1 惨劇の夜
まだ主人公は出てきません。
固有名詞がいっぱい出てきますが、覚えなくていいです。
こういう世界観なんだなぁと思ってくだされば。
その国の王都から徒歩で五十日、最も近い街からでも十日ほどかかる辺鄙な場所にその村はあった。
住人は百人にも満たず、山間にあるため大規模な耕作地は望めない。
しかし、村民の努力で高付加価値な作物の栽培に成功した。
大地母神の加護と天龍皇の威光が強い土地柄なのか、作物は毎年豊かに実り、魔物の被害も数年に一度あるかどうかで、周辺の村落と比べれば裕福な村と言える。
------------------------------------------------------------------------------
今年五歳となるクレアは平和で牧歌的なこの村も、そこに住む人達も大好きだった。
ブランコを作ってくれた大工のアントニオさん。
手袋の編み方を教えてくれるリズおばさん。
美味しいお肉を分けてくる猟師のトムスさん。
いつも遊んでくれるティア姉さんとボブおじさん。
村の誰よりもクレアを可愛がるパパに、時おり厳しいけど基本は甘いママ。
みんな優しくて、いつも笑顔を絶やさない人達だった。
そんな彼らが、今、物言わぬ死体となって積み重なっている。
------------------------------------------------------------------------------
岩竜傭兵団団長にして"恐れ知らず"の異名を持つドノバンがその村を襲うことにしたのに特に理由はない。あえて言うなら憂さ晴らしだろうか。
ドノバンが設立した岩竜傭兵団の戦い方は、二メートルを越す大男のドノバン自らが大楯をもって敵陣に切り込み、戦鎚を縦横無尽に振るい、その猛威に浮足立った敵にドノバンの部下達が襲いかかるというものだった。
岩竜傭兵団の戦術はシンプルだが、そのシンプルさ故に使い勝手がよく、今度もある小国との鉱山利権に関する争いに駆り出された。
"恐れ知らず"の異名の通り、どんな戦場も敵もドノバンを恐怖させることはなかった。
だからというわけではないだろうが、ドノバンは人が怯える姿が大好きだった。
自分が彼らのの恐怖の対象であれば、なおよい。
今度の戦争も、敵を十全に恐れ慄かせるつもりであったのだが、二、三度の小競り合いだけで戦争は終わってしまった。
上級騎士を捕らえ、その身代金で大きく黒字となったが、戦鎚を振るう機会のなかったドノバンは拠点としている街への帰路、終始不機嫌だった。
"近くにそこそこ豊かな村がある。"
そう進言したのは、ドノバンの勘気が自らに及ぶことを恐れた部下の一人だった。
「前にたまたま立ち寄ったんですがなね、碌な守りもなく、平和ボケした奴ばかりでしたよ」
消化不良の思いを抱えるドノバンの決断は速かった。
「いいだろう。だか、領主にバレると面倒だ。捕虜も奴隷もいらん。皆殺しにしろ」
「団長、金目のものは?」
傭兵の一人が恐る恐る尋ねる。
今回の戦で団として黒字になっても、傭兵達に支払われる給与は一定だった。
街や村での略奪は一種のボーナスなのだ。
だが、それもドノバンが略奪物の個人占有を認めた場合だけだ。
「好きにしろ」
ドノバンの言葉に歓声が上がる。
今のドノバンは金銭欲よりも加虐心が勝る。
そうして、人の姿をした魔獣達が村を蹂躙した。
住民を皆殺しにするのに半日も必要としなかった。
------------------------------------------------------------------------------
村人の遺体が幾重にも積み重ねられ、その横で醜悪なオブジェを作り出した本人たちが酒盛りに興じていた。
襲撃当初、傭兵団がつけて回った炎はいまだ燃え続け、村の周囲の闇を一層深くしていた。
いつからだろうか、黒い靄のような闇が一点に収束し、なお深い闇を作り出していた。
その闇はゆっくりと傭兵団の野営地に近づいていく。
光さえ吸い込むかのような黒い闇は積み重ねられた村人達の遺体の上に漂う。
やがて、事切れたクレアの真上に来ると、致命傷となった背中の刺し傷からクレアの体内に侵入していく。
闇がクレアの体内に侵入してから半刻ほど経った頃だろうか、ビクリとクレアの体が震え、やがてゆっくりと起き上がった。
「ヒック……、ん~?」
異変に気づいた傭兵の一人が少女を見つける。
「なんだ~? ゾンビ化しやがった!」
その声は驚いているようだが危機感は薄いものだった。
魔物化した死体-ゾンビは強い魔物ではない。
動きは鈍重で、生前と同じかそれ以下の力しか持たない上に、生前にスキルを持っていたとしてもそのスキルは使用できない。
新兵でも一度に二、三匹は相手ができるほどだ。
ましてや熟練の戦士が揃っている岩竜傭兵団の前では少女のゾンビなど宴の余興でしかない。
「珍しいな。こんな短時間でゾンビになるのは」
「男を知る前に死んじまったから化けて出やがったんだよ」
「違いねぇ。おい誰かこの嬢ちゃん抱いてやれよ」
「デル。お前のサイズなら、ちょうどいいんじゃないか」
「いってろ! 俺のなら嬢ちゃんを下から真っ二つに引き裂いちまう」
下卑た笑いがあちこちからあがる。
「見栄を張るなよ!」
「見栄かどうか試してやるよ!」
憤慨したデルが少女に歩みよる。
マジかよ! 変態だな。ギャハハ!
口々にデルを揶揄するが、止めようとする者はいない。
デルが少女に手をかけようとしたその時、
パキャ!
居妙な音が響き、それと同時にデルが崩れ落ちた。
「デル?」
傭兵の一人が近づくと、突然、腰の剣を抜いた。
デルの顔が陥没し少女の手は血にまみれていた。
「このガキ! デルを殺りやがった!」
「バカが! おい! 近づくな!」
髭面の傭兵が手斧を少女に投げつける。
必殺の勢いを持って放たれた手斧を、少女は片手で掴み取ると、飛んできた時の数倍の速さでもって投げ返した。
「ぎゃあ!」
「こ、このガキ! ……ど、どこへいった?」
「お、お前の後ろだ!」
少女の手刀が傭兵の首を瞬時に刈り取る。
「な、なんだ、こいつ? 本当にゾンビか?」
「弓、槍持ってこい! 囲め!」
いくつもの剣、槍、矢が少女を止めようと殺到するが、一つとして当たることはない。
速い動きで傭兵たちを翻弄し、腕が振るわれるたびに傭兵の首が刈り取られていく。
「どけ! 邪魔だ!」
「だ、団長!」
騒ぎを聞きつけたドノバンが盾と戦鎚を持って現れた。
「ほう」
ドノバンは眼の前の光景を見て感嘆の声を上げる。
既に少女は傭兵、十数人を血祭りに上げていた。
「リビング・デッドにしては、なかなかやるじゃねーか」
少女はドノバンが強敵と見てとったか、ドノバンの間合いの外から様子を伺っていた。
その表情には何の感情も浮かんでいなかった。
まるで粛々と退屈な仕事を片付ける農奴のようだとドノバンは思った。
「ふん。ぶっ潰しても大して面白くなさそうだが、これ以上、殺されても困るんでな」
ドノバンはその巨体に似合わぬスピードでもって、少女に肉薄し戦鎚を振るう。
それに対し少女はわずかに体をそらして戦鎚をかわした。
まるで歴戦の戦士のような体捌きに目を見張ったが、何人もの強敵を屠ってきたドノバンに動揺はなく、冷静に少女への脅威度を一段階あげた。
「うぉおおおおお!」
雄叫びをあげ、戦鎚を振り回す。
だが、昼間、何人もの村人の血を吸った戦鎚が、一度として当たることがない。
「ちっ! 魔法が使えるやつ! あいつの足を止めろ!」
「は、はい!」
周囲で戦いを見守っていた傭兵達から、少女に向かって魔法が飛ぶ。
足元を凍らせるアイス・ロック。
蔦で絡め取るプラント・バインド。
更にはスリープ・ミストやパラライズ・クラウド、ライトニング・ネットといった範囲型魔法まで。
まるで魔法の発動箇所が見えているかのように、少女は回避していく。
だが、度重なる魔法攻撃に五歳の少女の肉体は限界を迎える。
アース・ロックの魔法が少女の足首を地面に埋め、少女の動きを止める。
「でかした! 潰れろ! 『剛力粉砕』!」
ドノバンは再度、少女に肉薄すると、スキルを使って戦鎚を奮った。
『剛力粉砕』は文字通りどんな硬い物体も砕く必殺のスキルだ。
重騎士を蹴散らし、岩竜の頭蓋骨さえ砕いた一撃が――
ドッォォオオオン!
少女の頭に炸裂した。
「な、に?」
戦鎚は確かに少女に直撃した。
であるのに、破壊されたのは少女の頭ではなく戦鎚のほうだった。
少女にはかすり傷一つない。
「な、なんだ、おまえ?」
団長の心に久しく忘れていた感情が沸き起こる。
恐怖だ。
「……カ、ジ、ロ、ォ」
少女が掠れる声で音を発した。
少女からドノバンに殺意の波が押し寄せる。
「ヒッ!」
ドノバンは無我夢中で盾をかざした。
だが、鋼鉄の盾は少女の指によって、まるでバターのように切り裂かれ、そのままドノバンの腕を破壊する。
「ぎゃああああ!」
"恐れ知らず"のドノバンが悲鳴を上げた。
それに傭兵たちは少なからず動揺する。
「こ、殺せ! こいつを殺せ!!」
破壊された腕を抱え、ドノバンは叫んだ。
すると少女は、まるで準備運動が済んだと言わんばかりに、本格的に殺戮を開始した。
傭兵達の前に瞬時に移動すると腕の一振りで五人の首を刈った。
「ひゃぁあああ!」
それを目の当たりにした傭兵たちはドノバンの命令も聞かず、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
傭兵達は悟ったのだ。
眼の前の存在が、人の身で勝てる存在ではないと。
「……カジロォ」
少女は背中を向けた傭兵達に襲いかかり次々と殺していく。
一つの村が一夜で滅びるのは珍しいことではない。
だが、村を滅ぼした傭兵団が、村を滅ぼした同じ日に壊滅することは珍しい。
この夜、村から生きて出られた者は一人もいなかった。