#3 儀式
▼儀式
「うんじゃま、行ってらッしゃ〜い。ごゆっくり〜!」
小憎らしいとも想える程の満面の笑みを携えて、居候の身の叶は、タンクトップ一枚に涼やかな扇風機を従えてキッチンの椅子に腰を下ろしながら朔夜を見送る。
それは、晴天の真夏の朝日が昇ったたそんな時刻の事。
それを尻目に一応微笑んでアパートのドアを後にする朔夜は、心の底から『身の程知らずめ』とボソボソと呟きながらも溜め息がもれる。
しかも、正装のスーツ姿が身動きづらくてまた一つ気分が優れない要因となっていた。
都住家は、ここから井の頭線に乗り渋谷に出て、山手線に乗り換え王子まで行かなければならない。
お盆前のまだ通勤ラッシュのこの時刻、考えただけでも人込みに弱い朔夜にとっては地獄絵図の中に身を投じる気分だった。それでも、王子の近くにまで来るとそう云う気配は無くなり不快指数は大分和らいだ。そして、重い足を引こずる気分で、宗家都住宅へと急ぐ事となる。
「まあまあ、暑い中良くいらっししゃった事だわねえ〜朔夜さん」
一物も二物も隠し持っているかのような祖母は、朔夜の到着を笑顔で迎える。
「ご無沙汰しておりました。お元気そうでなりよりです」
父が亡くなってから面倒を見てもらっていただけに、この家の事は何よりも良く判っているものの、他人行儀に、
「失礼します」
涼やか微笑みを浮かべながら、祖母の後に着いてスーツの上着をたたむと腕に引っ掛け中に入って行く。
『ミシミシ』と響く廊下の音は、あの頃となんら変わりは無い。
この都住家は代々受け継がれてきた家柄をモットウとして立て直すと云う気配すらなく、庭にある獅子脅しの『カコーン』という涼し気な音すら格式を高めるかのようで和風さながらの都会の一種の避署地のようであった。
「お爺様は?」
通された座敷きの座布団の上で、まだ見えぬ祖父の事が気になる。いつもなら、先にこの場所に来ているのであるが……
「ここ最近、体調が優れなくて床に臥せっているのですよ。朔夜さんがこられる事を楽しみにしていらしたのに残念ですわ……」
暫くすると、奥の部屋から麦茶を入れたグラスとお茶薬子をお盆にのせ侍女が入って来る。
「奥様、失礼します」
冷えた麦茶のグラスが白く曇っているのを確認し、朔夜は一ロロをつける。座敷きには、まだ他の親戚は来て無い様子で、二十畳の畳の部屋はがらんとしていた。その分空間が広く感じられ、自らの部屋との違いを嫌と云う程感じると、愛着有るあの部屋に旱く帰りたいとさえ感じる。
「他の方々は?」
しかし、いつもの時刻にも一向に現れない事を確認した朔夜は静かなこの部屋で黙って祖母と向き合ってぼかりいるのもなんだなと感じ始め、切り出す。
「今回の適倒会議は、以前からお話していた朔夜さんの結婚話を改めようと想っていたので日にちをずらす事にしましたのよ」
率直すぎる祖母の発言に、『ついにきたか!』と朔夜は笑顔で微笑みながらも内心鼓動が鳴り止まない。
「その事でしたら、前にも云いましたが、僕にはまだそんなゆとりも気持ちもございませんので失礼させて頂きたく思います」
ここで抜け出さないと、畳み掛けてくるであろう?ことなど分かり切っている。昔からの痛い経験は、朔夜に学習能力を持たせてくれた。この祖母の言葉は絶対なのだから……
「お待ちなさい、朔夜さん。逃げても無駄ですよ!」
朔夜が片足を立てたところで、逃がすものかと祖母は言葉を挟む。
「お入りなさって!神楽さん!」
すると、先程侍女が入って来たその襖が『ス〜』っと開くと、一人の艶やかな御所車の和服姿をした一人の女性が、畳に指を付いて座っていた。
「こららが、朔夜さん貴方の許嫁の錦織神楽さんですよ」
すると、
「初めまして、わたくしが錦織神楽と申します」
静かに面をあげると、そこにはいかにも物静かでおっとリとした、(はっきり言って朔夜好みの)女性の顔が、露になる。
「お話はお聴きになられてると想っておりましたのですが……何か御都合の悪い事なのでしょうか?」
神楽は、見た目通り少し控えめに言葉を発する。
「あ……その……」
理想像の女性を前に、一瞬言葉をとぎらせてしまった事に、しまったと想うには遅かった。
「いいえ〜神楽さんお入りになられませ〜こちらにいらしてお話でも致しましょう」
祖母の思惑にハマったのである。
「ご存知だと思われますが、こちらが孫の都住朔夜と云いますのよ。お会いになるのは初めてでございましょ?」
祖母は、ニコニコとしながら朔夜の事などお構い無しに話しはじめる。
「はい。お写真では拝見致しておりましたが、このように、実際お会い致しまして落ち着きました。お写真よりお優しそうな方なので大変安心致しました」
はにかむかのようなその笑顔が朔夜の中で、色鮮やかに映る。
「朔夜さん?神楽さんは、都住家の遠い親戚筋で、錦織家の御長女でらっしゃいますのよ。一流大学をお出になり、才色兼備。何も申し分も無い女性ですわ。しかも、朔夜さんのお仕事を理解されての縁談。これ程の縁は無いとまで想いますよ?」
祖母は、これ見よがしに段取りを進めて行く。
「あ……そうですね……でも……」
朔夜は返事に困ってしまう。理想像と、自分の人生をそう簡単に決められる訳には行かないのとの二つで蠢いていたからである。今さらながら、あの時さっさと席を外しておけば良かったと想っても遅すぎた。
「はっきりしなさいまし!朔夜さん!」
祖母の言葉と、神楽の不安そうな眼差しを両方から浴びて、狭い空間に押し込められたような感覚に陥っている時、
「そうですわね。朔夜さんお困りになられているようですし、お時間を少しお取りになられた方がよろしいのではないでしょうか。おばあさま?朔夜さん。お時間がよろしければ、少し、お庭でも見て回られませんか?あちらに、木陰の良い場所が有りますわ」
庭先に有る一本の大きな松の木の下に大きな小陰が出きいている。そこに二人分座れるくらいの椅子がある。そう云えば、昔はその下で本を片手に昼寝をしたものであった。
「まあ、そうですわねえ〜それでは、御座を持って参りますからお二人でお話でも!」
神楽のロからその言葉を聞くや否やすぐに行動に移る祖母。このバイタリテイーが有れば当分は平気だろうなと想う朔夜であった。
「先程はありがとうございます」
朔夜は祖母から解放された事に少し気分が落ち着いていた。
「何のことですの?」
神楽は、にこやかに微笑みながら少しとぼけたかのように言葉を発する。その事に気がつき、
「いえ、こちらの事です……それにしても、神楽さんは勝手に許嫁などと決められて……こういう事になって平気なのですか?」
遠回ししに訊くよりは、はっきり訊いてしまった方が良いだろうと朔夜は想った。
「わたくしは嬉しく想っておりますの。こうしてお逢いして、はっきり自分の気持ちが分かりましたわ。お写真だけでなく、こうしてお逢いして……どう云う方なのかはこれからおつき合いして行けば分かってくるとも想いますわ?でも、第一印象が良いという事は、何かしら御縁があった証拠だと想いますの。もともと殿方と面識は無いものですから世問知らずとは想ってはおりますが」
神楽は、ハッキリと自分の言葉で応える。それが、何も恥じらうこと無くいうものだから、逆に朔夜は動転してしまった。朔夜自身、女性には疎い。 というか、今までこういう感情にお目にかかった事は無いに等しかった。
「……本当は僕に彼女がいるかも知れないと想われた事は無いんですか?失礼。先程の、祖母との会話をお聞きしてれば容易に考えられるでしょう?」
すると、
「『僕にはまだそんなゆとりも気持ちもございません』と云う事ですね?それは、お仕事の事が有るからだと想っておりますし。それに、朔夜さんのお母さまの事をお聞きしておりましたから……勝手な憶測かも知れませんが、朔夜さんは、女性に関して随分とトラウマを持たれているのでは?と察しておりましたから」
見事に云い当てられる。これは叶にも云われた事の無かっただけに、心に『ズシリ』と来た。
「母は、父の仕事の事を知っていながら、それでも一緒になりたかった……勘当同然で、二人は一緒になったものの、最終的に理解が出来なくなった母は結局離婚を決意した……後で祖母から聞かされた事です」
それは、祖母のロからだけで無く、親戚の間でも噂というネジまがった言葉で聞かされてきた。だから思った。決して結婚はしないと……
「それにしても、良いお天気ですね」
気を効かせたのか、神楽は話をそらす。
「女のわたくしからお誘い致しますのもお恥ずかしいのですが、今度の日曜日、ご都合が悪く無いのでしたら一日おつき合いして頂けませんか?」
突然の申し出に、戸惑った朔夜ではあったが、断る謂れも無く、それに女性に恥をかかせる訳にも行かず肯定の言葉を伝える。
「そうですね。それでは来週の日曜日、八月十六日にデートをしましょう。お盆過ぎですから、丁度帰省客くらいの人込みの少ない時期……上野の美術館にでも行きませんか?開いてれば良いのですが?調べておきますよ。御絡先を教えていただければ、改めてこちらから御連絡致します」
その言葉に、一瞬神楽は大きな瞳を見闇いたが、直ぐににっこりと微笑んだ。その表情に、一瞬『ドキッ』とする朔夜ではあったが、そう見せないようにうっすらと笑顔を返したのであった。その先は、神楽の家族の話や、世間話に華が咲いたのであった。




