1 惨劇の夜
その国の王都から徒歩で五十日、最も近い街からでも十日はかかる辺鄙な土地に、その村はあった。
住人は百人にも満たない。山間ゆえ大きな耕作地は望めなかったが、村人たちは実りの良い作物を育てることに心血を注いできた。大地母神の加護と天龍皇の威光が強い土地柄なのか、作物は毎年豊かに実り、魔物の被害も数年に一度あるかどうか。周辺の村と比べれば、ささやかに豊かな村だった。
* * *
今年で五歳になるクレアは、平和で牧歌的なこの村も、そこに住む人たちも大好きだった。
ブランコを作ってくれた大工のアントニオさん。
手袋の編み方を教えてくれるリズおばさん。
美味しいお肉を分けてくれる猟師のトムスさん。
いつも遊んでくれるティア姉さんとボブおじさん。
村の誰よりもクレアを可愛がるパパに、時おり厳しいけれど根は甘いママ。
みんな優しくて、いつも笑顔を絶やさない人たちだった。
そんな彼らが、今、物言わぬ死体となって積み重なっている。
* * *
岩竜傭兵団団長にして"恐れ知らず"の異名を持つドノバンが、この村を襲うと決めたことに、特別な理由はなかった。あえて言うなら、憂さ晴らしだ。
ドノバンが率いる岩竜傭兵団の戦い方は単純だった。二メートルを超す大男のドノバン自らが大楯を構えて敵陣へ切り込み、戦鎚を縦横無尽に振るう。その猛威に浮足立った敵へ、部下たちが一斉に襲いかかる。シンプルな戦術だが、それゆえに使い勝手がよく、此度もある小国との鉱山利権を巡る戦に駆り出されていた。
"恐れ知らず"の異名どおり、どんな戦場も、どんな敵も、ドノバンを恐怖させることはなかった。だからというわけでもないのだろうが、彼は人が怯える姿を何より好んだ。その恐怖の対象が自分であれば、なおよい。
此度の戦も敵を存分に恐れ慄かせるつもりでいたが、二度三度の小競り合いだけで、あっけなく終わってしまった。上級騎士を捕らえ、その身代金で大きく黒字とはなったものの、戦鎚を振るう機会のなかったドノバンは、拠点とする街への帰路、終始不機嫌だった。
「近くに、そこそこ豊かな村がありますぜ」
そう進言したのは、団長の不機嫌が自分に向くことを恐れた部下の一人だった。
「前にたまたま立ち寄ったんですがね、碌な守りもなく、平和ボケした連中ばかりでしたよ」
消化不良を抱えたドノバンの決断は速かった。
「いいだろう。だが、領主にバレると面倒だ。捕虜も奴隷もいらん。皆殺しにしろ」
「団長、金目のものは?」
傭兵の一人が恐る恐る尋ねる。今回の戦で団が黒字になろうと、傭兵たちに支払われる給金は変わらない。街や村での略奪は、彼らにとって一種のボーナスだった。だが、それもドノバンが私的な占有を認めたときだけの話だ。
「好きにしろ」
その一言に、歓声が上がった。
今のドノバンは、金銭欲よりも加虐心が勝っていた。
そうして、人の姿をした魔獣どもが村を蹂躙した。住民を皆殺しにするのに、半日も要らなかった。
* * *
村人の遺体が幾重にも積み上げられ、その傍らで、醜悪なオブジェを築いた当人たちが酒盛りに興じていた。襲撃の折に放った炎はいまだ燃え続け、村の周囲の闇を一層深くしている。
いつからだろうか。黒い靄のような闇が一点に収束し、なお深い闇を生み出していた。
その闇は、ゆっくりと傭兵団の野営地へ近づいていく。光さえ吸い込むかのような漆黒は、積み上げられた遺体の上を漂い――やがて事切れたクレアの真上で止まると、致命傷となった背中の刺し傷から、その身体の内へと侵入していった。
闇が入り込んでから半刻ほど経った頃。ビクリ、とクレアの身体が震え、やがてゆっくりと起き上がった。
「ヒック……、ん~?」
異変に気づいた傭兵の一人が、少女を見つける。
「なんだ~? ゾンビ化しやがった!」
その声に、危機感はまるでなかった。
魔物化した死体――ゾンビは、強い魔物ではない。動きは鈍重で、生前と同じか、それ以下の力しか持たない。生前にスキルを持っていたとしても、それを使うことはできない。新兵でも一度に二、三匹は相手取れるほどだ。ましてや熟練の戦士が揃う岩竜傭兵団にとって、少女のゾンビなど宴の余興でしかなかった。
「珍しいな。こんな短時間でゾンビになるとは」
「どうせ碌に動けやしねえさ。おい、デル。お前が始末してこい」
「なんで俺なんだよ」
「図体ばかりでかいんだ、ガキ一匹くらい踏み潰せるだろうが」
下卑た笑いがあちこちで上がる。デルは舌打ちしながらも、少女のほうへ歩み寄っていく。止めようとする者は、誰もいない。
デルが少女へ手をかけようとした、その時――
パキャッ!
奇妙な音が響き、それと同時に、デルが崩れ落ちた。
「デル?」
傭兵の一人が近づき――突然、腰の剣を抜いた。
デルの顔は陥没し、少女の手は血にまみれていた。
「このガキ! デルを殺りやがった!」
「バカが! おい、近づくな!」
髭面の傭兵が、手斧を少女へ投げつける。必殺の勢いで放たれたそれを、少女は片手で掴み取ると、飛んできた時の数倍の速さで投げ返した。
「ぎゃあ!」
「こ、このガキ! ……ど、どこへいった?」
「お、お前の後ろだ!」
少女の手刀が、傭兵の首を一瞬で刈り取る。
「な、なんだ、こいつ? 本当にゾンビか?」
「弓だ、槍を持ってこい! 囲め!」
いくつもの剣が、槍が、矢が少女を捉えようと殺到する。だが、その一つとして掠りもしない。少女は速い動きで傭兵たちを翻弄し、腕を振るうたびに、首が一つ、また一つと刈り取られていった。
「どけ! 邪魔だ!」
「だ、団長!」
騒ぎを聞きつけたドノバンが、盾と戦鎚を手に現れた。
「ほう」
眼前の光景に、ドノバンは感嘆の声を漏らす。少女はすでに、十数人の傭兵を血祭りに上げていた。
「リビング・デッドにしては、なかなかやるじゃねえか」
少女は、ドノバンを強敵と見てとったのか、その間合いの外から様子を窺っていた。表情には、何の感情も浮かんでいない。まるで、退屈な仕事を粛々と片付ける農奴のようだ――と、ドノバンは思った。
「ふん。潰しても大して面白くなさそうだが、これ以上、殺られても困るんでな」
ドノバンは、その巨体に似合わぬ速さで少女に肉薄し、戦鎚を振るう。少女はわずかに身をそらし、それをかわした。歴戦の戦士のような体捌きに目を見張りつつも、幾人もの強敵を屠ってきたドノバンに動揺はない。冷静に、少女への脅威度を一段引き上げた。
「うぉおおおおお!」
雄叫びとともに、戦鎚を振り回す。だが、昼間あれほど村人の血を吸った戦鎚が、ただの一度も少女を捉えられない。
「ちっ! 魔法の使える奴! あいつの足を止めろ!」
「は、はい!」
戦いを見守っていた傭兵たちから、少女へ向けて魔法が飛ぶ。
足元を凍らせるアイス・ロック。蔦で絡め取るプラント・バインド。さらにはスリープ・ミスト、パラライズ・クラウド、ライトニング・ネットといった範囲魔法まで。
まるで発動箇所が見えているかのように、少女はことごとく回避していく。だが、度重なる攻撃に、五歳の少女の肉体が限界を迎えた。アース・ロックが少女の足首を地面に縫い止め、その動きを封じる。
「でかした! 潰れろ! 【剛力粉砕】!」
ドノバンは再び肉薄すると、スキルを乗せて戦鎚を振るった。【剛力粉砕】は、文字どおりどんな硬い物体も砕く必殺のスキル。重騎士を蹴散らし、岩竜の頭蓋すら砕いた一撃が――
ドッォォオオオン!
少女の頭部に炸裂した。
「な、に?」
戦鎚は、確かに少女を直撃した。であるのに、砕けたのは少女の頭ではなく、戦鎚のほうだった。少女には、かすり傷一つない。
「な、なんだ、おまえ……?」
団長の胸に、久しく忘れていた感情が湧き上がる。
恐怖だ。
「……カ、ジ、ロ、ォ」
少女が、掠れた声で何かを発した。
その瞬間、少女からドノバンへと、殺意の波が押し寄せる。
「ヒッ!」
ドノバンは無我夢中で盾をかざした。だが、鋼鉄の盾は少女の指で、まるでバターのように切り裂かれ――そのまま、ドノバンの腕を破壊した。
「ぎゃああああ!」
"恐れ知らず"のドノバンが、悲鳴を上げる。それに、傭兵たちが少なからず動揺した。
「こ、殺せ! こいつを殺せ!!」
破壊された腕を抱え、ドノバンが叫ぶ。
すると少女は、まるで準備運動を終えたとでも言うように――本格的な殺戮を開始した。
傭兵たちの只中へ瞬時に移動し、腕の一振りで五人の首を刈る。
「ひゃぁあああ!」
それを目の当たりにした傭兵たちは、もはやドノバンの命令も聞かず、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。彼らは悟ったのだ。眼前の存在が、人の身で勝てる相手ではないと。
「……カジロォ」
少女は、背を向けた傭兵たちへ襲いかかり、次々と屠っていく。
ひとつの村が一夜で滅びるのは、珍しいことではない。
だが、村を滅ぼした傭兵団が、村を滅ぼしたその同じ夜に壊滅するのは――珍しい。
この夜、村から生きて出られた者は、一人もいなかった。




