終章 「捧げる愛は永遠に」②
『新月の夜、いかがお過ごしでしょうか? こんばんは。カナディス大陸放送部、新月担当のリルファーナ・ルナディアです! じつはわたし達……ただいま大航海中です!』
『海デーーース!』
テンマが両腕を広げ声を上げた。
リルファーナ達は今、船上で放送をしている。
晴夜の穏やかな潮風に吹かれ、煌めく星々を仰ぎながら、カナディス大陸に向けて声を届けていく。
『……どこへ向かっているかというと、ゴシュナウト大陸です』
ゴシュナウト大陸とは、遥か太古、カナディス大陸とひとつの地続きだった大陸だ。
リルファーナは事情を説明していく。
『大陸際のあと、ジューダ王子が「ゴシュナウト大陸に行く」と言いだしたのがキッカケです。ゴシュナウト大陸は科学が発展していて、電波放送というのがあるそうです。その技術があれば、水晶塔がなくても、放送できるようになるみたいです』
聞いた時……もし本当に実現したらすごいと、リルファーナは興奮した。
魔力が無くても、水晶塔が無くても、放送が出来るようになれば便利だし、なにより遠くにある国がもっと身近に感じられるようになる。
(ジューダ王子なら、本当にやり遂げてくれそう……)
ジューダの決断に頼もしさを感じていたリルファーナだったが、その時、そばにいたエルドルが「じゃあ、私もついていこうかな」と言って、旅の支度を始めようとする。
するとテンマが「僕も一度でいいからゴシュナウト大陸を見てみたいデス」とソワソワしだし、リルファーナもふと「放送部に関係するなら自分も行ったほうが良いのか?」と考えを巡らせる。
唯一、冷静なのはランティスだけだった。
「待て! ジューダだけならまだしも、エルドルは駄目だ。ゴシュナウト大陸に渡るだけでも、ひと月以上はかかるんだぞ。海の上には水晶塔は無いんだ。放送が出来なくなる」
ランティスが容赦なく現実を突きつける。
しかしエルドルが、さらりと言葉を返す。
「それならランティス、君も同行して。君がいれば放送が出来るのだから……」
「なっ……おまえら、王族としての立場を忘れたか⁉︎ 長い間、国を留守にするんだぞ!」
「うーん。国王は健在だし、大丈夫じゃないかな……」
「俺はもともと「引きこもり」だから、どこに居ても同じだ……」
「おまえらは自覚というものが無さすぎる……、……はあ……」
無責任な王子達の発言に溜息を吐きながらも、最終的にランティスは折れた。
こうして、ゴシュナウト大陸への旅路は大所帯となった。
『次の放送ではゴシュナウト大陸のお土産話、たくさん出来るようにするので楽しみにしていてくださいね! 今日は……大陸祭のこぼれ話と、リステリア国の年間行事のお知らせをしたいと思います』
今日の放送はリルファーナひとりだった。
船上には水晶魔法陣を展開し魔力を注ぐランティスがいる。
エルドルとジューダに関しては、水晶魔法陣に使用しているカナディス大陸図や、その上に並べた鉱物たちが、潮風によって吹き飛ばされないよう風除けの布を張り、それを監視するという地味な作業に徹していた。
おかげでリルファーナは、久しぶりに、ひとりきりで喋り続けていた。
(でも、少しずつだけど慣れてきた……かも……)
――ずっと不安だった。
放送部として、受け入れてもらえてるのか……。
でもグランヴェル国で、リステリア国放送部として大広場の舞台に立った時、色んな人から応援の言葉をかけてもらった。
(ちゃんと受け入れてもらえてた……)
ようやくその実感が持てたことで、リルファーナは今まで以上に落ち着いて放送に臨むことができていた。
気づけば、半刻という時間はあっという間に過ぎていく。
『――カナディス大陸放送部では、皆さんの情報提供やお便りを、お待ちしております! 宛先は各国の観光本部になっています! ……それでは今夜も聴いてくださり有難うございました! 音声担当はリルファーナ・ルナディアでした。また新月の夜にお会いしましょう! おやすみなさい――』
無事に放送を終えると、リルファーナは虚空を見つめ、風が連れてくる声に耳を澄ます。
今のリルファーナには霊視の力が備わっている。それは即ち、あらゆる存在の本質が視えるということでもあった。
(ここで、間違いない……)
リルファーナはジューダに視線を送る。
すぐにジューダも気付き、片付けていた風除けの布をエルドルに託してから、声を掛けてくる。
「……今、なのか?」
「はい。お願いします」
「分かった。待っていろ――」
ジューダが船内に入っていく。
やがて帆がたたまれ、船は動きを止める。
「何故、船を止めたんだ……?」
訝る様子のランティスに、リルファーナは「わたしがお願いしたの」と答える。
じつは航海に出てから「あること」に気付いたリルファーナは、ジューダにその時が来たら船を止めて欲しいとお願いをしていた。
「ランティス、一緒にきて」
リルファーナがそう言って船首に向かって歩き出すと、ランティスも黙って後ろをついてくる。
追いかけてきたジューダが「小舟を出すか?」と言ってくれたが、リルファーナは首を振った。
「大丈夫です。わたし達は沈んだりしないから」
「何をするつもりだ? リルファーナ……」
「ランティス、下に降りたいの」
「下?」
リルファーナが指差したのは、星々の輝きが揺蕩う海上――。
「よく分からないが……本当に良いんだな?」
「うん。お願い、一緒にきて……」
ランティスはそれ以上、何も訊かなかった。
少し身を屈めてリルファーナの腕を自分の首にまわすと、優しい手つきで背中を支えながら、細い両足の膝裏を掬い上げるように持ち上げる。
ふわり……と、リルファーナの身体はランティスに抱き上げられた。
「重たくない……?」
珍しく自分の目線の下にいるランティスに問いかけると、彼は星々の光を宿した瞳を眇めて微笑んだ。
「おまえは軽いから、どこかに飛んでいってしまいそうで不安になる。もう、離さないけどな……。――いくぞ」
ランティスが二、三歩、助走をつけて飛び上がり、船べりに片足をかけると、そのまま勢いよく海上へ向かって飛び降りる。
落下は緩やかだ――風が二人を優しくくるむように導いていく。
ぴと……と、ランティスは軽やかに海面に着地した。沈んだりはしない。リルファーナの願いを精霊達が叶えようとしてくれているからだ。
「ありがとうランティス。……降ろしてくれる?」
「沈まないだろうが、くれぐれも危ないことはするなよ」
「うん。大丈夫――」
相変わらず気遣いに満ちた仕草で、ランティスはリルファーナの身体をつま先からゆっくりと海面に降ろす。
柔らかい潮風が、リルファーナの蜂蜜色の髪を踊らせる。
星々の瞬きが強くなり、光を映した海面は、深い漆黒から銀の粉を撒いて溶かした月の表面のように色を変えはじめた。
リルファーナは両腕を伸ばした。
そして呼んだ――
「おいで――、月華――」
「月、華……?」
「そう……それが、かつてのわたし「精霊の巫女」の真名よ――」
ランティスの瞳が大きく見開かれる。
――それはずっと曄藍が知りたいと望んでいた、孤独で愛しい少女の名。
薄く開いた唇を震わせ、ランティスはもう一度「月華」と呟いてみる。
リルファーナが伸ばした腕の先。
銀色に染まる奔流の中から、光を纏った小さな「塊」が浮き上がってくる。それはリルファーナの両の手のひらに吸い込まれるように収まった。
「ランティス、左手で触れてみて……」
リルファーナが向かい合ったランティスに、自分の両手を差し出す。
鉱物界に身体の一部を捧げ、今に至るまでのすべての記憶と、力を得ているランティスの左手は、普通の人間のものとは異なる。指先から、今では肘のあたりまで、鉱物そのもののように結晶化していた。
ランティスが、そっと指先で「塊」に触れた。
すると「塊」は崩れ、光の粒子となりランティスの左手を包んでいく。結晶化していたはずの左手が、指先から順に本来の肉体として構成されていく……。
「――これは……、一体……」
自分の左手を眺めながら、ランティスは呆然として呟く。
リルファーナはランティスの左手をギュッと握りしめた。
――まだ冷たい……。
でも、じきにこの左手にも血が通い、温かさが戻るだろう。
(良かった……。ランティス……)
握りしめた愛しい人の左手は、少しだけ震えていた。
「わたし、ずっと月華の「意思」に呼ばれていた……。ここは月華の肉体がたどり着いた場所で、ランティスが触れたのは月華の一部……」
「月華の、一部……」
リルファーナは頷く。
かつて「精霊の巫女」であった月華の肉体には、大地に帰依し数千年の時が経った今でも、特別な力が宿っていた。もちろんそれにも理由がある。
「月華もずっとね……曄藍のことを愛していた。真名を打ち明け、身も心も捧げたいと思うくらいに、曄藍のことを幼い頃から愛していた……」
「まさか……。そんな、まったく気づかなかったぞ……」
「それは巫女として気持ちを見せないようにしていたから……」
ランティスの左手に、リルファーナの温みが伝っていく。
「そして月華は、曄藍を想いながら最期の時を迎えた。予見の才は無かったはずだけど、いつか……「曄藍の一部になりたい」と願ったの。だいぶ時間は経ってしまったけれど、月華の願い……やっと叶えられた……」
「月華――リルファーナ……!」
溢れた想いに突き動かされるまま、ランティスがリルファーナの身体を抱きしめる。
肩口にランティスの熱い吐息と涙の感触がして、リルファーナは広い背中をそっと撫でた。
「ランティス……ずっと独りで、たたかってくれてたんだよね。ごめんね。苦しい想いをたくさん背負わせてしまって……」
リルファーナもランティスを抱きしめる。
「わたしに生きる意味を教えてくれてありがとう、ランティス……」
「……オレの、ことはっ……いいんだ……、オレは……おまえが……っ」
泣き咽ぶランティスの涙を拭いたくて、リルファーナが身体を離そうとすると、より一層強い力で抱きしめられる。
「ラ、ランティス……苦し……」
「この想い……、どうやったら、おまえに伝わるんだろうな……」
「も、もう……充分に、伝わってるからっ」
そう……ランティス想いも、身体の熱も、充分に伝わっている。
自分の早い鼓動まで伝わってしまったら、恥かしい……。
踠きながら肩越しにふと船上を見ると、テンマ、エルドル、ジューダがこちらを見ている。
星々の瞬きが強いせいか、にやにやと笑みを浮かべる三人の表情までもがはっきりと見えて、リルファーナは沸騰したように顔が熱くなる。
「ランティス……みんながっ、子供も見てるから……!」
「……子供? ああテンマのことか」
ごしごしと手の甲で顔を擦りながら、ようやくランティスが抱擁を解いてくれた。
しかし安堵したのも束の間……リルファーナの唇に掠めるような口付けを落とすランティス。
「……!」
「リルファーナ、愛している」
「……っ、わ、わたしも……だよ……」
唇に残る温かな感触に、意識が遠くなりそうな心地を味わいながら、リルファーナは答えた。
そして見上げた先でランティスの夜明けを切り取ったような藍色の瞳とぶつかる。
この瞳にリルファーナは幾度も助けられてきた。
(ああ……やっぱり、好き……)
愛しさがまた、全身を巡っていく。
「オレは、この新月に誓う――リルファーナ、おまえをずっと護り続けると。オレの生涯を賭けて幸せにすると約束する。だから……オレの伴侶になって欲しい……」
真っ直ぐなランティスの言葉が、リルファーナの心を甘く抱きしめていく。
「――わたしで良ければ……喜んで……」
リルファーナが微笑んで答えると、船上でまばらな拍手が起こった。
(や、やっぱり、聞かれてた……)
それからエルドルとジューダが、せっせと二人がかりで縄梯子を下ろしてくれる。
テンマは大好きなランティスとリルファーナが結ばれることを喜び、これからの未来を想像しながら、月の無い星空を仰ぐ。
そこに一筋……煌めく星が流れていった。
ここまでお付き合いくださりまして、本当に有難うございます!
物語はいったんこれで完結となります。
また別な作品でお会い出来たら嬉しいです。




