも知れないとは分かってはいても、持ち前の前向きの性格は隠す事すら無い。
「食事は、冷蔵庫の中の物を適当に食べて下さい。そろそろ賞味瑚限の納豆が有るはずですから……」
おぼつかない言葉に覇気が感じられないが、一応反撃はしてくる。
「納豆嫌いなん知っとるやろ……嫌みなやっちゃ!」
叶はそう云うと、
「ほな、バイト行くわ」
時計を確認し、さっさとドアを後にした。
都住家の適例会議は仕事の確認と、親戚達の内輪話といったもので、特別に憂鬱になる事などは一切なかったが、ここ二年間結婚に関しての話題が持ち上がっている。実はこの事が、朔夜の頭を悩ませていた。
もともと、父が熱烈恋愛結婚で落ち着いた話から始まって以来、離婚話で母と別れた事で親権問題が浮上、その事が一族の不名誉的要素を嫌というまで聴かされてきた。
そこで、朔夜にはそう云う事にならないようにと宗家の連中は既に許嫁と云う、古典的な方法を用いて朔夜の結婚相手を選んでいたのである。
相手は、選りすぐりの名家の出の錦織神楽(二十四歳)。大学も一流大学を出たばかりという、何も申し分の無いお嬢様である。しかも、都住家に関する事を理解している上に、租母のお気に入りときていた。
それでも反論出来るのであれば何も問題は無いのだが、宗家には、父亡き後全てのスポンサーになってもらっている為に何も云い返せない。しかも、朔夜はその錦織神楽と云う女性に逢った事すら無かった。
「はあ〜」
今一度溜め息がもれる。延ばし延ばしにしていた今までの事を想うと、きっと今度こそはと祖母は話を切り替えてくる事になるであろう。
そう考える度に明日が世界の最後であれば良いのにとまで想う程想いつめていた。朔夜的には都住家を存続させておく必要性を自ら負いたくは無かったのである。




