第2章 「満月の夜の祝福」③
満月の夜。
グランヴェル国の放送が始まる――。
第八の月。今夜は満月。
夏の暑さをもたらす太陽は姿を隠し、代わりに白銀の煌めきが地上を満たしはじめた頃、リルファーナは屋敷の地下室にいた。
無論、リルファーナだけではない。ランティスとテンマを含めた放送部の三人は地下室の円卓に集っていた。
円卓の上にはランティスが開発したという放送を聴くための、一見、箱に見える装置が置かれている。
――満月の夜はグランヴェル国の放送がある。
音声担当はグランヴェル国の第一王子――エルドル・フロースト・ラディ・グランヴェル。
「エルドルは国外でも人気があるから放送を聴く者も多いだろうな。放送部を始めたばかりのオレ達にとっては良い手本になるはずだ」
リステリア国放送部の監督兼魔力供給担当のランティスが言った。
出自はさておき、同じ王族の者として、ランティスはエルドル王子と以前から交流があった。
「エルドル様は、どうして人気があるの?」
王族のことにも政治のことにも疎いリルファーナは、素朴な疑問を投げかける。
そんな彼女の生い立ちをすべて掌握しているランティスは、無知を責めることはしない。むしろ一般的な目線と、自分の考えをまじえと丁寧に説明をしてくれる。
「エルドルが何故人気か……ひとつめはその容姿だ。女性の理想を体現したような男だ……」
ランティスがそう断言すると、ともに円卓に集っていたテンマも力強く頷いた。
「エルドル王子は背も高くて、瞳もキレイで優しくて……モテるのに全然威張ってなくてカッコいいデスよ!」
「テンマは会ったことがあるのね……?」
「僕はランティスの護衛としてピッタリくっついていたから、会ったことがあるんデス!」
なるほど。テンマをも魅了してしまう王子様……。
リルファーナは想像してみる。
自分より年下だが間違いなく美少年のテンマと、見た目が麗しく、いつまで眺めていたいほど美しい瞳を持つランティス。その二人が褒めちぎるエルドル王子……。
(そんな素敵な方なら、わたしも一度くらい遠目から見てみたいかも……)
「次にエルドル王子が人気を誇る理由は、次期国王候補で、あらゆる方面に顔がきく実業家という一面がある。それに魔術師としても強い。故に……非の打ち所がないんだ」
ランティスの口調には少しだけ羨望の色が混じっている気がして、意外に思ってしまう。
「あっ……そろそろ、始まるみたいデスよ!」
うっすらと輝きを帯び始めた箱の蓋を、テンマがそっと開ける。
(なんか……緊張してきたかも……)
リルファーナは新月の夜……初めて放送をした時のことを思い出してしまう。
あの時はすごく緊張していて、放送が始まるなり早口になり呼吸も乱れてしまった。
心臓もずっとドキドキしていたし、手の震えだってなかなか治らなかった。
今思い返すと、よく最後まで乗り切れたと感慨深くなる。
箱から聞こえてきたのは、エルドル王子の声ではなく、穏やかな旋律の音色。
「……これは?」
「この音楽が終わると、エルドルが登場する段取りになっている」
「そうなんだ。すごい演出ね……」
確かに急に声が聴こえるよりは、聴く側も心構えができるかもしれない。
旋律はやがて余韻を残しながら消えていく。
『今宵は満月……。愛しい貴方にずっと会いたかった……』
「げほっ、っ……!?」
「大丈夫ですかっ。リルファちゃんっ!」
「う、うん。びっくりしただけ」
――なんて浮世離れした台詞!
リルファーナは驚いて息を吸ったら同時に咽せてしまった。
『グランヴェル国放送部。お届けするのは――エルドル・フロースト・ ラディ・グランヴェル。今宵もどうか私にお付き合いください……』
甘くて優しい声音。
ゆったりとした口調はどこか控えめで、なんだか胸のうちを柔らかく擽ってくる。
「エルドル王子、かっこいいデス……」
うっとりと呟くテンマ。
その横でランティスまでもが頷いている。
(確かに素敵な声……。高くもなく低くもない、ずっと聴いていたくなる声……)
エルドル王子はやはり話すことに慣れている。台詞はいちいち甘いが、取り繕った感じはしなかった。
それからエルドル王子が話し始めたのは、公務で訪れた土地の美味しい食べ物や、景観の美しい場所など、さりげなく自国の宣伝を織り交ぜた近況報告だった。
情緒豊かに語るから、その土地に実際に足を運んでみたいと思ってしまう。
しかも今回の放送はそれだけではないらしい……。
『今宵は趣向を変えて、この放送部にお客様をお呼びしました……。私の友人で、ジューダ・エルライト・プリエ・ノルカディア。彼はノルカディア王国の第三王子です……!』
『……どうも、』
エルドル王子とは真逆に、ぶっきらぼうな声が響いた。
「ノルカディアのひきこもり王子じゃないか……」
ランティスが驚いている。やはり王族には詳しいようだ。
それにしても、ひきこもりとは……どういう意味だろう。
『ジューダ、実際にグランヴェル国に来てみて、どう……?』
『ああ……エルドルに連れられて色んな場所に行ったが、それぞれ見所があって面白かった。ただ……』
『ただ?』
『ただ。常にエルドルの後ろにはご婦人方がくっついていて、少々落ち着かなかった……』
『フフ……でも、最後のほうは私ではなく、ジューダの後ろに付いていた気がしたけど?
皆、ジューダの魅力に気付いたんだね。なんだか妬けちゃうな。私だけの友人だったのに……』
『はあ? なに言ってるんだオマエ。俺は誰のものでもないぞ』
『フフ……。そうだね、ジューダ』
まったく正反対な印象の二人の会話は、何かがズレている気がする。
しかしエルドルは終始嬉しそうに笑っていて、それに対してジューダも呆れながらも応えているから面白い。
「二人で会話しながら放送するのも楽しそうだね……?」
「そうデスね! 僕たちの放送部でもやってみたいデスね!」
まだまだ駆け出しでこれからだけど、せっかくなら聴いている人達が面白いと感じてくれる放送にしたい。
そうすればきっと、リステリアにも興味を持つ人が増える気がする。
(客観的に聴くと、色々なことが見えてくるものね……)
エルドル王子は自分の人気を余すことなく利用しているように思えた。それなのに、あざとさは微塵も感じられない。
(純粋で、優しそうで、女性にも人気がある王子様か……。ジューダ王子は口は悪いけど、すごく真面目そうだし……)
どちらも個性的で魅力を感じられる人たちだから、きっとこの放送を聞いた人達は楽しい時間を過ごしているだろう。
(わたしは……どう、受け止められたんだろう……)
リルファーナの中に不安が生まれる。
初回の放送は自分なりに精一杯を尽くした。けれどずっとこのままでは良いわけがない。
――もっと、緻密に考えた放送をしなければ……。
ここでエルドル王子が思わぬ方向へ話題を変えた。
『そうだ……。新月の夜のリステリア国の放送は皆、聴いたかな?』
『俺は聴いた――』
『うん。もちろん、私も聴いたよ……』
リルファーナを始め、ランティス、テンマは揃って息をのむ。
『音声担当のリルファーナ嬢の一生懸命さが、とても愛らしく感じられたよね?』
『そんなことを言ったら、オマエを好きな大陸中のご婦人方が泣くぞ……?』
『ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。とても好感度の高い放送だったから、つい……。
ご婦人方を泣かせるつもりなんてないよ。私の存在は皆のためにあるし、私の幸せは、大陸中の皆が幸せに暮らすことだけだから……』
エルドル王子の甘い台詞を聞きながら、リルファーナは手に汗を握る。
(やっぱり……聴いてたんだ……)
ランティスもテンマも同じことを思ったのか、お互いに顔を見合わせている。
『グランヴェルは満月の夜で、リステリアの放送は新月の夜か。もしノルカディアが放送するとしたら、その間にするかな……』
『ジューダなら、魔術じゃないやり方で放送を実現してしまいそうだね……。
皆、知っての通り、ノルカディア国はゴシュナウト大陸と繋がりがあって、ジューダは科学にとても精通している……』
エルドル王子がさらに説明を加えていく。
カナディス大陸とゴシュナウト大陸。この二つの大陸はもともと一つだったと言われている。
そして現在、カナディス大陸は精霊信仰が強く魔術師が存在する大陸。一方、ゴシュナウト大陸は、自然からの恩恵を活かした研究が進み、科学という名の発明品が暮らしを豊かにしている。
魔術じゃない方法で音声放送をすることを考えるとは――
(ジューダ王子はすごい人なのね……)
『そうだな。仕組みはだいたい研究済みだ。ノルカディアで音声放送ができるようになったら、引きこもっていても様々な情報が届くだろうから面白そうだな……』
『フフ……。ジューダらしい発言だね。でも……会えなくなるのは淋しいな……』
『いつでも声は聞けるだろ?』
『…………』
『……そんな震えた子犬みたいな瞳で俺を見るな。ちゃんと会いに行くし、オマエも会いに来ればいいだろ?』
『本当? 約束だよ――?』
リルファーナは苦笑いする。
なんだかエルドル王子と、ジューダ王子の仲の良さ見せつけられているような放送だ。
『ジューダは次の満月……【花祭り】までグランヴェルにいる予定なんだ。次の放送にも出る予定だから楽しみにしていて欲しいな……。それに私は、リステリアの放送部の皆にも会ってみたい……』
――リステリア放送部の皆……。
確かにエルドル王子はそう言った。
円卓を挟んで、そのリステリア放送部の三人は顔を見合わせる。
テンマは目を輝かせ、ランティスは厄介なことになったと言わんばかりに頭を抱え、リルファーナは固まった。
『名残惜しいけど、そろそろ時間きたみたいだね。
カナディス大陸の皆が、今宵、幸せな夢をみれるように祈っているよ。
……ジューダも何か、一言くれないかな?』
『エルドルの一人語りが好きな者には申し訳無かった……。
個人的にグランヴェル国の【花祭り】は精歌隊もくるらしいから楽しませてもらおうと思っている。ノルカディアにも良いところは沢山あるから、機会があれば訪れて欲しい――』
『ジューダ、今宵はお付き合い有難う。それに聴いてくれた皆も有難う……。カナディス大陸のすべてを愛しています。また、次の満月の宵に会いにくるね――』
エルドル王子が語り終わると、また穏やかな旋律が流れ、そして放送は終わった。
テンマが箱の蓋をそっと閉じる。
そして息をつくリルファーナ。
「エルドル王子も、ジューダ王子も、なんていうか個性的な人達だね。わたし達に会いたいって言ってたけど……?」
「いづれはそう来るだろうと予想はしていたが、早すぎるな。オレのせいでもあるんだが――」
「どういうことデス?」
「いや……個人的なことだから気にするな。
エルドル王子の申し出については少し検討してみる。とにかく、今日はここまでだ……!」
ランティスとテンマがさっと立ち上がる。
さらに地下室の扉が開き、コレットがやってきて主人に対して恭しく頭を下げる。
「ランティス様、お庭の準備は整っております。
あとはリルファーナ様のお支度だけでございます――」
コレットの言葉に、ランティスが満足そうに頷いている。
「え、と? わたしの支度?」
なんのことか、さっぱり分からない。
首を傾げていると、テンマがリルファーナに手を差し出して言った。
「今日は、リルファちゃんの誕生日デス!」
「……あっ!」
「忘れていたのか……? オレ達は先に庭で待っているから、支度ができたら来るといい」
(そっか、わたし今日で十七だ……)
誕生日なんてすっかり忘れていた。
この所、色々なことがあり過ぎて思い出す余裕すら無かった。
「さあ、こちらです。リルファーナ様……」
コレットに促され、リルファーナは立ち上がった。
次回。
第2章ラストになります。
満月の光の下、
リルファーナの誕生日を祝う、ランティスとテンマ。
「もしかして、これは……」
「はい。ランティス様からの贈り物です」
読んで頂き有難うございます!