第2章 「満月の夜の祝福」④
満月の夜。
今日は、リルファーナ十七歳の誕生日だった。
いつもと違う部屋に連れてこられたリルファーナは、扉を開けた瞬間、視界に飛び込んできた「モノ」に目を瞠る。「モノ」……それは、とても美しいドレスだった。
「このドレスは、ランティス様からの贈り物ですよ」
コレットが微笑みながら言ったら。
「ランティス、から……?」
「マイラ様に依頼して、リルファーナ様のために特別に仕立てて頂いたのですよ」
そういえば……。
マイラ夫人の所へ行った時、コレットが「贈り物」の話しをしていたが。
「もしかして、取材で行った時に?」
「はい。でも、取材用に仕立てているドレスはまだ出来あがっておりません。どうしても時間がかかってしまうので……」
では、リルファーナ誕生日に合わせて先に仕立てたということだろうか。
(わたしの為に……こんなに素敵なドレス……)
嬉しくてなんだか胸の奥がぎゅっとする。
リルファーナは近づいて、そっとドレスに触れてみた。
鮮紅色のドレスは、夜露に濡れた薔薇のようにしっとりとした光沢を放ち、いくつもの大粒の真珠が惜しげもなく縫い付けられている。純白の緻密な模様のレースは胸元のあたりで幾重にも重なり、大輪の花のようにドレスを彩っていた。
(疎いわたしにだって、分かる。かなり高級な素材でつくられているって……)
「マイラ様からも贈り物があるんですよ」
「え、夫人からも!?」
コレットが花で編まれた可愛らしい籠を、リルファーナに手渡す。
籠のなかには手紙と、小さな小瓶が入っていた。
まず手紙を開いてみる。
『リルファーナ・ルナディア嬢。
お誕生日おめでとう。あなたの髪はなによりも美しい宝石。
だけど、唇を寄せる男は選ばなくてはね――』
(夫人たら……。唇を寄せるだなんて、わたしには刺激が強すぎるわ……)
小瓶の栓を抜くと、甘い蜂蜜の香りが漂う。
「これは髪につける香油ですね。ドレスに合わせてつけて付けてみましょうか」
さっそくコレットが着替えを手伝ってくれる。
リルファーナはドレスの着心地に驚く。もともと身体のあらゆる部位の長さを計っていたから、ぴったりなのは当然だ。だがそれだけじゃなくて、ドレスが身体全体を包みこんで支えてくれるから、予想以上に動きやすい。
背筋も伸びて、気持ちまで凛と整っていくような気がする。
コレットが髪を丁寧に梳いてくれる。ほどよく艶が出た頃合いに、髪の毛の表面に贈り物の香油を数滴垂らして馴染ませていくと、ドレスにも負けないくらいの輝きがうまれる。
(とても良い香りだわ……)
「リルファーナ様、ささやかで恐縮ですが、これは私と夫からの贈り物ですわ……」
コレットが、ドレスと同じ鮮紅色の天鵞絨でできた靴を、リルファーナにはかせてくれた。
これなら軽いし踵も低いから歩きやすい。
それに何より、リルファーナのために配慮して選んでくれたのが分かる贈り物だ。
「ありがとうございます、こんなに素敵な贈り物……。コレットさんは結婚していらっしゃったんですね。全然知らなくて……」
「今まで申し上げる機会が無かったのですが……私の夫は今、ラーニャ村にいるんですよ」
「ラーニャ村に……? まさか……」
確かランティスが、ラーニャ村にあるリルファーナの家の管理を、使用人に任せたと言っていた。その者のために土地を買ったとも……。
「そうです。夫はリルファーナ様のご自宅の管理をしております」
「そうだったんですね。わたし何も知らなくて……迷惑かけてごめんなさい!」
「いえ、とんでもございません! 主人は生き生きと働いているので、むしろ感謝しているくらいですよ。畑仕事が楽しくて仕方ないようです」
コレットがそう言って、可笑しそうに笑う。その表情に嘘は感じられなかった。
「コレットさん……」
有難いと思う……。
リルファーナの隣にはいつもコレットが付き添ってくれていた。リルファーナが困ることのないよう、つぶさに観察し支えてくれている。
もちろんランティスもテンマも、リルファーナのそばに居て、ひとりきりでいる時間は殆どない。
(――みんな優しい。わたしのことを大切にしてくれる人達……)
出会えて良かったと心の底から思う。
屋敷の庭はランタンが幾つも置かれており、小さな灯火と満月の冴えた光が重なって、幻想的な雰囲気が広がっていた。さらにテーブルが置かれ、その上には料理やお菓子が並べられている。すべてリルファーナの誕生日を祝うために用意されたものだ。
「わあ、リルファちゃん……とっても可愛いデス!」
白銀の照明を浴びて現れたリルファーナ。その姿に見惚れたテンマが一番先に声をあげた。
「ありがとうテンマ」
「ドレス……よく似合っている。十七歳おめでとう、リルファーナ……」
「素敵な贈り物をありがとう。ランティス……」
ドレス姿を褒められて、リルファーナは頬を染める。
いつもの自分と違った姿を見られて、本当は恥ずかしくて仕方がない。
けれどリルファーナが生まれてきたことを祝福してくれる皆の気持ちが、とても嬉しかった。
「リルファちゃん、これ、僕からの贈り物デス!」
「テンマまで……ありがとう……!」
手渡されたのは本だった。
開くと、そこには文字と一緒に旋律が記されてある。
「これは……歌の本……!」
「そうデス。とても古い書物でちょっと汚れてるけど……」
「すごい。知らない歌ばかり……」
今まで親しんできた歌のどれにも似てない。
なかには、読めない文字で書かれている歌もある。
(――こんな歌があるなんて……)
きっとどれも素敵な歌に違いない。
古い本だけど、とても丁寧に扱われてきたのが分かるから……。
「ありがとうテンマ。きっと一生懸命探してくれたんだよね? わたし、練習してテンマのために歌うから、その時は聴いてくれる?」
「もちろんデス! リルファちゃんの歌は、精霊に愛された加護の歌……!」
「そんな、大げさだよ……」
話しながらリルファーナは、最近、鼻歌すらも歌っていなかったことを思い出す。
(前は歌うことが日常の一部だったのに)
ハンナがいなくなってから、歌う気力を失っていたのだろう。哀しみと同時に、孤独になってしまったと途方に暮れていた。けれど……今は、こうしてリルファーナを気にしてくれる人がいてくれる。
きっと世の中には何らかの理由で一人きりで過ごしている者だっているはずだ。
それを思えば、自分はとても恵まれていて幸せだ……。
「リルファーナ、これを……」
はた、と漆黒のマントを揺らし、ランティスが手に持っていた花束を差し出した。
新雪のように真っ白で小さな花びらが特徴の愛らしい花、太陽の光をそのまま宿したように明るい橙色の花、他にも淡い水色で縁取られた花……どれもリルファーナの好きな花ばかりだった。
「嬉しい……!」
「それだけか? 何か気づくことはないか……?」
ランティスが柔らかな眼差しで、リルファーナに囁いてくる。
彼の深くて藍色の瞳は、満月に下で見るとより神秘的で、リルファーナの鼓動は早くなった。
(気づくこと……?)
ランティスから花束を受け取ると、ふわりと甘く爽やかな香りが鼻腔に届いた。
リルファーナは安堵感を覚える。
そして同時に、花の香りは、ラーニャ村にある自宅の庭の風景を想起させた。
懐かしいと思うにはまだ早すぎる、あの風景。
そうだ、この花は全部リルファーナとハンナが愛した庭に咲いていた花ばかり……。
「まさか……でも、もしかして……?」
ランティスを見ると彼は微笑んで頷いた。
それはリルファーナの行き着いた答えが合っているということ――
「前に屋敷をあけたことがあっただろう?」
「わたしとテンマが取材に行った時だよね? ……その時にラーニャ村に?」
「ああ」
てっきりランティスは、テンマから聞いた「愛する人」に会いに行ったのだと思っていた。
それがまさか、ラーニャ村に行っていたとは……。
でもなんの為に?
「枯れていた花たちは元気になっていた。幾つかを鉢にいれて持ってきたから、屋敷の庭にも植えてみた。いづれ種が零れて、来年の夏にはもっと増えているだろう。そうすれば……おまえの心も少しは安らぐだろうから……」
「ランティス……」
見上げる先の藍色の瞳が、優しくリルファーナを見つめている。いつもこの瞳をみると不安が和らぐから不思議だ。哀しみも嘆きも、喜びも不安も、すべて包んでくれるこの瞳――
(わたしは、いつから……こんなにランティスに心を許すようになったんだろう)
ハンナを喪ったとき、リルファーナはひとりで強くなろうとしていた。
けれど今はその心の一部を、出会ってまだ間もない男に明け渡している。
さっきまでは、誕生日を祝ってくれていることが嬉しくて、感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。
けれど今は違う――胸のうちが焼けるように熱い。
ランティスの言葉が甘やかな喜びと、胸を締め付けられるような苦しさを一緒に連れてくる。
気を抜いてしまったら涙が出てしまいそうだ。
(来年の夏……。わたしは、まだここにいるのかな……?)
放送部は始まったばかりだ。それに【精霊の愛し子】としての力の制御の仕方もまだ教わっていない。だから、まだ此処にいる理由はある。
(だけど、いつまでも此処に留まるわけにもいかないでしょ? ねえ、ランティス……)
リルファーナは心の中で、ランティスに問う。
未来を見据えたら容易に想像できるのだ。
いつかまた、自分はひとりになると――。
(それに……貴方には、心から愛する人がいるんだもの……)
切なさに近い痛みがリルファーナの内側にはしり、身体が震える。
それは孤独の前兆をさしているようで、リルファーナは微笑みの裏側できつく唇を噛み締めていた。
次回。
第3章がスタートします。
徐々に、あらゆることが見えてきます。
「歌聲がよんだ未来」
宜しくお願い致します!




