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物語tips:ブレーメン
かつて唯一大陸に存在した種族。この惑星の原住民。
ヒトと外見的特徴はほとんど同じだが、若草色の瞳、茶色がかった髪の毛が特徴。また心臓は体の中央にある。大人は青く輝く武器を持ち、それが媒体となってブレーメンの体力、精神力を増幅させた。
自らを神に見初められたヒトと呼び、それを連邦の共通語ふうに発音すると「ブレーメン」となる。
ヒトを凌駕する身体能力を持ち、知能も旧人類の言語を瞬時に理解するなど、"神に見初められた──"がただの伝承ではない、と噂された。
しかし、ヒトの惑星入植から世代を経るにつれ互いの生存圏が重なり軋轢が増していった。ヒトは当時残されていた旧人類の科学力を駆使して獣人を創り、ブレーメンとの争いが始まった。
結果的に、獣人は手に負えなくなりヒトとブレーメンが共闘し、戦争に勝った。そしてブレーメンを滅ぼしたのは戦争ではなく、長い時間をかけた文化的な侵略と法律だった。
「なあ、シンタロー。まだかかんのか」
「いまアイシャドウを塗ってるので、動いたら危ないですよ」
かれこれ5分は目を閉じたまま、レイナはシンタローの言うがままじっと動かなかった。
今日は近衛兵団の入団式と叙勲式のために、4人揃って宮廷に呼ばれていた。日が昇る前にカッシンタが車で迎えに来て、そして控室で女×3で衣装だのメイクだの、カッシンタと他の侍従たちがあれこれお世話してくれていた。
勲章は2つ、皇を幽閉地のタムソムからオーランドへ無事送り届けたこと、そしてテウヘル騒動を解決して財団との紛争を回避できたことで、だった。ロゼはあまり政治的な案件を事細かに教えてくれなかったが、口ぶりからして財団の大きな貸しができたらしかった。
「あらー♪ いい感じです。レイナさんも素材がいいから、映えるんです。肌のキメが細かい。ノリがいいんです」
「ノリがなんだか知らねーけど、いいって化粧なんて適当で」
「ダメです! 晴れ舞台なんですから」
カッシンタのこういう部分が、女々しいと言うよりあたしより女らしくて、負けた気分になってしまう。化粧だのなんだのって、あたしの性分にはあわない。
「さ、レイナさん。目を開けてもいいですよ」
鏡に写っているのは、全くの別人に変装した自分の顔だった。確かに、これはきれいと言える顔だった。
「へぇ、あたしの顔が」
「そうですよ。ふふふ、女は化粧で何倍も美しくなります」
カッシンタの助言で、トリートメントも使い始めた。枝毛はなくなったし、銀髪もつややかに金属質な輝きを取り戻している。
すぐ隣では、アーヤとシスが衣装の着付けをしていた。2列ボタンのジャケットに、金メッキが輝く肩章まで乗っている軍の礼装だった。この日のために仕立てられ、薄すぎるアーヤの体や、小柄なシスにもぴったり合っていた。
シスも今日ばかりはツノカバのお面を付けるわけにもいかず、蜘蛛じみたレンズと機械の頭がむき出しだった。しかしだれももそれを見咎めることもなく、むしろ職人の手作業でレンズをコンパウンドで磨いてもらっていた。
着付けも化粧も終わり、レイナはもう一度姿見で自分の姿を確かめてみた──まつげが長くなっているし眉も切り揃えられ鉛筆で書き加えられている。
「あらあらあら、砂漠の傭兵も、もう立派な兵士ですわね」
「ロゼ……隊長。ご機嫌麗しゅう」
レイナたちはスカートだったが、ロゼの礼装はパンツスタイルだった。モデルみたいに長い脚で、しかし歩き方や直立不動な姿勢は確かに軍人だった。
「ふふ、緊張していますか」
「いや、こんなのなんともないんだけどよ。なあ、ちょっとだけ聞きたいんだけど、この服、胸が窮屈なんだけど」
「これが普通ですわ」
ぐいっとロゼが胸を張る。そのサイズはレイナのよりひと回りも上回っている。
「隊長も、シンタローにメイクしてもらうの?」
「ふふ、大人の女は、自分で化粧するのです。けれど正直に申しましてカッシンタのほうが上手です。私は、そうですね、迷彩化粧なら得意ですの」
んーこれは冗談なのか、笑っていいところなのか。いまいち返事できない。
「素晴らしいと思います」
「ふふ、しゃっちょこばらなくてもいいのですよ。そういえば、となりの控室でニシさんが待っています。会いに行ってはいかがですか」
ま、それもそうか。
レイナは控室から出た。廊下を歩くと、忙しそうに動き回る侍従の女性兵士たちが一旦足を止めて軍隊式の敬礼をする。レイナは不器用に会釈をするだけだった。
「よ、邪魔するぜ」
レイナはノックもなしにドアを開けてた。同じような間取りの控室で、お茶のセットと保温ポットが置いてある。その横で、ニシはぬるそうなお茶を飲みながらパルを見ていた。
「準備が終わったかい。ふうん。レイナ、きれいだな────」
「ばっあんま見るんじゃねーって」
「──シンタローのメイクは」
「くそが、いちいち余計……あはーん、わかった。今の照れ隠しだろ、だろ? あたしがあまりにもきれいなせいで」
対するニシは、はにかんでいた。否定もせず、ティーカップを飲み干すと、てくてくとレイナに歩み寄った。
「んだよ、スケベ野郎」
「俺は、嬉しいよ。レイナが元気になってくれて。病院のベッドで寝ているのを見て、ヒヤッとしたんだ。もしこのまま起き上がれなくなったらと思うと」
「2週間も前の話だぜ。やめやめ。肩だって、まあ少しは違和感がまだあるけどさ、元通りくっついたわけだし」
「医師の話じゃ、未知の細菌と微生物に侵されて3度は死んでもおかしくない状況だっただろ。たった1週間の療養で回復してくれて、安心した」
実際は、まだ抗生物質を飲んでいるし週末には軍病院に出向いて検診を受けなければならない。
「銀髪だしな。こんなんでくたばるタマじゃねーよ。ん、そういや、聞きたいことがあったんだった。翠緑種って結局なんだったんだ。あれだって微生物だろ? それで怪我が早く治ったんなら」
「それは、俺よりネネのほうが詳しい」
ニシの視線を追うと、部屋の隅でドーナツをかじっている黒服の幼女がいた。部屋の隅でハンガーラックの陰にいて、全く見えなかった。
ハンガーラックには、ニシがもともと着ていたトーキョーの軍服とレイナの外套が丁寧にビニル袋をかけられて下がっている。街一番のクリーニング店に公費で洗浄と修繕を依頼していたのが届いていた。
「ん? ネネの婆ちゃん、あたしの服が気になるのか?」
「この外套の文様が、ブレーメンの様式じゃからな」
そういえば、そうだった。特に気にすることもなく着ていた。
「そうだけど、別に珍しくもないだろ? ツノカバのアニメにだってブレーメン模様は出てくるし」
「ん、そうじゃな。なんでもない。気にせんでもよいぞ」
ネネはささっとドーナツを食べ終えると、いかにも自然をよそおってニシの隣にぴたりと寄り添って座った。レイナもその向かいのソファに腰掛けた。スカートのせいでいつも通り股を開いて座れないのでまごつく。
「ネネの婆ちゃん、なんか言いたそうじゃん。あたし、嘘を見抜くのは得意なんだぜ」
「しかし真実というのは、すべてひけらかせば幸せというわけでもないぞ」
今日の知恵袋も、理解できない。
「子供扱いは嫌いだ」
「毛も生えていないのに偉そうに」
「生えとるわ!」
つい声を上げてしまったが、ニシと目があって気まずい。
「そう言うなら教えてやらんでもないが、そうやの。歴史の勉強じゃが」レイナが肩をすくめたのでネネも続け「ブレーメンはヒトと異なる生物。ゆえにレイナぐらいの歳じゃ毛も生えぬ。そして子どもが作れるのは、20歳を過ぎ、数年おきの繁殖期のみじゃ」
牛みたいだな、という軽口は、ネネの左手の力が怖いので控えておいた。
「で、それが?」
「レイナ、簡単な算数だ。夫婦でお互いに繁殖期が重ならない限り、子どもが作れない。寿命が150年あるとして、それでも互いの繁殖期の公倍数の年じゃないと子どもが生まれない」
ニシがわかりやすく教えてくれた。
「じゃあ、どうやって子どもが生まれるんだよ」
「1000年前にはすでにヒトの社会制度を取り入れておったが、もともとブレーメンには夫婦の風習は無いのじゃ。家族という概念もヒトのそれとは異なる。繁殖期を迎えた男女が番となり子を生み、集落全員で子どもを育てる。そして才覚ある子は武術の流派に弟子入りしいわゆる家族、という形態をとる。故に姓はそもそも、流派を示す記号であった」
「へー、全然知らなかったぜ」
あれ、何の話だっけか。
「話を戻すと、レイナのこの服の模様は、そのつまりじゃ。女性器を模している」
「は、女性器。はぁ?」
言われてみれば、たしかにそう見えなくもない。
「繁殖期を迎えた女が、それを示すためにこの柄の入った着物を着る。まあ、繁殖期のブレーメン女は気性が荒くなるゆえ、深い山々の奥へ隠れ潜む。男はそれを探す。女は自分より強い男のみを受け入れる」
レイナは自分の外套をまじまじと見ていた。シミ1つない、そして小さなほころびも同じ糸で縫われ、染色まで丁寧に補修されている。
「まあ、それはいいや。ずっと着てたし大切だしさ。繁殖期ということはネネの婆ちゃんもたまには気が荒くなんの?」
「あいにく、この体は9つで成長が止まっておる。繁殖期を迎えるのは二十歳前後からじゃ。とうとう子を授かる幸せはわからなんだ」
「えっと、その。ごめん。嫌なこと聞いちゃった」
「しおらしくなりおって。らしくないぞ。それに、妾は別段不幸とも言うておらん──」
ネネはニシの腰に腕を回しぴたりとくっついて、
「──それに好みの男にツバつけるのもまた、ブレーメンの風習じゃ」
ニシの迷惑そうな顔が、レイナの溜飲を下げた。ニシはもぞもぞとネネの搦手から抜け出した。ニシは不満そうに、
「ネネ侍従長、“粗相はメッ”じゃないのか」
「えへん。妾も立派なレディゆえ、自制心はあるぞい。それに皇の近くでお手つきは叱られるゆえ」
「まったく。高齢者には優しくとは思っているが限度がある。話がそれたな。レイナ、翠緑種のことならネネに聞くといい。色々知っているはずだ。俺はちょっと──」
「んだよ、マス──」
「んなわけないだろ」
ニシが荒々しくドアを開ける感じ、ちょっと怒らせちゃったか。
「さて、なんであったか。翠緑種についてか」
「そう、それなんだ! やっと相談できる相手が見つかった。あたし、翠緑種まみれの地下水をたらふく飲んだ後、幻覚っていうのか、別の自分が現れたみたいで、それで願ったんだよ。強い力とか怪我が治るとか。そしたらマジで一瞬だけだったけど力がみなぎったんだ。ということは──」
「──ということは、翠緑種を飲めばさらに力の効果が得られる、と」
ネネはほんの少しだけ考えて言葉を紡ぐと、
「結論から言えば、妾には何もわからぬ。すまぬな、レイナ」
「あ、いやまあ、知らないってんなら別に」
「知っておるが、わからないことのほうが多いのだ。まず翠緑種の研究は1000年前からほぼ進んでおらなんだ。当時研究を仕切っていたフラン・ランという研究者が、資料やデータのすべてを持ち去ってしまった。連邦では司書の監視もあって研究はできない。財団の研究ももっぱらテウヘルの心臓ばかりで翠緑種については詳しくないであろう。そもそも銀髪すら、例が少なすぎる。適応者は万に1人ぞ。それにレイナ、お主はテウヘルの心臓の高適合かつ過剰摂取という過去に例がない人物だ」
「んじゃあ、翠緑種を飲むのは」
「やめておいたほうがいいじゃろうな。かつての国家も財団も、もちろんただ翠緑種を飲み干すという実験はしておるであろう、そして成果が出ておらん。現に感染症で死にかけておったんだし。レイナはそこまでして力がほしいのか」
「当たり前だろ……でございます。力がない者から死ぬ」ネネは反論しなかった「それによ、目の前でこんな、ニシとか婆ちゃんの力を見せられたら、あたしももっとできるんじゃないかって思うだろ普通」
「妾たちは、幸か不幸か神の視線があったゆえ。この力も決していいことばかりではないぞ」
それは、わかっている。ニシは悲しい顔を隠して、歯を食いしばって戦っている。死なないというのも、つまり自分以外の仲間全員の死を見送るということでもある。
「みんな、いい死に日和だったのかな。今日ここに来るまで死体の山をこさえてばかりだ。たまに夢に出てくるんだ、ニムシペの断末魔が」
するとネネはそっと抱いてくれた。ブレーメンの高い体温が伝わってくる。
「叙勲の後、どこか静かな街で暮らすこともできるのだぞ。報奨金も十分に出る。慎ましい生活なら送れるぞい」
あたしは、いや、それでいいのか。あのとき親父は言っていた。この仕事が終わればゆっくり暮らせるんだぞ、って。結局は、叶わなかったけれど今やっと、親父の言っていたことが現実になる。
ちくしょう。ブルって言えない。ニシといっしょならなんでもできる。たったそれだけだし、あいつなら絶対、うなずいてくれる。たった一言────。
「くだらねぇ」レイナはネネを押しのけて立った「あたしは傭兵だ。きれいなオベベを着てたって、そこは変わらない。こんな辛気臭い話はあたしには合わない。ここまで来たんだ。最後までとことん付き合ってやるよ!」
ネネが若草色の瞳を開いてきょとんと瞬きした。見た目はガキだが本当に婆ちゃんみたいだ。
「よっレイナちんさすが!」「もっと素直になればいいのに」
戸口から仲間の声が聞こえる。アーヤはパルをかざし、シスもニタニタ笑っている。その後ろで、頭越しにニシがいた。
「あぉ、いや今のは違うって」
「ふふん、何が違うって? パルで立体写真を撮ったから後で見せてあげるね。私たちのアルバムの一番最初のページに」
アーヤは素早い手つきでパルを操作した。何重もプロテクトとコピー保存をして仲間全員にレイナの勇姿を共有する。
『くだらねぇ、とことん付き合ってやるよ!』
威勢の良いレイナの声が、あちこちのパルから聞こえて反響した。
「だーっお前ら!」
「まあまあ、そう赤くなりなすんなって」
アーヤはレイナと手を繋ぐ。
「んーわたしも何か言おうかな」
シスはレイナと手を繋いだ。そしてアーヤとシスも手を繋ぐ。
「どーゆーつもりだ?」
「今日は私達、『砂漠のトカゲ団』の門出なの。晴れ舞台なの」
「あ、アーヤまた泣いちゃった。シンタローになおしてもらわなきゃ」
シスも生身のほうの瞳が潤んでいる。涙もろい奴らだぜ。なまっちょろい、これじゃ傭兵としてやっていけねーっての。
「ニシは、お前はどうするんだ」
ニシは入口近くのドアにもたれかかったままだた。
「どうしたレイナ、俺がいなきゃ不安ってか」
「お前な、この状況で」
「俺の力で、できる限り助けるさ。それが最初からの約束だろ。それに、助けが必要なのはネネも、そうなんだろ?」
ネネは一言も返事をしなかったが、うんうんと頷いた。
「私も、そうですわ。武術の稽古がまだですので」
ロゼもぬるっと現れた。
「全力でサポートしますので」
ロゼの後ろにはカッシンタも控えていた。
ちくしょう。
一匹狼のが性に合うっていうのに。『砂漠のトカゲ団』とかいうふざけた素人集団に入ったことは後悔していたし、黒髪に黒い瞳という妙な男を引き入れた時は心底うんざりした。
それなのに今や、連邦の中枢できれいなオベベを着て秘密作戦部隊の一員だった。
「人生、何が起きるかわかんねぇんだな」
その後は全員がぞろぞろと揃って、宮廷の中を移動した。
外見じゃ宮廷なんて丘の上にちょこんと、のっかているだけだった。かなり古典建築だが、丘の地下のほうがずっと広い。ロゼに案内されていなければとっくに道に迷っていた。
途中、ネネとカッシンタは晩餐会のゲストを迎えるため離れた。そして砂漠のトカゲ団 一行が連れてこられたのは飾りっ気のない謁見室だった。床は絨毯、壁もビロードの遮光カーテンが引いてあるが家具や装飾らしい飾りは無かった。部屋の正面には皇が座るであろう木の椅子が一脚あるだけだった。
ロゼから作法を教わったが、そう難しいものでもない。伏せたまま頭を垂れ、名前が呼ばれたら前へ出る。胸に勲章を付けてもらい、もとに戻る。それだけ。朝飯前。
最敬礼の片膝を建てた姿勢のまま、絨毯の毛を100まで数えた時、いよいよ皇アナ=キルケゴールが姿を現した。さわさわと布のこすれる音とロゼが支える椅子の音もした。顔を上げてその尊顔を見てやりたいが空気が重くて顔が上がらない。
「これより、連邦の発展と秩序の維持に貢献した4名へ栄典の授与を行います。名前を呼ばれたものは、前へ出てください。献身褒章を賜わる者──」
ロゼが厳しい口調で告げる。
「──青鈍綾」
アーヤはすっと顔を上げ立ち上がった。両頬は引きつったまま、右の手足と左の手足が同時に動いている。相対するアナは柔和だった。
「青鈍さん、砂漠のトカゲ団の団長にして計略の将と伺っています。砂漠ではあなたの運転技術に助けられました。感謝しています」
アナの声音は、決して言葉を焦らず同じスロゥテンポで腹の底から発せられた。背筋そして指の先までピンと伸ばして座る姿勢は、役者じみたその所作が骨の髄にまで染みていた。
アナは座ったまま、台座のリボン付きの純金の勲章を手に取ると、それをアーヤの胸に付けた。
「続いて献身褒章を賜わる者──」
ロゼが厳しい口調で続ける。
「──虎姜シス」
「はいっ」
返事なんてしなくていいのに/喋ってはいけないのに、シスは甲高い少女ボイスで返事した。名前はただのシスだけだったがペットのニシからその名前をもらった。シスはにこにこでアナの前に立つ。
「すばらしい狙撃手ですね。あなたの戦いぶりはわたくしも見ました。救ってくださりありがとうございます。そして、美しい瞳ですね」
アナは半分機械のシスの顔に臆することなく頬を撫でた。機械の眼球が動き、生身の碧い瞳もアナの細い指先を追いかけた。シスが列に戻るとすぐ次の名前が呼ばれた。
「続いて献身褒章を賜わる者──」
ロゼが厳しい口調で告げる。
「──銭葵レイナ」
ああ、久しぶりに聞いた。親父が死んでからは家族はあたしだけ。親父と同じ姓なんて使うこともなくただレイナとだけ名乗っていた。いつしか『銀髪のレイナ』なんてふたつ名で呼ばれ始めた。それなのに、くそう。この名で勲章がもらえるのをきっと親父なら喜んでくれる。
レイナは厳かに立ち、焦らずアナの前へ向かった。いつも民衆の前では、アナは顔を隠しているのに今回は素顔のままだった。歳を重ねているがどちらかといえば童顔といえるかわいらしい顔をしている。
「レイナさんは、まるで昔のロゼのようですわね、フフフ」
しかしロゼはあからさまに咳払いで応えた。
「じゃ、ロゼ隊長もあたしみたいに……あ、いけね喋っちゃ」
レイナは思わず手で口をふさいだがアナは柔らかなままだった。
「いいんですよ。構いません。ロゼも、今だけは固くならなくてもよいではありませんか」
「陛下、非公式とは言え式典の最中ですから」
ロゼはあくまで職業軍人の姿勢のままだった。
「はぁ、みなさんとは肩肘張らず語り合える日が来るといいですわね。ともかく、レイナさんの勇姿は、まるでそう、『守護騎士』のようですわ」
ロゼの方を盗み見たが、耳の先まで真っ赤になっていた。
アナの細く冷たい指が服に触れ、そこに重い金のメダルが付いていた。
「ありがとうございます、陛下」
「ふふ、全部あなたの努力の結果なのですよ」
努力、か。努力なんて徒労に終わるだけ。ずっとそうだった。努力をしたところであたしより賢いやつ上手いやつ強いやつがゴロゴロいやがる。そんなあたしにとっては一攫千金の僅かなチャンスに賭けるしかなかった。今の今まで生か死の賭けだった。偶然と運と、そしてニシのおかげで「生」の賭けに勝った。
でも、そう、あたしなりに努力はしたんだ。ちびってしまうような恐怖にも勝った、巨大な敵にも逃げずに勝った。だから今のあたしがあるんだ。
レイナが列に戻ると、次の名前が呼ばれた。
「──ニシ」
トーキョー式の発音しづらい名前の後、ニシはすっと立ち上がってアナの前へ出た。しかしアナからのお言葉は聞こえてこなかった。レイナがちらりとアナとニシを盗み見たが、唇を噛んで泣きそうなアナと鉄仮面のまま表情を変えないニシが立っていた。
アナは静かに勲章を制服に付け、ニシは列に戻った。
「皆さんにお話したいことがあります。どうか顔を上げて、立ってください」
ん、こんなの予定にあったか? ロゼも刺さりそうな視線をアナに向けている。
アナも椅子から立ち上がった。薄い青色のドレスが床まで垂れている。そしてくるりと背を向けた。背中側は大胆にも大きく開いている。
アナは壁のビロードのカーテンを掴んだ。壁と装飾のカーテンではなくその向こうには大きな窓があるようだった。アナはそのままカーテンを引くと思ったが、すぐに手をほどいた。半身で振り返ってニシを見ていた。
「お話しなければならないことがあります。いいですわね、ロゼ」
「御意に」
飾りっ気のない返事に、アナも口をとがらせる。
アナはカーテンから手を放すと、4人の前に立った。背はあまり高くなかった。歩くのに不向きなヒールを履いていてもアーヤより低く、レイナとは同じ視線で立っている。
「単刀直入に、お願いがあります。これは皇アナ=キルケゴールの勅命ではありません、わたくし個人の願いです。どうか、連邦を、人類を虚無の災害から救ってください」
あっ、久しぶりに聞いた。財団の連中がボソボソと言っていたやつだ。意味深だったが曖昧な名前だしニムシペの一件のせいですっかり忘れていた。
アナはうなじに手を回して紐を解いた。首元まで覆っていたドレスの生地が開け、その胸元があらわになった。
「赤い、宝石?」
一瞬だけ、それは巨大な宝石で、金持ちの好む首飾りに見えたが、宝石は鎖や革紐でつながるわけではなく、直接 皮膚の下から生えていた。
「これは赤月の印。数百万年の人類の歴史を収めた、量子記憶装置です。皇とは古典的封建制度のひとつですが、私の役割は、人類の過去の記憶にアクセスできる生体機関なのです。しかしまずは、人類の罪と災禍から話さなくてはなりませんが、ニシさん、足りない部分があれば補ってくださいまし」
「ああ」
話は長くなるということで、ロゼが4人に椅子を持ってきてくれた。
「まず、ヒトとは、宇宙から飛来しこの惑星に入植した旧人類の末裔で、ブレーメンとはこの惑星の先住民です。それが約2000年前の話──」
「あれ、そういや、ニシが地下で言っていたような……全部 最初から知ってたなお前」
しかしニシは返事をせずアナの言葉を待った。
「──それ以来、この大陸では戦火が絶えませんでした。獣人を造り、ブレーメンを排除する争いが1500年前から始まりました。ちょうどネネの生まれる前ぐらいですわね。炯素製人造兵士も交え、大陸全土が炎に包まれました。今では第1次テウヘル戦役と呼ばれる戦いです。約1000年前 それが終結しました後、今度はヒトは2つの陣営に別れ国家と呼ばれる藍い肌の新人類との戦争が始まりました。それが終結したのは500年前の第4次テウヘル戦役です」
ざっと連邦の歴史の話を聞き、少なくともアーヤは眉をひそめながら理解しているようだった。
「そこで用いられたのが、侵食弾頭と呼ばれる新兵器です。いえ、旧人類の叡智を引き継いで作られたので旧兵器、ともいえるかもしれません。普通の爆弾じゃありません。宇宙のエントロピーの制約を受けない、無から有を、無限のエネルギーを生み出すその技術が使われています。レイナさんやシスさんの体を変えたテウヘルの心臓、翠緑種と同様の応用生命学の産物です。
しかし過去2度にわたる侵食弾頭の使用で、この惑星の寿命は尽きかけています。いわば、膨大なエネルギーを使ったゆりもどしです。侵食弾頭は宇宙の外から莫大なエネルギーを引き出す、無から有を生む技術ですが、大陸各地に出没する腐獣や黒い砂漠といった壊滅的な現象を起こしています」
「それが、虚無の災害? 財団の科学者たちが言ってた」
「ええ、そうです。財団はこの虚無の災害をヒトの発展と進化によって乗り切ろうと考えています。連邦も、わたくしの母や宰相は街に高い壁を築きテウヘルの襲来に備えています。しかしわたくしはそれではだめだと思い、その……人類を救済する手段に打って出ようと思っています。そしてあなたたちに仕事を依頼したいのです──」
妙だな。直感でわかる。なぜこの期に及んでアナは嘘をつくのだろう。
「──ウェルダンへ。大陸北東部の孤都ウェルダンへ向かい、旧人類の叡智を収めたデータ・キューブを回収してほしいのです」
ウェルダン──聞いたことはある。アーヤに目配せすると頷いていた。
「しかし我が君」アーヤは慣れない敬語で「ウェルダンはいわば『孤立主義の街』です。街の周囲は腐獣の巣があり容易に近づけません。ごく限られた者だけが入城を許されるという」
「ええ、困難な仕事です。ですからあなたたちに任務を遂行してほしいのです」
くそ、面倒なことになってきた。私的なお願いというから耳を傾けていたが、とうとうアナは命令と言い始めた。
「わざわざ俺達に依頼するのに納得のいく理由を聞かせてもらえると助かる。連邦、企業連合そして財団 いずれの勢力にも属していない街なら、連邦の軍や役人が公式に出向いたほうが良いはずだ。俺達は荒事が専門だから交渉事には不向きだ」
ニシの補足にアナが応えて、
「それが、旧人類の叡智はあまり多くの者に知られるわけにはいきません。回帰主義の名の下、本来は旧人類の技術はすべて破棄されねばなりませんから」
レイナは理解が及ばずニシの方を見た。アーヤも困惑している。
「つまりだ、ヒトそして旧人類というのは君たちの想像以上に長い歴史があるんだ。とても古い時代、宇宙で最初の知的生命体、惑星連盟が「第1の人類」と呼ぶ文明は、知的生命体の限界まで発展したあと、ゆるやかな衰退と退廃に直面した。それを防ぐためいくつかの方策を試したんだそうだ。そのうちの1つが、違う惑星に移住して文明を回帰し、そして数万年掛けて再び文明を成熟させる。そしてまた他の惑星に移り住む」
「は? 数万年? バカも休み休み言えよ。んな長い時間───」
「そう。だから人類の記憶をアナたち皇が受け継ぐんだ。胸の赤月の印はその記憶を保存している。記録じゃなくてな。どれだけ遺伝子や言葉が変わっても、人類、銀河連邦というアイデンティティを忘れないために」
「じゃ、あたしらは、元々は宇宙人だったっていう?」
「宇宙人というのは、そうだな、見方にもよるが間違いではないな。第1の人類はそうした移住を何度か繰り返している。皇の量子記憶装置で追憶できたのは、少なくとも3回だっけか。第1の人類が銀河に離散してから数十万年が経っていると言われている──」
歴史の長さを“数十万年”と言われてもピンと来ない。
「──まとめると、皇たちオーランド政府はそうした旧人類の技術を排除したい。俺達の邪魔をしていた司書という組織もそうだ。皇を軟禁していたが実際は、司書は旧人類の知識を排除するための組織だ。そして財団は、それに異を唱えた科学者が集まっている。だから皇たちの立場を回帰主義、グフィカやブーンのような科学者を反回帰主義と呼ぶんだ。その点、金次第で秘密も守るし自由に動ける俺達は、都合の良い存在というわけ。少なくとも俺は、唯一大陸に来る前から事情は知っていたしな」
なるほど。だがひとつだけ、気になる。上手く言葉にできないせいで質問できないが、まじでどこから来たんだお前。
「ヒトを道具のように言うのは好きではありません」
アナは一点だけ訂正した/それとは裏腹に瞳には涙を貯めていた。
「準備ができ次第、出発します」
ロゼが久しぶりに口を開いた。
「え、ロゼ隊長も行くんすか」
「ええ。お目付け役じゃありませんわ。あなた達のサポートです。ネネ侍従長も同行しますわ。あら、嫌ですか」
ガン=カタ女とブレーメンのロリ婆の組み合わせは心強いが、ちょっと面倒そうだな。それにウェルダンといばフアラーンを超えてさらに道のない砂漠を東に行った海岸にある──らしい。正確な位置は知らない。そもそもその方面は腐獣の群れと廃都ばかりでヒトの住む場所じゃない。
「ロゼ隊長がフアラーンに来たの、もしかして情報収集のためだったんですか」
アーヤが果敢に質問した。
「ええ、察しが良いですわね。目的のデータ・キューブは廃都アレンブルグより発掘されたものです。オーランドへ運搬中に襲撃に遭い、データ・キューブはウェルダンへ運び込まれました。そこまではわかっているのですが、いささか問題が」
ん? 待てよ。アレンブルグで発掘? 親父が死んだ時の仕事も確かそうだった。アレンブルグで発掘の護衛をしていた。そして帰り道でギャングに襲われた。
4人がじっと聞き耳を立てている。
「1つ目は、ウェルダンへ至る道です。アーヤさんの言う通り、周囲は腐獣の巣で下手に近づけば砂に飲み込まれます。空からももちろんだめです。巡空艦も動員できませんし、民間の航路からも外れています」
「じゃあ、どうやって」
「フフフ、それを解き明かすのがあなた達の仕事ですわ」
一番面倒な──
「一番面倒なのは1つ目じゃありませんわ。肝要なのは2つめ。まあ噂、傭兵の自慢話、武勇伝程度ですが信憑性の高い情報があります。それは巨大な自我を持つテウヘルが街を守っているということです」
まじかよ。
「じゃあまずはええと、装備を揃えてルートを確保して。海沿いのハイウェイを飛ばせば2週間でフアラーンに着くとして……」
アーヤは神経質そうにあれこれ考え始めたが、その肩にロゼが手を乗せた。
「フフフ、そう思い詰めなくてもよろしいですわ。まずは今日の晩餐会から。連邦三軍の重鎮や経済界の大物も来席しますわ。それに、私はかわいい後輩ができて嬉しいですわ」
物語tips:銀河連邦
旧人類──ニシの言葉では「第1の人類」と呼ばれる文明は、銀河の中心領域で誕生した。知的生命体が発展しうる頂点へ達した後、ゆるやかな衰退の時代を迎えた。人類滅亡の危機にひんした当時の人々はいくつかのグループに分かれて人類存続の計画を練った。
そのうちのあるグループは、他の惑星へ移民することを提案した。そして文明を回帰し再び文明を成熟させることで数万年の時間を稼ぐことができる、とした。遺伝子が変わり記録が失われようとも、人類のアイデンティは量子記憶装置──赤月の印とそれを体内に保持し無性生殖で世代をつなぐ生体記憶装置──皇が受け継ぐことになった。
手段はどうであれ、銀河中心部から各方面へ移住した人々は互いに連絡を取り銀河連邦を確立しようとした。しかし実態は、惑星ごとに異なる時間の流れやアイデンティティの断絶、未知の脅威との遭遇などで、瞬く間に立ち消えとなってしまった。
現代ではわずかに連邦という呼び名にその残滓がある。
物語tips:惑星連盟
───詳細不明。ニシの口から出た言葉ゆえ、彼の出身地であるトーキョーに存在するらしい。




