第1話
広大な回廊で、二機の巨体が激突した。
巨大なメカ同士が、互いのすべてを懸けてぶつかり合う戦い。
それはもはや、ただの機械同士の戦闘ではない。
魂と命を注ぎ込んだ、後戻りの許されない一騎打ちだった。
真っ赤な火花が飛び散り、戦場の緊迫感が一段と高まる。
「貴様、本気でこの余に勝てると思っているのか!」
魔王ケルベロが吼えた。
同時に、奴のガーディアンから赤い煙が噴き出す。
血のように赤い煙は霧となり、瞬く間に辺りを覆い尽くした。
周囲を警戒しながら後退した、その瞬間。
機体に異変が走った。
ギギギギッ――!
関節部が異様なほど重い。
一瞬にして機体全体が錆びついたかのように、たった一歩動かすことさえままならなかった。
[機体のおよそ80%に腐食現象が発生!]
[現在の出力を維持した場合、過負荷が発生する可能性があります!]
[警告! エンジン部に過負荷が発生しました!]
[警告! 過負荷により、動力機関へ接続された魔力回路が正常に作動していません!]
[警告! 魔力残量がわずかです……]
視界に浮かび上がるホログラムは、どれも絶望的な内容ばかりだった。
そんな俺の窮状を嘲笑うかのように、ケルベロが自信に満ちた声を張り上げる。
「その程度のガラクタで、我がヘラトリオンに挑もうとはな! その勇気だけは褒めてやろう!」
動揺はしなかった。
すでに何度も経験してきた状況だ。
「終わらせてやる!」
そして、何度も味わってきた敗北でもある。
[スキル『諸刃のエリクサー』が発動します。]
[本スキルの効果により、三分間、戦闘開始から現在までに受けたダメージ総量の300%に相当する分、戦闘力が上昇します。]
「貴様! いったい、どうやって……!」
そして。
「ぐああっ――!! こんな、馬鹿な……!」
一刀両断。
すでにガラクタ同然となったメカが振るった刃が、奴を一撃で真っ二つに切り裂いた。
轟音とともに、ケルベロの機体に亀裂が走り、爆発する。
ついに手にした、最後の勝利。
[……認めよう。貴様は余を――いや、この世界を超えた。]
半壊した機体の隙間から覗くケルベロが、乾いた唇を開いた。
全身を血に染め、荒い息を吐く奴。
その拍子抜けするような遺言を最後に、かつて魔王と呼ばれ、恐れられた男は、静かに目を閉じた。
俺の世界は、こうして幕を閉じた。
[おめでとうございます! 最終ステージ『ケルベロの回廊』をクリアしました。]
正確には、一万時間に及ぶ廃人プレイの末、ゲームをクリアしただけなのだが。
* * *
「これで、本当に終わりなんだな」
俺は大きく息を吐き出した。
目の前のモニターには、『CLEAR』の文字がでかでかと表示されていた。
このたった一つの文字を見るために、いったいどれほどの時間を費やしてきたことか。
『ロナテイル機甲戦記』
まだ世間知らずだった高校生の頃。
俺の人生を変えることになるそのゲームは、大きな話題を呼びながら発売された。
当時としては驚異的なグラフィックと、緻密に作り込まれたストーリーで注目を集めた『ロナテイル機甲戦記』。
ゲームには、プレイヤーが操縦できるメカ――『ガーディアン』が登場する。
プレイヤー自身でガーディアンを製作し、実際に乗り込んで戦うことまでできるほど、自由度は桁外れに高かった。
かつては同時接続数が十万人を超え、国内オンラインゲームの人気ランキングで一位に輝いたこともある有名タイトルだった。
しかし、時が経つにつれてプレイヤーの数は目に見えて減少していった。
サービス開始から三年が経つ頃には、同時接続数が百人を下回るという惨状に陥った。
『ロナテイル機甲戦記』がクソゲーへと転落した理由は、ただ一つ。
(難しさにも限度があるだろ)
あまりにも狂った難易度のせいだった。
メカ?
もちろん、作ることはできる。
ただし、機体のすべての部品を寸分の狂いもなく製作し、組み立てなければならない。
エンジンから動力部、関節部、内部機構に至るまで。
ガーディアンを構成するすべてを、素材集めから設計、組み立てまで、たった一人でこなす必要があった。
それなら、最初から用意されているガーディアンに乗ればいいのではないか。
そう思う者もいるだろう。
だが、『ロナテイル機甲戦記』最大の問題はそこではない。
ガーディアンの操作が、狂っているほど難しかったのだ。
初心者はもちろん、一年以上プレイしている熟練者ですら、機体を自由自在に操ることは不可能だった。
難易度がここまで異常ともなれば、プレイヤーたちは運営会社にバランス調整を求めて声を上げるようになった。
しかし、運営側は定型文のような返答を繰り返すばかりで、バランス調整を一切行わなかった。
耐えきれずにゲームを辞める者が増えていった。
そうして、十年の月日が流れた。
今では『ロナテイル機甲戦記』を覚えている者など、ほとんどいない。
(ああ、そういえば、そんなクソゲーもあったな)
ごく一部の人間が覚えている『ロナテイル機甲戦記』とは、その程度のゲームだった。
それでも、俺はどうしても諦めることができなかった。
誰もが口を揃えてクソゲーだと言おうとも、俺にとってだけは、人生で最も大切なゲームだったからだ。
だからこそ、ほかのプレイヤーたちが次々と離れていく中でも、俺だけは意地になってしがみついた。
ラスボスであるケルベロに、無惨に叩き潰された回数など、もはや数え切れない。
奴に勝つためにすべてを注ぎ込み、そしてついに攻略に成功した。
散らかり放題のワンルームで成し遂げた、執念の勝利だった。
「もう、終わりにしよう」
十年にわたる努力がもたらしたのは、泡沫の勝利にすぎなかった。
ゲームをすべてクリアしたところで、それを祝ってくれるプレイヤーは、もう一人も残っていない。
分かっていた。
そろそろ手放さなければならない時が来たのだと。
[ケルベロの回廊、クリアしました。]
[本当に長い間、お世話になりました。これを誰かが読んでくれるのかさえ分かりませんが、それでも最後に書き残しておこうと思います。今まで、本当にありがとうございました。]
新しい書き込みが途絶え、すっかり廃墟と化した公式コミュニティに、最後の投稿をアップロードした。
高校生の頃、夜を明かしながらプレイしたゲーム。
イベントに参加するため、大学生の頃には二日酔いで重い体を無理やり起こしてプレイしたゲーム。
就活から逃げるように、気づけばのめり込んでいたゲーム。
うるさい上司と、吐き気がするほどの仕事量から逃れるための避難所だったゲーム。
今ではもう、自分の人生の一部だと言っても過言ではないゲーム。
いざ手放そうとすると、清々しさと寂しさが入り混じった複雑な感情が胸に込み上げてきた。
ピロン♪
通知音が鳴った。
最後の投稿に、誰かがコメントを付けたらしい。
とうの昔に人の出入りが途絶えたはずの場所に、いったい誰がコメントを残したのだろう。
好奇心を抑えきれず、投稿に付いたコメントを確認する。
[GM][本当にありがとうございます。]
[『ロナテイル機甲戦記』を最後までプレイしてくださった唯一のプレイヤーであるあなたへ、長年のご尽力を称え、ささやかな贈り物をご用意いたしました。
いつもガーディアンに真摯に向き合い、ロナテイルの世界を愛してくださった、あなただけのための贈り物です。]
「は……?」
言葉を失った。
十年間、数え切れないほどのプレイヤーたちが声を上げても、何の反応も示さなかったあのGMが、コメントを残したのだ。
思わず、虚しさの滲んだため息が漏れた。
今さら報酬なんて、何の意味がある。
すでに全員が去り、俺もすべてを終わらせたというのに。
もう未練など残っていなかった。
報酬だろうが何だろうが、今の俺には何の意味もない。
そう思い、GMのコメントを無視して画面を閉じようとした、その瞬間。
目も開けていられないほど眩しい光が、視界を覆い尽くした。
* * *
光が収まるにつれて、少しずつ視界が戻ってきた。
「いったい、何なんだ……」
驚きながら目をこすり、顔を上げる。
パソコンが過熱して、爆発でもしたのだろうか。
不安に駆られながら周囲を見回した。
やがて、全身が硬直した。
理由は単純だった。
「ここは……どこだ?」
目の前に広がっていたのは、散らかり放題のワンルームではない。
見覚えのない、板張りの床だった。
『何だ、これ。雑巾か? どうして俺がこんなものを持ってるんだ……』
なぜか手にしていた汚れた布切れを床に放り捨て、俺は立ち上がった。
腰のあたりに鋭い痛みが走った。
ようやく頭がはっきりして、周囲の様子が目に入ってきた。
長く並んだロッカーと、無造作に置かれた衣服。
そして、鼻を刺すような汗の臭い。
ここが共用のロッカールームだということだけは、間違いなさそうだった。
背後から騒がしい声が聞こえ、扉が開いた。
入ってきたのは、成人したばかりに見える若者たちだった。
しばしの沈黙が部屋を包む。
やがて、その集団の中から一人の金髪の少年が近づいてきた。
薄ら笑いを浮かべながら、俺に尋ねる。
「何だよ、アルト。掃除もしないでサボってたのか?」
いったい何を言っているのか、まるで理解できなかった。
目の前のこいつが誰なのかも分からない。
自分がなぜここに立っているのかも分からなかった。
「……人違いですよ」
俺の言葉を聞いた途端、全員が一斉に笑い出した。
「人違いだって? 俺の目には、訓練用ガーディアンにすら乗れない役立たずが、はっきり見えてるけどな」
露骨な嘲りに苛立ちかけたところで、『ガーディアン』という言葉に奇妙な既視感を覚えた。
ガーディアンといえば、『ロナテイル機甲戦記』に登場する、あのガーディアンのことか?
いや、まさか。
そんなはずは……。
「ちょっと待て……ガーディアン? 今、ガーディアンって言ったのか?」
「そうだよ。ようやく自分が落ちこぼれだって思い出したか?」
耳慣れた言葉の数々が、頭の中で次々と結びついていく。
アルトという名前。
ガーディアン。
周囲からのいじめ。
すべての断片が一つにつながった瞬間、一人の人物が脳裏に浮かんだ。
アルト・テラニウス。
知らないはずがない名前だった。
アルト・テラニウスは、『ロナテイル機甲戦記』に登場するキャラクターの一人なのだから。
「鏡! 鏡はどこだ!」
嫌な予感に駆られ、慌てて周囲を見回した。
机の上に置かれていた手鏡を見つけ、すぐさま手に取る。
そして、愕然とした。
到底、信じられなかった。
鏡の中には、あまりにも見覚えのある少年の顔が映っていたからだ。
漆黒の髪と、青い瞳。
小柄で、華奢な体つきの少年。
見間違えるはずのない人物だった。
間違いない。
この少年こそ、先ほど思い浮かべた『ロナテイル機甲戦記』のキャラクター、アルト・テラニウスだ。
公式イラストからそのまま抜け出してきたとしか思えないほど、何もかもがそっくりだった。
別人だと考える余地などない。
ふと、運営が残したコメントが頭をよぎった。
長年の努力を称え、俺だけのために贈り物を用意した。
まさか、それがこういう意味だったとは。
「詰んだ……」
思わず、本音が口から漏れた。
アルト・テラニウス。
ゲームに登場する、史上最悪の落ちこぼれ。
ストーリー序盤で起きる数々の危険な事件は、どれもこいつが引き起こしたものだ。
その理由は、あまりにも馬鹿げていた。
皮肉なことに、この少年こそが悪役だからだ。
表では使い物にならない気弱な落ちこぼれを演じて周囲を欺き、裏では魔族と通じて、数々の悪事に手を染める。
未来の人材を育成するアカデミーを内部から崩壊させること。
それこそが、こいつの最終目的だったはずだ。
『それだけなら、まだマシだった』
最大の問題は、こいつが正体を見破られることだった。
そこで都合よく主人公が現れ、アルトを徹底的に叩きのめす。
それがゲームのストーリーだ。
序盤であっさり死ぬ、使い捨ての悪役。
それが、アルト・テラニウスだった。
だからこそ、余計に腹が立った。
あれだけ大勢のキャラクターがいる中で、どうしてよりにもよって、こんな最低な奴でなければならないのか。
ほかのプレイヤーが全員辞めても離れず、十年間もプレイし続けた最後の一人に対する礼が、たったこれだけなのか。
「このクソ運営が……」
どうやら俺は、ゲームのキャラクターに憑依してしまったらしい。
それも、序盤で死ぬ使い捨ての悪役に。
よろしくお願いします!




