第3章 「歌聲が導く未来」①
やってきた新月の夜。
リステリア国放送部、二度目の放送が始まる。
『こんばんは! 新月の夜、皆様いかがお過ごしでしょうか?
二回目の放送になりますが、なんとっ、リステリア国放送部……今夜は野外から放送しています!』
きっと、この放送を聞いてくれているカナディス大陸の人達は、放送部の身に一体何があったのかと疑問に思うに違いない。
リルファーナは月明かりが無いぶん、いつもより眩しく煌めいて見える星々を仰ぎながら、最初の一声をを紡いだ。
いつもは屋敷の円卓を囲んでいる三人が、今夜は水晶魔法陣を中心に、敷布をひき、その上に座りながら放送をしている。
リルファーナの隣には放送部において、構成作家の役割をしているテンマが座り、いつでも指示が出せるようにと紙と筆を手に構えている。一方、二人から少し離れた位置にランティスはいた。
ランティスはこの放送部の発起人であり、リステリア国第二王子で【貴石の魔術師】という呼び名がつくほど、稀有で強大な力を持った魔術師だ。彼がいなければリステリア国放送部は、遠くの地へ声を届けることはできない。
ランティスは鉱物界との契約により、カナディス大陸を充たす周波数のひとつに干渉することができる。そのおかげでリルファーナの声の送信を可能にしているのだ。
放送中はカナディス大陸図の上に設置された、鉱物をつかった幾何学模様のような術式――水晶魔法陣に魔力を注ぎ続けている。
集中しなければ放送自体に支障が出てしまうが、貴石の魔術師は、まるで息を吸うように容易く己の魔力を調整していた。
『今わたし達がいる場所は、リステリア国だけどグランヴェル国の国境に近いところにいます!
ちなみに、今日は……野宿の予定です!』
リルファーナは最初に野宿と聞いたとき、焚き火を囲んだ野営を想像していたが、放送部一行の野宿はすこぶる快適だ。
ランティスの魔術による結界で危険が及ぶことはないし、寝るときは簡素だが雨風が凌げるテントが張られ横になることができる。季節も夏だから、寒さ対策の必要もない。
リルファーナは自分達の置かれた状況を説明していく。
『先日の満月の夜、グランヴェル国の放送のなかで、エルドル王子がリステリア放送部のことに触れてくださいました。実はあの後、正式にお招き頂きまして……。わたし達は今、グランヴェル国に向かっている旅路の途中なのです。
わたし達が着く頃には、ちょうど大陸祭……通称【花祭り】もあるということで、個人的にもとても楽しみにしています!』
リルファーナの誕生日の三日後。
グランヴェル国のエルドル王子より、招待状がリステリア国放送部宛に届いた。招待状の内容は【花祭り】の最後に執り行われる【精歌隊】による儀式への参加と、さらに、この時に丁度良く訪れる満月……グランヴェル国の放送への出演依頼も兼ねていた。
「会ってみたい」と言っていたエルドル王子の言葉は本気だったのだ。
ランティスは気乗りしない様子だったが、リルファーナは嬉しかった。
(だって精歌隊を見れるってことは、クリス姉様に会えるかも……!)
エルドル王子に会うのは色々と緊張するが、仲の良かった腹違いの姉に会えるかもしれないと考えると浮き足立つ。
そのような事情を経て、リステリア国放送部はグランヴェル国に向かって旅立つことになった。
グランヴェル国まで普通に馬車で向かうと一月はかかる。
移動しながら、ランティスの知り合いの貴族の屋敷や、街の宿屋に泊まっていた。だが毎晩そうするわけにも行かない。人里離れた街道では宿屋が見当たらない場合もある。
ランティスは、女のリルファーナや、お世話係として付いてきたコレットの事を心配してくれたが、リルファーナが「夜の移動も野宿も平気」と言ったことで、予定よりも早くグランヴェル国に到着する行程となる。
『第一回目の放送のあと、観光本部にたくさんのお手紙が届いていました。聴いてくださった皆様、本当に有難うございます! 拙い放送だったけど、これからも精一杯頑張っていきたいと思います。
それではまず、リステリアで話題になっているお店の情報からです!
先日、リステリア王都の街で評判の良い、焼き菓子専門店【妖精の焼菓子】さん……にお邪魔してきました!』
リルファーナはテンマがつくった原稿を読んでいく。だが今回はさらに自分でもたくさん書き込みをしていた。
頭の中では聴いてくれている人たちの姿を想像し、目では息継ぎの箇所まで書き加えた原稿を見て、間違えないように、会話をするように意識しながら言葉を紡いでいく。
『ふわふわに焼き上げた甘いパンのような生地に、ミルクやバター、さらに季節の果実をはさんだケーキがとても美味しかったです! 果実は季節に合わせて違うものになるそうですよ〜』
隣にいるテンマが幸せそうな顔をして頷いた。
そういえばテンマは甘いものが好きなようだ。移動中にもよくお菓子を食べていて、リルファーナにもお裾分けをくれるし、屋敷にいるときはコレットに食べたいお菓子の要望を伝えている。
『大きなケーキやタルトは、残念ながら予約待ちが続いているそうですが……、
お店には日持ちするお菓子もたくさん置いてあったので「お気軽にっ、お一つからでもっ、お菓子を買いにきてくださいっ!」とお店の方は仰っていました。
なので……王都にきた時は、是非【妖精の焼菓子】さんに足を運んでみてくださいね!
お土産にもぴったりですよ〜』
喋り終える頃合いに、隣にいるテンマが新たな原稿をリルファーナに手渡してきた。
放送の途中で渡されるものは、あらかじめ準備されている原稿とは別に、すぐに読んで欲しいとテンマから指示を受けている。
リルファーナは書かれている内容に素早く目を通した。
『え……いいのかな?』
その内容に思わず漏らしながらランティスを見遣ると、彼は「問題ない」と言うように目線と頷きだけでリルファーナに返事をする。
(わかった! じゃあ、読むね……)
『え、と、ここでお知らせ? です。
この放送を聴いて、感想を観光本部まで送ってくださった方、五名様に……ランティス王子が【妖精の焼菓子】さんのケーキをプレゼントしてくれるそうです!!
あ……じゃあ、せっかくだしランティス王子から、なにか一言もらってもいいですか?』
思いつきでリルファーナが振ると、ランティスがギョッとした表情をする。
(ランティスや、テンマが喋っても、問題ないよね……)
グランヴェル国の放送だってジューダ王子が参加していた。それにきっと、大陸の人たちはリルファーナよりもランティスのことを知っている者の方が多いのだ。
『ん、ゴホン……。』
ランティスが喉を鳴らした。
――どんな事を話すのだろう……。少し楽しみだ。
『ランティス・ソワール・フォンセ・リステリアだ――』
美女顔負けの美貌を誇るランティスの、その容姿とは対照的な男らしい太くて低い声が、夜の涼しくなってきた空気の間に響き渡る。その声音がいつもと違い、聴衆を意識し強張っていることに、テンマが口元を押さえてニヤニヤと笑っている。
『感想は……できれば、放送部の発展に貢献するようなものが望ましい。
だが、基本、なんでもいい。――以上!』
まるで職場の上司の挨拶みたいだ。
簡潔で真面目な一言に、テンマが堪えきれず、とうとう笑いを漏らしてしまう。
ランティスはむすっとしているが、別に怒っているわけでは無さそうだった。
(そういうランティスの真面目なところ、好きだな……)
短い間ではあるが、リルファーナから見て、ランティスは真面目で神経質なくらい細やかで、そしてとても優しい人だ。
(あれ……わたし今、好きだって思った? 好きって、そういう意味じゃなくって……!)
リルファーナは一気に顔が熱くなる。
自分の思ってしまったことに驚き、焦ってしまう。
気持ちを紛らわすように、リルファーナは話を振ることにする。
『あ……有難うございますランティス王子。
じゃあ、この際……テンマからも一言もらっちゃおうかな? いいよね?』
『はい。テンマ・シーヴォ、十三歳デス!
このまえの放送のあと、劇場をつくるために出資してくれる貴族の方から連絡がありました。
次は、建築家を募集中デス! よろしくお願いします!』
――さすがテンマ。宣伝には抜かりない。
夏の夜の風は、冷気をはらんで、熱くなったリルファーナの頬を少しずつ冷ましていった。
半刻というのはあっという間だ。
けれど、まだまだ不慣れなリルファーナにとっては限界を感じる頃合いでもある。
『そろそろ、お別れの時間になりました。二回目の放送もお付き合い頂き有難うございます!
リステリア国放送部では、リステリアの魅力を大陸中に発信し、もっとリステリアを知ってもらおうと思っています。
なのでっ、皆様からの情報を募集しています!
というか、皆様の協力が無ければ成り立ちません!
取材に行くのは、遅くなってしまうかもしれないけど……観光本部まで情報提供よろしくお願い致します! では、最後に――』
リルファーナは原稿を置いて、ゆっくりと立ち上がった。
(今の、わたしが出来ることは、これくらいだから……)
グランヴェル国の放送を聞いた後、リルファーナ自信、色々と考えてみた。自分にできることを。
結果、リルファーナが原稿を読む以外に出来ること……それは――歌だ。
単純に歌うことは好きだが、とくに【精霊の愛し子】の歌には恩恵があると、カナディス大陸では信じられている。
(わたしは精歌隊でもないし、わたしの歌を喜んでくれる人なんていないかもしれないけれど……)
『この放送を聴いてくださっている皆様が、良い夢を見れるように……
わたしの大好きな子守歌を歌って、今回の放送を終わりにしたいと思います。
……では、また次の新月の夜にお会いしましょう!』
リルファーナは呼吸を整えて、歌い出す。
夜の帳のなか……星の瞬きのなかで歌聲が響く。
ただの子守歌を歌っているだけなのに、リルファーナが歌うと神秘性が増す。
まるで闇を宥める光のように、或いは……疲れ切った魂をそっと包み安寧へと導くように、リルファーナの歌聲は優しさと清浄さを合わせ持っている。
【生命はめぐり――
神々のもとへ、
風は……たなびく……精霊の、もとへ――
愛し子は、
夢のなか……、
永遠の想いを、アナタに捧げる――】
歌い終えると、ランティスが水晶魔法陣への魔力の供給を止めた。
放送終了――。
「お……終わった……」
「リルファちゃん、お疲れ様デス!」
「ああ、1回目とは比べ物にならないくらい良かったぞ」
「……でも、やっぱり緊張しっぱなしだよ。エルドル王子みたいにはいかないものね」
「エルドルはエルドルだ。おまえには、おまえの良さがあるよ」
「その通りデス!」
「わたしの良さ……かあ……」
どう考えても、立場も経験も、何もかも向こうのほうが上だが……。
「リルファーナ、おまえの良さは聴衆と同じ目線に立てることだ。
リステリアで育ちながら、リステリアを知らないおまえが、新鮮だと感じながら伝えていくことが、聴衆の心に響くんだ。
飾らないおまえの全て……エルドルには無い、おまえの魅力だ」
「ランティス……」
なんの衒いもなく、真面目に、真っ直ぐにリルファーナを見つめてくる瞳と言葉。
(なんだか最近、落ち着かなくなる……あれ、おかしい。この前まではランティスのそばにいると、安心するって思ってたのにな)
リルファーナは、早くなる鼓動と、自分の心に戸惑いを覚えた。
一方、グランヴェル国――
贅を尽くした豪奢な自室で、グランヴェル国王子エルドルと、彼の友人であるノルカディア国王子――ジューダは、リルファーナ達の二回目の放送を聴いていた。
しかし放送の最後で、音声担当のリルファーナの歌を聴いた瞬間から、エルドルは黙り込み、放送が終わった今も、美麗な顔に影を落とし何かを考えこんでいる。
しばらくして、最初にエルドルが紡いだのは溜息だった。
その後は、いつもの調子でジューダに話しかける。
「君は気づいた? 彼女の存在が、どういうモノか……」
「ああ。今回の最後の歌ではっきりしたな。どうするつもりだ? なにか企んでるだろ?」
「企んでるっていう言い方はひどいな……。でも、決めたよ。許されないことだって頭では解ってるけど……」
「……」
「でも……私は、このカナディス大陸のことを大事に思っているから。皆を守りたい――」
「それはわかってる。……そうか、なら仕方ないな。オマエ一人だけ背負わせるわけにもいかないしな」
「ジューダ……でも」
「俺ももう決めたんだ」
「有難うジューダ。君のような友人に出会えて、私は嬉しい……」
エルドルは微笑むが、ジューダはいつもと変わらず冷めた瞳で「これからどうするか、考えないとな」と、言葉を返した。
次回。
グランヴェル国に着いた放送部。
とうとう自分の恋心を自覚するリルファーナのまえに強敵があらわれる。